同じAIDをテーマにしたミステリでは土屋隆夫「不安な産声」があるが、あれに比べるとキャラ描写や登場人物の苦悩の書き込みが物足りない。
十津川警部たち男性刑事や捜査関係者たちが「もし俺たちが結婚後無精子症だと分かったらどうする? 男として」「AIDで子供を作ったとして、子供を愛せるだろうか、告知すべきか」とかをちょっと飲み屋で話し合うとか、登場人物の苦悩や日常をもっと深く書き込めば同じ筋でも大傑作になった気がするのだ。最後アクションシーンがあって急転直下犯人逮捕になるけど、結構多い登場人物その後の言及殆どなしでは興ざめ。
事件に巻き込まれた人たち、特に三国教授の息子とか水口とか法務副大臣とか歌舞伎役者父子とか(後者2組父子は結局AIDで生まれたかは分からないけれど)この後どうなったのとか気になる。AIDについて十津川警部がマスコミに画策して公表し問題提起させる(偏見や誤解を解かせるためと思われる)というのは西村氏の作家としての良心を感じたけれど。
でも法務副大臣とその父の元総理をいち刑事がここまで追い詰めることは出来るか? 副大臣の子がAIDで…と仮定して直談判するのがそもそも無茶(トンデモ)。
フィクションだからこのテーマを扱うにあたってこういうことをしてAID(非配偶者間人工授精)について読者について知らせる、考えてもらうってことは大事で、それくらいデリケートな問題なのだと思う。ちょっとこれは扱い方が雑に思える。
私は男性不妊症やAIDに興味があって、ルポや当事者や医療従事者が語った本を何冊か読んでいて図書館で「非配偶者間人工授精」でワード検索して引っかかったので借りてこれを読んだ。
AIDとして生まれてきた方たちが生物学上の父を知りたいと語る「AIDで生まれるということ 精子提供で生まれた子どもたちの声」という本には色々考えさせられた。それを読んだ後だとねえ…。
最低限の地の文と説明的な台詞に辟易。これでは「このミス」座談会で「2時間ドラマ原作リーグ」と揶揄されても仕方ない。
西村京太郎の十津川警部ものを殆ど初めて読んだのだけど、この後名作とされる西村氏の作品をもう少し読んでみようとは思いました。
なお、この本を読んでAIDについて興味を持った方は、ブクログやアマゾンや図書館で「非配偶者間人工授精」で検索すると結構出て来ますので参考までに。
ミステリでは土屋隆夫「不安な産声」と読み比べも面白いですよ。非配偶者間人工授精テーマのミステリ書くとして作品題名が「生命」だと安直な気がするけど、「不安な産声」だとタイトルでいきなりレベルの差が出てませんか?