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Amazon.co.jp ・本 (392ページ) / ISBN・EAN: 9784122063501
みんなの感想まとめ
絵画の中に入り込むという独特の体験を通じて、現実と幻想が交錯する世界を描いた作品です。主人公の曇天先生と助手のアノウエくんの軽妙なやり取りは、まるでコントのように楽しく、読者を惹きつけます。特に、風神...
感想・レビュー・書評
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美術館へ『受胎告知」を見に行った
曇天先生
右隅の暗がりに
引きずり込まれてしまう
そこから現実と絵の中とを
旅するようになる
助手のアノウエくんとの
まるでコントのような
やり取りをしながら‥‥
そこで
何かを知る?
何かを探す?
何かを得る?
絵画の中で風神のフージンが言う
『‥‥キサンらの中に風を通せ
なぜ通さぬ?
何ゆえいちいちとどめる?
何ゆえいちいちこだわる?
何ゆえいちいち停滞する?
なんなんいったい?
そんなことじゃイカンのだ
キサンらは四百年も生きられぬ
何もわからぬまま死に至る
四百年生きたジャレにもわからんのだから
死ってなんなん?
いや、生ってなんなん?
そんなにイイもんなん?
生きるために何かが欲しいわけか
それは何だ
ジャレに教えてくれ
ジャレはそいつを知りたい』
ほとんどダジャレのような
やり取りの中で
フージンの言葉は
じんわりと響くのです
わかるような
わからないようなですが‥‥
大好きです
やっぱり吉田篤弘さんは
すごい!
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いつも感心ばかりしている「鳥肌が立つ男」曇天先生。
大学で芸術を論じている五十歳の曇天先生と、助手のアノウエ君のやりとりが実に面白い。
また吉田篤弘さんの独特な世界にするすると引き込まれてしまった。
五十年というのは、一言で済まされない時間の塊なのでしょうか。
曇天先生は、上野の美術館で、ダ・ヴィンチの『受胎告知』の絵の右隅にある「ほの暗い部屋」への入口から、絵の中へ入り込んでしまいます。
懐かしいような、面白いような、怖いような…
美術館という特別な場所は、私も妙に好きです。
絵を観る。すなわち絵の中に入り込む。うーむ奥が深い話だ。
妄想が渦巻いて、終わりが見えない。一体どこで終わらせるのだろうか。
絵の中の冒険の話は、なるほど「アリス」さながらで、もう嬉しくて口元がついつい緩んでしまいます。
あとがきも興味深く、とても面白かったです。 -
共感したり納得したりすると、その都度鳥肌がたってしまう大学教授の曇天先生。
そんな曇天先生も五十を迎えた。
ある日、曇天先生は美術館を訪れ、ダ・ヴィンチの「受胎告知」の前に立つや、絵の中に入り込んでしまう。
以来、アンドリュー・ワイエスの「クリスティーナの世界」など、絵の中の冒険を繰り返す。
どうやら助手のアノウエ君にもらった目薬メヲサラが引き金をひいているようなんだけど…。
一見ファンタジーのようなのだけど、ところどころ気になる表現が。
それは曇天先生の年齢。
五十歳とは「成人と老人の間」であって、「一から百までの中間点」。
「この五十歳という何かと何かの間に挟まれた隙間のようなところ……」
どうもこの五十歳という、どこにも属さない、「何ら区切りも目印もなく」「足場の悪い」感じが、曇天先生をちょっぴり憂鬱にさせているようだ。
彼はその心境を「今の孤島」と呼ぶ。
その「何かと何かの間に挟まれた隙間」と、「絵の中に入り込んでしまう事象」が、どこか繋がっているようにも感じられた。
この五十という中間的で微妙な年齢を迎え、曇天先生は踠いている。
不器用に踠きながらも前に進もうとしている。
がんばれ、曇天先生。
……なんだけど。
これ、いつもの吉田さん作品と違うように感じられて、読みづらかった。
曇天先生とアノウエ君の会話をはじめ、全体的に理屈っぽくまどろっこしいし。
私にはよく分からなかった。
いつも通りには楽しめない作品だった。
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ふわっと現実逃避させてくれる作品。
吉田篤弘さんの作品は、
自分の周りにも、小さいトキメキが転がってるかも?といつも思わせてくれます。
絵の中に入り込んでしまうなんて、
現実世界ではあり得ないと分かっていても、
風神や雷神とお話ししたらこんな感じかも!
