- Amazon.co.jp ・本 (245ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122059108
作品紹介・あらすじ
バルトークが、自身の音楽的技法と思考を凝縮したピアノ教則本「ミクロコスモス」。その精神に敬意を表し、二十一世紀の「ミクロコスモス」たらんとするエッセー・シリーズ。いずれのテクストもモナドであり、それぞれが著者の思考の全体を映し出す。世界の単純な理解を拒み、この世の出来事を複雑で深いままに理解しようとする美しい実践。
感想・レビュー・書評
-
久しぶりに中沢新一氏の著作を読む。以前のものよりずいぶんしっくりと読めるようになった気がする。かつては我田引水が過ぎるとか牽強付会じゃないかなそれは、みたいなところが目についたりしたものだけど、このエッセイシリーズのものは、全くないとは言わないけど、ずいぶんしっかり展開しているように思える。それでいて「軽さ」を失っていないところが好い。軽妙でいてかつ不思議な重みが加わったのか。軽々と越境しつつ、それが実は越境ではなく必然と感じさせる。読みながら諸々と身の裡の連想を辿るのが楽しかった。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
おりにふれ・・・。
-
久しぶりに読んだ中沢新一の本。自分の体験からの身体感覚で自然と学問の関係を語るのは、一歩間違えると宗教くさくなったりするけれど、このように編集されたものを見ると、なかなか心地よい。Ⅱ以降も期待したい。
-
哲学の後戸、の章を読んでひとつ疑問に思ったのは、一番最初の特異点や機はどうやって現れるのだろうか、ということ。それは、なんらかのかたちで、としか語り得ないものなのだろうか、やはり。それを差し引いても魅惑的な説に満ちた本。全体を貫いているのは、生と死、愛と暴力、文明と野蛮は対峙しているのではなく、表裏一体、それぞれがそれぞれを重層的に組み込み、世界を形作っているのだ、と。近くの物事をつきつめて煮詰まったなら、遠いまなざしで、何千年や何万年のスパンで眺めれば、違った見方も得られる、という痛快で壮大なスケールの大きな話し、というざっくりとした雑感/現実の世界は、それだけ単独で意味をもつことはない。いつもそのへその緒が「大いなる無」につなげられているときにのみ、現実は意味というものを発生させることができる。これが「夜の知恵」というものである。(「夜の知恵」p.31)/詩では、自然のレヴェルに直接につながる音楽のレヴェルからはじまって、修辞的なレヴェルにいたるまでが、ひとつの全体性をあたえられている。そのために、情報を伝達する機能が、詩にあっては背後に後退して、自然と文化を一体化した、不思議な美の現象があらわれる。(「孤独な構造主義者の夢想」p.67)/この世界は矛盾したものであり、生と死はひとつである。生と死の奥に、もっと根源的な何かがあることを神話は表現しようとしている。神話的な思考とは、矛盾したものを矛盾したまま受け入れることであり、それにもとづいてつくられる芸術は、表と裏、善と悪、男と女、生と死のように、概念としては対立項に見えるもの、矛盾に満ちたものを、背中合わせの姿や、ひとつの体のなかに共存する姿として表現する。そういったことを、マルセル・モースは繰り返し講義のなかで説いています。(「趙核について 岡本太郎について」p.128)/ニーチェの言う「ディオニソスの埋葬」とは忘我とトランスへの衝動を内部に深く抱え込みながら、これを永遠の魂という形而上学的外殻で厚く覆った、「魂のヨーロッパ的構造」の原型が成立したことをも、意味している。(「哲学の後戸」p.156)/神話というのは(1)世界に欠損がある、あるいは(2)完全であるはずの世界にどうして欠損が生じたのか、という二種類の認識からはじまって、世界の本質を矛盾として描きだす思考法である。(「哲学の後戸」p.196)/この空間以前、時間以前、存在以前、秩序以前、思考以前を、「機前」と名づけて概念となすのだ。(「哲学の後戸」p.199)/ドリームタイムとは、この世にはない時間のことを言います。そこでは過去と未来が一体になっていて、すでに死んだ人や動物の霊といっしょに、未来に生まれてくるはずの生命の種子も含まれています。(「芸術人類学研究所を開く」p.237)/ヴァジュラキラの図像も魅惑的。
-
書店で見かけてなんとなく購入したエッセイ集。
美術・歴史と思想・哲学を絡めたテーマが多いが、『常識に抗して書かれた福音書』が一番、興味を引いた。