路上のジャズ (中公文庫)

  • 中央公論新社 (2016年7月21日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (304ページ) / ISBN・EAN: 9784122062702

みんなの感想まとめ

ジャズと青春の日々を巡る作品集は、エッセイ、詩、小説が融合した多彩な内容で、特にジャズの魅力が随所に散りばめられています。著者は自身の青春時代を振り返り、ジャズ喫茶での体験や、初期の作品群を通じて、ジ...

感想・レビュー・書評

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  • 初中上健次。一冊にエッセイ、詩、小説と盛りだくさんの内容。
    ジャズが好きなので、とても面白く読めた。
    家にあるアルバートアイラーのCDを音全開にして浴びるように聴きたくなった。

  • コルタサルからジャズを媒介にして中上健次。路上のジャズ。路上の読書。

    「その頃を、小説に書きたくない(書いてるけど)」、振り返れば大切で哀しかった、ジャズと共にあった青春。繰り返し語られる、「1960年代、新宿、ジャズ喫茶」。特別だった時代と街、音楽。フリージャズ。
    カルチャーのムーブメントが沸き立つ時代と、青春時代が重なる世代というのがある。耽溺しそのことだけを考え、このカルチャーは自分のためにある、そう思える、思い込んでしまうような人間がいる。多分、どの世代でも。青春とはそういうのもだ、これも多分。
    そんな人間が音楽を通して書いた青春時代を読む。熱くて哀しい、捻じ曲がっているけれどまだかたちの定まらない、苦悩と衝動が同居していた、音楽と”薬“のなかで語られるそんな時代の話。ここにあるのは青い情念だ。少しくらう。その時代にはまだ鳴っていなかった阿部薫のジャズをまた思い出す。と同時にわたしの青春時代も湧き上がってくる。
    わたしにもそんな時代と街、「自分のためのカルチャー」がたしかにあったのだ。1990-2000年代、新宿(幾つかの街にも入れ替えられる)、ハードコア・パンク。そのなかのひとつのムーブメント。そこで流れていた音楽は「破壊せよ」ではなく「自分でやれ」と言っていた。その“言葉”に受けた影響は今も残っている。
    その時代と街と音楽に思いを馳せる。制服で行った小瀧橋通りのレコードショップ、その裏のリハーサル・スタジオ、初めて体験したスタジオでのショウ。封筒に入ったデモテープ。A4サイズのファンジン。エモーショナルで哀しみ“も”表現しようとしていたハードコア・パンク。印象的だったエピソードと街の情景、そこにいた人々の顔も、音学と一緒に久しぶりに思い浮かんだ。もう失くしてしまったと思っていた、大切に繰り返し語りたい物語に思いがけず再会した気がした。そういえば、ジャズ、特にフリージャズを聴きはじめたのは、このとき大好きだったバンドのメンバーの影響だ。そのときに知った音楽は今でも大切に聴いている。アイラーもその時に知った気がする。
    当時使っていた言葉でいうなら、これはエモい話だ。その頃からずっとそんな音楽と、今ではそんな文章、物語が好きなのかもしれない。好きなのだ。読みながら流していた、アルバート・アイラーのゴーストも、今はとてもエモかった。少し泣きたい、と思った。

    本文中にコルサタルの名前に出会って、解説には読んでいた短編のタイトルも出てきた。嬉しくなる。この読書のフロウ、それにわたしの青春時代も間違っていなかった、と少し強引に思いはじめている。間違っていても良いというか、間違いなどないのかもしれないけれど。上向いた気分で、苦手かと思っていたマイルス・デイヴィスの「ビッチェズ・ブリュー」を聴いてみる。少し分かった気がした。