と思ってしまう…。
大きく感情が動くわけではないけれど、
読み終わると心が浄化されていることに気づく。
やっぱり吉田篤弘さん、好きです。
次は何を読もうかな? -
曇天先生とアノウエくんが
絵の中に入ってしまったり、
妄想なのか現実なのか不思議な話だった。
個人的には風神雷神の辺りが面白かったが、
風神と雷神が喋ったら確かにこんなイメージだと
変に感心してしまった。
有楽町の地下街を理由もなく歩いてみたい。 -
曇天先生が見た摩訶不思議な世界と、曇天先生とアノウエ君の
言葉の掛け合いがなんとも愉快な「モナ・リザの背中」です。
曇天先生とは大学の先生で、助手のアノウエ君から「先生も
雅号を持ちましょうよ」と言われて先生自らが、自分を比喩して
「曇天」とつけた名前。アノウエ君は、理屈好き(? きっとね! 笑)な
曇天先生がつけた助手のあだ名です。
この二人の言葉の掛け合いがなんとも面白い♪
理屈屁理屈、よくもまぁもうほんとうに、ああ言えばこう言うで
この二人、腹も立てず喧嘩もせずにこうも言い合えたもんだと
こちらの方が少しばかり気を揉んでしまうほど、曇天先生の屁理屈(ボケ)と
アノウエ君の受け身(突っ込み)は絶妙です。
そして曇天先生の見た摩訶不思議な世界...。まるで〇のようね。
レビューにそう書こうと思っていましたら、あとがきで著者さんご本人が
ネタばらしだとのお断りで明かされていたことと同じだったので
う...書けない。。まさにそんな感じ....微睡みの中にいるような感じでした。
そして曇天先生とアノウエ君の掛け合いもまるで〇〇のようで....。
確信が持てたのは「たて」についての件。もうね。笑っちゃいましたよ♪
声をあげて。(笑)
吉田篤弘さんが紡ぐ言葉の言葉遊び。吉田さんの文体そのものが大好きで
読み始めにはいつも「鳥肌が立つ」のです。これほんとうになんです。(笑)
痺れます。そして酔う。 -
2011年刊行の単行本を文庫化。
『絵の中に入ってしまう』というSF的な設定はあり、ジャンルとしては幻想小説やファンタジーに分類されるような作品だが、吉田篤弘の場合、幻想と現実はシームレスに繋がっていて、妙に『地に足が付いている』。それがこの作家の魅力だと思う。なんというか、登場人物は割と奇矯な人物だったり、ごく普通に不思議な出来事が起こったりはするのだが、と、同時に、彼らはやっぱりごく普通に、ちゃんと『生きている』気がする。 -
【請求記号:913.6 ヨ】
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僕には難しかったかな、ページを進めるうちに、だんだん複雑な迷路に迷い込むようで、よくわからなくなってしまった。
でもドンテンはすきだよ。
アノウエくんとのやり取りとか。
ポスターのくだりも好き。 -
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不思議な世界観と、教授とアノウエ君のやりとりが好き。美術が好きな私としては、自分も絵の世界に迷いこんでみたい!
