玉藻の前 (中公文庫 (お78-8))

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122067332

作品紹介・あらすじ

「お前はそれほどにわたしが恋しいか。人間を捨てゝもわたしと一緒に棲みたいか」

「おゝ、一緒に棲むところあれば、魔道へでも地獄へも屹とゆく」



岡本綺堂の稀少な長編小説で、「婦人公論」に連載された。世紀末のファムファタールを思わせる金毛九尾の妖狐と若き陰陽師との悲恋は、人形劇やコミックの原作になるなど人気が高い。

「殺生石伝説」を下敷きに、時代は平安朝。妖狐に憑かれ国を惑わす美女になった娘と、幼なじみの若き陰陽師、権力に憑かれた殿上人や怪僧らが活躍する。付録として同じく妖狐が登場する短篇「狐武者」を収載。

感想・レビュー・書評

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  • 『怪獣』で岡本綺堂読物集は最終巻というのでしょんぼりしていたら、なんと今度は長編が同じく中公文庫から!しかも同じく山本タカト表紙絵で!そういうことならそうと言ってよ中公文庫さんたら~(笑顔)というわけで『玉藻の前』、大正6年に連載された、妖狐(九尾の狐)と「殺生石」にまつわる伝説をふまえた伝奇ロマンとなっております。

    舞台は平安時代末期の京都。狐を射損ねたせいで左遷された病身の父と山科で暮らす14才の美少女・藻(みくず)は、父の病気快癒祈願のため毎晩清水の観音様にお詣りにいく。そんな彼女に付き添ってくれるのは近所に住む美少年で、両親を亡くし叔父夫婦に引き取られた15才の千枝松(ちえまつ、愛称ちえま)。仲睦まじい二人だったが、ある晩たまたま一人で出かけた藻の行方が知れなくなり、千枝松がようやく見つけたとき彼女は妖しい噂のある森の中で髑髏を枕に眠っていた。その日から藻は別人のようになり・・・。

    ベースの部分は有名な伝説そのまま。『封神演義』に登場する美女・妲己にも憑りついていた九尾の狐が、天竺の華陽夫人に転生、さらにその後日本へやってきて玉藻の前に乗り移り、鳥羽上皇(綺堂はこの鳥羽上皇を時の関白・藤原忠通に変えている)に取り入り悪さをするが、退治されて石化する。しかしその石に近づくと動物も人間も死んでしまうことから「殺生石」と呼ばれた。

    さて九尾の狐に憑りつかれてしまった藻は、関白・藤原忠通の寵愛を恣にして、忠通の弟である左大臣・頼長や信西入道らと対立させるよう仕向ける。さらにその妖艶な魅力で法性寺の高名な阿闍梨まで虜にして狂わせ、言い寄る男どもを手玉に取って互いに殺し合わせるなど悪女ぶりを発揮。

    一方、千枝松はかの有名な陰陽師・安倍晴明の子孫である安倍泰親に弟子入りし、千枝太郎泰清という名前をもらって可愛がられていたが、玉藻の前となった藻と再会、彼女が妖かしであることを見破った師匠と、藻への変わらぬ恋心の板挟みに苦しむ。妖女・玉藻の前も、幼馴染で初恋の千枝松に対してだけは、まだ藻だった頃の恋心が残っているようで、懸命に彼を誘惑しようとしたり、衣笠という女性に嫉妬したりする。ついに玉藻の正体に気づいた安倍泰親により玉藻は退治され・・・。

    千枝松と藻のラブストーリーの側面で見ると、かなり可哀想。しかしここまでいくといっそ痛快な玉藻の悪女っぷりに比べて、千枝松のほうは若干優柔不断だったりするので(別の女に目移りしたりするし)ちょっとイラっとする。千枝松の叔父の「烏帽子折」という職業が初耳で面白かった。おしゃれな形に烏帽子を折ってあげるお仕事なんですよ。烏帽子の折り方にそんなバリエーションがあったなんて!

