世界の歴史 19 (中公文庫 S 22-19)

  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (485ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122051027

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  • 近代中国史の屈辱は阿片戦争(アヘン戦争)に始まる。中国近代史の不幸は阿片戦争に端を発する。ヨーロッパで紅茶文化が花開くと、中国のお茶がヨーロッパに大量に輸出されるようになる。これはイギリスを貿易赤字で苦しめることになった。英国は阿片を輸出するという卑怯で破廉恥な手段に出る。その結果、阿片戦争が勃発する。

    英国は清国の港に大量の阿片を密輸し、莫大な利益を上げた。阿片を吸い続けると依存症になる。多くの清国人が阿片中毒になり、阿片の需要が高まり、価格が高騰して売人は大儲けをした。依存症になると精神を侵されて廃人になる。阿片窟に出入りする者達は重度の阿片常用者であった。彼らは阿片窟に通うために借金を重ね、やがて身を持ち崩すことになる。

    「阿片=悪」の図式が成立する。阿片の害を防ぐため、清朝は阿片の使用を禁止した。阿片を持ち込んだ者は誰であれ、その責任を問われるべきである。清国政府が外国からの依存性薬物の輸入を阻止しようとすることは当然である。

    「阿片は悪魔の薬だから、根絶しなければならない」
    「阿片は毒物だ。毒物は持ち込んではならない」
    「阿片は毒物である。毒物を清国に持ち込むことは許されない」
    「阿片の蔓延を防ぐためには、阿片を売る者を取り締まる必要がある」
    「阿片の密売者は許してはならない。阿片は悪魔の薬なのだ。悪魔は撲滅せねばならない」
    「阿片を売った者は死刑にせよ。アヘンは毒物だ。毒物は排除すべきだ」
    「阿片の売買に関わった者も同罪である。阿片商人は処刑せよ。阿片は毒である。毒物の流通は防がなければならない」
    「阿片の売人と阿片窟は徹底的に弾圧すべきである。阿片は毒である。毒物は駆逐されなくてはならない」

    清国は阿片を毒として禁止したが、売人は阿片を「薬用」と主張して輸出を続けた。清朝が阿片密輸を徹底できなかった背景には役人の売人との癒着がある。役人は商人が持ち込む阿片の一部を売人に届けさせる。それを役人は自分の取締りの業績として上部に報告し、残りの阿片の密売を黙認した。

    しかし、清朝にも清廉な人物はいた。湖広総督の林則徐は阿片厳禁を主張した。林則徐は道光帝から欽差大臣に任命され、阿片の取締りを断行する。1839年広州に着くと、外国商人達から阿片約二〇〇万斤を没収し、償却した。これを英国は侵略戦争の口実とした。この上なく非倫理的な侵略である。とんでもない話である。

    阿片を販売し、侵略戦争の口実とした英国の反倫理性は明らかである。英国議会でもグラッドストーンは反対演説を行った。「その原因がかくも不正な戦争、かくも永続的な不名誉となる戦争を、私はかつて知らないし、読んだことさえない」

    阿片戦争の原因を貿易や外交の問題とする見解がある。制限貿易と自由貿易、朝貢外交と対等外交の対立である。貿易や外交の対立をクローズアップする議論の背景に阿片密売の反倫理性を誤魔化そうとする動機がないか注意する必要がある。
    「たしかに体制や文化の対立はあった。しかし、それが原因になるのなら、もっと早くにイギリスが武力行使に訴えてもおかしくなかった。結局、イギリスはアヘンのためにしか戦えなかったのである」(並木頼寿、井上裕正『世界の歴史19 中華帝国の危機』中公文庫、1997年、71頁)

    阿片戦争の敗戦によって清帝国が弱体化し、列強諸国の植民地政策は活発化した。阿片戦争の次に起きたアロー戦争は第二次阿片戦争と呼ばれる。ここで阿片貿易が合法化された。阿片戦争の延長線上の戦争であり、第二次阿片戦争の名に相応しい。

