- Amazon.co.jp ・本 (246ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122059122
感想・レビュー・書評
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あなたは、”死者の語り”を聞いたことがあるでしょうか?
いきなりホラーですか?と突っ込みを受けそうな質問からスタートしてしまいましたが、ここでホラーの話をしようというわけではありませんのでご安心ください。”死者の語り”と言ってもそれは死んだ人が起き上がって何かをしゃべり出すということを言っているわけではありません。ここで言いたいのは、死んだ人が生前語った言葉を聞くという意味です。改めて言うまでもなく、人にとって『死』というものは一つの大きな線引きです。その線から先に進んでしまえばもう元には戻れません。人にとって『死』とは、絶対的な終わりを意味します。しかし、その人がその線のこちら側にいる時に語った言葉が残されていることを死後に知ったとしたら私たちはある意味で”死者の語り”を聞くことができてしまいます。もちろん、その人が語った際に『死』を意識していたかどうかでそこに聞こえてくるものも変わってくるでしょう。何らかの事情で遺言的に音声を残したのであれば、それは遺された遺族に直接的に訴えかけるものにもなります。しかし、『死』を直接に意識せずに残された音声があったとしたらどうでしょうか?
この作品は『何でもいいから一つ思い出を書いて、朗読し合おう』と、一つの場に閉じ込められた人たちが人生を語り合った様を聞く物語。『未来がどうあろうと決して損なわれない』『自分の中にしまわれている過去』が『言葉の舟にのせ』られて届けられるのを聞く物語。そして、それは『観客は人質の他、見張り役の犯人と、作戦本部でヘッドフォンを耳に当てる男だった』という「人質の朗読会」の内容を淡々と記した物語です。
『W旅行社が企画したツアーの参加者七人、及び添乗員と現地人運転手、計九人の乗ったマイクロバス』が、『反政府ゲリラの襲撃を受け』、『運転手を除く八人がバスごと拉致された』という『地球の裏側』からのニュース。そんなニュースは『逮捕、拘束されている仲間のメンバー全員の釈放と身代金の支払い』を『反政府ゲリラ』が求めていることを伝えます。『人質たちの行方も分かっていない』という緊迫した状況。しかし、『事態が大きく動く気配は見られ』ないまま時は過ぎ、『ニュースの扱いは少しずつ小さくなっていった』という状況。そんな『事態が急展開したのは、発生から百日以上が過ぎ』た日のことでした。『軍と警察の特殊部隊が元猟師小屋のアジトに強行突入』という急展開の中、『犯人グループの五名は全員射殺』、そして『人質は犯人の仕掛けたダイナマイトの爆発により八人全員が死亡し』てしまったというその結果。『ぴったり体を寄せていた八人の遺体は』、『吹き飛ばされても』『一つに寄り添い合っていた』という状況。そして、それからさらに『二年の歳月が流れ』た時、また新たな動きが起こります。『犯人グループの動きを探るため、元猟師小屋で録音された盗聴テープが、公開された』というその展開。そんな『テープには八人が自ら書いた話を朗読する声が残ってい』ました。『少なくとも遺言を残すという深刻な心境でなかった』と思われるその録音。そんな録音が『自分の愛する者が間違いなく存在した事実をこの世界に刻み付けられるならば』という遺族の了解もあって、ラジオ番組で流されることが決まります。「人質の朗読会」と題され『八回にわたって放送されたという』その番組。それは、『子供の頃、鉄工所の向かいに住んでいた。家族と二、三人の従業員だけで経営している小さな町工場だった…』と今は亡き人質たちが語るそれぞれの人生の物語でした。そして、『自分の中にしまわれている過去』の記憶を順番に語る、そんな八人の人質たちが朗読した物語が静かに綴られていきます。
「人質の朗読会」という緊迫感のある書名が付けられたこの作品。それは、『そのニュースは地球の裏側にある…』と、作品冒頭で語られる通り、『反政府ゲリラ』に誘拐された八人の人質たちが語ったとされるそれぞれの人生の一場面が一人一章ずつ記されていきます。そんなそれぞれの物語に内容的な繋がりは一切ありません。しかし、作品冒頭で語られる通りの状況下で人質たちが語った物語であるという繋がりで、作品間にはまるで連作短編のような雰囲気が漂っているのがとても不思議です。また、小川洋子さんの作品らしく、”モノ”に拘った表現がそれぞれの短編に登場するのも魅力的です。まずは後者からご紹介します。
