女と文明 (中公文庫 う15-15)

  • 中央公論新社 (2020年6月24日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (272ページ) / ISBN・EAN: 9784122068957

作品紹介・あらすじ

「男と女の、社会的な同質化現象はさけがたい」――今や当たり前にも思えることを六十年前に民族学者の立場から徹底的に論じた梅棹忠夫。発表するや賛否両論の大反響を巻き起こした「妻無用論」「母という名のきり札」を含む慧眼の書。酒井順子氏推薦。〈解説〉上野千鶴子

みんなの感想まとめ

女性の社会における役割や生産性について、約60年前に鋭い洞察を示した本書は、時代を超えて多くの読者に影響を与えています。特に「妻無用論」や「母という名のきり札」では、家事の効率化と女性の社会進出がテー...

感想・レビュー・書評

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  • 文庫本が出ていたので、こちらにお引越しした。梅棹先生の本はもっと文庫で復刊してほしい。

    正月休みにブックオフのネット版をさがしてみたら、あるわあるわ。長年ほしかったものが簡単に手に入ってしまった。ちょっと買いすぎてしまったが。そして、やっと読めました。一番読みたかった梅棹先生の「妻無用論」。上野千鶴子あたりが書いていて、早く読まないとと思っていた論文。だいたいの想像はついていたけれど、やはりすごい。本書自体は30年前に出版されているが、もとの論文は60年前のもの。どうしてここまで先を読んで書けるのか。当時ですらすでに家電製品が家庭に入り、家事労働が相当に軽減されている。そんななか専業主婦の必要性はどんどん減っていく。いやあ、それはもっと後の話ではないのか。家事が楽になることで、専門性を上げていって、もっと凝った料理をしてみたり、むだに時間をかけるようになっていく。主婦の家事と役人の事務は同じだと言い切る。要は無駄なことが多すぎるのだ。やらなくていいことをやっている。もっとそぎ落としても何の問題もないのに、自分の仕事を確保するために、重箱のすみをつつくようなこまかい仕事をふやしていく。四角い部屋は丸くはけばよい。まったくいまの我が家。もう必要最低限に家事の量は減らしている。そうしないと成り立たない。女性が社会に進出していったからだ。工業社会から情報社会への移行、そのなかでの女性の社会進出。家庭に閉じ込められていた女性のエネルギーを社会に出していく。そのとき、男はどうするのか。子育ても家事もどんどんすればよい。もっと男も生産から消費にまわればいい。まあ、こんなような話を半世紀も前にしているとは、さすが梅棹忠夫としか言いようがない。さて、AIが人の仕事をうばっていくといわれるが、コンピュータが導入されて仕事が大幅に軽減されると思われていたものが、増える一方。結局できることが増えるといままではしていなかったむだなことをするようになって、仕事量は減るどころか増えている。いろんなことを外注して、業務削減をしているはずなのに、いっこうに楽にならない。これは人間の性なのかもしれない。これは絶対文庫で復刊するべきだ! 中公文庫さんよろしく!  

    そして、文庫にしてくれて、ありがとう!

  • 母方の祖母は昭和初期生まれで「全自動洗濯機は汚れが落ちない」といつまでも二層式の洗濯機を使っていました。しかもシャツの衿などは洗濯板での部分洗いが必須。乾燥機の導入など提案即却下です。そして「毎日の洗濯、物干し、アイロンがけ…きつい。つらい。手がボロボロ。」といつも愚痴をこぼしていました。
    それではと母が洗濯をすれば「洗い方が雑」「干し方が雑」「アイロンが雑」と文句をつけます。必ず「あの子はガサツだから」と人格否定コミでです。
    炊事もそうです。「手伝われると却って手間が増える」と言われ、台所の主導権を渡そうとはしませんでした。
    綺麗に整えられた服や料理はとても有り難かったのですが、祖母の不機嫌に家族が支配されていました。
    私はこの本を読んで祖母を思い出しました。

