背教者ユリアヌス(一) (中公文庫 つ 3-25)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (424ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122064980

作品紹介・あらすじ

大帝の甥として生まれるも、キリスト教勢力拡大に野心を燃やす司教一派によって両親を殺害され、幽閉生活を送るユリアヌス。ギリシア古典の塾へ通うことを許されたことから、友を得、学ぶこと、生きることへ喜びを見出していくが、その前に歴史の荒波は容赦なく立ちはだかるのだった――壮大な歴史ロマン開幕!毎日芸術賞に輝く記念碑的大作、待望の改版。

〈巻末付録〉連載開始時エッセイ「ユリアヌスの浴場跡」/自作再読エッセイ「ユリアヌスの廃墟から」〈解説〉加賀乙彦

感想・レビュー・書評

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  • 塩野七生<ローマ人の物語>全巻を読破した後に、再読。
    ローマ帝国を持続させるための最後の努力を行ったのが皇帝ユリアヌスだ。
    しかし、内(キリスト教)と外(ササン朝ペルシャ)との敵との戦いに敗れ、ユリアヌス以後、ローマ帝国は変質し、崩壊していく。

    ローマ帝国が帝国たる所以は、寛容の精神で統治し、統治し得ない領土は、そこから攻められることのないように防御する、その二点に尽きる。
    その内のどちらかでも失うと、ローマは帝国としての意義を喪う。
    そのことを知悉していた最後の皇帝がユリアヌスだった。

    寛容さを徹底的に破壊する内なる敵がキリスト教だった。ユリアヌスは、寛容の精神を内部から空洞化していくキリスト教を、獅子身中の虫として危険視した。
    そのため、キリスト教世界になって以降、ユリアヌスは「背教者」の落胤を押されることになったのだ。
    背教者と言う呼称は、キリスト教の勝利を示すものでもある。
    コンスタンティヌスが「大帝」と讃えられるのも、キリスト教時間による。

    この大河小説を読む度に、日本人がこうした壮大なロマンを描くことができるのだ、と言う感動と喜びを感じる。
    中でも、辻の筆は、恋愛を語らせる時にもっとも冴える。
    ユリアヌスと、前皇帝の妃との禁忌の恋愛。
    ユリアヌスと、踊り子との恋愛。(これは後の東ローマ皇帝ユスティニアヌスが、踊り子テオドラを、妃としたことを投影させている)
    辻は本質的には恋愛小説家なのだ。

    1. 「背教者ユリアヌス」とは?
    大河ロマンを読む面白さを満喫させてくれる大作。
    陰謀あり、戦闘あり、政治的闘争あり、恋愛あり、友情あり、思想的対決あり、歴史の醍醐味もある。
    一度はまり込んだら一気読みさせてくれる本だ。

    会社の先輩に勧められた。
    他に勧められたのは、
     折口信夫「死者の書」
     高橋和巳「邪宗門」
     小林恭二「ゼウスガーデン衰亡史」
     古田武彦「失われた九州王朝」
    そのすべてが愛読書となった。
    感謝だ。

    本書は、三部構成となっている。
     上巻 幼少年期の物語 幽閉時代
     中巻 愛の物語 皇后エウセビアとの禁断の愛
     下巻 戴冠から死 腐敗した帝国の立て直しと
      キリスト教との対決

    中巻を<愛の物語>と表現したが、それは<危険な不倫愛の物語>だ。
    作者の辻邦生が描きたかったのはこのストーリーなのではないか、との思うほど筆が乗っている。
    辻邦生は本質的に恋愛小説家なのだ。
    モロ恋愛小説である「時の扉」から、フィレンツェ•ルネサンスのボッティチェリを主人公とする「春の戴冠」まで、その全ては恋愛小説だとも言える。

    ロマン溢れる作風と、ハンサムな風貌から辻邦生は、立教大学、学習院大学の教授時代、女学生から絶大な人気を博したという。
    夫人辻佐保子は美術史家。
    小雀で色黒の才女の面影は、本書に登場するサーカスの踊り子に投影されている。

    2. ユリアヌスとは?
    ユリアヌスは古代ローマの皇帝で、4世紀の人。
    彼の死後10年にして、ゲルマン民族の大移動が起こる。
    それを知るだけでも、彼の時代のローマがどれだけ危機的な状況にあったことが判ろうというものだ。
    キリスト教を公認したコンスタンティヌス「大帝」の甥に当たる。
    父親は、大帝の弟だったが、大帝の息子で皇帝となったコンスタンティウス2世の陰謀によって殺される。
    ユリアヌス自身は幼少であったため、命は取られなかったが、幽閉されることになる。
    これは、源頼朝と平清盛の関係を彷彿とさせる。