『子供の頃、鉄工所の向かいに住んでいた』という主人公の語りの中に登場するのが、そんな『鉄工所』の作業場の描写です。『鉄板、鉄柱、鉄線、鉄敷、鉄槌、万力、鉤…』。『考えつく限りの硬くて重そうなもの』と、さまざまな金属が並ぶ様が思い起こされるこの一文。『すべてが赤茶けた鉄粉で覆われ、朝でも昼でも夕方のように見えた』と続く表現もあって、なんだか”ぷん”と鉄の匂いが漂ってくるようにも感じる絶妙な表現です。一方で、言葉の羅列の異常性を感じさせるのが『通称イギリス山と呼ばれる丘のたもとで、縫いぐるみを売っていた』という老人の売る『縫いぐるみ』の描写です。『その種類が普通ではなかった』という『縫いぐるみ』は、『油虫、オオアリクイ、百足、蝙蝠、回虫、ツチブタ、ヒドラ、草履虫…』と続きます。いやいや、そんな『縫いぐるみ』は誰も買わないでしょ、というより、そんな『縫いぐるみ』は誰も作らないでしょ、というなんとも不気味な『縫いぐるみ』たち。さらに追い討ちをかけるように『その上使われているのは、汗染みや食べこぼしの跡が残っていそうな使い古された生地で、縫い目は粗く、所々中の綿がはみ出している』というその『縫いぐるみ』。『邪魔そうな顔をする人はいても、縫いぐるみに興味を示す人はいなかった』って、そりゃ当たり前でしょ、としか言いようのない記述が淡々と記されていく物語は、もう典型的な”小川ワールド”です。正直なところ小川さんの作品を読み始めた頃は、”意味不明”としか思えなかったこの”モノ”への拘りを感じる記述が、小川さんの作品を読み始めて10冊を超えると、今度はいつ出てくるか、と、その登場を期待している自分を感じるようになりました。そう、この作品でもファンを裏切らない小川さんのご配慮に感謝したいと思います(笑)。
そんなこの作品では、上記の通りまるで連作短編であるかのように感じられる一人一編の人生の物語が描かれていきます。そんな中から特に印象に残った物語を三編ご紹介したいと思います。
・〈やまびこビスケット〉: 『やまびこビスケットに入社し、母の元を離れてアパートで一人暮らしをはじめた』という主人公の『私』。『創業時から続く最も古いシリーズ』という『アルファベット』型のビスケットの検品をする『私』と『整理整頓』に拘る大家さんの関係が描かれていきます。
・〈冬眠中のヤマネ〉: 『城址公園の裏手にある通りで眼鏡屋を営んでいた』という父親と、『僕を眼科の医者にしたがっていた』という母親と暮らす主人公の『僕』。『なぜよりにもよってこんな可愛くないものを、と思うような縫いぐるみ』を売る老人との関係が描かれていきます。
・〈花束〉: 『その夜、僕は花束を持って歩いていた』という主人公の『僕』。そんな『花束』を『バイトの契約が切れる最終日に』、『今日が、最後だって聞いたから』と渡してくれた『葬儀典礼会館の営業課長さん』とのそれまでの関係が描かれていきます。
いかがでしょうか?なにもオチがないというか、そこで語られるのは大きな起伏のないというより何の変哲もない人生の一つの物語です。この作品は上記の通り、『反政府ゲリラ』に囚われた身という異常な状況下での人質たちの語りの記録です。それがこんな何の変哲もない内容になるものなのか?ここに一瞬の疑問が湧きます。このことについて『日常では必要がないけれど、窮地に立った時に現れてくるという種類の記憶はあるでしょうね』と語る小川洋子さん。そんな小川さんは『閉じ込められて身体の自由はきかないけれど、頭の自由はきく。そして集まっている人たちはお互いのことをよく知らないという条件を考えました』と続けられます。異常な状況下、人質の身という先の見えない状況下に置かれた経験のある人など普通にはいません。私たちの圧倒的大半はそんな状況下で人がどのような精神状態に陥るかは知る由もありません。それを、『自分の中にしまわれている過去、未来がどうあろうと決して損なわれない過去だ』と『過去』にのみ目を向けて静かに今までのその人の人生が語られていくこの作品。ある意味で『死』と隣り合わせとも言える環境下で語られた物語には、一方で『死』という言葉も多々登場します。『死者を安心させ、生者を慰めるための祈り』、『ああして日光に当たって、少しずつミイラになろうとしているのだ。死ぬ途中にいるのだ』、そして、『誰にも迷惑を掛けない潔い死に方だった』と、語られるのは人質たちのそれぞれがかつて接してきた『死』です。一方で私たち読者は作品冒頭で『人質は犯人の仕掛けたダイナマイトの爆発により八人全員が死亡した』という結果を知った上で、今は死んでしまった人質たちが語った『死』について複層的に感じることになります。