- Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122065604
作品紹介・あらすじ
「こんなに部屋中本だらけだと、床が抜けるのでは?」大量の本とともに木造アパートの2階に引っ越し、「床抜け」の不安に襲われた著者は、解決策を求めて取材を開始。「床抜け」体験をエッセイに書いた井上ひさし、大量の本に囲まれて遺体が見つからなかった草森紳一、乳がん闘病をきっかけに蔵書を捨てまくった内澤旬子……。床が抜けてリフォームした人、蔵書をまとめて処分した人、私設図書館を作った人、等々を訪ね歩き、「蔵書と生活」の快適な両立は可能か探る。愛書家必読のノンフィクション。解説・角幡唯介
感想・レビュー・書評
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床が本で埋まる、という著者の実体験を入り口に、大量の本とのお付き合いを様々な角度から考えている。
読んでいて、大学時代に押入れが本で抜けそうになり、慌てて引っ越しをしたという話をしていた先生がいたなあと思い出した。(押入れを書棚として使っていたらしい)
第4章で東日本大震災など地震が起こった時の図書館についても記されており、色々考えさせられた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ちょうどいま新居に書庫を作ろうとしているところ。
他人事ではない。(2階に3畳ぶん床から天井まで前後段違いの作りつけ。……これが正しいのかどうか、もはやわからない)
消費者としていずれ読みたい文芸書人文書芸術書漫画だけで、一室で足りず実家もいっぱいなのだから、生産者として資料本を資料収集し利用ことが仕事のノンフィクション作家・ルポライターは桁違いなのだろう。
桁違いの人が、自分とさして変わりない賃貸のマンションに住むとなれば……。推して知るべし。
一軒家にしても、薄給の人間が作れる家の広さから考えると、一階は生活スペース、二階が子供部屋や趣味の部屋となり、二階に書庫や本棚という間取りは「仕方ない」。
(井上やすし、立花隆、本書で言及はされないが荒俣宏やウンベルト・エーコといった、さらに桁違いの金持ちたちはちょっと別世界。)
kindleや電子本は数冊ぶん購入して、慣れないなーと面喰ってからは棚上げしている。
自炊はまだ踏み出せずにいる対策だ。
本来ならすべて自炊しOCRにかけ検索できる状態にして、書庫の本もそのまんまにしておくというのが理想的。が、無理。
またすべて捨てることを前提にして自炊することはできない。
本は思い出でもあるから。
その行き着くところが、著者の別れる妻が捨てたゴミ袋から透けて見えた「じゃあじゃあびりびり」。
愛想付かされて離婚、愛娘とも別れたのだ。(もちろん蔵書だけが原因ではないだろうけれど。)
いま我が家で、背表紙がなくもはや厚紙でしかないにもかかわらずフルに働いてくれているあの本が、ゴミ袋に入ることを想像するだけで、もう胸だか腹だかが落ち着かない。
わが妻にこの本は紹介できない。
蔵書とは甘苦しい罪悪感そのものでもあるのだ。
漫画を押し付けられた実家の母が、押し入れの板が歪んでいることやいつか床が抜けるのではと、愛息たる私に訴えるのを聞きつつ、自分とは異なる見方やリアリティを感じている、とは感じていた。
妻もそうなるやもしれぬ。子もまた。
他者と暮らすとはこういうことだ。
自分の趣味や仕事が家族という他者の場所を侵害すると……。互いに侵害し合うこと……。
また書痴の先輩たちの生き死にの事例を見ると、本を溜めること……読むこと……読んだ記憶……災害……そもそも人生は期間限定だった……死後の蔵書の行方……困難な遺品整理……作家や研究者でなければ散逸は不可避……本を読んでは置いておくという行為自体、いずれ読むために置いておくという行為自体……などなど考えてしまう。
こうした「考えてしまう」の「考え」は、「思いに耽る」「遠い目をする」といったグラデーションを経て、いずれ「死んでしまえばそれまでよ」となるのが、書痴の理想形なのだろう。
