戦後日記 (中公文庫 み 9-13)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (389ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122067264

作品紹介・あらすじ

「小説家の休暇」「裸体と衣裳」ほか日記形式で発表された全エッセイを年代順に初集成。時代を活写した三島による戦後史のドキュメント。索引付き。

感想・レビュー・書評

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  • 日記といっても、もちろん作家が書くものであるから公開を前提としているのだろう。前半はかなり思想的なものがあり、やや難解に感じた。中盤、新婚旅行の話がある。このあたりはおもしろい。三島の残っている映像などを見る限りでは、怖くて声などかけられないようであるが、この旅行の際にはかなりいろいろと話かけられている。それから、新築の家が建つところ、初めての子どもが産まれるところ、そのあたりのエピソードも良い。そして、「鏡子の家」800枚を書き上げていく過程。どうしても村上春樹と比較してしまうのだが、ずいぶんと生活は違うようだ。三島の場合は文壇とのつき合いや観劇などで外に出る機会がとにかく多そうだ。まあ、2人とも日頃から運動をしている点だけは似通っている。ちょっと興味深い記述を3つ引いておこう。30歳のころ。「単なる社会現象に興味のない私は、マンボ風俗なるものにも、スマート・ボールがパチンコに変わった現象にも、一切触れないで了った・・・私は「アドルフ」を読み、その足で文楽の出開帳をききに行く。時には、フランス美術展を見た足で、プロ・レスリングの試合を見に行ったり、マンボを踊って帰って、昆布の茶漬けを喰ったりしかねない。」33歳のころ。「人を退屈させることを怖れてはならぬ。・・・作家の最大の病気は、「読者を退屈させやしないか」という神経症である。小説では或る程度の退屈なしには、読者の精神を冒険に誘い込むことができないように思われる。」39歳のころ。「快晴なら1時間早く起こしてもらって日光浴をする。これが家人には全く理解できない。日光浴は健康のためであろうが、寝不足は不健康のもとである。どうして寝不足を犯してまで、日光浴をするのであるか? 私に言わせれば、健康はもとより大切だが、健康に見えるということはもっと大切だから、そうするのである。これは私のみの倫理ではなく、あの「葉隠」の根本倫理である。」「葉隠入門」も読まないといけない。それから「宴のあと」も。バルザックも。あっそれと太宰のことは本当に嫌いやったんやなあ。

  • 「小説家の休暇」「裸体と衣裳」ほか、昭和二十三年から四十二年の間日記形式で発表されたエッセイを年代順に収録。三島による戦後史のドキュメント。

  • 読者を意識した日記ということになるのだろうか。三島由紀夫の思考の一端に触れることができるがやはり難しく雰囲気理解…
    それにしても日々のインプットが半端ないと思った。日本の古典から現代文学のみならず外国文学にも造詣が深い。そしていろんなジャンルの観劇をしたり、いろんな文化人と交流したり、美味しいものたべたり体を鍛えたりとすごい密度の濃い毎日だと思った。この経験値が文筆活動に活かされているのかもしれないが常人には捌ききれないよなぁと。

  • 三島が思うままに好きなことを書く、その中身は無邪気な愛しい人間の裸体そのもの。
    深夜まで起きて執筆に専念し、昼頃に起きる、よくそんな生活できるな。
    一番驚かされたのは人気作家からは想像しづらい健康的な生活志向だった。
    俺も日光浴びないとな。

  •  昭和23年から42年の間に日記形式で発表された三島由紀夫のエッセイを年代順に採録したものです。
     特に「日記」の前半パートは、当時の小説・映画・演劇等を取り上げての芸術批評がかなりのウェイトで語られていて、この部分は、正直、私ごときには理解不能で全く歯が立たない「???」の世界でした。
     ただ、日記も後半になると、内容も通常の「エッセイ的」テイストのものが多く採録されています。このあたりにくると、三島由紀夫自身の筆による彼の日常の暮らしぶりや交友関係には “時代の寵児”としての三島の面目躍如たる姿が満載で、当時の世相も相俟ってなかなかに興味深いものがありました。

