八日目の蝉 (中公文庫)

著者 :
  • 中央公論新社
3.82
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レビュー : 1929
  • Amazon.co.jp ・本 (376ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122054257

作品紹介・あらすじ

逃げて、逃げて、逃げのびたら、私はあなたの母になれるだろうか…。東京から名古屋へ、女たちにかくまわれながら、小豆島へ。偽りの母子の先が見えない逃亡生活、そしてその後のふたりに光はきざすのか。心ゆさぶるラストまで息もつがせぬ傑作長編。第二回中央公論文芸賞受賞作。

感想・レビュー・書評

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  • 最後のシーンの美しさとあたたかさがなんとも言えません。

    希和子のしたことは確かに犯罪。それでも確かに希和子は薫の母親だった。未来は見えないのにどうか逃げ切ってほしいと思わずにはいられなかったです。別れ際の言葉に涙が溢れます。

    お腹の中の子どもにいろんなものを、きれいなものをすべて見せてあげたい、という気持ちが芽生えたとき、恵理菜は自分のなかで渦巻いていた気持ちと自分、過去に向き合うことができたように思います。
    子に無償の愛をそそぎ、守ろうとする「母親」の姿が血の繋がっていないはずの希和子と重なります。

    本当の母親のように自分を愛した誘拐犯の希和子、本当の母親なのにうまく愛することのできなかった恵津子。また、愚かな父親ですら、自分が母親になることで許そう、受け入れようと思えた恵理菜は本当に健気で強い…というか、強くなろうとしている姿に感動しました。

    あと、千草が本当にいい子です。
    八日目の蝉。きっとこれから、お腹の子どもと一緒に素敵なものをたくさん見られるよ。

    偽りの母子の未来はなかったけれど、それぞれの未来に光が差し始めたラストがよかったです。

  • この本に登場してくる女達はみな世間一般の幸せと呼ばれる暮らしを手に出来なかった人たち。地上では七日しか生きられないはずの蝉の命が八日目を迎えられたら「ラッキー!」と思えるのが普通。でも、彼女たちは「死ねなかった、生き残ってしまった」と感じる。
    どうして自分だけ余計なものを背負わされ、生き続けなければならないのかと自問する。

    かつて薫とよばれた少女が自分の受け容れ難い境遇を呪い、反抗とあきらめと無と…なんとか折り合いをつけながら生きてきた様と、犯罪だと頭では分かっていたのに割り切れない衝動から、母性だけで乳飲み子を奪い逃亡生活を続けた誘拐犯、希和子の生きる様。両者の生は確かに強烈だ。
    出所後、「がらんどう」である自分にはもう何にも残っていないと認識しているのに、ふとしたときに手の中に温かいぬくもりや重みやかすかな光があるように感じるのは、全身全霊をかけて、愛し守ろうとした愛し子と過ごした月日が、身体に浸み込み焼き付いてしまっていたから。
    一方、誘拐された女も、小豆島でのささやかな幸せに満ちていた、母と呼んでいた人との暮らしを否定することはできなかった。再びそこに降り立った時、あふれるばかりに心地よい感覚が呼び覚まされ、初めて彼女は、自らの体の中に他者の存在を肯定的に認識することができた。未来と呼べるものを思い描くことができた。

    二人の女の生様はどちらも社会的性ではなく、原始的な性を強く刻印した在り方だと思った。読み進めていくうちに何度も熱いものがこみ上げ頬を伝わったのは、自分にも同類の血が流れているのが感覚的にわかったから。
    傑作に出会えた充足感。

  • すっごくよかった。

    許す、ということがテーマの小説だと思う。
    生きていると、どうしようもないことがある。
    みんな幸せになりたくて、だけど自分が幸せになるためにとった行動が、誰かを傷つけてしまうことがある。
    それはもう、正しいとか正しくないとか、いいとか悪いでは割り切れないもので。