これらの短編は、作品冒頭でその由来が語られ連作短編のように感じる物語に仕上がっていますが、作品冒頭の説明がなくてもそれぞれの短編単独で十分意味を持つものばかりです。しかし、もし作品冒頭の説明なく読んだ時にそれぞれの短編から感じられるであろう思いは恐らく全く別物のはずです。また、これら八編を連作短編と感じることはないとも思います。作品冒頭の状況説明、つまり今は死者となった人物たちが人質として捕らわれていた時の語りという前提を入れることで、全く同じ短編に深い意味を持たせ、“死者の語り”をそこに感じる一種独特な世界観の物語がここに出来上がっているのだと思いました。小川さんの作品は普通には思いつかない視点から世界観を作り出していくものが多いですが、この作品を読み終えて、今まで考えたこともない複雑な思いに囚われる、そんな上手さを感じました。
そして、この作品がさらに絶妙なのが最後の短編〈ハキリアリ〉です。そこでは、予想外な人物が登場します。八人の人質が語る物語は、本来なら八編目で終わることになります。そんな八編目の後、まさかの九編目に登場するのが”生者”でした。『それによって、彼らの物語は死の世界に行ったのではなく、生者がそれを受け取っているという証拠にもなる』とその意図を語る小川さん。そんな小川さんの意図通り、”生者”を敢えて最後に登場させることで、物語は極めてまとまりよく、深い余韻をもって幕を下ろします。改めてその巧みな構成に感心することしきりの作品でした。
『彼らは本を朗読しているのではない。自分について、語っているのだ』という『人質』たちが生前『朗読』した内容が淡々と記されたこの作品。八人それぞれが歩んできた人生が、それぞれの短編の最後でそれを語った人の年齢、性別、職業、そして人質になったツアーへの参加理由が『インテリアコーディネーター・五十三歳・女性 / 勤続三十年の長期休暇を利用して参加』というように記されることで、その人の人生がどういうものであったかを短編の中にふっとイメージさせていくこの作品。今はもう死者となった人たちの語りという前提が作品冒頭に記されることで、その後に続く物語が連作短編のように意味を持つこの作品。小川さんの巧みな構成の妙を存分に味わうことのできる素晴らしい作品でした。 -
9篇からなる短編小説集で、冒頭から小川洋子さんらしからぬ衝撃的な設定があります。各編の外側に別の世界を準備することで、連作ではない短編どうしがつながる発想と構成が見事です。
物語は、地球の裏側の小さな村で、遺跡観光ツアーの日本人8名が反政府ゲリラに拉致、という報道から始まります。事件発生から百日以上過ぎ、犯人の仕掛けたダイナマイトの爆発で人質は全員死亡。
さらに2年が過ぎ、特殊部隊の盗聴テープに録られた人質の音声が公開されます。人質たちが順に自らの過去を語った様子は、「人質の朗読会」と題しラジオ番組で流され、その放送を一夜ごとに再現したのが本書の内容です。
7(ツアー客)+1(ツアーガイド)+1(政府軍兵士)一人一人の語りから見えてくることがあります。他人には些細なことでも当人にとっては特別で、記憶の中に染みつき、意識の底に刷り込まれた出会いがあるのだと‥。
そして、各編の共通点として「死」と「祈り」が見え隠れします。さらに本書の冒頭、既に8人は救出作戦が失敗し、死亡していることが明かされており、言わば死者が語る自らの物語なのです。
確かに、物語によって死者たちが蘇り、生きた証を伝えることでこの世とつながり続けることができるのでしょう。ただ小川さんは、人物の内面には決して踏み込みません。冷徹かつ克明な描写に徹することが、透明感あふれる筆致を生むのでしょうか。幻想的に見えながら、輪郭が明確でリアリティが失われない世界に、感心し圧倒されます。ある一人の人間が生きたある時間を追体験する‥、不思議で妙に心に残る読書体験でした。
不思議な巡り合わせですが、本書(単行本)が発刊された直後、東日本大震災が発生し一万人を超える方が亡くなりました。当然ながら、一万を超す一人一人の物語があったはずで、これを誰が書き残し伝えていくのでしょう‥。 -
異国で人質となり百日以上過ぎた後結局は帰らぬ人となった者達が残した朗読会のテープ、という入れ子的物語。隔絶された厳しい状況下で人々が語るかつての日々はどれも突飛過ぎもせず静かで優しくて思わず耳を傾けてしまう話だった。
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自分の中にしまわれている過去、未来がどうあろうと決して損なわれない過去。それをそっと取り出し、掌で温め、言葉の舟にのせる。