  • 46で世を去った中上健次が生きていたら今年で70だ。いわゆる「団塊の世代」。大学生の頃、その暴力的かつ繊細な文体に魅せられて貪るように中上を読んだ。中でも本書所収の「灰色のコカコーラ」に代表されるヒリヒリするような、どこか青臭さの残る初期の作品群がたまらなく好きだった。だから70になった中上などあまり想像したくない。中上にとってジャズは純粋な音楽というより「生きざま」あるいは「思想」と言ったほうがいい。タイトルがカッコ良すぎる「破壊せよ、とアイラーは言った」を読めば分かるが、中上にとってジャズ=破壊なのだ。実際にアイラー(例えば代表作『 Spiritual Unity 』)を聴いてみると、中上が言うほど「破壊的」ではない。むしろ僕には「慟哭」に聴こえる。だがそんなことはどうでもいい。中上はアイラーに、コルトレーンに、そしてフリージャズに「破壊せよ」という声を聴きとった。

    今回「路上のジャズ」というエッセイを読んで改めてそのことを思った。その中で中上は自宅のステレオで聴くジャズに全く魅力を感じないと語っている。ジャズは「路上」で聴くべきものだという。「政治の季節」が終わりを告げた60年代後半、鬱屈した時代、新宿という都会の吹き溜り、薄暗いジャズ喫茶、世界に異和感だけを感じて震えていた若者達が集う場所、それが中上の言う「路上」である。中上自身の言に反して、コルトレーンが死に、アイラーがハドソン河に死体で浮かんだからジャズが終わったのではない。「路上」という空間の喪失とともにジャズは去勢され、中上はジャズに別れを告げた。

    「物語」の「破壊」は中上文学の最大のテーマと言っていいが、ジャズがそうであったように「破壊」そのものが「物語」に回収されてしまうことに自覚的であった中上は、「破壊」が「物語」と化す瞬間を捉えて「物語」もろとも「破壊」自体を「爆破」する。これは永続革命のようなものだ。中上が生きていたらおそらく本書が再編集されて文庫化されることはなかったと思う。本書は中上の青春とジャズへのレクイエムだ。決してノスタジーに浸るための本ではない。

  • 書店の希少本コーナーとやらでたまたま手に取りましたが、すごく好きな本だな、と。

    「ジャズと青春の日々をめぐる作品集」と紹介されている通り、ジャズ喫茶に毎日通った五年間の青春時代を語るエッセイが中心の一冊ですが、
    その時代をテーマにした小説「灰色のコカコーラ」や、高校時代に書いたという処女短編も収録されている。

    20年ぐらい前に、この「灰色のコカコーラ」が読みたくて、収録されている『鳩どもの家』が絶版になっていて探したのが懐かしい。まあ、そんなに苦労せずに入手したけど。

    ずいぶん久しぶりに読んだこともあるし、主人公と同じような年齢(二十歳ぐらい)で読むのと、その倍近く生きてから読むのとでは全く感じ方が違って、
    当時は興奮したように記憶しているけど、今回は静かな感傷的な気持ちになりました。
    でも、やっぱり良い小説ですね。
    僕はやっぱりその二十歳ぐらいの時に読んだ「岬」があまりに衝撃的だったので真っ先に挙がるのですけど、
    あまり中上健次すごく好きという友人も少ないですけど、そのうちの二人が真っ先に「灰色のコカコーラ」挙げてたなぁなんてことも思い出しました。

    感傷的になるというのも、三十代になった中上が自身の青春を振り返るようなエッセイの中に、この短編小説が一緒に収録されてるからということもあると思います。

    二十歳ぐらいで読むなら、作家論的に読まないほうがベターだと思うので、小説だけで読んだほうがいいと思うのですけど、
    もう30過ぎてなら、むしろこの文庫本の中で読むと、すごくいいのでおすすめしたいですね。

  • JAZZに興味を持ち、聴いてみたくなる文章力。数多のJAZZを聴いた作者だからこそ分かる違い。そしてその曲を背景に描かれる青春時代。濃い青春時代。

  •  中上健次のジャズ関連の文章を集めたもの。随筆、そしてレコード評も。中編くらいのボリュウムの作品「灰色のコカコーラ」も所収(文庫で110頁ほどある)。  

     中上氏のジャズ関連の文は、同時にいわば「新宿時代」の作品群でもある。
    同氏は、高校卒業を目前に控えた3月に鞄ひとつで上京。翌日、新宿のジャズ喫茶でモダンジャズに出会い、衝撃を受ける。以降およそ5年にわたり、ジャズと新宿の日々を送ったという。時代は1965年から1970年にかけて。
     「灰色のコカコーラ」は紀州もの新宮ものを連作してゆく以前の作品。同作は乱暴に言うと新宿歌舞伎町を舞台に書いた「限りなく透明に近いブルー」の感じ(「…ブルー」はたしか@福生)。ジャズ喫茶に毎日通いつつ、鎮静剤などの錠剤を大量摂取してラリってばかり、という無為でぶっ壊れた日々。紀州ものばかり読み継いできたあとなので、新宿時代の内容が新鮮に感じられる。

