告白 (中公文庫)

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  • 中央公論新社 (2008年2月23日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (856ページ) / ISBN・EAN: 9784122049697

AIがまとめたこの本の要点

プレミアム

みんなの感想まとめ

テーマは、孤独や絶望に翻弄される主人公の心の葛藤と、彼の凶行に至るまでの過程です。分厚いページ数にもかかわらず、軽妙な文体とテンポの良い展開が魅力を引き立て、読者を一気に引き込む力を持っています。主人...

感想・レビュー・書評

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  •  840ページの分厚さ、明治時代の史実、大量殺人事件と、読む前から怯みましたが、最初から貪るようにページをめくっていました。それだけ特異な魅力を放つ傑作小説で、本書の存在意義をもっと広めたいと思いました。
     軽妙な河内弁と現代語が混在する独特の文体、落語のような笑い、要所に挟む「あかんやないか」の著者自身のツッコミなど、シリアスさを軽減しながらも、逆に主人公・城戸熊太郎の魅力に自ずと引き込まれてしまいます。

     怠惰で博奕好き、アホだけど根っからの悪人ではない熊太郎が、なぜ大量殺人という凶行に走り、破滅の道を辿ったのか…。
     熊太郎は、少年期から自分の頭の中だけで、ぐるぐるといつまでも、しかも深く考え過ぎて、上手く言葉にできません。結果的に、他となかなか意思疎通が図れず、次第に孤立していきます。
     蛮行の直接原因を、女絡みと金銭トラブルと断ずるのは簡単ですが、その根っこにあるのは、周囲の無理解、蔑み、孤独、絶望だったに違いありません。そう、熊太郎は不器用で、生きることが下手だったんですね。生きづらさ、怒り、恨みが沸点に達した爆発は、悲しみの極地です。

     町田さんは、熊太郎という一人の人間の心理と言動を徹底的に突き詰めて人物造形し、その孤独と絶望を涙と笑いに変え、世の中に抗うパンクロックとして歌い上げたのでしょう。その圧倒的な熱量に打ち震えます。
     凶行決意から終末まで、土着の河内音頭が賑やかに哀切に脳内に流れる中、涙ぐみながらひたすら熊太郎の魂の救済を願い祈っていました。
     『告白』は、湊かなえさんだけではない! 全日本国民に読んでほしい、必読書・課題図書ともいうべき傑作でした。

    • NO Book & Coffee  NO LIFEさん
      町田康さん、私も初めてでしたが文章が独特です、
      パンクです。主人公が遊び人なので、女性ウケは
      悪いかもですが、エロ・グロでもなく、いい!
      女...
      町田康さん、私も初めてでしたが文章が独特です、
      パンクです。主人公が遊び人なので、女性ウケは
      悪いかもですが、エロ・グロでもなく、いい!
      女性読者の感想を聞いてみたいです(^^)
      2024/11/29
    • aoi-soraさん
      うわぁ~
      国民の課題図書かぁ
      読んでみたいっ!
      でも時間のある時じゃないと無理な感じですね
      とりあえず忘れないように登録だけしときます
      うわぁ~
      国民の課題図書かぁ
      読んでみたいっ!
      でも時間のある時じゃないと無理な感じですね
      とりあえず忘れないように登録だけしときます
      2024/11/30
    • NO Book & Coffee  NO LIFEさん
      あ、国民の課題図書は言い過ぎでした…今更?
      文庫の辞書みたいな厚さにドン引きですが、
      読む価値はあると思います いつかぜひ٩( ᐛ )و
      あ、国民の課題図書は言い過ぎでした…今更?
      文庫の辞書みたいな厚さにドン引きですが、
      読む価値はあると思います いつかぜひ٩( ᐛ )و
      2024/11/30
  • 面白すぎる。800ページを感じさせない、圧倒的な読みやすさ、展開の速さ、描写の分かりやすさ。

    一つ一つが目の前に浮かびます。

    そして何より、この情けない主人公が、凶悪な事件に関与することになるなんて、誰にも思い浮かばないと思う。

    町田康さんの文体、大好きだなぁ。

  • 人生で3本の指に入る良い本に出会えました。800頁を超える長作ですが、ページを捲る手が止まりませんでした。読み終えた今は「読み終わっちゃったなぁ」という、あの、本当に面白い本を読み終えてしまった時のあの感じです。本当に良い本に出会えた時って、こういうありきたりな感想になってしまうんですね。兎に角、しのごの言わずに読んで頂きたい!