    自分の幸せしか考えられない未熟さが生み出す悲しみ、でもその中で生まれてしまった優しくて温かい時間、悪いはずだった良いもの。
    そういう矛盾がうまく書かれた小説だと思った。

    そしてそういう矛盾に出会ったときに、いいとか悪いとかではなく、そういうものなんだ、と受け入れることができれば、楽になれるのかもしれない。
    許すこと、受け入れること。
    いつか自分にふりかかったとしても、そうできるだろうか。

    **************
    筋とは別に、印象に残った言葉:
    私、自分が持っていないものを数えて過ごすのはもういやなの

  • 私の中では比較的新しくお気に入りになった本。初めて読んだ時は涙が流れて止まらなかった。希和子が叫んだ、子どもを思うが故のセリフのシーンがたまらない。
    それぞれの女性の立場からの愛情や迷いが、細やかに描かれていて面白かった。

  • 家内が買ってきていたのですが、長らく積読状態でした、、
    『子供の教養の育て方』で取り上げられていたのに後押しされて、ようやく。

    子の親であれば、是非とも読んでおきたいと感じた一冊でした。

    終始、夏のヌルい風につつまれたかのような息苦しさを感じながら、
    一気に読了してしまいました、、タイトルの「セミ」の影響でしょうか。

    物語は二部構成、前半は「母性」、後半はその母性を受け止めきれなかった物語。
    普通とは違うこと、周囲から遮断されるということ、そして、社会への回帰とは。

    それぞれの人物の「どうして私が!」との想いの行き違いは、
    やるせない化学反応を起こしながらも、一つの結末へと進んでいきます。

    子を作るのが親なのではない、子と共に成長するのが親なのだと、個人的には。

  • 2018/11/4読了


    岡山が舞台とか、女性の「母性」の物語とかで
    話題となり、大ヒットにもなった作品。
    自分は映画の方を先に見、今更ながら原作を
    読む次第となりました。
    映画評の方をしっかり書いたので、それを踏まえつつ
    読書評も書いていく。


    希和子の逃亡劇と、(育ての)親としての
    惜しみない愛をささげる前半と
    事件の被害者として「普通」ではない人生の中
    また自身も岐路に立つ薫/恵理菜 の後半。


    解説にあった「生理的犯罪」というのがしっくり来るが
    希和子の欲望から生じた罪。
    逃げつつ、薫を育てつつ(世話よりも育てるという方かな)
    自分の幸せのためではあるけど
    色んなものを見せたい、食べさせたい、聴かせたい
    薫が幸せになりますように、だけが祈りであり欲望だった。
    許されることではないけれど、本来の生き方とイレギュラーな
    小豆島での生き方。
    どちらもそれなりの愛はあれど、希和子の母性と純真な愛情は
    確かにそこにあったのではないだろうか。


    単純に母親にふさわしい性質だったのだろう。
    溢れんばかりの幸せを、薫に授けるために。そして
    薫と離れないために。大金を手放してまでも、逃亡を選んだのだから。


    しかし、ストーブのついた部屋に赤子を残して外出する元の親を
    信じられないなと(映画評では)責めようと思ったけど
    (今もそう思うけど)ヒステリックな性格や苦労のある生活で
    いっぱいいっぱいなとき、子育てからほんの少しでも距離を取りたいと
    思うときもあったのではないだろうか。という視点も最近少し湧き出した。



    映画は、小説で希和子が授けたいと願った「美しい風景」をたっぷり含んでいる。
    映像なので当然だが、小説は希和子の内情、怯えや不安が多いので
    若干だけど映画よりも余裕がなさそうに見えた。が、それこそ成長する我が子に
    苦心する母の像でもあって、こちらはこちらで「愛情」をしっかりと
    反映しているようだ。


    恵理菜は被害者で、普通でない自分、普通を奪った希和子
    受け容れてもらえない実の家族
    あらゆるものを嫌い、がんじがらめの中、頼りのない男性の子供を身籠り
    八方ふさがりになってしまう。
    呪いのような境遇の中、千草と共に過去と対面しようとする強さを得る。


