八日目の蝉 (中公文庫)

著者 :
  • 中央公論新社
3.83
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本棚登録 : 15310
レビュー : 2032
  • Amazon.co.jp ・本 (376ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122054257

作品紹介・あらすじ

逃げて、逃げて、逃げのびたら、私はあなたの母になれるだろうか…。東京から名古屋へ、女たちにかくまわれながら、小豆島へ。偽りの母子の先が見えない逃亡生活、そしてその後のふたりに光はきざすのか。心ゆさぶるラストまで息もつがせぬ傑作長編。第二回中央公論文芸賞受賞作。

感想・レビュー・書評

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  • 『僕のへそのを緒を見せて!』母親にそうねだった私。そのものを見たいわけじゃない、自分の母親が本当に自分の母親なんだという証拠が欲しかった私。桐箱に入れられた貝の干物のようなそのへその緒を見て安堵する私。小さい頃、自分の親が本当の親かどうか不安になる瞬間、気持ちって多かれ少なかれ誰にでもあるのではないでしょうか。一方で、生みの親と育ての親という役割で説明されるように、親と子は必ずしも血が繋がっていることがすべてというわけではありません。そういった場合、そのことについて、子どもが物心ついたタイミングを見計らってその関係を伝える場合が多いのではないかと思います。自分と親の関係を正しく理解してその関係を深めていく。では、今この瞬間まで母親だった人と、強引に引き離され、代わりに現れた見も知らぬ女の人が、私があなたのお母さんよ、と告げたとしたら、そして今まで母親だと思っていた人とは二度と会うことない未来が、なんの前触れもなく突然訪れたとしたら、その時、その子は何を考え、どのように行動していくのでしょうか。この作品はそんな数奇な人生を送ることになる赤ん坊の物語です。

    『氷を握ったように冷たい。その冷たさが、もう後戻りできないと告げているみたいに思えた』と、ドアノブを掴むのは野々宮希和子、二十九歳。この時間帯は『ドアは鍵がかけられていない』ことを知っていた希和子。『ついさっき、出かける妻と夫を希和子は自動販売機の陰から見送った』という希和子はドアノブを回して部屋の中に入ります。『何をしようってわけじゃない。ただ、見るだけだ。あの赤ん坊を見るだけ。これで終わり。すべて終わりにする』と思う希和子。そのとき『襖の向こうから、泣き声が聞こえてきて、希和子はびくりと体をこわばらせた』、襖を開けると『赤ん坊は手足をばたつかせて泣いている』という光景を目にする希和子。そして『爆発物に触れるかのごとく、おそるおそる手をのばし』ます。『妻は夫を、最寄り駅まで車で送っていく。赤ん坊を連れていることはなかった』という予定された結果論としての目の前の光景。『私だったら、絶対こんなところにひとりきりにしない。私がまもる。すべてのくるしいこと、かなしいこと、さみしいこと、不安なこと、こわいこと、つらいことから、私があなたをまもる』と思いつめる希和子は、『コートのボタンを外し、赤ん坊をくるむようにして抱き、私はがむしゃらに走った』と、赤ん坊を連れ出します。『向こうからやってくるタクシーが空車であると読みとるやいなや、反射的に手を挙げていた。「小金井公園まで」』、そして朝の閑散とした公園に着いた希和子は『まずすべきこと。名前だ。そう、名前』、『薫。真っ先に思い浮かぶ。かつてあの人と決めた名前。男でも女でも通用する、響きの美しい名前をいくつも挙げ、そのなかから選んだのだった』と赤ん坊の名前を決め『薫、薫ちゃん』と呼びかけるのでした。行く宛のない希和子は『あのね、康枝、助けてほしいの』と友人に電話をかけ、数日間面倒を見てもらいます』。そして、新聞記事を気にする希和子。『昨日も、新聞には何も出ていなかった。きっと今日もだいじょうぶだ』と毎日不安な日々を送ります。そして、康枝の元を後にする希和子。『解約したばかりの永福の住所と、でたらめな電話番号』を書いて康枝に手渡した希和子。『ふりかえって私も幾度も手をふった。ひょっとしたらもう二度と会えないかもしれない友だちに』、と希和子と薫の逃避行が始まりました。