  • こんなに分厚い文庫本ははじめて読んだ。はじめから面白いが熊太郎も弥五郎も魅力的で読め進めるほど更に面白くなってくるのは人物に魅了されるからだろう。不器用で思弁的な熊太郎はどこか他人と思えず程度の差はあれど自分の中の思弁的な面と向き合わされる。実際の城戸熊太郎がどういう人だったかはわからないが、なんとも切ない話だ。

  • 明治時代に起きた「河内十人斬り」をモデルとした、主犯熊太郎の一生を追った800p超の巨作。
    圧倒的破滅主義であり、一方決して芯から悪人では無い主人公が幼少から暴力的とも言える克明さで描かれ、彼のあまりの生きづらさ・社会不適合さに胸が詰まる場面がしばしば。
    中上健次を彷彿とさせる本作の熱量は、煮え滾る様な饒舌体・近畿方言も相まり読み手を相応に選ぶ筈だが、このような作品が社会的に評価を得、広く読者支持を獲得している事に強い喜びを感じる。

  • 文庫で800ページある長編、第41回谷崎潤一郎賞受賞作。
    町田康の作品を「くっすん大黒」「きれぎれ」「告白」と読んで来た。くっすん大黒は「くっすん大黒」と「河原のアパラ」の2作品が収められ、「きれぎれ」は「きれぎれ」と「人生の聖」の2作品、「告白」は長編大作。

    河内十人斬り、という河内で十人を殺害した実際に遭った事件の実行犯の、城戸熊太郎という男の人生が、そのまま物語になっている。400ページ位までちょっと退屈なストーリー展開だったけれども、後半物語が動き出して面白くなってきた。

    安政4年生まれの、河内の国、水分(すいぶん)村に生まれた熊太郎は、要するに百姓仕事が性に合わず、ほかに仕事もないから博奕に手を出し、それとて負けることが多かったので一人前の侠客とは見られなかった。
     
    長じて熊太郎には谷弥五郎なる弟分ができる。また、熊太郎は「俺の思想と言語が合一するとき俺は死ねる」と考え、これは金が独特の思弁癖が「渋滞」しているからである、とよくわかりづらい表現でよく使われる。

    いかなる状態になろうとも、ことがらの進行を助けてゆくのは、土俗性に富んだ河内弁である。会話だけでなく、地の文にもこらして読者を放さない。

    考えすぎて、手も足も体も働くなって百姓になりそこなう類の人間。

    隠忍自重の末、刀を抜く相手、松永熊次郎、傳次郎親子の卑劣さ狡猾さは、果し合いを申し込んで決着をつけてよい類の人間である。

    世の中には、世間の常識とはどうしても反りが合わず、それなりの良識と純真をもって自分を律していこうとするが、いつしかそれが破綻して人生の敗残者となってしまう人々がいる。たとえば、どんなに悪意を抱くまいとつとめていても、顔を合わせるのもぞっとするという生理的天敵がいる。

    読者は熊太郎がなぜ人を殺すようになるのかということがよくわからず、主人公ということもあって善良な性格に思えてならない筈だ。そこがこの小説の深い部分に思う。

  • 最初は推理小説かと思ったが違った。
    主人公の生き様を描いた小説だった。
    厚さに尻込みしていたが、読むと一気に読めた。
    昔の話なのに例えがカタカナ文字だったり、作者の特徴も面白い。
    だが、読む人によって内容は分かれるかもしれない。