    正直この小説は誰一人として幸せになることは無い。
    フェリー乗り場にて希和子だけが光の中にかつての娘の姿を見るくらいの
    ささやかさではあるが
    未来はきっとつらいのは目に見えている。
    けども、かつての4年間は母と娘にとっては存在していたということだけが
    本来見ることができない世界にいたということだけが
    この物語の、「8日目」という幸福なのかもしれない。


    とても暗く、辛く、けども美しい
    そういう小説であると思う。

  • 映画がよかったので、原作もいつか読みたいなと思っていました。
    また映画が見たくなりました。

    誘拐犯なのに、幸せになってほしいと思ってしまう。
    自分の身の回りとはかけ離れた出来事ばかりなのに、遠い感じがしなくて、感情移入してしまう。

    人の描き方が素晴らしいんだろうなと思います。

    角田さんは初めてだったので、ほかの作品も読んでみたいと思いました。

  • 前半の希和子の物語は、薫と暮らせる幸せと逃亡の恐怖が交互に現れ、言葉の一言ひとことに希和子の不安が感じられて、希和子のした誘拐は絶対にいけないことだとはわかっているが、私まで「このままずっと逃げられればいいのに」と思った。
    でもまだ私には子どもを育てる快感を感じた経験がないからか、年齢が近い薫こと、秋山恵理菜目線から書いた2章のほうが今の私には響いた。恵理菜が恋人に対して思うことや、恵理菜の臆病さは、私のそれととても似ていて、恵理菜と私の背景は全く違うけど、同じような年頃の女が感じることは似通うのだなと感じた。それで心が軽くなるような気もするし、一緒にしないでほしいと反発する気持ちもある。
    恵理菜が千草に付き添われて夜の公園で妊娠検査薬を使うシーンでは、つい半年ほど前に自分が旅行先で妊娠検査薬を買って、友人に一緒にいてもらって検査をしたことを思い出した。恵理菜と違って私は陰性だったけれど、物語と重ねて気持ちがひりひりした。今思い出すとその思い出が丸ごとどこか違うところの話みたいに現実味がなくて少し面白くなってしまう。
    この話のテーマとして男と女の違い、というものがあって、エンジェルホームの人の「なぜ自分が女だと言いきれるのか、男でない理由は」という問いに考えさせられた。生物学的に言えば染色体がXYかXXというような話になるのだろうが、なんで遺伝子の違いや体の特徴で性別を分けられるのだろう。薫が男と女という概念がわからなかったときに希和子が言った「将来薫が好きになる人が男の人だよ」という言葉にすごく違和感を感じた。確かに男女で恋愛をするのが「普通」でマジョリティだけど、今はLGTBの人たちの人権も認められてきていて、恋愛は男女でするもの、という意識は薄れたと思う。でも普通じゃないマイノリティに対する風当たりは強く、男女の恋愛と同じようには受け取られないことが多い。本能的に自分と違うもの異質なものを拒むことは私にもあるし、仕方ないことだと思うけど、そんなに性別が大事なのかとも感じる。気づかないうちに常識に染まっていて固まった考え方しかできなくなるのがこわい。
    血の繋がりもこわいと思った。希和子は逃亡中薫と希和子が似ていると言われたことで逃げ続けることを決め、その後も何度も薫が本当に自分の子どもであることを夢見た。恵理菜は両親を馬鹿だと思いながらも完全に連絡を絶ったり縁を切ったりすることはない。千草の母に対する「嫌いとな好きとかない。母親は母親」という言葉が恵理菜の母の恵津子のことも希和子のことも肯定している気がした。どんなに嫌いでも縁を切っても血の繋がりは切れない。そのことは良くもあり悪くもあると思った。