そうやって自分たちの声を響かせ人質たちは朗読を始める。
観客は残りの人質の他、見張り役の犯人、作戦本部でヘッドフォンを耳に当てる男のみ。
彼らは、言葉の舟が立てる水音に耳を澄ませる。決して誰にも邪魔をすることは許されない。
だってそれは、ひとつひとつの祈りなのだから。
人質たちの語る物語はどれも仰々しいものではない。ほんの偶然に訪れたある日の出来事。それは。各々の胸にいつまでも消えることのない灯火となって、未来をほんのりと灯すことになった物語。最後の朗読が行われた頃には、彼らの心の中に生死をも越えた深く静かな世界が広がっていたのかもしれない。彼らの語る言葉は清廉で美しい旋律、いつの間にかわたしもその世界を漂っている。
年月が経ち、彼らの語る言葉が祈りとなって未来へと捧げられることになったこと。それは彼らが望んだことではないのだろうけど、彼らの朗読に耳を傾けていた神様がきっと届けてくれたに違いない。 -
犯人に捕まった人質たちが閉じ込められた空間で語っていくという、この状況から短編集がスタートします。短編集を淡々と描いていくのではなく、人質が語っていくという、この雰囲気をつくりだす小川洋子さんハイセンスだなあと思いました。
短編集の一つ一つが、人質が犯人に監視されながらひっそりとした様子で語られていく様を想像させられて、どこまでも読者を静かにさせたい小川洋子さん…
好きな表現がいくつもまたありましたが、蚕の糸を吐くようにその糸が聞いている人たちを包み込む、という部分は本当に素敵でした。
その中だけの、静かでひっそりとした空間に入り込めます。
人質にされ、命の危機だからこそ思い出す過去の物語は、わたしだったら何があるかなと思いながら余韻を味わいました☺︎… -
朗読される内容がどれも温かくて優しいものばかりでした。
ほんとにいつまでも朗読会が続けば良いのに、と思ってしまいました。
重たい感じもなく良かったです。
もし死ぬのかも…、という状況の中で自分だったら過去のどんな話をするのだろうか。
こんな温かい内容自分には話せないかも…。
いや、口ベタで上手に話せないかも…。
そんなこんなを考え、過去を思い返してみたり、さらにこの先の生き方を考えさせられました。 -
慈愛と嗜虐。作者の独壇場。
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もし私がこの小説の登場人物の一人で、彼らがしたように、何でもいいから一つ思い出を書いて、朗読しあうことになったとしたら。
私は自分の人生の記憶から、何を選び、どのように書き起こし、朗読するのだろう。
そう考えて、自分の過去に想いを巡らせてしまった作品です。
地球の裏側の異国をツアー旅行中に、反政府ゲリラに拉致監禁された八人の日本人。
彼らは退屈を紛らわすため、自分の思い出を一つ書いて、朗読しあうことに。
救出作戦は失敗に終わり、彼らは全員死亡。
その二年後、彼らが生前語った八つの物語と、ある一人の若者の物語の、計九つの物語が、「人質の朗読会」と題して、ラジオ番組として公開され…。
小川さんの、静かで、どことなく、黒々とした光沢を持つぬばたまを連想させるような独特の文体のもと、八人の人質たちは、まるで、祈りのように、静かに過去の一点の記憶を語っていきます。
八人は、年齢も属性も、それまでの環境も全く異なっており、当然、朗読される日常の記憶の一コマの物語には何の繋がりもないのですが、なぜだか、むせ返るような孤独と死の匂いだけが、ひどく共通している印象を受けました。
彼らの「祈り」に耳を傾けていた、もう一人の物語にも。
そして、朗読された物語と繋がるようで繋がらない、各々の物語の最後にたった一行で記される、彼らの死亡時の年齢や肩書き、ツアー参加動機などは、そのような些細な日常の一コマを何十年とかけて積み重ねてきた人生があっけなく崩れ去ってしまったことを読み手に痛感させます。
孤独と死からは、誰も絶対に逃れられないということを、なんだか肌に染み付くように感じた気になった、小川ワールド全開の作品でした。 -
外国で人質となった人達の自分語り。私ならどんな事を話すのだろうか?
生きている、そのものの話し、なのかもしれ...
生きている、そのものの話し、なのかもしれません。
おっしゃる通りですね。小川洋子さんの世界観、慣れるまではなかなか良さがわからなかったのですが、一旦...
おっしゃる通りですね。小川洋子さんの世界観、慣れるまではなかなか良さがわからなかったのですが、一旦良さを知ってしまうとなんとも言えない味わい深さを感じます。”生きている、そのものの話し”、しみじみ感じました。