    人はなぜ人を殺すのか――。河内音頭のスタンダードナンバーにうたいつがれる、実際に起きた大量殺人事件「河内十人斬り」をモチーフに、永遠のテーマに迫る著者渾身の長編小説。第四十一回谷崎潤一郎賞受賞作。

  • 明治26年に実際に起こった大量殺人事件「河内十人斬り」をモチーフにした大作。作者得意の関西弁を駆使して、実際の事件をモチーフにしつつもあくまで町田節。たまに入る作者からの「あかんではないか」というツッコミや、ロックバンドを引き合いに出しての例えなど、本来重くシリアスになりがちなテーマを軽妙にしていて大好きです。

    根っからの残虐非道な悪人というわけではない主人公・熊太郎が様々な紆余曲折を経てついに大量の殺人を犯すまでにいたる経緯を丹念に拾ってゆく作者の目線は、弱いもの、はぐれてゆくもの、滑稽で哀れなものへの深い愛情と共感があって、赤ん坊まで殺した残酷な殺人者でありながらどこか憎めない熊太郎という人間の一生を描き出します。どんな理由があっても、人を殺していいということはないですが、それでもこの熊太郎には共感せずにいられません。

    熊太郎の弟分で、一緒に大量殺人を行う弥五郎も、まあ言ってしまえばただのゴロツキでチンピラなわけですが、直情的で単純な性格、少年の頃に一度だけ助けてくれた熊太郎を死ぬまでアニキと慕う一途さなんか、いっそ愛おしいくらい。どこかで少しづつ少しづつ歯車が狂っていって、取り返しのつかないところまでいってしまう、その残酷な悲しさ。この分厚さを読みきるだけの価値ある傑作だったと思います。

  • 冒頭の「あかんやないか」で他とは違う独創的な小説だということに気付かされる。舞台は明治時代だが、まるで現代の落語や漫才のように河内弁で語られていくため、読みやすく惹きつけられ長さを感じさせない。これでもかという主人公の心理描写により、通常は理解しにくい人物への同調や感情移入ができ、ずっと楽しめる凄い小説。

  • 講談を聞いているかのようなテンポ感や文体であった。800ページを超える長編で、熊太郎の心の中をこれでもかと書き殴っている非常に人間臭くて生々しい小説。私自身は入り込めない部分も多かったが、生きづらさを感じているような人であれば、熊太郎に共感できる点も多いのかなと。
    河内弁含めてかなりクセの強い作品なので万人にオススメ出来る作品ではない。
    世の中に対する反抗心や人間としての醜さ、弱さ、脆さなど、とにかくドロドロとした生身の人間小説を読みたい人にはオススメ。

  • 歴史に残る大犯罪者を、読んでいるうちに応援したり、愛おしくなっていました。
    彼を大犯罪者にしたのは周囲の人たち、強いて言うならばあの一族ではないか。あかんではないか。
    分厚い小説ですが、サラサラ読めて、アホで面白く、終盤は切ない、大傑作です。