    他人の赤ん坊を連れて逃げるという大胆な展開を軸とするこの作品。二つの章から構成されていますが、第1章では、希和子と薫の逃避行が、そして第2章では大学生になった恵理菜(薫)の日常生活と過去の振り返りが描かれていきます。作品の構成からいってもメインとなるのはあくまで第1章だとは思いますが、読み終わって後に残る印象は圧倒的に第2章の重苦しい雰囲気でした。

    まずその第1章ですが、そもそもそれ以前にこの作品はとても不思議な作りをしているように思いました。子供が連れ去られるという大きな犯罪がこの作品の核を占めているにもかかわらず、描かれるのは子供を連れ去った側の理屈です。第1章の全てに渡って視点はあくまで希和子視点。そこには複雑な背景に立つ希和子の事情が語られ、そして読者が魅かれていくのは薫を自らの子供のように見る『母』としての眼差しです。育児は当然初めての希和子。『隅々まで洗った風呂にお湯をため、薫と入る。薫は、お湯に浸かると大人みたいな顔をする』と薫の表情の変化に見入る希和子。『目を細め、口を開け、ほうと息をつくのだ、なんという幸福がこの世のなかにはあるんだろう』という母と子の幸せな瞬間の描写。また、『うっすらと目を開けると、真ん前に薫の寝顔があった』と添い寝する希和子。『ちいさな顔、薄く開いた唇、したたる透明のよだれ。薫の、なまあたたかい息が私にかかる。なんという幸福』という希和子の心から幸せを感じる表情が目の前に浮かびあがる描写。これらが二人の関係を仲睦まじい本物の母と子であるかのように感じさせていきます。目立たないように息を潜める日々、当て所なくあちらこちらを彷徨う日々、そして未来の姿が見えてこないふたりの日々が描かれていくと、読者としては逃避行する希和子に自然と感情移入して、思わず『逃げ切って欲しい』とさえ感じてしまう、この感情が生まれるのは必然の流れとも言えます。でも、どこまでいっても、これは『幼児誘拐』という犯罪行為です。薫の本当の親である秋山夫妻視点から見れば、ここで読者が抱くことになる感情は全くありえない話です。この辺り、少し冷めて見てしまうと、そこには全く違う世界が見えてくるようにも思いました。もちろん、この作品のテーマ的には問題にするのはそこではないとは思いますが、視点の位置をどこに置くかで全く違う世界が見れるということをとても感じました。

    そして、次にとても重い内容が展開する第2章ですが、そこには『誘拐犯に育てられた子』というレッテルを貼られた恵理菜(薫)の苦しみが描かれていました。『払っても払ってもつきまとう蝿のようなもの』と表現されるその毎日。学校生活のみならず、数多く出版される書籍の記述によって奇異な目で見られる毎日。『私の感じていたうっとうしさと、本に書かれた事件とは、私のなかで結びつかなかった』という自分のことなのに他人の話を読んでいるかのような感情の交錯。そして、それは恵理菜(薫)の『なんで?なんで私だったの?』という素朴でありながら核心を突く叫びへと繋がっていくのは必然のこととも言えます。しかし、そんな苦しみを『私のいる場所はもうここしかないのかもしれない』という現実への理解と諦観の気持ちに持って行かざるをえない恵理菜(薫)。想像を絶するような苦しみ、誰にも分かってもらえない苦しみ、そして終わりの見えない苦しみからくる心の叫びが章を通じて息苦しいまでに伝わってきました。

    『ここではない場所に私を連れ出せるのは私だけ』、かつて抱いた気持ちが恵理菜(薫)の心に蘇る瞬間、『どこかにいきたいと願うのだったら、だれも連れていってなんかくれやしない、私が自分の足で歩き出すしかないのだ』と顔を上げる恵理菜(薫)。大人の身勝手な理屈に翻弄されることで始まったその人生。『八日目の蝉は、ほかの蝉には見られなかったものを見られるんだから』という視点の切り替え。『見たくないって思うかもしれないけど、でも、ぎゅっと目を閉じてなくちゃいけないほどにひどいものばかりでもないと、私は思うよ』という千草の言葉を思い出す恵理菜(薫)。『憎みたくなんか、なかったんだ。私は今はじめてそう思う。本当に、私は、何をも憎みたくなんかなかったんだ。あの女も、父も母も自分自身の過去も』と気づいたその先に、恵理菜(薫)だからこそ見える、恵理菜(薫)だからこそ歩むことのできる誰も見たことのない、新しい未来の景色が見える結末が待っているのだと思いました。