    皇帝コンスタンティウス2世は、後継者に恵まれず、血のつながりのあるユリアヌスを副帝(カエサル)に取り立てるが、戦乱のガリア(現在のフランス)に少数の兵力だけ与えて派遣する。
    これでは取り立てたいのか、葬り去りたいのかわからない仕打ちだ。
    しかし、ユリアヌスは絶体絶命の状況下、小規模兵団でガリアを守り抜き、遂には制圧統治するという大快挙を成し遂げる。
    ユリアヌスに、ユリウス•カエサルの面影を見出した兵士たちはユリアヌスを皇帝に推す。
    ユリアヌスは、兵士たちの要請を受け、ガリアの皇帝を称して、従兄弟である皇帝コンスタンティウス2世と対決することを決めるのだ。

    3. 恋愛小説
    中巻に描かれる<愛の物語>は以下のような物語だ。
    皇后エウセビアは、皇帝コンスタンティウス2世の王妃だ。
    ユリアヌスとエウセビアは一目会った瞬間から恋に落ちてしまう。
    時に、ユリアヌス19才、エウセビア24才。
    エウセビアは、ユリアヌスの五歳年上だ。

    皇帝コンスタンティウス2世は猜疑心の強い男で、父帝コンスタンティヌス大帝から帝位を継承すると、自分の地位を盤石なものとするために、ユリアヌスの父親はじめライバルとなりそうな一族を悉く殺している。
    したがって、ユリアヌスにとって現皇帝は親の仇。
    更に、一緒に幽閉生活を送った兄も、副帝に取り立てられるが、讒言にあってすぐに処刑されてしまう。
    したがって、ユリアヌスにとって皇帝は兄の仇でもある。

    ユリアヌスは、親の仇、兄の敵である皇帝の、美貌の妃に恋をしてしまうのだ。
    阿呆と言えば、阿呆。
    危険極まりないと言えば、危険。
    だが、恋をしてしまった本人には、そんな外野の声は聞こえる筈もない。
    読者は、ユリアヌスに感情移入しながら、ハラハラドキドキするしかない。
    一方の、王妃もユリアヌスに惹かれ、危険を顧みず、二人は遂に結ばれてしまう。
    ここには、「源氏物語」における、光源氏が、父帝桐壺の妃、藤壺との禁断の恋が間違いなく投影されている。義理の母である藤壺と源氏との年齢差も5歳だ。

    皇帝に阿る宦官(セックスを諦め、権力に生涯を賭ける元•男たち)は、自己の権力を維持するために、ユリアヌスを亡き者にしようと画策する。
    ユリアヌスの兄に対して行なって成功したように、皇帝にユリアヌス叛逆の讒言を繰り返す。
    ユリアヌスの父と兄を殺した皇帝としては、その讒言を信じてしまうのもやむを得ない。
    そうした陰謀によりユリアヌスは何度も処刑の瀬戸際まで連れ込まれる。
    皇后エウセビアと踊り子二人の(恋仇)の連携プレーによって、ユリアヌスは最大の死地を、脱することが出来る。
    しかし、ユリアヌスと皇后の関係が怪しいと睨んだ宦官たちは、今度は二人を陥れる罠を仕掛ける。。。
    と、書いてみても、その波乱に満ちた浪漫性は読んでみなければ分からない。
    そして、皇后エウセビアの嫉妬の恐ろしさも。。。

    ガリアに少人数で派遣されたユリアヌスは、ミラノに居る皇后と離れ離れになる。
    会えなくなったつらさに加えて、皇后の元に伝えられるのは、風前の灯火となったユリアヌス軍の消息だけだ。
    その後胸苦しさ。
    そして、遂に。。。

    4. 歴史的意義
    辻邦生がこの小説を書いたのは、1969年から72年にかけてだ。
    世界中にステューデント•パワーの吹き荒れていた時代。
    東大安田砦の攻防が演じられたのは1969年のことだ。
    なぜ、この時代に辻邦生は、古代ローマの皇帝、それも背教者と言う汚名を着せられた皇帝を主人公に大河ロマンを書こうと思ったのか?
    止むに止まれぬ内的衝迫無くしてはこれだけ密度の濃い大作をものすることはできない筈だ。
    辻邦生の意図は奈辺にあったのか?