  • この本を買うまで、町田康のことを、まちだやすし、と頭の中で読んでいたので、訂正する機会になった。

    昔実際にあった、河内十人斬りという大量殺人事件の話というあらすじをみて、「一体犯人はどんなサイコパス野郎なんだ?なんとも血みどろそうで、ゾワゾワしながら読めそう!」と気楽な思いで手に取り、中をパラパラ捲って、異様に口の悪い関西弁の羅列を見て、益々楽しそう、とるんるんで買って帰って、読み始めたはいいものの、すぐ胸がジクジクと痛み始めた。
    主人公の、熊太郎が、あまりに自分と重なりすぎたからだ。この熊太郎が、後に十人斬りの犯人になることは、読む前にカバーを読んで知っている。サイコパス犯人を高見の見物と思って読み始めたときのハイテンションはすぐに萎み、自分と熊太郎の行く末を案じながら読むことになってしまった。またこの熊太郎が本当にひどい目にばかり遭うので、その度に自分ごとのように苦悶していた。
    ただでさえ、常日頃から、犯罪のニュースを見るたび、被害者になったらどうしようよりも、加害者になったらどうしよう、と考えてしまう癖がある程度には、自分が世間を踏み外しかねない、ギリギリの淵を歩いている自覚があるので、やっぱり私は…などと思わずにはいられない。それほど熊太郎の気持ちが手に取るようにというよりむしろ、心と心が直接に繋がっており、熊太郎の気持ちがそのまま自分になだれ込んできて、今自分と熊太郎の区別があんまりつかないぐらいに、同化してしまった。
    熊太郎の苦悩の種である思弁癖は、この「思弁癖」という文字を見て、長年自分が苦しんでいた症状はこれだったのか!!と晴れ晴れとした気持ちになるぐらい、自分にも覚えがあった。
    そして、私も熊太郎と同じく、この思弁癖に負けて負けて、仕事も生活もままならない人間なのである。
    頭の中で常に思弁しているので、勉強も仕事に集中できたためしがない。外を歩いていても、全くの赤の他人の小さな仕草、言葉一つや、鳴る音の一つに意味を見出しては頭の中で妄想(大抵は被害妄想)を繰り広げてしまい、ただ外を歩くのにも怖くなる。しまいには自分の生活するための動作中にも余計な事を考えてしまい、つい変な動きをしてしまう。そしてそれを見られて、変な動きをしたな、と思われたのではと勘繰って平然を装おうとして、また更に変な動きを重ねてしまい、常に動作がぎこちなくなり、終いには、本当の狂人と思われて仕方のないほどおかしな挙動となる。
    側からみれば、私は仕事のできない、生活能力の無い、挙動不審の人間で、実際そうなのだが、「でも、違うんだ、自分の思考が、自分を邪魔して、本当なら簡単に出来るはずのことを、出来なくしているんだ」という気持ちを人生のこれまでずっと抱えて生きてきた。と、この小説を読んでやっとハッキリ悟った。
    私は熊太郎より、突き詰めて考えられないお陰で、自分がなんとなく他者と比べて不器用な人間だな、というぼんやりとした思いを持って生きてきた。
    他者が自分よりも出来が良いのが、「思考と行動が真っ直ぐ一致してる」に由来しているというこれほどピッタリと納得できる言葉には自力では辿り着けていなかった。
    だからこそ、ぼんやりした劣等感で済んでいたんだとも思う。

    ここまで同じ同じ!とはしゃいできたが、決定的に熊太郎と私が違う部分もある。
    それは、熊太郎がそれでも、世間と関わって生きざるを得なかったことである。
    私は自分がどうやら世間の大半とは異なり、イケてるグループには一生入ることはできないと悟るやいなや、なるべくなるべく世の中のあらゆる人と関わらずに生きようと半ばひきこもりのようになりつつ、それでも世間と関わらなければいけない際は、できうる限り自分を無にして、正常な人に擬態させることを試みた。
    結果親に迷惑をかけている点では熊太郎と同じだが、どうにかこうにか細々とパートタイムの仕事を続けている。
    (と、書いている今にもクビにされるのではという恐怖を感じている。何せ仕事が下手くそなので。)
    そして、決定的な孤立もどうにかこうにか免れている。(と思っている。)
    それに対して、熊太郎は、自分が村人全員にうっすら馬鹿にされていると知りながら、それでも小さい村の中で隠れることもできず、そして、自身の異様さを隠しきることもできないまま、生活せざるを得ない。
    しかも、熊太郎は私より遥かに頭がいいので、幼い頃にはもう自分と他者の違いを苦しいほど自覚してしまう。
    そして、そのせいでどんどん生きづらくなる。
    本当は熊太郎は頭がいいのに、誰にもそのことは理解できない。正直に言っても逆に狂人と思われる。
    それでも幼少の頃はまだなんとか自己を押し隠し器用に生きてきたのに、押し隠すことで溜まった圧力のせいで、ブッ壊れて溢れた自我が、不思議でグロテスクな幻となり、自分に一生ものの責め苦を背負わせる。
    大人になってからは、次から次へと問題に巻き込まれ、自分の良心に従うほどに悪い結果を招く。
    悪い心に従っても悪い結果を招く。
    それでも、この世に義があると信じていた熊太郎は松永家にとうとう完全に、この世に義なんてものは無いと完膚なきほど徹底的に知らしめられる。
    こうして熊太郎は凶行を決意する。