  • 文学論、文明論を打ったかと思えば、人狼のかぶりもので文学座の稽古場に乗り込んだり、サイン会で女優たちと悪態をつきあったりといった稚気を見せたり、ズボンまくりあげてフレンチカンカン踊ったり、黛敏郎や福田恒存、川端康成、丸山明宏(美輪明宏)との交友が描かれたり、たまたま入った店で力道山に出くわしたり、ハニカミながらボディビルを始めたことを明かしたり、と。人間三島の硬軟取り混ぜた多様な面が伺いしれて興味深い。野上弥生子に、あなたの小説はずいぶん愛読してるけど、何分あなた子供だから下手なところがある。わたしがお母さんならその都度教えてあげるのに、今度うちへいらっしゃい、教えてあげるから、月謝は忘れずにね、と言われてるシーンが面白かった。三島の感想は「口の悪い面白いばあさんだ」。/三島作「アラビアンナイト」「宴のあと」は読んでみたくなった。

  • 戦後の空気が読め興味深く、貴重なもの。
    ワクワクしながら、面白く読んだ。
    文が長いのには、びっくり。
    弱い動物は概して肉が美味いから、
    自分は肉がまずくなるようになるぞ
    とか

    太宰治の本読んだ時もおんなじやけど
    なんか
    子どもっぽい
    印象が否めない

  • この『戦後日記』は、三島由紀夫が遺した文章の中、“日記”という体裁で綴られ、雑誌等に掲載されたモノを文庫本向けに再編集したモノであるとのことだ。
    1925(大正14)年生まれの三島由紀夫は、年齢が「昭和〇年」と一致する。本書には昭和23年から昭和42年のエッセイが収められている。23歳の頃から42歳の頃ということになる。大学生の頃から小説作品を世に送り出し、大学卒業後は大蔵省に勤務しながら執筆等の活動をし、やがて大蔵省を退いて専業作家となって行く。本書には大蔵省に在った頃から、専業作家になって、それ以降の時期のエッセイが収められていることになる。
    この『戦後日記』に綴られた内容は、なかなかに多岐に亘っている。自身の創作や、積極的に観ていた芝居や映画に関すること、執筆の進捗、交友のこと、結婚や妻の出産、映画出演の際のこと、ボディービルや剣道に取組んでいたこと、小説『宴のあと』を巡る係争のこと等々である。読んでいると、御本人が間近に居合わせて、内容を語る肉声が聞こえて来るような気がした。活き活きした感じに圧倒されたような気もしている。
    何時の時代にも「人気作家」という存在は在るのであろうが、三島由紀夫に関しては、ぼんやりと「人気作家」という言葉を聞いて思い浮かべるような程度を大きく飛び越えた、同時代には「(想像を超える)酷く大きな存在感を滲ませた文化人」だったのだと改めて思った。
    なかなかに興味深い一冊だ。

  • 日記を読み 人となりにふれるにつけ 何故自刃したのか理解できない。

  • 昭和23年から昭和42年まで、さまざまな媒体に掲載された日記を年代順に並べた1冊。巻末に索引もついていて親切!大正14年生まれの三島の年齢は昭和と同じなので数えやすいのも助かる(大正15年が昭和元年)つまり昭和23年の三島は23才。最初の日記ではまだ作家だけでなくお役所勤め(大蔵省銀行局国民貯蓄課)しているのがなんだか変な感じ。三島も出勤とかしちゃうんだ的な。すぐに辞めてしまうので、あとは作家活動に専念。

    日記といっても読まれること前提に文芸誌に発表されているものなので、日常的な話題よりむしろ文学論や文学評、映画や劇評(現代劇だけでなく歌舞伎や古典芸能も)演劇論、俳優論、音楽論に、葉隠論から男色論、SM論まで、ちょっとしたエッセイとして読める部分が多くとても面白かった。

    作家の日常というのも野次馬的に興味津々で、交流関係や(仲良しは鉢の木会のメンバーと、川端康成や石原慎太郎、丸山明宏=美輪さまなど。余談ながら鉢の木会の吉田健一は言わずと知れた薩摩の大久保利通の曾孫で、三島のほうは幕府の重臣・永井尚志の玄孫だということを思い合せると、幕末オタク的には仲良しなのも仲違いするのも、なんだか因縁めいていて不思議なきもち。)文学関係者のみならず、映画や演劇関係の交流もあり自身も映画に出演したりしていたせいかマスコミに追い掛け回されたり一般人にも絡まれたり、気の毒な面もあるけれど派手好みの三島らしい私生活。