    狐つながりで短編「狐武者」も収録(別の短編集で既読)

  • 表題作は、岡本綺堂、大正6年発表の長編伝奇小説。中公文庫版はこれに加え、付録として短編「狐武者」を収録。

    玉藻前(たまものまえ)伝説というものがある。
    玉藻は鳥羽上皇の寵姫であったとされる。妖艶な美しさに加え、和歌などの才にも長け、女官から徐々に出世していく。だがそれにつれて上皇は病に伏せるようになり、医師らも治すことはできなかった。原因を突き止めたのが陰陽師の安倍泰親(安倍清明の数代後の子孫)である。上皇の不調は玉藻の前の仕業であり、さらにはその正体は、金の毛、九つの尾を持つ妖怪狐であると見抜く。泰親の祈祷により、狐は姿を現して那須へと逃げる。討伐隊が差し向けられ、狐はついにうち滅ぼされる。だがその恨みは深く、毒を放つ石、殺生石に姿を変え、なおも人々を苦しめた。百余年の後に高僧の一喝が石を砕くまで、狐の祟りは続いたという。なお、この妖狐は古く、天竺や唐でも妖術を使っていたという伝説もある。
    一説には、玉藻のモデルは、摂関家の後ろ盾がないにもかかわらず権勢を誇り、のちの保元の乱・平治の乱の陰でも暗躍したとされる、美福門院(藤原得子)とも言われる。

    綺堂の本作は、この伝説をベースとしながら、玉藻の前の幼き日の淡い恋も交えている。また、玉藻が取り入るのは、上皇ではなく、時の関白、藤原忠通である点も元の伝説とは少々異なる。

    山科で、病の父を抱えて貧しい生活を送る娘、藻(みくず)。父は元々、北面の武士であったが、勅勘をこうむり、役を解かれていた。貧しい中でも、藻は姿美しく、心根も優しい少女に育っていた。
    烏帽子折の家に生まれた少年、千枝松は、藻より1つ年上だった。2人はいつも仲良く遊び、ほかの子供らにからかわれるほどだった。
    藻は父の病が癒えるよう、観音詣りをしていたが、あるときその途上で行方知れずとなる。千枝松が必死に探すと、古い塚の下に、1つの髑髏を枕に眠る藻の姿があった。ともに探してくれた老人は「野良狐の悪戯」でかどわかされたと言った。その夜、千枝松は不思議な夢を見る。天竺と唐で、妖しの美女が残虐非道な行いにふけるのだが、その顔は藻にそっくりなのだった。
    やがて藻は都に出て、歌の会で出された「独寝の別れ」の題で、秀でた歌を詠んだことをきっかけに、関白に取り立てられるようになっていく。
    一方の千枝松は、陰陽師の安倍泰親と出会い、その弟子になる。
    時を経て、2人は再会するのだが、さて、幼い恋の顛末やいかに。

    旧仮名遣いや見慣れぬ漢語も混じるが、全般に振り仮名も丁寧で、さほど引っかからずすらすらと読める。
    妖怪譚であるが、じめつき過ぎぬ、品のよい怖さである。

    九尾の狐が取り憑いた藻だが、綺堂は明らかに狐の姿としては描かない。妖狐伝説によっては、狐が成り代わる相手の血を吸い尽くしてその体内に入るといった生々しい描写のものもあるのだが、綺堂はさらりと髑髏と眠っている姿でそれを暗示する。体が光る、水草を頭にかぶるなど、狐と関連付けられる事柄はあれど、玉藻がはっきり狐の姿に変化するわけではない。だが阿闍梨が誑かされて狂ってしまったり、女童や宿直の侍が食い殺されたりといったことが起こるあたり、やはり只者ではないのである。

    長じて千枝太郎と呼ばれるようになった千枝松と、藻の玉藻は再会する。
    片や、妖しを調伏する陰陽師の弟子。片や、国を傾ける妖狐。
    そんな中でも千枝松に会いたがる玉藻だが、それは陰陽師の術をかいくぐるための手練手管でしかなかったのか、それともそこにはいくばくか、筒井筒の純粋な恋への懐かしさがあったのか。
    であるならば、玉藻の現身の中には、狐の霊とせめぎ合う、元の藻の魂もいくらかは残っていたのか。それとも藻は生まれつき狐つきであり、狐の心で千枝松と純真な恋を育んでいたのか。

    千枝松の心は、師匠と昔の恋人の間で揺れ動く。あれは妖しのものだと言われればそうかなと思い、玉藻に昔のよしみでゆっくり会いたいと言われればふらりとする。おいおい、あんたも大概はっきりせぇよ、と途中はイライラもするのだが、書かれた大正初期が、師と愛しい人の間で引き裂かれた『婦系図』(泉鏡花)の時代からはさして遠くなかったことを思えば、無理もないのかもしれない。
    終盤で、殺生石の地を訪れる千枝太郎の姿はしみじみと悲しい。

