落花は枝に還らずとも 上巻: 会津藩士・秋月悌次郎 (中公文庫 な 46-7)
- 中央公論新社 (2008年1月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (430ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122049604
感想・レビュー・書評
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長編なので取り掛かるまで心の準備が必要でしたが、読み始めたらぐんぐん進みました。会津藩の公用方という、なかなか歴史の表には現れないですが実は大活躍した秋月悌次郎。大きく包むような人柄で、尊敬できる人物です。
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歴史ものはほとんど読まないけれど、これは歴史好きな夫に勧められて読んだもの。9年ぐらい前に旅行中のホテルでのんびり読んでた記憶あり。
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公用方として生きた秋月悌次郎の一生。
これ読んで八重の桜最初から見直したくなった。 -
上下巻。
若くしては昌平學にて「日本一の学生」と呼ばれ老いてはラフカディオ・ハーンに「神のような人」と称された、会津藩士秋月悌次郎の生涯を追い描く。
2013年大河ドラマの余波で、数年前から積ん読されていた本をサルベージしました。
武官に比べて文官は歴史に沿って物語を追い描くのが困難、と、筆者自身もいわれていますが、残された記録と逸話と想像と創造と記録からの考察を程よく合わせて、歴史の波に乗ったひとひらの葉のように時の流れと秋月悌次郎そのひとをしっかりと描かれていると思う。
最後の章などはわたし自身も秋月の今までの過ぎし日を思い起こして、しみじみと感じ入りました。 -
3年前に読みかけて積んでた本。今年の大河で秋月が活躍しているのを見て読みはじめました。感想は下巻を読んでから。
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会津藩士、秋月悌次郎の生涯。
日本一の学生と言われながらも、幕末の会津藩と共に不運な人生を生き抜く姿に感動します。 -
131 読み応えがあった。
でも、完読するのに2年もかかってしまった。
中村さん御免なさい。
下巻は年内に完読します。 -
会津と薩摩の間であれだけ活躍し、長州に睨まれた秋月が一部の薩長人に助けられ、明治新政府下でも活躍の場を見出していくのは学問と人柄のおかげなのだろう。同じような境遇の佐川官兵衛はその軍人版とも言える。会津からみた明治維新についてもっと知りたくなった。
漢詩も読みこなせるようになりたいものだ。 -
会津藩士・秋月悌次郎の一生が書かれています。
主人公が会津藩士なので、『容保公ラブvvv』『容保公万歳!!!』『容保公最高★☆★』なのは理解できるんですが、容保公を聖人君子に書きたいが為に周りにいる人達(慶喜公とか小笠原長行公などなど)を無能な者のように性格が悪い人物のように書かれていたのが、読んでいて、あまり良い気持ちがしなかった。
まぁ、仕方がないといえば仕方がないんでしょうが、個人的に小笠原長行公が好きなんで、あんまり、あんな書かれ方はちょっと…。
内容は、ホント、調べてるんだろうなぁ~とつくづく感じる小説で、幕末時の会津がどうやってあんな目に遭ったのかがよく解りました。
小説というより、幕末史の教科書のようです。 -
秋月悌次郎は、幕末の京都で守護職を務めながら時代に翻弄され、逆賊の汚名を一身に集めてしまった会津藩主・松平容保公のそばにあって、公用方を務めた一人だ。はなやかな幕末の歴史のなかでは、地味な脇役でしかない一文官の一生がこんなにも波乱にとみ、静かな感動をくれるとは思ってもみなかった。
そこには、「学問とは人としての道を知るためのもので、およそ人たるものは道義に生きるべきなのだ。」という、秋月が19歳の時に忽然と理解し心に落とし込んだ思想が、どんな境遇にあってもぶれることなく貫かれていた。それが、清々しい感動につながっているのだろう。
著者が語っているように、秋月悌次郎は、文官の最たるものなので、斬った張ったのエピソードが少なく、学問と仕事に対して誠実な人なので、艶っぽい話もでてこない。それでも、時代の変わり目にあった彼の一生は波乱に富んでいる。
会津の武家に生まれた悌次郎は、江戸での14年の遊学で、「日本一の学生」と呼ばれるほど寸暇を惜しんで学問を修め、同時に幅広い人脈を築き上げる。その後、京都守護職となった容保公に従って京都に上り、朝廷や幕府、各藩との折衝や情報収集を行う公用方として活躍し、「八月十八日の政変」にあたっては、薩摩との同盟の根回しをするなど実績をあげていくが、突然、国許に呼び戻され極寒の蝦夷地に左遷される。その彼が京都に呼び戻された時、すでに時流は変わり、会津は朝敵になっている。会津での激しい戦の間も容保公の側にいて、降伏の使者として命がけの交渉にあたり、降伏後も永久謹慎の身でありながら、後進のために命をかけて尽力する。明治5年、やっと許されて東京大学予備門教諭として奉職、その後、熊本の第五高等中学校の教壇に立ち、筋のとおった生き方と誰にでも優しい人柄で生徒からも同僚からも慕われた。五高で同僚となったラフカディオ・ハーン(後の小泉八雲)は、齢を重ねた秋月を神様のような風貌を呈してきたと評している。
戊辰戦争後の秋月の後半生が描かれている下巻の後半は、美しい日本人の魂みるような静かな感動をもたらす。
秋月悌次郎と同じく公用方だった広沢富次郎も、表舞台に返り咲くことなく、清廉潔白な藩主のため、会津の後進のために、信念を持って一生を捧げたような生き方をしている。彼らは返り咲くことはなかったが、彼らが育ててきた後進たちが後の世で確かな花となっていく。
「落花は枝に還らずとも」は、秋月悌次郎を書きながら、会津の信念を書いた本だと思う。