「宵越しの金は持たない」は死生観の極北なのだ。
連想……澁澤龍彦や三島由紀夫。中島らもの自宅庭プレハブ。中井英夫とかどうなんだろうか。
中原中也が2歳の息子を思いながら日記に
「文也も詩が好きになればいいが。二代がゝりなら可なりなことが出来よう。俺の蔵書は、売らぬこと。それには、色々書込みがあるし、何かと便利だ。今から五十年あとだつて、俺の蔵書だけを十分読めば詩道修行には十分間に合ふ。迷はぬこと。仏国十九世紀をよく読むこと。迷ひは俺がさんざんやったんだ」
と書いている。
これなどは未だ思うように評価されずにいる中也の自意識が子に投影されているのであって、ナマグサイことこの上ない。
この数か月後に愛息は突然死し、中也自身も「生前は実質ワナビー止まり」のまま30歳にして脳膜炎で死んだ。
吉村萬壱さんは田舎の平屋に越した。
すべて背表紙が見える状態の書庫兼家に住んでいるとか。
1 本で床が埋まる
2 床が抜けてしまった人たちを探しにいく
3 本で埋め尽くされた書斎をどうするか
4 地震が起こると本は凶器になってしまうのか
5 持ち主を亡くした本はどこへ行くのか
6 自炊をめぐる逡巡
7 マンガの「館」を訪ねる[前編]
8 マンガの「館」で尋ねる[後編]
9 本を書くたびに増殖する資料の本をどうするか
10 電子化された本棚を訪ねて
11 なぜ人は書庫を作ってまで本を持ちたがるのか
12 床が抜けそうにない「自分だけの部屋」 -
幼少期から本が好きで高校時代には古本屋さんに寄って帰るのが日課だった。当然、蔵書は増え本棚に入りきらずどうしょうと思った読書家は多いと思う。
本書は2011年くらいからの状況が下書かれており、実際に床は抜けるのかとか、抜けた人の取材などから始まり、当時過渡期であった 自炊、自炊業者、KindleやiPadの使い心地などについて、省スペースの今みたいな話題になっていく。
作者のプライベートな理由から引っ越しを余儀なくされていく中で必要にかられて電子化を取り込んでいく。
本書の中でも本好きは、紙の本を好みやむを得ず電子書籍にするという傾向にあるが、本棚をカバンに入れて持ち歩けるというメリットは、多くの本を持つ読書家にこそ感じられるものだ。
2023年現在、私は9:1でKindleで読んでいる。
大事な本だけ書籍で持っていこうと思っている。
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文庫本の解説は角幡唯介さん。
「予期せぬ重たいノンフィクション」との評。
人生の底が抜けてしまった、本読みの業がここにある。 -
本で床が抜けないか?
それは、過去に我が家でも勃発した問題。
タイトルが興味深くて、読んでみたが、結論。
我が家クラスの所蔵では抜けないな。ということだろう。
(問題が勃発した時に住んでいた家からは引っ越しをして、その引越しの時に結構な本を売却したので、今はそんな問題は起きないが。ちなみに、自分の所蔵冊数が問題だったのではない。自分は、置き場所がないからと購入を辞めていた。)
本をあまりに積み上げると、その下にあるものはほぼ読まなくなる(読めなくなる)。
それって、保管をしておく必要があるのかな?と思うけど、やはり捨てようとすると躊躇するんだよな。。
本は貯まるものだから、気をつけねば。。 -
流し読み。
各所の取材はあるが全体が時系列の体験記と会話。タイトルそのものの内容は最初くらいで終わり、本と生きる人々を追う。記事自体は面白いが。
日記にせず、整理してまとまってから書いて欲しい。 -
著作です。新しい情報を加えたり、「文庫版に寄せて」を加えたり。また角幡唯介さんによる解説も加えました。
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家にでかい本棚を置きたいとおもっていたけど、この本を読んでちょっと悩んだ。
著者プロフィール
西牟田靖の作品