    併録の「狐武者」は狐と関わりがある侍の話。こちらの狐は祟らず、陰に日に侍を助けてくれる。
    綺堂は狐に関心が深かったようである。

    文中の挿絵は、初版刊行時の井川洗厓のもの。表紙絵と口絵は山本タカトの描き下ろし。
    末尾の解題も読みごたえがあり、おもしろい。



    *ふと思ったのですが、そういえばそもそも、安倍晴明の母が狐という伝説もありましたよね。葛葉、信田の狐。えーと、そうすると、この話は、葛葉の子孫が金毛九尾の狐に勝った、という話なのでしょうか(^^;)。結局、勝ったのはどっちみち狐なのかよ!?的な(いや、多分違うw)

    *この手の話は狐が似合いますね。同じ化けるのでも狸だとなかなか妖艶なイメージにはなりません。

  • 渇仰随喜(かつごうずいき)

    魂を蕩かす(とろかす)

    顔容(がんよう)

    容貌(きりょう)

    屹(きつ)と引き受けて

    豊かな頬の肉を舐(ねぶ)った

    洛中洛外(らくちゅうらくがい)

    妖麗(ようれい)

  • 九尾の狐、玉藻の前伝説と平安時代末期の藤原氏の身内争いを上手く結びつけている。千代松との恋愛を絡めたところは物語の単なる妖異さだけてはなく、悲哀さを加え、物語としての話の厚みを増す。
    最後に、石の中で2人は穏やかに過ごせたのであろうか。

  • 殺生石、合唱曲か何かで知って、ずっと玉藻の前の話を読んでみたいと思っていた。
    これは千枝太郎との幼き日の純愛もつぼポイントで、藻から玉藻の前として少女から妖麗な大人に変じた後も、ことあるごとに立ち返ることとなる。

    玉藻の前は、読んでても怖くなるくらいの妖しの術の使い手で、身から光を放ったり御者のいない牛車で夜中に歩き回ったりと怪しい行動は枚挙にいとまがない。
    しかも男同士を争わせたりと、悪女の面目躍如である。
    正体がばれれば必ず容赦なく殺すところも悪女の鑑。
    それなのに、千枝太郎だけは手にかけないというあたりがまたいじらしい。
    玉藻については、うわぁ、怖ってだけじゃなく、冒頭の藻時代も知っているから、どこか少女の純愛を最後まで感じ取ってしまった。
    しゃれこうべを頭にのせて北斗七星に向かって踊るというのは、狐から妖狐になるための方法としてあるらしく(安斎随筆『和漢三才図会』38巻に記述あり。人間になりたくてしゃれこうべ頭にのせて100回踊る狐を想像すると、絵はシュールなのにいじらしくてどうにも可愛らしく思えてくる)、そこ(安斎随筆かはわからないが、そんな通説)を踏まえているのがさすが。

    千枝太郎については、あやかしつきのくせに陰陽師に助けられて弟子になるという、まさにロミジュリ。
    妖麗よりも淡麗な三浦の娘に浮気してみたり、弟子としても玉藻への思いがぬぐえなくて失敗して勘当されたり、烏帽子折りになっても働いてるんだかなんだか、まあうだつが上がらない男よのぅと思っていたが、最後には、玉藻を倒す祈祷で成果をあげて陰陽師の不肖の弟子の汚名を雪ぎ、その上で、千枝松の想いを成就させようと玉藻を探しに那須野へ下る。
    この最後のけりの付け方は、見事としか言いようがない。
    ここに来て、ようやく二人は人ならざる者の世界で一緒になることができたのである。
    今まで口説くようなことをいっていた玉藻も、詰りながらも初めて、千枝太郎の確たる意思を受けて己が世界に招じ入れるという慎ましさ。
    しかも、ラスト一文。
    玉藻を討った頼長には悲劇の道が、寵愛した関白は剃髪、など、それなりに復讐がなされているにも関わらず、陰陽師が子孫繁栄って、これ千枝太郎が口を利いたとしか思えないような、南だ二人仲良くやってるじゃんと、那須野の奇岩に二人の面影が見えるようで、うん、いい話だった、と、作者のこの物語への愛情と手腕に感服して読み終えることができた。