    ローマ帝国の作り出した平和を<パクス•ロマーナ>(ローマによる平和)と呼ぶことは誰もが知っている。
    ローマが広大な領土を平和に維持することが出来たのは、その根幹思想として、<寛容さ>を置いたからだ。
    その思想を生み出し、それを帝国の礎に据えたのはカエサルだった。
    <寛容さ>とは、民族、宗教、文化、習俗で差別しないことを意味する。
    これを支配される側から見ると、自由を保証されているということになる。
    そして、それぞれの民族にその地域の統治を任せていた。
    だから、少人数のローマ人が巨大帝国を運営することが出来たのだ。

    カエサルがその昔、(ユリアヌスが登場する380年ほど昔。現在から江戸時代初期を眺めるのと一緒だ)
    ガリア(現在のフランス)に遠征し、各民族を征服しながら、ドンドン奥地に進出していった。
    その際に示した戦略こそが、<寛容さ>による統治だった。
    民族Aを戦闘で破る。
    しかし、民族Aの首長の権利を守り、その首長に今まで通り統治を許す。
    当然、宗教、文化、言語、習俗に手をつけることはない。
    奥地に進む。そして、民族Bと衝突し、これも破る。
    そして、ここでも同じ政策を取る。
    奥地に進む。
    すると、民族Aが反乱を起こして背後から襲ってくる。
    それを斥ける。
    裏切った民族Aの首長を許し、統治継続を保証し、文化も保証する。
    そうやって、次々とガリアを平定していったのだ。
    ガリアはローマの先進文明を喜んで受け入れてローマ化していくことになる。
    民族の首長や支配者層を根絶やしにしていたら、巨大帝国をローマ人だけで統治することなど不可能なのだ。
    このように<寛容さ>による統治方式をシステム化してみせたのがカエサルなのだ。

    ユリアヌスの時代になると、寛容の帝国が内外の脅威により、崩壊の兆しを見せてくる。
    内なる脅威とは、急速に信者を増やしてきたキリスト教だ。
    神のみを信じ、皇帝も帝国も信用せず、現世よりもあの世(天国)に重きを置き、徹底的に他(他の宗教=異教だけでなく、考えの違うキリスト教=異端)を、徹底的に排除する、<寛容さ>の対極にある思想。
    そして、現世否定、他宗教•異端の否定を行う<否定の思想>。
    ローマ帝国の思想に真っ向から対立する思想が、ローマ帝国の領土に広まって行ったのだ。
    ヨーロッパは、その思想に2000年間支配されてきたのだ。
    その当たり前と思われていたキリスト教的発想に疑いを抱いたのがニーチェだ。
    ニーチェは、キリスト教を、<弱者の宗教><ルサンチマン(恨み)の宗教>と呼び、<神は死んだ!>とキリスト教からの脱却を訴えた。
    ユリアヌスは、キリスト教の勃興期に、ニーチェが気が付いたキリスト教の危険に気がついていたのだ。
    キリスト教の持つ否定的側面、<寛容さ>の欠如に気が付き、この病理が帝国中に蔓延する前に手を打とうとした、と言える。
    ユリアヌスは決意を持って、ローマ帝国の根幹たる<寛容さ>を、否定の宗教から守ろうとしたのだ。
    ユリアヌスが長く皇帝とを努めていたら、キリスト教は今と同じ発展を辿ったかどうか分からない。

    ユリアヌスが戦った外の脅威とは、東からローマ帝国を攻めようとするササン朝ペルシアだ。
    ユリアヌスは在位3年にして、ペルシアとの戦いの最中に戦死する。
    まだ、33歳の若さだった。

    5. ユリアヌスの時代との酷似
    辻邦生が、この小説を書いた1970年代は時代の変曲点だった。
    時代はアメリカの覇権時代、いわば<パクス•アメリカーナ>の時代だ。
    その覇権国家は、内と外に脅威を抱えていた。
    外なる脅威とは、共産主義国家ソ連。
    アメリカとソ連は軍拡戦争という原水爆をこれでもかとの積み上げるチキンレースを繰り広げていた。
    もう一つの外なる脅威は、当初は脅威とも見做されなかったベトナム。
    アメリカの高官は、ベトナムがどこにあるかさえ知らず、ベトナム人を猿のような人種と呼んで、簡単な捻り潰せると豪語した。
    しかし、傲慢なアメリカは50万人の兵隊と大量の砲弾を投入しても小国ベトナムに勝つことはできなかった。
    <パクス•アメリカーナ>の権威は失墜し、アメリカの平和を支える軍事力の限界が露呈したのだ。
    そして、ベトナム戦争は内なる脅威を呼び起こして、アメリカ内部を震撼させる。
    学生運動を中心とした反戦運動、反政府運動、現状打破運動がアメリカを揺すぶったのだ。