    私はこの世に全体に義がないことをなんとなく察知している。
    それでも世間との間に壁を作っているので、顔面に押し付けられるほどその事実に直面してはいない。
    だから、熊太郎ほどの痛みを受けずに済んでいる。
    熊太郎と、こんなに同期していても、所詮私は温室におり、世間ともろにぶつかる熊太郎をただ見ているにすぎない。
    でも、熊太郎が生きる姿を読む間中、私はずっと、熊太郎が私の代わりに世間と戦ってくれている気がしてならなかった。
    この世界は根本的に間違っていて、だから自分はそこに添い遂げることができず、浮足だった生活しか送れないでいる。他の皆は何の葛藤も無しに、苦痛も無しに生きているのに。
    そんな世界に対してまともに対峙して、自分に合うように変えようとしたら、狂人となり、破壊するしかない。
    自分では正しいと思っても、側から見れば、自分達の生活を破壊する狂人としか見てもらえない。
    それが怖いから私は閉じ籠っているけど、熊太郎は閉じこもることもできず、向かって行ってそしてたくさんの人を殺して死んでしまった。
    10人も殺した、しかも子供も殺した人間を英雄視するのは間違っている。完全に間違っている。
    だが、とにかくこの小説の中の熊太郎を私は必死に心の底から応援した。
    背中をさすり、わかるわかると相槌を打ち、一緒に啖呵を切り、苦悶した。
    そうすることで自分自身が大いに慰められた。
    生きづらいのは自分だけじゃないということにこんなにも実感を持ったのは初めての経験だった。

    熊太郎が最期、自分が他者の身の上を考えたことが無かったと悔悟する場面があるが、私もそうなりかけていた。
    自分の劣っていることばかりを気にして、他人を遍く「器用に生きれる考え無しの奴ら」などと、一括りにして、余計に自分の孤立を深めていると、他人に対して負の感情が募るばかりである。しかし、人間は個々人に身上があり、感情があり、それぞれに不恰好や、器用などと言った言葉で語り尽くすことは到底できない情報量でとにかく生きているのだ。
    熊太郎の頭の中に鳴り響く800ページを超える思弁でも語り尽くせないほどの人生を、現実の人たちは生きている。
    そのことだけは絶対に忘れてはならないと思った。
    自分の劣等感を先鋭化し、武器のように尖らせたいがために他者を平均化して考えることが、わかっちゃいるけどやめられない類のことであったとしても、何度でも、頭の中に繰り返し言い聞かせていかねばならない。

    小説の中に出てくる、財宝と、腐乱死体を覆い隠す墳墓が、熊太郎という人そのものを表しているようである。
    正義に生きて村人に尊敬されたいという気持ちを持ち、人生において何度かそう生きようとするものの、自分を見つめる自分が、そんな良い人間のはずがない、と目の前に悪臭のする醜い死体を掲げてきて、そのたびにおかしな方向へと進んでいってしまう。自分の舵が曲がる原因は、自分なのだが、そのことに自覚していてなお、どうすることもできない。
    いつしか財宝は全て売り飛ばしてしまって、腐乱死体の影だけがこびりつく墳墓は正しく熊太郎の行く末に重なる。

    こんなふうに長々書き連ねてしまうほど、没入させられる文章だった。
    頭に軽妙な河内弁が鳴り響き、農村の風景が眼前に土煙を上げて立ち現れ、熊太郎は挙動不審にそこを歩いていた。
    町田康が作り上げた河内十人斬りの熊太郎は、しょうもない、ろくでもない、どうしようもない人生を苛烈に生きて死んでいったが、私はこの小説のおかげで、なんか明日からも生きていけるかも。と思えた。