    解説によると、高井蘭山の『絵本三国妖婦伝』が下敷になっているようだが、千枝太郎の存在が追加されたことで、妖婦がどこか憎めない少女として、ただ怖いだけのあやかしではなく、ぐっと人間らしさを帯びて見えたのは、岡本綺堂のなせる技だと思う。

    岡本綺堂、初読みでしたが、意外にすらすら読めて時代がかった言い回しも雰囲気が出ていて好きでした。

    和歌もきれいなものだと思っていて、よく読むなぁ等と思っていたら、解説によるとこれは下敷から持ってきたものだとか。
    でも、歌もきれいにはまっているから、宮廷らしい華やかさがみてとれた。

    「狐武者」もこれまた好きな物語。
    白狐のいじらしさがいい。
    女狐って、惚れた男には本当に義理堅いのね。

    解説、長かったけど、隅々までよく調べていて解説者としての仕事をよくやってるな、解説って本来これくらい下調べした上で書くものだよな、等と感嘆し、最後の一文が狐に結ばれて、見事、いい仕事してる!と思ったら、さすがの名誉教授でした。
    その辺の感想文とは訳が違いました。

    表紙にひかれ、玉藻の前の物語読んでみたかった!!と本を買って、外出時などは青空文庫で読みながら、するすると読み終わることができました。
    なんにせよ、読みやすいのに雰囲気のある文章と登場人物たちが魅力的でした。
    ごちそうさまでした。

  • 一目見て、これが面白くないわけないと確信して購入。中公文庫の岡本綺堂、カバーの質感と装画がすごく好き。するする読める巧みな語り、怪奇趣味に山本タカト。大成功だと思う。
    『BEAST OF EAST』の影響もあって、脳内イメージは山本タカトと本文挿絵の井川新涯と山田章博が乱舞。贅沢すぎる。
    読物集は全7巻完結。欠けてる巻もそろえたい。

    岡本綺堂の手になる玉藻の前伝説。江戸時代の読本『絵本三国妖婦伝』を下敷きに、玉藻の前の前身・藻の幼馴染だという青年を投入して描く妖異と恋の物語。
    大部分はすでになんとなく知っている玉藻の前伝説の通り。そこに藻と近しい人物を加えるだけで、こんなにも語りが厚くなるのかと、まず嬉しい驚きがある。病身の父と暮らす彼女を案じていて、将来は一緒に……なんて淡い気持ちを互いになんとなく了解していると思っている。それが離別と玉藻の前の出現や再会を通して、疑心に揺らぎながら通奏低音みたいに物語全体を貫いていくのだからたまらなかった。思い切らなければいけないのにそうできない千枝松の姿に、ああこれは、と思って、その終着には納得するばかり。これは妖異と恋の物語。
    国を魔道に堕とす望みのために彼を振り捨てながら、再会後はやさしく湿っぽい態度をとる玉藻の前がまたすごかった。しかもだんだん執心もあらわになっていく。邪悪な狐がとってかわっているのに、その前身は藻であるからして、こちらも恋には違いないんだなと思うしかない。悪女なのに一途とは……。

    玉藻の前でありつつ鳥羽院のところまで到達しないのは、ひとえにこの千枝松がいるという都合なのかも。
    さすがに宮仕えとなったら、このふたりが接触できなくなりそうだから?

  • 「殺生石伝説」を下敷きにした長編伝奇小説。平安朝、金毛九尾の妖狐に憑かれた美少女と、幼なじみの陰陽師の悲恋。短篇「狐武者」を収載。〈解題〉千葉俊二

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著者プロフィール

(おかもと・きどう)1872~1939
東京生まれ。幼少時から父に漢詩を、叔父に英語を学ぶ。中学卒業後、新聞、雑誌の記者として働きながら戯曲の執筆を始め、1902年、岡鬼太郎と合作した『金鯱噂高浪(こがねのしゃちほこうわさのたかなみ)』が初の上演作品となる。1911年、二代目市川左團次のために書いた『修禅寺物語』が出世作となり、以降、『鳥辺山心中』、『番町皿屋敷』など左團次のために七十数篇の戯曲を執筆する。1917年、捕物帳の嚆矢となる「半七捕物帳」を発表、1937年まで68作を書き継ぐ人気シリーズとなる。怪談にも造詣が深く、連作集『三浦老人昔話』、『青蛙堂鬼談』などは、類型を脱した新時代の怪談として評価も高い。

「2022年 『小説集 徳川家康』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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