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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784122070288
作品紹介・あらすじ
師の臨終に立ち会い号泣し、奇禍に倒れた友の事故の様子を丹念に取材し記し、幽霊でも良いから夢に出てこいと弟子へ呼びかける。夏目漱石、芥川龍之介、鈴木三重吉ら一門の文学者から、親友宮城道雄、教え子、飼い猫クルツまで。その死を嘆き、哀惜をこめて思い出を綴る追悼文集。 〈解説〉森まゆみ
(目次より)
Ⅰ
漱石先生臨終記/湖南の扇/亀鳴くや/花袋追慕/花袋忌の雨/寺田寅彦博士/御冥福を祈る/鈴木三重吉氏の事/四谷左門町/酒徒太宰治に手向く/黒い緋鯉/草平さんの幽霊/青葉しげれる/薤露蒿里の歌/舞台の幽霊/追悼句集
Ⅱ
朝雨/「臨時停車」より/東海道刈谷駅/「つはぶきの花」/宮城会演奏プログラム口上一束/ピールカマンチヤン/「新残夢三昧」より
Ⅲ
鷄蘇仏/破軍星/空中分解/アヂンコート/片山敏彦君
解説 森まゆみ
みんなの感想まとめ
本書は、著者が敬愛する師や友人たちへの追悼の思いを綴った文集です。特に、夏目漱石や芥川龍之介、宮城道雄といった文学者たちとの思い出や、彼らの死に対する深い悲しみが描かれています。漱石の臨終に立ち会った...
感想・レビュー・書評
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副題のとおり、百閒の追悼に関する文章をまとめて一冊としたもの。
師、漱石についての文から始まる。岡山の中学校時代、満州に漱石が旅行するとの記事を見て、汽車に乗車している姿を一目見ようと駅に出かけた話から、初めて会いに病院に訪問したときのこと、また金を貸してもらうよう依頼に旅先の湯河原まで行った話が綴られつつ、臨終の時の様子が描かれる。全体を通して、漱石への畏敬の念が窺われる。
友人であった芥川との思い出、投稿していた博文館「文章世界」の選者であった花袋との快気祝いでの邂逅、その他漱石山房先輩格の三重吉や、海軍機関学校同僚だった豊島与志雄との思い出が語られる。
しかし、本書の圧巻はやはり、不慮の事故でなくなった宮城道雄に対する文章である。通夜にも葬いにも行くことの出来なかったその心情。やっと2年後に、現場の東海道刈谷駅の供養塔の前にいる百閒。そこに至るまでに行こうか行くまいかと度々逡巡する思いが切ない。
こうしてまとまって追悼の文章を読むと、敬愛や愛情を抱いた人たちへの百閒の真摯な思いが、ジワジワと胸に沁みてくる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「なぜ死んだ。馬鹿」
自らの落ち度で命を落とした訳ではない故人に手向ける言葉ではない。しかしその言葉を吐かずにはいられないほど動揺し、悲しんだ百閒先生の故人への深い愛を感じる言葉でもある。
その他にも百閒先生らしい追悼文が並ぶが、中でも親しい間柄であった宮城道雄氏を悼む文章は、百閒先生の痛みが伝わって来て切ない。 -
冥途や東京日記などの不思議な小説で好きになり、鉄道と借金の愉快なエッセイで笑って、そして漱石先生臨終記でぼろぼろに泣いて、この人は天才だと思った。
そんな百閒先生の追悼文集、偏屈な著者写真からは想像できないくらい情に溢れた文章ばかりで、胸がいっぱいになった。
宮城さんの演奏や写真を見ることですら「だめになってしまふ」だったのに、どんな日々と感情を経て、あそこまで詳細な事故の様子を書いたんだろう。 -
百閒は偏屈である。
会ったことも見たこともないが、それは断言できる。
しかし、存外に話を聞いていると人とのつながりは広いし、意外と慕われているような気もする。
阿呆列車の時もお供やら、お見送りやらにぎにぎしくやっている。
こういうのは詰まるところ、書いてないところでは
情の深い部分を交わしていたりするんだろう。
読者としては偏屈ぶりを楽しみながらも、
うっすらとあるであろう人の良さは感じていた。