    反面、結婚したときは照れくさいのかキェルケゴールを引用してきて屁理屈こねまくったりして(「結婚したまえ、君はそれを悔いるだろう。結婚しないでいたまえ、やっぱり君は悔いるだろう」 )大袈裟で笑っちゃうし、子供の誕生には意外にも普通にテンションあがりまくって良いパパだったりして、微笑ましい反面、そういう普通の家庭人として妻子のことを考えればああいう死に方を思いとどまるという選択肢はなかったのだろうかとふと考えると切なくもなる。

    とっくに死んでる太宰治のことが嫌いでしょっちゅう悪口を挟んでくるのはいっそ笑ってしまった。作品ではなく顔が嫌いだとか(「女と心中したりする小説家は、もう少し厳粛な風貌をしていなければならない」)太宰の惰弱な人間性を批判している(「太宰のもっていた性格的欠陥は、少なくともその半分が、冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治される筈だった。生活で解決すべきことに芸術を煩わしてはならないのだ」)のがマッチョな三島らしい。

    マッチョらしく、どこへ行ってもプールで泳ぎ、ジムに通ってバーベルを持ち上げ、剣道にいそしむ三島は、強靭な肉体を手に入れたことで「死について考えることに対する、いわれのない軽蔑が生じた」と書く。つまりその「死への軽蔑」が「太宰への軽蔑」と直結しているのだろう。自嘲を自己欺瞞を呼び、他人に媚びることを良しとしない三島は「他人が私を見てユーモラスだと思うような場合に、他人の判断に私を売ってはならぬ」とも書いており、こういう部分も自らを「道化」化していた太宰と相いれなかったのかもしれないし、むしろ似ている、過去の自分を見ているようで不快だっただけかもしれない。

    太宰は何度か自殺に失敗しているけれど、失敗しているというのはつまり「死ぬかもしれないし、死なないかもしれない」という若干の生存の可能性を試したような側面も垣間見えて、そういうところもきっと三島からは意気地がないように見えたんだろうなと思う。三島は「確実に」死ぬ気でああいう最期を迎えたのだろうし、その覚悟には、自分は太宰みたいになりたくない、という気持ちがあったのかもしれない・・・なんて、気付いたら三島と太宰の死に方を比べていろいろ考えてしまった。

    ※収録
    そぞろ歩き――作家の日記(昭和23年6月)/某月某日(昭和23年10月)/作家の日記(昭和25年1月)/退屈な新年――新春雑記(昭和29年1月)/作家の日記(昭和30年4~5月)/小説家の休暇(昭和30年6~8月)/裸体と衣裳――日記(昭和33年2月~34年6月)/ある日私は(昭和35年8月)/日記(昭和36年4月)/週間日記(昭和39年5月)/ありがたきかな“友人”(昭和39年9月)/日記(昭和40年11月)/プライバシー裁判の和解前後――週間日記(昭和41年11月)/日録(昭和42年1月)/索引

  • 先月まで『百鬼園戦後日記』全3巻を刊行していた中公文庫、次の戦後日記シリーズ(なのか?)は三島由紀夫。
    本書の中ではけっこうストレートに心情を吐露していると感じられる。この当時はまだ、吉田健一との仲は拗れていなかったんだなぁ……(まぁこの2人、作品を読んだら解るが、どう足掻いても気が合いそうには見えないので、拗れなくてもそのうち疎遠になってしまいそうではある)。
    本書からは後に『市ヶ谷で壮絶な死を遂げる三島由紀夫』のイメージは無く、ごく普通に生きている1人の人間の姿が浮かんで来る。結婚や第一子の誕生といった大きなイベントは取り敢えず置いておくと、熱心に原稿を書き(百鬼園先生とはえらい違いだw)、芝居を見、剣道やボディビルに通う。言うなれば普通の日常だろう。
    ……ふと、『その死は事故による』という書き出しを思い出した。

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著者プロフィール

本名平岡公威。東京四谷生まれ。学習院中等科在学中、〈三島由紀夫〉のペンネームで「花ざかりの森」を書き、早熟の才をうたわれる。東大法科を経て大蔵省に入るが、まもなく退職。『仮面の告白』によって文壇の地位を確立。以後、『愛の渇き』『金閣寺』『潮騒』『憂国』『豊饒の海』など、次々話題作を発表、たえずジャーナリズムの渦中にあった。ちくま文庫に『三島由紀夫レター教室』『命売ります』『肉体の学校』『反貞女大学』『恋の都』『私の遍歴時代』『文化防衛論』『三島由紀夫の美学講座』などがある。

「1998年 『命売ります』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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