    重くのしかかるストーリーに圧倒されながらも、希和子と恵理菜(薫)がそれぞれ歩んできた過去と、これから歩んでゆくことになるそれぞれの未来に、静かに思いを馳せることになる読後の深い余韻。海面で光が踊るその感動の結末に心が震わされる角田さん渾身の傑作だと思いました。

    • さてさてさん
      naonaonao16gさん、ありがとうございます。

      後半の第2章の重厚さにとても息苦しさを感じた作品でした。主人公の視点をどこに置い...
      naonaonao16gさん、ありがとうございます。

      後半の第2章の重厚さにとても息苦しさを感じた作品でした。主人公の視点をどこに置いて描いていくかで見えてくるものが違ってくるということをとても感じました。
      2020/06/19
    • ロニコさん
      さてさてさん、こんばんは^_^

      さてさてさんは、今、角田光代週間なのでしょうか?
      「八日目の蝉」は、読んでいる時も読後も心が掻き乱され、レ...
      さてさてさん、こんばんは^_^

      さてさてさんは、今、角田光代週間なのでしょうか?
      「八日目の蝉」は、読んでいる時も読後も心が掻き乱され、レビューが書けませんでしたが、さてさてさんが、鮮やかなレビューを書いて下さり、記憶が掘り起こされ、深いため息が出ました。

      私も偶然、角田光代さんの作品を読み終えたところです。
      「森に眠る魚」という少し前の小説ですが、20年ほど前に実際にあった事件をモデルにしたと話と言われています。
      角田光代さんは、「母親」という生き物の特殊性を実にリアルに書き上げる方ですよね。
      読むたびに自分を振り返らずにはいられません。
      2020/06/21
    • さてさてさん
      ロニコさん、ありがとうございます。
      角田光代さんの世界に三日間浸らせていただきました。
      この「八日目の蝉」は実は先に映画を見て予習をしてから...
      ロニコさん、ありがとうございます。
      角田光代さんの世界に三日間浸らせていただきました。
      この「八日目の蝉」は実は先に映画を見て予習をしてから臨みました。後半に行けば行くほど重くなる内容にとても衝撃を受けました。
      私もまた、角田さんの作品を読みたいと思います。「森に眠る魚」の感想を楽しみにしています。
      2020/06/21
  • 最後のシーンの美しさとあたたかさがなんとも言えません。

    希和子のしたことは確かに犯罪。それでも確かに希和子は薫の母親だった。未来は見えないのにどうか逃げ切ってほしいと思わずにはいられなかったです。別れ際の言葉に涙が溢れます。

    お腹の中の子どもにいろんなものを、きれいなものをすべて見せてあげたい、という気持ちが芽生えたとき、恵理菜は自分のなかで渦巻いていた気持ちと自分、過去に向き合うことができたように思います。
    子に無償の愛をそそぎ、守ろうとする「母親」の姿が血の繋がっていないはずの希和子と重なります。

    本当の母親のように自分を愛した誘拐犯の希和子、本当の母親なのにうまく愛することのできなかった恵津子。また、愚かな父親ですら、自分が母親になることで許そう、受け入れようと思えた恵理菜は本当に健気で強い…というか、強くなろうとしている姿に感動しました。

    あと、千草が本当にいい子です。
    八日目の蝉。きっとこれから、お腹の子どもと一緒に素敵なものをたくさん見られるよ。

    偽りの母子の未来はなかったけれど、それぞれの未来に光が差し始めたラストがよかったです。

  • 母親とは。

    不倫相手の子どもを誘拐して逃げた希和子。
    決して許されることのない罪を犯しているはずなのに、私は彼女のことを憎めないのです。
    「もし、二手に分かれる道の真ん中に立たされて〜その先に薫がいる道を躊躇なく選ぶだろう。(P.209)」
    そう思えるくらいの確かな愛情があり、側からみたら普通の親子としてささやかながらも幸せな日々を送っているから。

    そんな日々がいつまでも続くわけでもなく、薫は実親の元で暮らす生活に戻ります。
    小豆島では希和子と穏やかな日々を送っていたにも関わらず「もしあの女がいなかったら…(P.274)」と恵理菜(薫)が思ってしまうのが切なく悲しいです。