    本書のジャズ関連の文には、ジェイムズ・ジョイスのことがよく書かれている。コルトレーン~アイラーの破壊力とジョイスの軌跡を同列に感じとっていたという。(この頃、フォークナーはまだ読み始めていなかったもよう)。 
    で、音楽、ジャズについて。中上氏は、マイルス・デイビス、コルトレーンに心酔。そしてとりわけ、アルバート・アイラーには大いに傾倒したようである。何もしない、何者でもない、新宿歌舞伎町での日々。だが、モダンジャズを身に染み込むほど聴いた、ある意味豊饒な日々でもあったようだ。
     
     わたし自身、マイルスもコルトレーンも相当好きなので、わかるわかる…と思いつつ読んだ。

    ※「破壊せよ、とアイラーは言った」は集英社文庫で既読。

  • 新宿、ジャズ、薬などの題材を通じ60年代後半の空気感がビンビン伝わってくる文章。併録された対談で渡辺貞夫はBGMと断じているのも、さもありなんと思う。
    氏の著作は好き嫌い、評価が分かれるように思う。他の人の感想も聞いてみたい。

  • 桃山学院大学附属図書館蔵書検索OPACへ↓
    https://indus.andrew.ac.jp/opac/volume/1165752

  • 予想と違ったし、どうも共感する部分もないし中断しました。

  • 2020/5/5購入
    2022/12/23読了

  • 芥川賞作家による若き日のJAZZ浸りの日々を通じての破壊的な感性で綴る作品集。黒人差別等暗黒時代に生まれ発展し、やがて収束した表現手段、JAZZ。ただ、その世代が分からない自分にとってはその熱い感性の爆発をJAZZに感じる根本的な根拠が語られておらず共感出来ない。コルトレーンにせよ、デビスにせよ時代背景の中にあって、あるいは病的なJAZZ喫茶で大音量で聴く環境なくしては中上氏のようには感じ得ないのではないか、と思う。デビスの「リラクシン」など聴いてもカフェでのBGMになりうるオシャレ音楽と感じてしまう。
    とはいえ、JAZZ奏者には不審な死が相当あるとのこと、単に作者の妄想ではないのも確かではある。
    特に「灰色のコカコーラ」の闇は何か惹きつけられるものがあります。

  • 中上健次の遺した作品から、ジャズがらみのものを集めて一冊に編んだ文庫オリジナル。
    よく知られた「破壊せよ、とアイラーは言った」などのジャズ・エッセイを中心に、ジャズを題材にした小説や詩、ジャズ評論家・小野好恵による中上へのロングインタビューまでを収めている。

    初期の小説(「灰色のコカコーラ」など)や詩は青臭くて鼻白んでしまったが、ジャズ・エッセイは素晴らしい。

    それらのエッセイはみな、中上が18歳で上京してから、新宿のジャズ喫茶に入り浸ってフーテンをしていた約5年間の放蕩の日々が背景になっている。
    つまり、中上にとってジャズは自らの青春と分かち難く結びついた音楽なのであり、青春を語るようにジャズについて綴っているのだ。

    その中には、コルトレーンを論じた「コードとの闘い」に見られるように、ジャズ論として傾聴に値する卓見もある。
    が、全体としては評論色は希薄で、ジャズを詩的な言葉で表現した、他に類を見ない音楽エッセイになっている。たとえば――。