    清国は欧米列強の半植民地となってしまった。中国茶貿易の実権を握られ、紅茶以外の中国茶は衰退した。阿片の蔓延が、お茶という健康な文化を衰退させた。阿片は罪深い。
    「洋人たちはこの国にひどいことをしました。茶葉や器や絹のかわりに阿片を持ちこみ、それを拒めば、鋼鉄の船を並べて、大砲を撃ちこみました」(浅田次郎『珍妃の井戸』講談社、1997年、314頁)
    「イギリスが運んできた阿片のせいで、この国はめちゃくちゃになった」(浅田次郎『中原の虹 4』講談社文庫、2010年、414頁)
    「仮に近代資本主義と植民地主義が不可分の関係にあるとしても、阿片戦争はあってはならぬ蛮行だった」(浅田次郎『兵諫』講談社、2021年、137頁)
    阿片戦争がなければ、中国はもっと早く近代化できただろう。阿片は文化の敵であり、人類の敵である。

  • NDC209
    目次
    1 斜陽の大清帝国
    2 アヘン戦争―朝貢体制の動揺
    3 太平天国運動
    4 上海―「近代文明」の窓口
    5 秩序の再編と洋務運動
    6 辺境の危機―朝貢体制の崩壊
    7 国家建設の構想
    8 華人世界の拡大
    9 義和団と「新政」
    10 辛亥革命

  • [評価]
    ★★★★☆ 星4つ

    [感想]
    この時代の中国は列強諸国によって、次々と侵食されている印象だったけど、考えていたよりも力を残していたということが理解できた。一方で徐々に内憂外患で内側と外側の双方から力を削られていったという印象かな。

  • 香港はいかにしてイギリス植民地となったのか。19世紀、アヘン戦争前後から列強の覇権競争と「太平天国運動」など国内の大動乱に直面し、辛亥革命に至るまで、近代を探っていった「中華帝国」の人びとの苦闘の歩み。

  • 19世紀から20世紀初頭にかけて国内外から蹂躙された中国。列強との戦争では連敗を続け、不平等条約を押し付けられ、国内では太平天国など長期間のほぼ小さな国家規模の反乱がおこり、清朝政府は無力さを露呈した。国内の意識では、まず「敵は内部にい」た[p128-129]。これだけ主権を侵害されながら中国伝統の「華夷思想」ではそれを「一視同仁」とみなしたらしい[p217]。とはいえ、もはや清朝は腐敗して、権力の運用は「公的なたてまえではわりきれない」[西太后の着服[p389]、李鴻章などの私兵的な北洋軍[p269]] ほどで、中央権力は瓦解[もちろん、これは自滅[p398]]していた。

    曾国藩を中心に[p188]「洋務運動」で既存権力(清朝)内部からの近代化をはかるが、日清戦争(1894年~1895年)の敗北で失敗とみなされる[p258]。そもそもそれは例えば「官督商辮(かんとくしょうべん)」というような政治的な権力と結び付いて特権がなければ経済活動がたちゆかないなど[※のちの社会主義的?p189]成長を妨げるような限界があった。

    一方では列強による中国分割は着々と進行。それぞれが互いに牽制しあう[「抜け駆けの牽制」[p405]、また日清戦争で日本は列強の動きに「非常に神経をとがらせ」た[p257]]など世界規模。その過程で租借された上海などで西欧の近代文明に接した中国の知識人(おもに若者)が革新派として改革を進めようとする流れになる。それが康有為の変法(戊戌の変法)など内部(既存権力)からの改革を促そうともするが、西太后らによってやはり挫折[「戊戌の政変(1899年)」p288]。

    その後、「扶清滅洋」の義和団事件(「巨大な反応」[p331])が起こるなど混乱で列強の武力介入を招くと、「東南互保」[p343]といわれるのちの「(光緒)新政」につながる地方と中央のベクトルの違いが明白になる。これは革命の伏線になるが、革命後の政府の懸案にもなった[p362]。

    ついに辛亥革命がおこり、清朝は滅亡[1912年、p386、※科挙の完全廃止は1905年]。その財源は「民辮」、上海の買辮として力をつけたもの(家系)[p148]や、華僑などであった。しかし革命後も袁世凱を大統領にせざるをえないなど不安定で多難(軍閥混線[p419])な道を歩んだ(そもそも孫文の求心力が弱かったか[p385])。

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著者プロフィール

所属・現職:東京大学大学院総合文化研究科教授。2009年8月4日逝去
専攻:中国近代史
主要著書論文:『日本人のアジア認識』(世界史リブレット66)(山川出版社、2008年)、『世界の歴史19 中華帝国の危機』(中央公論社、1997年)、『近代中国研究案内』(岩波書店、1993年)

「2009年 『中国の歴史と社会』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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