蓬莱島余談 台湾・客船紀行集 (中公文庫 う9-16)

  • 中央公論新社 (2022年1月20日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (288ページ) / ISBN・EAN: 9784122071650

作品紹介・あらすじ

台湾はいつでも小鳥が啼いている。お正月に朝顔が咲き出す。まあ一ぺん来て御覧なさい――一九三九年十一月、精糖会社で専務を務める友人に招かれ、鉄路で縦断した台湾紀行をはじめ、日本郵船の嘱託として主宰した船上座談会など、太平洋戦争開戦前夜の客船周遊記を集成。文庫オリジナル。

〈解説〉川本三郎


(目次より)



不心得/大和丸/東支那海/屏東の蕃屋/小列車/基隆の結滞/時化/砂糖黍/玄冬観桜の宴/バナナの菓子/蟻と砂糖/戻り道/船の御馳走/航路案内/迎暑/神風機余録/蕃さんと私/



当世漫語(昭和十四年十二月)/蓬莱島余談(昭和十五年七月)



波光漫筆 鎌倉丸周遊ノ一/入船の記 鎌倉丸周遊ノ二/三ノ宮の乞食 鎌倉丸周遊ノ三

/風穴 鎌倉丸周遊ノ四/山火事/流民/岸壁の浪枕/出船の記/門司の八幡丸/タンタルス/波のうねうね



新造/婦人接待係/沖の稲妻/虎を描いて/狗に類する/しっぽり濡るる

〈解説〉川本三郎

みんなの感想まとめ

台湾への船旅をテーマにしたこのエッセイ集は、著者が日本郵船の嘱託職員としての経験をもとに、当時の情景や心情を等身大で描き出しています。百閒先生の独特な視点から、豪華な食事や船の揺れを楽しむ様子がリアル...

感想・レビュー・書評

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  • 『阿呆列車』の百閒先生が、日本郵船の嘱託職員としての乗船三昧の日々を綴ったエッセイ集。

    乗車体験を綴らせたら当代随一だったが、その力は乗船体験においても劣ることなく発揮されている。
    文人として畏まったところが一切なく、あくまで一人の人間として、そして失礼ながら決して立派ではなくどちらかというとスノッブ的な生き方をしている人間が感じることを一切装飾なく等身大に語る。
    今でも作者の等身大の目線で綴られるエッセイやら漫画はごまんとある。
    それでも、
    ・大した下調べも裏取りもせずに、自分にあてはめて適当に推測する虚脱感
    ・虚脱の中でもリアリティを感じさせる場面を切り取るジャーナリズム
    ・時折はっとさせられるような美しいセンテンス
    を絶妙に織り交ぜられる作家を、私は内田百閒以外知らない。

    本当にどうしようもない人間は、こんなに「どうしようもないなあ」と思わせるような文章は決して書けない。その、作り出されたどうしようもない人間像こそが私たちが愛する内田百閒像であり、それを生み出したかの作家の実力なのであると思うと、私はため息しか出ない。頭良すぎ。

  • 百閒先生は鉄道ばかり乗っていると思っていたので、客船の話がたくさんあることに少々驚いた。
    『阿房列車』の筆致そのままの本紀行集は、百閒先生が日本郵船の嘱託社員をしていた時の記録である(解説では『阿房列車』ならぬ『阿房船』とあり膝を打った)。

    前半は百閒先生が神戸から船に乗って初めて台湾に行く話。基隆から台北に向かい、台南へ行く。
    後半は鎌倉丸や氷川丸などの大型客船に乗船し、鎌倉から神戸、神戸から門司や下関へ行って帰ってくる話。

    友達と明石ノ浦から須磨ノ浦まで波打ち際を歩いたり、神戸のオリエンタルホテルに宿泊したりと、知っている場所がぽんぽん出てくるので、情景が頭に浮かんで楽しかった。

    わたしも船が好きだ。
    国内は瀬戸内海や沖縄で、海外ではギリシャやカナダで船に乗った。
    まだ暗いうちから乗船した大型船、秘密の花園に向かう船、このまま天国行きじゃないかと思うほど恐ろしく揺れた高速船。どれも思い出深い。