    《ジャズはモダンジャズ喫茶で聴くものである、と言えば、いいだろうか? 路上で聴くものだと言おうか? 町中のジャズ。ジャズは野生の物であって、自分の小市民的生活の背景音楽になど似合っていない、と私は、ステレオを買って初めて分かった。
     ジャズは、単に黒人だけのものではなく、飢えた者の音楽であると言おう。(中略)例えば、アルバート・アイラーを聴く。スウィングを無視したそのサックスの音のうねりから、貧しくて腹一杯飯を食うことも出来ずにいる少年が見えると言うと、うがちすぎだろうか?
    (中略)
     路上のジャズ、野生のジャズを聴くには、町が要るし、その飢えた心が要る。語るにしてもそうである(「路上のジャズ」)》

    興味深いのは、中上の小説作品はジャズからの強い影響を受けている、と自己分析している点。

    《私の初期の長い文章や、メタファの多用、「岬」の頃の短い文章、読点の位置、それに、「枯木灘」のフレーズの反復は、ジャズならごく自然のことなのである。今、現在、私が言っている敵としての物語、物語の定型の破壊も、これがジャズの上でならジョン・コルトレーンやアルバート・アイラーのやったフリージャズの運動の延長上として、人は実に素直に理解できると思うのである。ジャズは私の小説や文学論の解析の大きな鍵だ(「新鮮な抒情」)》

  • 著者の青春はジャズと共にあり。
    ジャズはやはり狂気なのか。
    18歳から23歳…一瞬戻りたくなって、戻れないことに気づいて、胃が痛くなった。

  •  中上健次のジャズに関する雑文、詩や短編小説をまとめたもの。掲載メディアも様々で、折に触れて当時(中上18歳から23歳の頃)の話が繰り返されたものを集めてある。何度も同じ話が出てくるが、それが却って若かりし頃の煩悩のように、振り払えず、まとわりついてくるような焦燥感がひしひし伝わる気がする。
     1960年代の新宿。和歌山の片田舎(いわゆる“路地”)から徒手空拳で上京してきた若者のもがき苦しむ描写が赤裸々だ。カサブタになりきらない皮膚に触れられるような痛感とでもいおうか、あの時代のアングラな街の空気が伝わってくる。

     ジャズについては、マイルスとコルトレーンとアイラーのことしか出てこない(ちょこっとセロニアス・モンクの記述もあったか)。中上健次は、アイラー、コルトレーンに、彼らが傾倒していくフリージャズに「破壊」というメッセージを聴きとったようだ。
     しかも、ジャズは「路上」で聴くべきと断じる。安保の時代、政治の季節が終わった60年代後半、団塊の一員として社会への反発するでもなく、溶け込めないでいる鬱屈した精神を抱え、新宿の薄暗いジャズ喫茶に集う。そこが彼の言う「路上」だ。

     ジャズを、アイラー、コルトレーンをどう解釈しようが個人の自由だ。ジャズのことより、あの時代と、鬱蒼とした都会の片隅で、カサブタの剥がれた皮膚感覚でヒリヒリとした痛みと、なにかに餓えた心を抱えた若者の生き様に、けっして現代(いま)の時代には感じられない自由を見る。なにかに囚われつつも解き放たれた心を見る。それがジャズの精神か?

     何かを理解できたわけではないけど、何か心に響く作品群だ。

  • “ジャズ”をキーワードに、中上健次のエッセイや短編などを収めた作品集。

    中上はフリージャズを好み、とりわけアルバート・アイラーへの思い入れが強いことが読み取れる。

    玉石混交だが楽しめた。

  • 一九六〇年代、新宿、ジャズ喫茶。エッセイを中心に詩、短篇小説までを全一冊にしたジャズと青春の日々をめぐる作品集。小野好恵によるインタビュー併録。

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著者プロフィール

(なかがみ・けんじ)1946~1992年。小説家。『岬』で芥川賞。『枯木灘』(毎日出版文化賞)、『鳳仙花』、『千年の愉楽』、『地の果て 至上の時』、『日輪の翼』、『奇蹟』、『讃歌』、『異族』など。全集十五巻、発言集成六巻、全発言二巻、エッセイ撰集二巻がある。

「2022年 『現代小説の方法 増補改訂版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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