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早く先を読みたい!と慌てて読んだらだめだ。一気にここはどこ、今はどこ、何がどうなった!?状態になる。この小説はアトラクションや… 縦に横に揺れたり一気に落ちたりしながら、楽しめばいいんや…
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面白かったです。
曇天先生とアノウエくんの不思議なやりとりと出来事でした。
絵画の中に入り込むのはとても面白そうです。
奥で繋がっている、というのも。
哲学的なような、そうでもないような…ぐるぐるぼんやり考えてしまいます。 -
『脳内改善』
最初は読みにくいと感じていた。
この物語に終わりがくるのかと。
しかし次第に私の脳の使用法に変化がやってきた。
硬い肉を齧るように読んでいたが。
だんだん味がにじだしてきた。
もうクセになったはとまらない。
あっという間に読みすすめてしまった。
そこがまさに吉田篤弘さんの世界観ではないだろうか。
だから、吉田篤弘さんの作品がもっと読みたい!もっと読みたい!読まずにはいられないと貪って読んでしまう。 -
読みにくく挫折
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大学の教壇に立ち、少数の学生を相手に美術を教える男が主人公です。いつも屁理屈ばかりこね回し、有楽町の地下街を散策するのが趣味。一風変わった趣味ですが、地下街は雨が降っても濡れることもないし、方向を見失えば、迷宮に迷い込んだような感覚を楽しめるというのがその理由。そんな50歳独身の男が、上野の美術館に、ダ・ヴィンチの〝受胎告知〟を見に出かけ、どういうわけか絵の中に入り込んでしまいます。
それからというもの、絵の世界と現実の世界を行ったり来たり。夢と現、妄想と実生活の境が、だんだん不明確になっていきます。その境は、あの世とこの世の境と言い換えることができるかもしれません。
主人公の身に、なぜそのようなことが起こるのかわかりません。でもきっと彼は、50歳という年齢になって、人生に限りがあるということが、ますます現実味を帯び、来し方を振り返り、自らの人生に意味を求めるようになったのではないでしょうか?人生に意味なんかないのに、そんなもの求めたりするから、話はますますややこしくなっていきます。
〝どうして意味なんか求めるんだ。人生は願望だ。意味じゃない。〟といったのは、チャーリー・チャップリンです。少々手遅れかもしれませんが、この言葉を曇天先生に贈りたいと思います。
べそかきアルルカンの詩的日常
http://blog.goo.ne.jp/b-arlequin/
べそかきアルルカンの“銀幕の向こうがわ”
http://booklog.jp/users/besokaki-arlequin2 -
タイトルとあらすじからして吉田篤弘らしいファンタジーな世界を想像していたが、読み進めていゆくうちに「おや?」と。
自由と理屈の戦いというのもなるほど。絵画に対する考え方というのもなるほど。
そもそも書き手の思惑など後世の人間が後付けしたものかもしれない。そこに理由を求めるのは酷だ。 -
大学で美術を教えている五十歳の曇天先生は、ある日助手のアノウエ君にもらった目薬「メヲサラ」を使った途端、絵の中に引き込まれてしまう。以来、日常の中で突然変なことが起こっては絵の中に入り込んでしまい、とんでもない場所から元の世界に戻ってきてしまう、というのを繰り返し、アノウエ君まで巻き込んで、絵の中の二次元と、こちらの三次元を行ったり来たりするようになる。
絵の中に入り込んでしまうというのは単純に楽しい。絵の種類も様々で、ダ・ヴィンチの『受胎告知』、アンドリュー・ワイエス『クリスティーナの世界』から、俵屋宗達『風神雷神図』に、あげく銭湯の壁に描かれたの富士山まで素材は自由自在。最後に出てくるルイジアーノ『十二人の船乗り』だけが架空の画家と絵のようで、十二という数字からイメージしたのはダ・ヴィンチつながりで『最後の晩餐』のイエスの十二使徒でした。左から二人目、金髪だしね。
助手の名前(本当は井上くん)や目薬、さらに固形ではなくなんらかの事象にまでオリジナルの名前をつける曇天先生のキャラクターはそれなりに面白いし、絵に入り込んだり戻ってきたりする際の変な現象に関する筆者の創造力、描写力の豊かさなどはとてもイマジネーションにあふれているのだけれど、新鮮なのは最初のうちだけで、正直半ばからは「また同じパターンか」と、ちょっと飽きてしまった。入り込む絵ごとの、1話完結の連作形式だったらもっとスッキリ読めたかも。
アノウエくんと先生のやりとりも、軽妙といえば軽妙だけど、なんかこう、森見登美彦読んでるみたいな既視感があったり(つまり作中の言葉を借りるなら「ベタ」なのだな)ダジャレや言葉遊びもしつこすぎると理屈っぽさのほうが鼻について退屈してしまう。いつまで続くのこれ、っていう。ただそうやって読み流していると時々「はっ」とするような哲学的な発見があったりはするのだけれど。
五十歳には私もまだ少し時間があるけど、作者が四十代後半で想像で書いた五十歳は、私のイメージでもこれくらいの感じだといいな、という五十歳。しんどいことも増えるけれど、楽になることも増えるでしょう。それでもって五十歳になって絵の中に入ったり出たりして遊べるなら満更でもないな(笑) -
美術館に出かけた曇天先生。ダ・ヴィンチの『受胎告知』の前に立つや、画面右隅の暗がりへ引き込まれ……。さぁ、絵の中をさすらう摩訶不思議な冒険へ!
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