    百閒先生の船旅は、特別ステキな出来事が起こるわけではない。けれど、読み始めたらやみつきになる。

    出帆の前日から特別に船に乗せてもらう。豪華な食事や麦酒を楽しむ。ベッドに横になり船の揺れに身を任せる。甲板で白波が砕け散るのを眺める。どこかへ寄港しても下船せず客室で時間を空費する。

    船で見聞きしたことをそのまま(時には正直に忘れてしまったと)書いており、肩の力を抜いて楽しむことができた。

    p64
    私は食いしん坊であるが、食べるのが面倒である。御馳走のないお膳はきらいだが、そこに有りさえすれば無理に食べなくてもいい。

  • 一冊まるごと台湾への船旅の話かと思ったら、意外とその分量は少なく、あとは国内での船旅の様子だった。当時の日本の雰囲気が伝わってきたし、百閒さんの飄々と悠々として率直で人を食った感じの、他人とは一味違う行動が面白かった。船旅がしてみたくなった。

  • 台湾は良かった、もう一度行きたくて夢に見るとまで書いている。
    途中で持病が出て苦しかったはずだが・・・招待してくれた、お砂糖会社の重役さんへの気遣いか。

    船で台湾の基隆(キールン)に着き、そこから鉄道で、明治精糖のある蕃仔田(ばんしでん)駅に着くのだが、特に用事もないのに、終点まで乗ってみて、海を見て折り返してくる鉄オタ百閒先生である。

    日本郵船の嘱託を務めていた関係か、何度も船旅をしている。
    横浜、神戸間が多い。
    豪華客船の旅である。
    食事代は船賃の中に含まれているので、ご馳走を食べ放題なのだが、麦酒をお腹に入れたい百閒先生は、そのためにお腹を空けておく。(アルコールは有料らしい)

    船旅の紀行文は、昭和41年頃の発表のものが多い。
    日本が一番調子に乗っていた頃だ。良い意味でも悪い意味でも。
    日本人は、最後のいい思いをしていた。
    しかし、外食では麦酒は一人1本と制限されたとか、航路が変更になったり閉鎖されたりしたというちょっとした描写に、戦争に転がり落ちていく時代を感じる。
    言及されていないが、文筆業の人たちは書く内容に頭を悩ませていたことだろう。
    海に関しての発言で、「日本の海は広がった」と言っているのは、ご時世的に一般的な考え方だったのか、心からそう思っていたのかは、はかり難い。

    船旅での、ちょっとした「こんなはずじゃなかった」エピソードがいくつかあって、ユーモラス。
    船から見る、さまざまな波の観察と考察が興味深かった。
    戦後の1963年発表のエッセイでも、同じ41年の船旅に関するものを収録している。
    日本の客船の黄金時代だった。
    これは、戦後だから書けたエピソードだと思うものもあり、政府がローマ字表記を変更したせいで、秩父丸が鎌倉丸と名前を変えなくてはいけなくなった話が面白かった。

  • 随筆一つ一つは当然百間らしさは出ているのだか、通して読むと内容が重複する部分が多く、編集部が台湾つながりと旅客つながりの随筆を手当たり次第にまとめた、という感じが否めない。

    他の方が書かれているが、台湾には一度十日間程行っただけだし、旅客も日本郵船の顧問であった割には乗船回数は多くはない。百間は飛行機にも縁があるわけだし、鉄道以外の乗り物紀行集、とより間口を広げれば良かったのに、と感じた。

    喜久屋書店阿倍野店にて購入。

  • 日本郵船の嘱託時代に同社の客船で台湾旅行をした際の寄港文集。
    相変わらず百閒先生は無邪気だが、台湾への渡航も含めて無邪気でいられた時代の記録として読めるかもしれない。