    しかし、誰しもが感じていることでしょうけど「女性が家事労働を発明することで自らの存在意義を主張している」だけが原因ではないと思うのです。
    つい最近、新聞の特集記事で夫からのモラハラ事例「料理が冷めていたり出来合いだったりすると罵倒される」等を読み、結婚とは人生の墓場なんだとの確信を深めました。国民皆保険で想定されているモデルケースは「サラリーマンの夫と専業主婦の妻」です。それぞれ時代はバラバラですが、女も男も子供も行政も、みんなが共犯なんじゃないのだろうか。
    174、175ページあたりの「家事がどんなにしんどいものかを理解させるのではなく、家事というのはいかに馬鹿げたことか、いかに家事をせずに済ますのかを家族に理解させる」というのが私にとっての本書の最重要ポイントです。巷にあふれる家事ハウツーや「芸能人主婦vs芸能人夫!」みたいな対立煽り番組なんかよりも結婚が人生の墓場たりうる諸問題の突破口なんじゃないかと思うのです。
    若い父親が街頭インタビューで「唐揚げは手抜き料理」と言って炎上していましたが、「唐揚げとか揚げ物は家でするものじゃないですよね。買ったりお店で食べたりするものです。」となる日は来るのでしょうか。

    因みにわたしは満員電車での通勤が大っ嫌いなので238ページ「男の自衛と選手交代」以降には大いに膝を打ちました。
    踏ん張って耐える通勤電車など、女性が物理的・生理的に耐えられないハードルは男の最後の切り札なのかもしれない、それらは情報産業の時代が進むにつれて問題にならなくなるであろう、というものです。
    首都圏からの本社機能の移転やリモートワークの拡大、あと“働き方改革”が進み、男性が自衛をしようにも外堀が埋められていつの間にか最後の砦は陥落し男女は同質になっていた!…ってなるといいですね。そのころは私はもう労働力人口ではないかもしれません。

  • どうもこの年末年始は本のあたり年で、この本もおったまげた。約60年前にこんな話がされていたなんて…。

    妻無用論
    家電が普及する前の家事は、洗濯も掃除も料理も、妻が1日がかりでするようなハードさだったが、家電ができ、外食ができるようになり…家事という名の業務量は大幅に減らすことができている。それでも妻は、存在意義を示すためにわざわざ家事を難しくして仕事を増やしている…

    母という名の切り札
    暇になった妻は、その時間を子育てに使うようになった。子育てに時間をかけるあまり、本来の自分自身の人生を見失いつつある…。

    とにかく忠夫は、女の社会における生産性の低さに厳しい。もう情報社会なんだから、男も女も能力差はない。夫を介してではなく、妻自身が社会と直接関わって…という話に、厳しさ&愛情を感じた。

    ご指摘はほんと真っ当。ここまで見抜かれていたとはな、なんて思うんだけど、でもよ、変わるべきは女だけなんでしょうか。こういっちゃなんだが、男の立ち位置ってほんと変わらないよね。そこは据え置きで妻だけが変わればいいって問題じゃない気がする。

    女だって妻不要だって気づき始めている。そう気づいた時には子供がいたり、家庭の役割が固定化されていたりで身動きがとれなくなっている場合も多い気がする。

    妻の存在意義を作るために、妻自身に不要な家事させているとすると、それはほんとに妻が悪いんか?やれ男の甲斐性だ、扶養控除だなどと、舞台装置を作った奴も共犯やろが。ほんでもってそれは男の仕業やろが、と思うと根深い問題。忠夫にはそこも切り込んでほしかったなぁ

    さて、これを読んで私、息子には、イキイキ働いている母の背中を見せるしかないと思った。そうやって、社会で生きている母の姿を焼きつけてくしかない。私もそんな母を見て今の私の価値観があると思うから。そんな息子や娘達が増えていってくれますように

  • 梅棹先生、流石です‼️
    半世紀以上前に女性の生き方について、こんなに的確な論考をしていたとは…。未来の予見もほぼ当たり。この半世紀の間に男女の関係はほぼ逆転しました。この先がどうなっていくのか、梅棹先生に伺いたいです。

  • 梅棹先生、万歳!
    時代は妻不要というより、夫不要の流れ。

    なぜかと言えば、これだけ簡略化された家事すらもできない男が多いから。
    そして、伝統と専業主婦たちによって無駄に高度化された家事を、男は引き継げないから。(例えば、ハロウィーン・クリスマス・おせち料理の段取りとか、きちんとやれる&やろうとする男なんか、ほとんどいないだろうなぁ。。)
    女性たちは、知的産業の中で女性活躍の追い風の中で働き安定収入を得つつ、こまごまとした暮らしの機微を楽しむ。

    タイトルこそ過激ではあるけれど、文体は実際のとげはなく、批判的でもなく、どこまでも世界の家庭を見てきた学者視点と、商家で育った経験からの、ニュートラルかつ発展的なコメント。梅棹先生は女性たちを応援しているように聞こえる。

