食べごしらえおままごと (中公文庫)

  • 中央公論新社 (2012年9月21日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (176ページ) / ISBN・EAN: 9784122056992

作品紹介・あらすじ

父がつくったぶえんずし、獅子舞にさしだした鯛の身。土地に根ざした食と四季について、記憶を自在に行き来しながら多彩なことばでつづる。〈解説〉池澤夏樹

みんなの感想まとめ

食にまつわる思い出やエッセイが展開され、作者の幼少期の賑やかな食卓風景が描かれています。親戚の女性たちが集まり、手間ひまかけて料理を作る姿は楽しさに満ち、幼い作者もその中で料理への興味を育んでいく様子...

感想・レビュー・書評

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  • 「椿の海の記」を先に読んでおいてよかった。
    グルメエッセイって苦手なのだが、本書は作者自らグルメではないと主張、印象的なタイトルへつなげる。
    実際読んでいて浮かぶのは食べ物そのものではなく、そんな食事や料理を営んできた人々の姿だ。
    特に作者の父母や弟の顔が、もちろん知らないけど浮かぶかのようだ。もちろん「椿の海の記」の影響。
    石牟礼道子は1927年生まれ。わが祖父と同じくらいか。ちなみに、
    三島由紀夫は1925年生まれ。
    水木しげるは1922年生まれ。
    育ちや環境は全然異なるが。
    以下メモ。

    父の歳時記への拘り。
    母が子を五日で喪う。
    馬の背さながらの俎板。
    子を寝かしつける母は即興詩人。
    流産した産婦さんに、赤ちゃんはすぐまた、のさりなはります、と母。
    誕生日も命日も夫に任せきりだった母。亡くして初めて困る。笑い泣き。
    子油徳利を語るうち、こわくなる母。
    みんみん滝。おみよが身投げして蝉に生まれ変わって。
    獅子舞の口を開けて、アーンしなはりまっせ、ほら、と正月の料理を若衆に。
    リヤカーで行商にいくとき、5つの娘を連れることで、夜道のこわさを紛らわせる母。
    菖蒲を切りにゆくときは主人公のように思っていた弟。父が息子に、菖蒲を鉢巻きのように巻いて。
    から薯→おさつ。
    どっさり作る→ものごとをする。
    宮沢賢治が特別の位を与えて、苹果と読んだ。
    解説は池澤夏樹。

  • 作者の幼年時代の、食にまつわる思い出がつづられている。
    年中行事があるたびに、親戚の女性たちも駆けつけて、手間ひまかけてとにかく大量の料理を作る。その様子がにぎやかでじつに楽しそうなのだ。幼い作者もそんな大人たちを見よう見まねで手伝っているうちに、 料理好きになったのもうなずける。
    楽しかった思い出話だけでなく、そのなかに自然に対する畏敬の念が感じられるところもよかった。

    作者と伊藤比呂美さんとの対談本『死を想う』で、こんな場面があった。
    遠路はるばる訪ねてくる伊藤さんのために、不自由な体をおして煮豆を作って待っていた石牟礼さん。
    今後、ふたりが会える機会はそれほど多くはないとわかっていたからこそ、の思いが込められた一品だったことに、本書を読んで気づきました。

  • 食にまつわるエッセイ。
    食べ物だけでなく、その背景にある自然や人々の暮らしが見える。里芋の「いもがら」を触ってかぶれないだけでなく、アクも抜いて美味しく仕上げる「相性の良い手」を持つ人の話は民話のようでもある。

    著者の振り返る食卓風景は賑やかかつおおらかに人々を包むが、対照的に都会・現代(執筆当時)の食に対して辛辣すぎでは…と思う所もあり。
    食のエッセイなので温かく美味しい話を読みたかったな、とも思うので、悩んで星3に

  • 『食べることには憂愁が伴う。猫が青草を噛んで、もどすときのように』
    美しい言葉ね。郷土料理には儀式に似た神聖さがある(のだろう)。

    私からしたら一種の儀式だと思われるものが石牟礼さんにとっては懐かしくあたたかいにおいのする日常である(であった)こと。私の過ごしてきた日常の暮らしの様子とはかけ離れているからか、本を閉じてしばらくすると、本の中に書いてあったことが実際のできごととは思えなくなってしまって寂しい。