  • この小説を読むために数々の小説を読んできたんとちゃうか、ワレ、と思うほど、最高傑作に出会えたがな!(塩狩峠超えたな)この先読む小説、もうおもんないんちゃうやろか。河内弁のグルーブにのせて、熊太郎はあかんほうへあかんほうへ。思弁的な熊太郎の心のぐだぐだに共感し、わしもやと同化してしもて、わなないた。思弁的すぎて、うらはらな心が乱れ打ち、よくあるよなー。思いもよらん、けったいなことしでかすことあるよなー。アホと天才は紙一重。いわんや善人と悪人においてをや。人は人をなぜ殺すのか、というよりも、人はなぜ自分を殺すのかしらん。ありのままでなんて言葉がチープに感じる、一撃必殺の小説でした。

  • 実話とは知らずに読み、終盤になるころやっと実話をモチーフ?と気づく。
    松永熊次郎が出てくる度にまた同じ事の繰り返しか、と気分が滅入ってしまう。
    救いようのない話は今の私には合わなかったようだ。面白いか面白くないかと言われれば、面白いのかな、いや、悲しく苦しく読むのが辛かった。

  • 一言一句飛ばすのが惜しい。引き込まれる饒舌な河内弁の騙り口。感想が難しい…小説って意図せずとも著者の価値基準や傾倒が文章にどうしても表れると思っていたが本作には全くそれがない。850Pもあるが熊太郎の一生に他ならぬ読み物で、そこが何より凄いと思った。
    全epがあまりに巧妙。頭に熊太郎らが浮かぶ。例:駒、笛、耕らなかった田、盆踊り、熊次郎の声、縫の神格化、P709正義等ないと知る。
    前半熊太郎の性質に自分も思い当たる節が多かった。普通を成せぬが人を陥れる悪人ではない、損し行き詰まる熊太郎を私は許したい。弥五郎も魅力的。

    思弁的な熊太郎が、終盤、自分の中にある自分の本当の思いを吐露しようとするのに何も出てこなかったシーンが悲しくて印象的。

  • ブクログでもアマゾンでも星5が多く、軒並み高評価だったので期待して手に取った。

    一言で言うと大作だ。文庫で800Pくらいあり読み進めるのになかなか手間取った。
    それでも面白いので小説の中にすんなり入り込めた。町田さんの集大成と言われる理由もわかる。

    明治時代を舞台に、熊太郎という河内の無頼者を主人公として、実際にあった事件河内十人斬りと彼の一生を描いている。博打、酒、女、喧嘩のやくざ者。こう言うと主人公はとても強い人間のように聞こえるが、実際は思弁がちで意気地のない、ええ恰好しいだ。いつだって、悩みに悩んだすえに彼は行動を起こす。

    思弁がうまく言葉にならず他人に伝わらない、その主人公の悩みと葛藤を描こうとしている珍しい作品だ。

    河内弁というこてこての関西弁を駆使し、町田康ならではのくほほ、おほほといった笑い方や、ぬらぬらといったわけのわからない表現も健在だ。なぜかそれら独特の表現が本作の明治時代と絶妙にマッチしている。自堕落な主人公という点ではこれまで読んできた町田さんの主人公と一緒だが、その一生を描いているという点で、これは突き抜けている。人はなぜ人を殺すのか。その問いに対してのひとつの答えがここにある。

    星5でないのは、主人公の他人に理解されないという悩み、この悩みと主人公が終盤にとる行動との間にあまり直接的な繋がりがないように自分には思えたからだ。この行動は主人公という人物を体現している。確かに主人公自身の悩みや葛藤から生じた諍いと、そのためにとった行動ではあるが、動機の一番大きなものはただむかついたからだという点で、少しうーんとなってしまった。熊太郎よりも私のほうが思ったことをうまく言葉にできていない気がする。うーん、難しい。

    だが読む人にとってはうまく繋がっているように見えると思う。長さに億劫になるかもしれないが、一度手に取って読んでみてほしい。傑作だと思う。
    なお本作で町田さんは2005年に谷崎潤一郎賞を授賞している。