さて、本書は追悼文ばかり集めた作品集である。
師匠である夏目漱石に始まり芥川など有名どころから始まり同年代の友人や弟子まで。
多くの人を見送っている。それだけ彼は長生きをしたということだ。
とはいえ、当たり前のようだが、慣れるようなこともなく一つ一つがやるせなく哀切である。
死について直接に語られる場面はあまりない。
それについて語るのが、憚られているかのようで、
宮城道雄に対して、事故の現場について行こうか行くまいか悩むような描写は
それが何故近寄り難いかという言語化を許すことなく、
単に「早いのではないか」ということに集約している。
私はその遠慮がちな接近の仕方に
彼が偏屈としてみせて来たもののあまりの人間臭さを感じてしまって、
読み終えるのは早すぎるのじゃないかと思ってしまう。
誰も彼も死ぬのは早すぎる。
>>
食卓に就いてから暫くすると、花袋先生が少し離れた席から私の名を読んで、「君のよこした文章は大変良かった。特色があったのでいつも注意した。最初の乞食などでも、観察がしっかりしてゐるから云云」と云われるのを聞いていると(中略)私は面目を施すと云ふよりも、そんな昔の事を今まで覚えてゐて下さった有り難さに頭の下がる思ひがした。(p.48)
<<
なんだか、このあたりは素直に嬉しかった思い出という感じで、却って面白い。
その後も妙に恐縮していたりで、昔のことであるから上下の感覚というのは今よりも強かったのだろう。
>>
君はしょっちゅう私の所へやって来て、他の学生達と私が会合するどんな席にも、君が加はってゐなかった事は殆どなかったではないか。その君が、あれ以来、と云ふのは鎌倉の別荘で死んでから、一度も私の所へはやって来ない。随分お見限りだね。ちどどうぢや、幸い私には残夢の席がある。これからは春めき、万物の発動期である。残夢の隙間にもぐり込んで来なさい。山の芋が鰻になり、竹の子も竹になる季節だよ。(p.239)
<<
弟子に対してのものだが、これも驚くほど優しい。
ただ、親友であったらしい宮城道雄については
ここでちょっと引用するだけでは伝わりにくいくらい遠回りをして
ただただひたすらに悲しんでいる。こればかりは中をじっくり読んでほしい。 -
小川洋子さんのラジオで紹介。百閒先生の誠実さと愛情深さが伺える。夏目漱石、芥川龍之介、田山花袋、寺田寅彦、飼猫のクルツまで。中でも親友宮城道雄の追悼は胸を打つ。訃報を受けたあとは欠伸の数を勘定した。死神の迎えを受けて目をさましたと始まる「東海道刈谷駅」は圧巻。芥川の自殺について「余り暑いので死んでしまったと考え、またそれでいいのだと思った」と語っているのが哀しい。
(検校(けんぎょう)は、中世・近世日本の盲官(盲人の役職)の最高位の名称) -
夏目漱石、芥川龍之介ら文学者から、親友・宮城道雄、学生、飼猫クルツまで。哀惜をこめてその死を悼み、思い出を綴る。文庫オリジナル。〈解説〉森まゆみ
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Ⅰ章は百間(と仮におく)のオフィシャルな部分。それよりⅡ・Ⅲ章のプライベートな付き合いの方に惹かれた。
宮城道雄との親交は初めて知った。鉄道を愛した百間だが、刈谷を通過する時は哀惜の念に耐えなかったであろう。
又、同窓生や教え子への追悼は若くして黄泉路に旅立った人々に対する、残された者からの寂寥の感を感じた。
※蛇足だが、森まゆみ氏の解説はピントがずれている、或いはそもそもの人選ミスか。この文集はⅡ・Ⅲ章が要諦であるのに(少なくとも自分はそう思う)、森氏は解説のほとんどを氏の専門であるⅠ章に費やし、「こんな風に書いているときりがない」とⅡ・Ⅲ章をほぼ触れない。挙げ句、「日本の植民地主義による傀儡政権満洲国は朝日新聞を舞台に、国民作家漱石を起用して宣伝活動を行った」とある。漱石の没年は1916年、満洲国の建国は1932年。直すとすれば、満洲国ではなく南満洲鉄道であろう。
ジュンク堂書店天満橋店にて購入。
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