  • 土と海、四季の恵みと農と暮らしがひとつながりだった頃の天草や出水やらの食べごしらえ。親戚や女衆がより集まってその手づから生まれる食べもの。今はないそれらの香りも滋味もしみじみとゆたかで、その土地の言葉もうつくしい。すべてのものへの敬いがある。

  • 食卓から紡ぎ出される
    思い出は、人生を豊かに
    すると思います。

  •  熊本県天草生まれ水俣育ちで、水俣病患者に最期まで寄り添った作家の石牟礼道子。本書は主に幼少期の、食にまつわる思い出を綴ったエッセイ。
     米も野菜も、味噌も醤油も自宅でまかなった戦前の田舎では、家事は現代からは想像出来ないほど重労働で過酷だったと思うが、熊本弁混じりの滋味深い文章で綴られるとノスタルジックに輝いて見える。著者と縁の深い熊本の橙書店で購入。今年は水俣病70年。前回の地震から10年の節目に再び大地震にも遭ってしまった。全国の方に末永く注視していただきたいと切に願う。

  • 石牟礼道子さんの料理関係本。
    九州での子供の頃の思い出や、大人になってから料理したエピソードなど。
    子供の頃のエピソードの記憶力がエグい。

    料理本と言ってもレシピ本では全くない。レシピをあえて載せないとかではなく、本人も勘で作っているものなのでレシピが存在しない模様。読む方はどちらかというと料理そのものについて知りたいのではなく、その料理を中心としたその当時の出来事や人々のエピソードを読んで楽しむという形。

    相変わらずの素晴らしい語彙や文才が溢れて、まるで自分もそこにいるかのような情景が目に浮かぶ。
    ただところどころで都会もんを見下していると言うか憐れんでいる描写があるのがちょっと「おぉ…」となる。東京のグルメもんはこんなカスい野菜や魚を食べて美味しいとか言ってるんだ、みたいな。
    実際どうなんだろう。昔の野菜のほうが美味しいとか栄養価が高いというのはあったんだろうか。今となっては知る由もないが。

    「獅子舞」というエピソードで小さい弟が獅子舞に怯えきってしまったので、中の人たちが出てきてあやしてくれたり、どこかから千歳飴を出してプレゼントしてくれたとか、追いかけて鯛となますやお屠蘇をアーンでご馳走したなど、全体的に良すぎる。
    そして「よくよくみれば、若者の額やのど元には汗がびっしょりで、紺の腹がけの胸元にも汗が滲み出ている。のちのち思えばあれが、いなせというのか、紺の刺子の腹がけの、胸元の汗の男らしかったこと。」というエロスまである。

    「からし菜」の章では「抜群の香りと青くさいような風味。そして歯ざわりのよさ。躰のすみずみがおどろきめざめてゆくような、ぴりぴりと諧調のある辛み。冬の土に育てられたみずみずしい真緑。これは炊きたての白い御飯にかぎる。試しに鰹節をまぶして食べた。ゆたかなる聖餐と思う。」という、自分もすぐに同じものを食べたくなる描写。天才すぎでは?

  • 読めない漢字知らない単語は調べながら読んだ。
    描写や語句が的確で豊潤というのか。生活風景も天草の言葉でのやりとりもまるで映画のようで水野美紀さんや寺島しのぶさんで脳内再生する。そして、もういない、ない、失ってしまった寂しさもある。

    鮎をかぶりつく描写を読んで、ああ、美味しそう。確かにそうだな、と思ったら「やったことがない」とあり「ないんかい!」と心の中で突っ込んでしまった

    懐古主義といえばそうだし、この生活が豊かだと言い切れない(現代に生きているので)。男たちの態度に不満がある描写がちゃんとあったのが美しさだけで、なくてよかった。

    最後の石澤夏樹さんのあとがきがとても良く、言いたいことがみな書いてあった。

  • 食にまつわるエッセイでさらさらとテンポよく読み進められるようで、読むごとに無性に郷愁がつのっていく。思い出す手仕事、食卓、人びと、土地の恵み。もう会えないとかできないことの切なさ。私は特に亡くなった祖母を思い出してしまった

    (最後にエッセイ全体を振り返った筆者が「今思うといかに(料理を)失敗したかという話をした方がおもしろかったかも…」と冗談めかしていた。確かにそんなのも読みたいかもと思った)

