- Amazon.co.jp ・本 (201ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122057739
作品紹介・あらすじ
記紀神話のアメノウズメ、仏教の稚児文化、能楽、阿国歌舞伎、浮世絵の美人図、松井須磨子や原節子、山口百恵ら近代日本を飾った女神たち、そしてAKB48など現代アイドル文化。連綿と続く日本人にとって「美貌」の条件とは何か?「女性芸能者の身体と衣装」をキーワードに語る画期的な日本文化史。
感想・レビュー・書評
-
1つ1つの話題は面白いが、余談が過ぎる。美貌論についての考察は深まらなかった。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
アメノウズメの踊り、世阿弥の花伝、お国歌舞伎、浮世絵の美女たちと来て、近代では川上貞奴、松井須磨子、原節子、山口百恵と日本人にとっての美貌、アイドルとされたものを追う。「東京物語」の女性たちに西洋人が美を感じたということが、小津の声価を高め、原の永遠性を感じさせたという説明は納得できる。しかしこの全体像の中では彼女だけが異質に感じるのだが・・・。ももクロに生のエネルギーを感じるという説明もこれを読んでくると納得。彼女たちが日本人の「神」であり記紀神話から続く生命力讃歌がそこにあるのだ。
-
松が枝の藤の若葉に千歳までかかれとてこそ名づけそめしか
二条良基
女性アイドルグループ全盛期の昨今。武蔵野身体研究所を主宰する矢田部英正は、アイドルユニット「パフューム」のステージに目を止めた。メンバー3人が、サイボーグのように無表情で歌い踊る姿。それが、中世の仮面劇にも通ずることに気が付いたというのだ。
アイドルに漢字を当てると、「偶像」。日本の歌謡や舞踏では、基本的に個人の顔の表情を消すことになっているらしい。表情を消すことで、人間を超えた神のような存在を模すことになる。そんなアイドル=偶像のステージを見て、観客たちも個を超え、普遍的な存在と一体化できたような陶酔感をおぼえるのだ。
掲出歌は、中世のトップアイドルとも言うべき世阿弥が、年少時に贈られた歌。二条良基は若き世阿弥の舞に感動を受け、この歌を贈って「藤若」の名を授けた。「かかれ」は「かくあれ」で、たわわな藤の花房のように、今後長きに渡って旺盛な芸を開花してほしい、というメッセージだ。
世阿弥が完成させた能の面は、一見無表情ながら、見る角度によって無限の情報を提供する。さらに、役者の身体が加わり、個を超えた深い世界が演出されていく。
古代には神仏像が文字通りのアイドルであり、中世には、能の役者が活躍した。もちろん、それらをプロデュースした存在を見落としてはならないけれど、綿々と続くこのアイドル文化は、日本独特のものなのだろう。日本文化の鍵を握る一領域が、まさにアイドル論。
(2013年6月9日掲載) -
≪目次≫
失われた日本
第1章 古代のアイドル
第2章 中世のアイドル
第3章 近世のアイドル
第4章 近・現代のアイドル
おわりに
≪内容≫
最初手に取った時は、”アイドル論”もしくは、著者の既読の本から、身体論的なものだと思った。しかし、しっかりと調べられたこの本は、「日本芸能史」となっていて、「日本社会史」になっている。
「アイドル」=「偶像」。古代では神話を元に”アマテラス"が語られ、中世では〝稚児”をキーワードに「世阿弥」=「能」が語られる。近世では、「歌舞伎」が語られ、近現代では、「川上貞奴」「松井須磨子」「原節子」「山口百恵」「AKB48」とくる。最後に「モモクロ」まで…。
古代はやや重かったが、中世以降はすんなりと頭に入ってきた。面白かった。