  • 800ページを超える長編、慣れない河内弁、読み切れるか不安でした。
    不器用でならず者の極道崩れの熊太郎の一生が詰まってます。
    このならず者を物語を最後まで読んだ時に、どう捉えているか?
    私は途中から熊太郎が愛おしかった、彼の人生が好転して欲しいと思ってました。
    幼少期からの彼の人生を追っていく過程で愛着が湧いてくるんですね。
    ろくでもない行いなのは分かってるのに、彼に感情移入させてしまう作品の力は凄いです。

    腹の中と口から出る言葉が一致しない人
    たぶん熊太郎の苦悩が分かるんじゃないかなぁ
    きっと、ほとんどの人がそうだと思う

  • 幾億語を費やしたって告白できない事柄についての告白。
    自他を焼き滅ぼす業火を点じ、煎じ詰めて見える景色は。

    胸に世界の果をもつものは世界の果に行かなきゃならぬ。
    ——安部公房『壁』

  • あれ?おかしいな
    熊太郎は少数派だったはず。
    すくなくともあの物語の、明治初期の人らのなかには、熊太郎ほど思弁的な人間はいなかったはず。

    だのに告白を読了したという人たちの口から出てくるのは
    「熊太郎の気持ちがよくわかる」
    というもの。

    それは単に日本人の読書好きには内向的、ないし、もと内向的な人間が本を手に取る確率が高いからという理由もあろう。ましてこれだけ厚みのある本を読もうと思い、最後まで読みきり、ここにたどり着くということは、そこまでの過程で「ふるい」がかけられており、必然的に熊太郎共感組が残った、ということかな。

    レビューなのかな、これは。


    にしても、現代とはなんと捌け口の多いことか、

    昔の人らで思弁的だった人間は、誰に訴えかけることもできず、かりにそのようなことを訴えかけたとしても、「なにいうてんね、こいつ」みたいな目で見られるのがオチだったのかもしれない。
    そう考えると、心の空虚さとかなんとなく感じる孤立感とかはあるにせよ、圧倒的な孤独感に襲われることがない現代は恵まれた時代なのかもしれない。


    それにしても面白いのは、平次のことを誰も言及していないことである。
    この物語の一番の被害者は平次この人であろう。笑
    苦笑したそこのあなた、ほんとはわかっているじゃないですか。

    みなの意識が知ってかしらずか、「平次とはそういう役回りの人間である」と認識されているような、

    同情すらされない平次。

    一方、熊太郎はある意味、しあわせものかもしれない…

    サブタイトルは平次の悲劇、で決まりやね。


    付箋だらけの最高の読書体験になりました。
    町田康「告白」、おすすめです。

  • すごいものを読んでしまった。
    久しぶりに夢中になって読んだ作品。
    これぞ文学!と言いたくなる。
    800ページ以上あって長いんだけど一気に読んでしまった。読後は茫然自失。


    これは大阪の河内・水分村で実際に起きた‘河内十人斬り’という大量殺人事件をもとにした物語。全く救いのない話。
    でも、不思議と薄気味悪さや底暗さがない。河内というお国言葉のおかげだろうか。河内弁というものを生で聞いたことはないのだけれど、小説のなかで主人公・城戸熊太郎と周りの人間との機知に富んだ会話が絶妙で所々笑える。実際笑った。

    なにより擬音語を効果的に織り交ぜた口語による文体が読んでいて心地いい。すごい。


    思弁性が強く周りとの距離が掴めない、どこまでも不器用な熊太郎に読み進むうちに心酔してしまう。真面目に生きられない、かと言って極道者にもなれない。人生の敗残者。その生き様を徹底的に描き切った町田さんはすごい作家です。

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著者プロフィール

町田 康(まちだ・こう)
一九六二年大阪府生まれ。作家。九六年、初小説「くっすん大黒」でドゥマゴ文学賞・野間文芸新人賞を受賞。二〇〇〇年「きれぎれ」で芥川賞、〇五年『告白』で谷崎潤一郎賞など受賞多数。

「2022年 『男の愛 たびだちの詩』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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