- Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122050266
感想・レビュー・書評
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国分さんのご自宅にお邪魔した時に、保坂和志の話をしていたら貸してくれた。小島信夫との書簡集。作家と作家が会話すると小説になるのだと思った。小説というのは形式に他ならないのだけれど、その枠内で何かをやろうとする必要はない。我々の目に見えている形式からずれたところに、小説を小説たらしめる要素が存在している。そういうことをよく感じる事ができた。
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ことあるごとに読み返している。
まるで書簡体小説のように。二人の小説家は違っている。違っているけれども、両者のあいだには、一言では言い尽くしがたい本質的な共通点があって、それが痛いほどわかっているにもかかわらず対話を続けていることのもどかしさのようなものが感じられる。またそれが人間の宿命だということに、心動かされる。
「私」がただここに存在しているだけで十分じゃないか。そこにどんな大そうな意味を見出す必要があるのか。存在の意味。あらゆることの意味。そのことを極端に突き詰めていけばけっきょく、私の人生はいったいいくらの金額に換算されるのか、そういうことになってしまう。そちらに流されていかないために、これからも読み返す。 -
往復書簡。時間的余裕がないと、結構イライラする本だ。何かハッキリとした答えが出るのが正しいと思っている人には合わないと思う。
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(太洋さん)
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羨ましい交流。
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保坂和志さんがとても好きで、読みはじめた。ここで語られている作品をそんなに読んだことがなかったけど、こんなに色々語られると興味が湧いてくる。こういう本は、出てくる作品をしっかり読んだ上でアレコレ言われていることをよく理解する楽しみと、あまり知らないけれどもこういう本から興味を持つきっかけにする楽しみがあると思った。
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ハードカバーで読みました。
小島信夫と保坂和志というふたりの小説家が往復書簡をしている。往復書簡、というよりも飲み屋さん……いや、喫茶店でふたりが話をしているのを同席させてもらって、ワケがわからなければわからないなりにふんふんと話を聞いている気分になる。二人が求めているのは「小説」におけるリアリティの話だし、今現在小説家として、小説家がなにを書くべきなのか、ということであるらしい。
核はこの辺じゃないかいかなと思って読みました。
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文学は――私の場合は「小説」ですが――、科学によって拡散してしまった人間をもう一度取り戻さなければなりません、というか、科学全盛と見える時代の中で、文学や哲学が生き延びる可能性があるとしたら――文学と哲学は双生児のようなものなので、文学が危機なら、哲学も危機なのです――人間や世界に対する最も素朴な疑問を呼び起こすしかないと思うのです。(保坂、143ページ)
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保坂和志が1956年生まれ、小島信夫が1915年生まれ。保坂のリードに対して40歳上の小島の仙人のようなレスポンスが面白くて――って、この本の存在を知ったのは小島の『残光』からでした。二人の年の離れた小説家が喫茶店や電話でやり取りをしたりする"ただ存在すること"がそのまま小説になりうるか? という部分をこのふたりは共通して持っていて、ある種ふたりの共作小説かもしれないな、と思うこともあって。
実感レベルとしては、正直わかりません。あたしもチェーホフもカフカもそうがんばって読んだわけじゃない。ふたりの教養のレベルの間で成立するやり取りをボーっと脇で眺めていて、それでちょこちょこと「科学では説明しにくい"素朴な疑問"」とか、「小説における、自分が生まれる前と、死んだあとの話」とか、なんかそういう食いつけそうなところだけ耳を傾けるみたいな。
ああ、これは、ライブ感覚だ。
この「二人が喋っている脇に座らせてもらっている感じ」が面白い。
そういう本だと思います。
難しいですが、がんばって付き合っていくとなんらか拾うものがあるような。
そういう。ええ。 -
保坂和志と彼が「神様」と崇めている小島信夫の往復書簡。相手の老獪さを充分に知っている保坂があの手この手で話を聞き出そうとするのだが、そのあの手この手をすべてかいくぐって平気でいる小島が面白いというか、不気味にさえ思える。
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保坂和志と小島信夫による往復書簡。修業とあるが、ひたすら小説について語られていく。カフカやベケットと、文章を読むことでしか楽しめないような作家を例に挙げつつ、「小説にとって最も大切なことは何か?」をつらつらと語る。あっちにいき、こっちにいき、妙に哲学的だったりと、なんだか笑えてくるところもある。「本当におもしろいことは理解することではなく、際限なく考え続けること」という一言にうなずかされる。
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保坂和志の小説論は、たまらない。ゆっくり読むことを強いられる。分かりやすく書いて、端折らない。こちらをなるべくなめてかからないようにしている気がする。理解するための細い道がある。それを見つけるのが快感のひとつになる。ぼうっと読んでいると、今イチつかめない。が、一所懸命たどると最前読んで分かった気になったことの10倍くらいの内容が伝わってくることがある。大好きだ。
この一冊は小島信夫との往復書簡集だが、小島信夫がもう、保坂和志の(どれくらいか分からないほど)遠くにいる。このやり取りを、なぜか緊張しながら、ときに息を詰めながら読む。
高橋源一郎の小説論も同じく好きだが、高橋源一郎も『さよなら、ニッポン ニッポンの小説2』では、延々と小島信夫を扱っている。私は、小島信夫は保坂と高橋を通してしか知らないのだが、何だかどうも特異な人である。コミュニケーション欲のようなものが乾いていて、「聞いてください」という押しが感じられない。こちらが必要とされていないようで、私が他に読む本とは違った顔つきに、なんだか気後れしてしまう。
ゆっくりゆっくり、繰り返し読んでいこうと思う。