    ラストはさすがの描写。少しずつ前に進んでいく感じ。美しいです。
    薫もお腹の中の子も、幸せになってね。

  • この本にはある意味出会いたくなかった。
    もう一度読むのが、切なすぎる。

    けど、また、希和子を応援しながら
    読むんだろうな。

    得意じゃないジャンルだけど、
    やっぱり読めてよかったです

  • 不倫相手の新生児を発作的に誘拐してしまった希和子。

    友人宅へ。
    立ち退きを拒み居座る老女宅へ。
    社会から隔離された「エンジェルホーム」へ。
    そこで知り合った久美の実家のある小豆島へ。

    薫と名付けた少女が4歳になり、小豆島からも逃げようとした時、希和子は逮捕される。

    「誘拐犯に育てられた子」として、薫でなく恵理菜としての人生が突然はじまる。

    家庭はめちゃくちゃ。友達もいない。だが、帰るところもない。

    大学へ進学した恵理菜は、ひとり暮らしをはじめる。

    そして、妻子ある人の子どもを身ごもってしまう。

    21年前のあの人のように。

    「八日目の蝉」というタイトルは、七日で死ぬ蝉の断末魔の叫びを思わせた。

    だが、読後に全く逆の意味があることを知る。

    どんなに救いようのない状況でも。

    明日が見えない絶望の中でも。

    怨んで怨んで怨み抜いても。

    苦しんで苦しんで苦しみ抜いても。

    生きていること以上の宝はない。

    生きて見つめる景色こそ、その足で歩む人生こそ。

    宿命の中でも生き抜く素晴らしさを描いた、角田光代の人間賛歌。

  • 家内が買ってきていたのですが、長らく積読状態でした、、
    『子供の教養の育て方』で取り上げられていたのに後押しされて、ようやく。

    子の親であれば、是非とも読んでおきたいと感じた一冊でした。

    終始、夏のヌルい風につつまれたかのような息苦しさを感じながら、
    一気に読了してしまいました、、タイトルの「セミ」の影響でしょうか。

    物語は二部構成、前半は「母性」、後半はその母性を受け止めきれなかった物語。
    普通とは違うこと、周囲から遮断されるということ、そして、社会への回帰とは。

    それぞれの人物の「どうして私が!」との想いの行き違いは、
    やるせない化学反応を起こしながらも、一つの結末へと進んでいきます。

    子を作るのが親なのではない、子と共に成長するのが親なのだと、個人的には。

  • この本に登場してくる女達はみな世間一般の幸せと呼ばれる暮らしを手に出来なかった人たち。地上では七日しか生きられないはずの蝉の命が八日目を迎えられたら「ラッキー!」と思えるのが普通。でも、彼女たちは「死ねなかった、生き残ってしまった」と感じる。
    どうして自分だけ余計なものを背負わされ、生き続けなければならないのかと自問する。

    かつて薫とよばれた少女が自分の受け容れ難い境遇を呪い、反抗とあきらめと無と…なんとか折り合いをつけながら生きてきた様と、犯罪だと頭では分かっていたのに割り切れない衝動から、母性だけで乳飲み子を奪い逃亡生活を続けた誘拐犯、希和子の生きる様。両者の生は確かに強烈だ。
    出所後、「がらんどう」である自分にはもう何にも残っていないと認識しているのに、ふとしたときに手の中に温かいぬくもりや重みやかすかな光があるように感じるのは、全身全霊をかけて、愛し守ろうとした愛し子と過ごした月日が、身体に浸み込み焼き付いてしまっていたから。
    一方、誘拐された女も、小豆島でのささやかな幸せに満ちていた、母と呼んでいた人との暮らしを否定することはできなかった。再びそこに降り立った時、あふれるばかりに心地よい感覚が呼び覚まされ、初めて彼女は、自らの体の中に他者の存在を肯定的に認識することができた。未来と呼べるものを思い描くことができた。

    二人の女の生様はどちらも社会的性ではなく、原始的な性を強く刻印した在り方だと思った。読み進めていくうちに何度も熱いものがこみ上げ頬を伝わったのは、自分にも同類の血が流れているのが感覚的にわかったから。
    傑作に出会えた充足感。