  • 郷土の暮らしと料理
    熊本の方言が出てくるとその人たちが目の前に現れてくるようだ
    「お米」がとても良かった

  • 水俣病の本で知った石牟礼道子さん。こんなに手仕事をされる方とは知らなかった。熊本の本屋で購入。
    のさりのよか人なあ。手のよか人ばい。熊本の言葉の絶妙な響きが印象に残る。

    #熊本旅行本

  • ちびりちびりゆっくりと読んだ。
    「くさぐさの祭り」「さなぶり」が、特に良かった。田植えが祭りのようだったのはもう過去のことだけど、石牟礼さんが書いた文章を読んでいたら、私が幼かった頃の町内総出で行う田植えの風景が浮かんできて懐かしさを覚えた。

  • 食べてきたもの、作ったものが
    思い出と結びついている。

    熊本の郷土料理のことも
    いろいろ書かれていますが
    祭事や行事の記憶も綴られていて
    その料理がその土地で
    愛されてきたのがわかる。

    母の行商についていって待ちぼうけ。
    洗い場の女衆たちが
    大きな夏蜜柑をくれたという逸話に
    ちょっとほろり。

  • 石牟礼道子さんといえば「苦海浄土」で、その作品で名を知った方なんだけれど、いまだその一冊には手を出せずにいる。数年前に手に取ったのは「椿の海の記」というエッセイのような自伝のような一冊で、そこには辛いことも楽しいことも、悲しいことも嬉しいこともごたまぜになった「生活」が記されていた。この一冊を知ったのは「生まれた時からアルデンテ」平野紗季子さんのエッセイで「この序文がすごい大賞(もしあれば)受賞。」と書かれていた。序文がすごいが、中もすごい。豊穣のエッセイ。そのまんまだった。

  • 貧乏、ということは、気位が高い人間のことだと思い込んでいたのは、父をみて育ったからだと、私は思っている。

  • 作家が磨き抜かれた言葉で振り返る、天草、水俣で過ごした幼い日々の暮らしと食べごしらえ。味わい深い土地の言葉、凛とした父母の生き様、地に根差した食べ物。すべて失われて帰らぬからこそ、輝き、せつない。

  • ふむ

  • 本書をどこかで手にすることがあったら「あとがき」だけでも読んでほしい。「ときどき東京に出ることがあって、そのたびに衝撃を受けるのは、野菜のおいしくなさである。」「ねっとりもせず、ほくほくもせぬ里芋。色と形はあるが、うま味も香りもまるでない人参。・・・」「・・・高くさえあればおいしいと感じるのは舌の白痴化ではあるまいか。」「・・・農薬まぶしの農産物をどんどん輸入して、添加物まみれのグルメとやらをお腹いっぱいやってください。真の百姓だけが、日本という国の伝統あるよき性向の種を保存するために、土を汚さぬよう、物心両面にわたって独立を保ち、亡びの国のゆく末を見届けると宣言なさったらよい。」「わたしは昔の作物の大地の滋味ともいうべき味わいを思い出さずにはいられない。」品種改良をして何でもおいしくなっているはずだけれど、もともともっていた自然のうま味のようなものを僕たちは忘れてしまっているのかもしれない。どこかに出かけたとき、人の運転する車で移動していると、見たい景色などがあっても、なかなか停めてくれと言えないとどこかで書かれていた。なんでも合理的に、効率よくと言われる。そのためにぜいたくな時間の過ごし方を忘れてしまったのかもしれない。古き良き時代を懐かしんでいるだけでなく、本書を読みながら、今を生きる我々にとって本当の幸せって何だろうかと少し考えてみたい。

  • 【紙の本】金城学院大学図書館の検索はこちら↓
    https://opc.kinjo-u.ac.jp/

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著者プロフィール

1927年、熊本県天草郡(現天草市)生まれ。
1969年、『苦海浄土―わが水俣病』(講談社)の刊行により注目される。
1973年、季刊誌「暗河」を渡辺京二、松浦豊敏らと創刊。マグサイサイ賞受賞。
1993年、『十六夜橋』(径書房)で紫式部賞受賞。
1996年、第一回水俣・東京展で、緒方正人が回航 した打瀬船日月丸を舞台とした「出魂儀」が感動を呼んだ。
2001年、朝日賞受賞。
2003年、『はにかみの国 石牟礼道子全詩集』(石風社)で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
2014年、『石牟礼道子全集』全十七巻・別巻一(藤原書店)が完結。
2018年2月、死去。

「2024年 『《新装版》花いちもんめ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

石牟礼道子の作品

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