    <パクス•アメリカーナ>の崩壊を目の当たりにした辻邦生が思い起こしたのが<パクス•ロマーナ>の意義と崩壊過程であった、と言って誤りないだろう。
    当時の読者は、誰もがそんな読み方をしたに違いない。

    それから50年以上経過した現在、この書を読む意義はあるのだろうか?
    色褪せないストーリー•テリングの面白さを抜きにしても、この書は現在こそ読まれるべき本だと断言出来る。
    何故なら、ユリアヌスが守ろうとしたのが<寛容さ>の政治と思想であり、現在の最大の政治的課題が、<寛容さ>の保守だからだ。

    <パクス•アメリカーナ>という大志をかなぐり捨て、単なる大国に成り下がったアメリカは、トランプ大統領時代、アメリカ•ファーストを声高に唱えた。
    自国さえ良ければあとはどうなっても構わないというエゴイスティックな、<寛容さ>とは正反対の思想を、恥じらいもなく口にする大統領をアメリカは選んだのだ。
    メキシコから移民は入ってくるな!
    フセイン、オサマ•ビン•ラディンは処刑せよ!

    かつて<パクス•ブリタニカ>をもたらした大英帝国はどこに向かっているのか?
    これも<寛容さ>とは対極にあるBREXITだ。
    ヨーロッパの統合(EU)から、一抜けして、自国のことだけを考える思想だ。

    EUは、二度にわたる世界大戦の反省を踏まえて生まれた現代版ローマ帝国だ。
    第一次世界大戦は、どれだけの死者を生み出したのか? 550万人!
    第二次世界大戦は、どれだけの死者を生み出したのか? 8000万人!
    戦争は言うまでもなく<寛容さ>の喪失から生まれる。
    この反省に立って、二度と欧州を戦禍に巻き込むことがないように、EUは生まれた。
    しかし、今EUは大きな危機に瀕している。
    現代ヨーロッパの状況はユリアヌスの時代と酷似している。

    どこまでも<寛容さ>を維持することが出来るか?
    親兄弟を殺されても赦すことは出来るのか?
    陰謀によって殺される危険があっても、陰謀を仕掛ける相手を赦すことは出来るのか?
    自分の信じる思想(宗教)を否定され、嘲笑され、暴力を振るわれても相手を赦すことは出来るのか?

    ユダヤ人に対するホロコースト•ポグロム、ユーゴスラヴィア、ボスニア•ヘルツェゴビナ、そしてウクライナ。
    <寛容さ>を試される状況は至る所に存在している。
    ユリアヌスの抱えた問題は、現代のアクチュアルな問題でもある。
    そこに、現在この本を読む意味がある。

  • 学生時代に読了。
    辻邦夫さんの小説は映像的で美しい。
    小説はもう読めなくなってしまったが、引退したら未だに読めていない、嵯峨野明月記やフーシェ革命暦あたりを読んでみたい。

  • [評価]
    ★★★★☆ 星4つ

    [感想]
    自分はローマ帝国のユリアヌスという人物を知らなかったのだがローマがキリスト教を公認した時代にキリスト教徒以外の最後の皇帝ということで時代が大きく変化した時代なのだと感じたのが1巻の感想だ。
    今のところは幼少期~青年期が描写され、少年期の悲劇から徐々に待遇が改善されていく様子とキリスト教への違和感を感じている様子が見事に描写されている。

  • 「ローマ人の物語」を読んでいく中で、興味を持った人物。とてもドラマチックな人生だと思う。映像化しても面白いと思うのだけど、あまり有名でないのはなぜかな。

  • 期待に反してやや退屈かな?と思いながら読み進んで、ゾナスやコンスタンティアが出てくるあたりからがぜん面白くなる
    読んでいるのは中公文庫の全4巻。星の数は1巻読了時点の暫定

  • 2020.07.25 スゴ本オフで紹介を受ける。
    http://naokis.doorblog.jp/archives/sugohon_July_2020.html

  • 血で血を洗う政争のさなかにありながら、ギリシア古典を学び、友を得て、生きることの喜びを見いだしていくユリアヌス――壮大な歴史ロマン、開幕!

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著者プロフィール

作家。1925年、東京生まれ。57年から61年までフランスに留学。63年、『廻廊にて』で近代文学賞を受賞。こののち、『安土往還記』『天草の雅歌』『背教者ユリアヌス』など、歴史小説をつぎつぎと発表。95年には『西行花伝』により谷崎潤一郎賞を受賞。人物の心情を清明な文体で描く長編を数多く著す一方で、『ある生涯の七つの場所』『楽興の時十二章』『十二の肖像画による十二の物語』など連作短編も得意とした。1999年没。

「2014年 『DVD&BOOK 愛蔵版 花のレクイエム』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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