  • 誰にでもおすすめしたい、というか、酒場に持っていってこの話題で2時間飲めるんじゃないか。

    家事、結婚、育児は比較的誰でも参加しやすく物申しやすいトピックだからこそ「燃えやすい」。当時は投書欄が「燃えた」らしいが(時代を感じる)たしかに専業主婦がスタンダードの時代にあって、この内容は「自分の仕事を否定された」と読者が感じたのも頷ける。

    家事だって仕事のように効率化して仕事を減らせ、などの話は、令和の兼業主婦にとっては当然のことだし、読んでいてなんら変には思わなかった。

  • かつて主婦論争というものがあった。
    本書の著者梅棹氏自身は、当時自らが論争の当事者との意識はなかったようであるが、今から60年以上前に、「妻無用論」、「母という名のきり札」という刺激的なタイトルの論説を次々と発表したのであるから、賛否分かれるものだったことは推察できる。

    家事や育児を外部化するためには一定の収入が必要であり、女性も職を持って社会参加すべきということになるのだろうが、就労環境も一周廻った感もする。フェミニズムを経た現在の時点で、また、家庭の在り方や結婚、子育てを巡る環境が大きく変化した現状を踏まえて本書をどう読むか、興味深く思う。

  • 最初に出てくる昭和の主婦、完全に父方のおばあちゃん
    梅棹先生はみんぱくの元館長で、ミュージアム論みたいなことも論じているけど、根本的にモノやヒトの機能や役割を考える姿勢は一貫しているんだなあとおもう。

  • 私は料理するけれど、揚げ物は絶対家でやらない。家事について合理化をしようとしても、家族の女陣営が阻んでくるから推し進めにくい。いらないものは捨てたらええのに~❣️

  • ふむ

  • 雇用機会均等法が施行された頃に、梅棹さんの予言したような世の中に法律だけでなく実態が移行していたら、失われた20年にはならなかったように思いました。逆に、このままでは、日本は、危ないのではと。

  • 《ひとつの台所に、ふたりの主婦がはいれなかったように、ひとつの家庭にふたりの主権者ははいることはできない。主権者はつねに、ただひとりでなければならない。すると、家庭というものは、男と女との、主権あらそいの場になってしまうが、どうだろうか。わたしは、やはりそうなるほかないとおもう。そして、そのあらそいをさけようとするなら、人間は、もはやこのほこるべき伝統にかがやく一夫一妻的家族を解消するほかない。完全な男女同権へのつよい傾向は、必然的にわたしたちをそこへみちびいてゆくだろう。》(p.33-34)

    《女は「母」で勝負する。しかしながら、男の立場からいうと、こんなつまらない勝負はない。オール・マイティーの札をもっているのだから、女がかつにきまっている。ばかばかしくて相手にもなれない。まともに、対等に相手になれるゲームをさがそうではないか。
     母性愛のうつくしさとかなんとかいっておだてるひとがあるものだから、つい、それでもよいような気になるが、一個の人間であるところの女が「母」で勝負しなければならないということは、やはりたいへん非人間的なことのようにわたしはおもう。男も、ふつうは夫であり、父である。しかし、男は「父」で勝負しようなどとはけっしておもわないし、必要もない。
     現代の女性に対して、せめて男が父である程度の母であってほしいとねがうのは、むりであろうか。現代の家庭の男は、あまりにも「父」でなさすぎるかもしれない。しかし、現代の家庭の女は、おおむねあまりにも「母」でありすぎるようにおもうのである。母という名の城壁のなかから、一個の生きた人間としての女をすくいだすには、いったいどうしたらよいだろうか。》(p.127-128)

  • 半世紀以上前に発表するや賛否両論の大反響を巻き起こした「妻無用論」「母という名のきり札」。先見的な女性論、家庭論を収録。〈解説〉上野千鶴子

  • "知的生産の技術"で家庭を語るとかなりカッコ悪い。女性(だけ)に説教するおじさんみたいで。文明の進歩で男女は社会的に同質化するって言ってるだけなのに。

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著者プロフィール

1920年、京都府生まれ。民族学、比較文明学。理学博士。京都大学人文科学研究所教授を経て、国立民族学博物館の初代館長に。文化勲章受章。『文明の生態史観』『情報の文明学』『知的生産の技術』など著書多数。

「2023年 『ゴビ砂漠探検記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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