  • 主人公に全く共感できなかった。
    がらんどうと言われた痛みは、私にも分かる。我が子を空へ見送る辛さも、よく分かる。だけど、母親から子供を、子供から母親を奪って良い理由には1ミリもならない。
    一度でも子を宿したなら、我が子を失う絶望をどうして想像できないの?
    傷ついたからといって、何をしてもいいの?
    続きが気になってどんどん読み進んでしまう展開はさすがだし、主人公の葛藤も描かれていると思うけど、応援されるべき母娘の姿として描写されている部分が少なからずあって、どうしても主人公と同じ目線になれなかった。
    愛情深い女性なのは分かるけど…
    私の想像力の問題なのかな…

  • 赤ん坊は手足をばたつかせて泣いている。
    抱き上げようとした瞬間、赤ん坊は口をへの字に曲げ、希和子を見上げた。
    まったく濁りのない目で赤ん坊は希和子を見る。
    まだ目に涙をためているのに、赤ん坊は笑った、確かに笑った。
    希和子が顔を近付けると、赤ん坊はますます笑った。
    手足をよじるように動かし、口の隅からよだれを流して。
    ちいさな手が希和子の頬にぺたぺたと触れた。

    か~わいぃよねぇ。たまらん!
    この赤ん坊がすくすく幸せに育ってくれることだけを思いながら読み進めました。
    小説なので そうはならないのですが。。。

    このお話のテーマは「母性」だと思います。
    男だから、女だから ってことでなく、ただただ 子供を慈しみ育てたい という感性。
    このお話に出てくる女性達は 色々な事情を抱えつつ、この母子を 助け支えます。
    彼女達の母性がそうさせているのかなと思います。
    母性は種としての本能ですが、本能だから理由はないのです。
    私が、この赤ん坊の幸せを願いながら読み進んだのは、私が我が子のことを思いながら読んだこともあるし、
    まさしく本能によるところかもしれません。

    因みに父性とは社会と共存したり闘いながら獲物を持って来たいこととそれを伝承していきたいことかも。
    ただ、このお話に出てくる男性は父性も母性もない、自分勝手な人達しか出て来ませんでした。

    皆がこの母子を助けるわけですけれどハッピーにならない、このやきもき感が小説の面白さでしょう。
    登場人物の境遇に共感しつつ、自分より不幸な登場人物に安心するっていうエンタテイメント性。。。

    「八日目の蝉」とは、七日間“生”を謳歌した仲間達が一斉にいなくなり残された蝉のことですが、
    きっと「祭りのあとの寂しさ」のことなんだと思います。
    ドラマチックな逃亡生活の末、全てを失なった希和子、
    子供を産めなくなってしまったエンジェルホームの女性達、
    エンジェルホームから脱退したけど社会に馴染めない恵理菜と千草。
    それでも 祭りの後の寂しさを紛らわして、人は皆生き続けて行くんですね。

    ラストシーンは、冒頭で恵理菜の幸せを願ったように、小豆島で暮らそうが、秋山家で暮らそうが、
    恵理菜の赤ん坊の幸せを願いつつ本を閉じました。

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著者プロフィール

角田光代(かくた みつよ)
1967年、神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
1990年、「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞し、小説家としてデビュー。受賞歴として、1996年『まどろむ夜のUFO』で野間文芸新人賞を皮切りに、2005年『対岸の彼女』で第132回直木三十五賞、2007年『八日目の蝉』で中央公論文芸賞、2011年『ツリーハウス』で第22回伊藤整文学賞、2012年『紙の月』で第25回柴田錬三郎賞、同年『かなたの子』で第40回泉鏡花文学賞、2014年『私のなかの彼女』で第2回河合隼雄物語賞をそれぞれ受賞している。
現在、小説現代長編新人賞、すばる文学賞、山本周五郎賞、川端康成文学賞、松本清張賞の選考委員を務める。
代表作に『キッドナップ・ツアー』、『対岸の彼女』、『八日目の蝉』、『紙の月』がある。メディア化作も数多い。西原理恵子の自宅で生まれた猫、「トト」との日記ブログ、「トトほほ日記」が人気。

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