  • 【感想】
    不倫した相手の赤ちゃんを誘拐し、逃亡しながら子育てをする女性と、その事件が解決した10数年後の誘拐された女の子の視点から物語は進む。

    ずっと絶望感というか暗い雰囲気で物語は進んで行くが、誘拐犯と過ごした数年間は、母として子としてとても幸せな日々を過ごせたんだと思う。

    『8日目の蝉』というタイトルも、逸脱。

    • トミーさん
      角田光代も好きな作家です。
      恐ろしい、怖いという角田光代の恐ろしい、怖い世界!
      笹の舟で〜も面白い!
      男性視点はまたどんなだろうと気になりま...
      角田光代も好きな作家です。
      恐ろしい、怖いという角田光代の恐ろしい、怖い世界!
      笹の舟で〜も面白い!
      男性視点はまたどんなだろうと気になりました。
      2020/01/20
    • きのPさん
      トミーさん
      コメント有難うございます。
      男性視点だと、、、
      申し訳ない、不倫はダメだなーという月並みな感想がありますね。笑
      トミーさん
      コメント有難うございます。
      男性視点だと、、、
      申し訳ない、不倫はダメだなーという月並みな感想がありますね。笑
      2020/01/20
  • 不倫をしていた男の娘をさらってわが子として育てる。

    希和子の逃亡劇は、偶然といくつかの幸運な出会いによって“薫”と名づけたその子が四歳になるまで続いた。

    何も持たない、寄る辺もない母子が警察の捜査を振り切って、四年間も二人の生活を守り続けたなんて、ほとんど奇跡としか言いようがない。

    もちろんこれは純然たる犯罪で、同情の余地は欠片もない。
    希和子は逮捕され罰を与えられるべき女だし、“薫”は一日も早く本当の両親のもとに返されるべきだった。

    でも。
    僕にはどうしてもそう思えなかった。
    自分の倫理観を壊してしまってでも、希和子と“薫”に平穏な暮らしを続けてほしいと願ってしまった。

    小豆島での貧しいけれども平穏な暮らし。
    緑と太陽と海があって、互いに心寄せあう母と子がいる。
    血のつながりがそこになくとも、それ以上何が必要かと思ってしまった。

    “薫”が恵理菜という本当の名前を取り戻して、自分の本当の家で本当の家族と暮らし始めても――それでもやはり、彼女は希和子と島で暮らしていたほうが幸せだったのではないかと、そんな風に感じてしまった。

    だからこそラストシーンには本気で心が震えた。

    恵理菜が思い出した希和子の最後の言葉。
    希和子は卑劣な犯罪者であったけれど――こんなことを言ってはいけないのかもしれないけれど――希和子は“薫”の母親だったのだと心から思った。

    そして一瞬の二人の邂逅。
    ああ。これを人は “希望”と呼ぶのかもしれないと。
    そう思った。

    逃げて逃げて逃げのびても、希和子には安住の地はなかった。
    太陽の光があふれる小豆島においても、彼女たちの生活には光が差すことはただの一度もなかった。
    ただラストシーンを除いては。

    地の底を歩むような希和子の逃亡劇と、ただ暗いだけの恵理菜の青春にこのラストシーンで初めて光が降り注いだのだ。

  • 2回目です
    なんとも切ないお話…
    それでも憎みたくなかった本当は

    ブレーキをかけるのは
    環境ではなく
    あなたの心だけ

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著者プロフィール

角田光代(かくた みつよ)
1967年、神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
1990年、「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞し、小説家としてデビュー。受賞歴として、1996年『まどろむ夜のUFO』で野間文芸新人賞を皮切りに、2005年『対岸の彼女』で第132回直木三十五賞、2007年『八日目の蝉』で中央公論文芸賞、2011年『ツリーハウス』で第22回伊藤整文学賞、2012年『紙の月』で第25回柴田錬三郎賞、同年『かなたの子』で第40回泉鏡花文学賞、2014年『私のなかの彼女』で第2回河合隼雄物語賞をそれぞれ受賞している。
現在、小説現代長編新人賞、すばる文学賞、山本周五郎賞、川端康成文学賞、松本清張賞の選考委員を務める。
代表作に『キッドナップ・ツアー』、『対岸の彼女』、『八日目の蝉』、『紙の月』がある。メディア化作も数多い。西原理恵子の自宅で生まれた猫、「トト」との日記ブログ、「トトほほ日記」が人気。

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