  • 内田百閒が日本郵船の顧問だった時に横浜、神戸、下関等を船で行き来した際の随筆を編集したもの。前半は台湾の製糖会社重役の知人を訪ねて9日間訪台した紀行文。当時の日本人の台湾に対する見方が素直に読み取れる。後半では郵船が誇る豪華客船の一等船室やレストランの様子もよくわかる。旅客機が一般化する前、客船黄金期の旅に同行しちるかのような不思議な感覚を得た。「郵船秩父丸」という随筆が特に洒脱で笑った。船旅は良いなと思った。

  • 編集付記にあるとおり、本書は著者の台湾紀行と日本郵船時代の船旅にまつわるエッセイを独自に編集し一冊とした文庫オリジナル作品である。太平洋戦争開戦前夜の客船周遊記は、出際に神戸で首尾よく麦酒が飲めるかどうかという話で始まる。結滞の発作をかかえたままの約9日間の台湾紀行には、観光名所的な紹介はあまりないが、時代と土地の空気がしっかりと感じられる。
    「だから内証だが、台湾はいい所だと思った。非常にいい風が吹く。」

  • 百閒が台湾を旅したときの紀行文かと思いきや、ほとんど台湾は出てこない(笑)。台湾が恋しいときは別の本を読むとして、この本では百閒節を味わえばいいと思う。

    旅行が特に好きじゃない百閒は、目的地に着いても下船しないし、頭の中は常に麦酒(ビール)のことでいっぱい。だから話は船内での同行人やボイ(ボーイ)とのやりとりが大半を占めている。

    大きい船をつくって他国を圧倒し、領土を広げることが正義だった時代の船の様子や、接客の作法などが興味深い。

  • 客船の体験を述べた随筆が中心ですが「台湾紀行」「国内のクルージング」「日本郵船の客船を使って行われた文士達の船上座談会」ーーという話が収録されてます。
    日本郵船の嘱託員として働いていた時期が時期だけに、太平洋戦争開戦前の気配を感じつつ、でも飄々とクルージングと豪華な食事と麦酒を堪能してる百閒先生の筆致は素敵です。
    たまに、その飄々としている描写の中で一瞬、怪異と繋がったかのようにゾッとする表現がしれっと混ざるのもまた味わい深い……。

  • 台湾へもう一度行き度くて夢に見る様である――友人に招かれ鉄路で縦断した台湾をはじめ、日本郵船での太平洋戦争直前の客船紀行を集成。〈解説〉川本三郎

  • ほとんど読んだことがあった。
    台湾も一回、10日ぐらい行っただけだし。
    戦前の郵船の嘱託だった割には船に乗った数は少なく、後年の阿房列車に比べると物足りない。

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著者プロフィール

内田百閒(うちだ・ひゃっけん)1889―1970
岡山県生まれ。本名・栄造。15歳のときに親友・堀野寛と出会い、堀野を通じて読書の趣味に目覚める。翌年、夏目漱石の『吾輩は猫である』上篇を読み、漱石に傾倒。19歳のころには俳句熱が高まって、俳諧一夜会や苦渋会という句会を結成。岡山近郊の百間川から俳号を「百間」とした。1910年、東京帝国大学文科大学へ入学。翌年2月に、静養中だった漱石を訪ねる。漱石の面会日「漱石山房」に出席するようになり、小宮豊隆、津田青楓、森田草平、芥川龍之介、久米正雄などと知り合う。以後、陸軍士官学校や法政大学で教鞭をとる。1920年には、作曲家・筝曲家の宮城道雄に知遇を得て親交が続く。同年、幼少期より寵愛を受けてきた祖母の竹が死去。1922年、はじめての著作集『冥途』を稲門堂書店より刊行。翌年、関東大震災に遭い、『冥途』の印刷紙型を焼失してしまう。1933年に三笠書房から『百鬼園随筆』を刊行してから、『冥途』の再劂版や第二創作集『旅順入城式』(岩波書店)、『百鬼園俳句帖』(三笠書房)などを刊行。その他、『贋作吾輩は猫である』(新潮社)、『ノラや』(文藝春秋社)など多数の書籍、作品を発表する。1965年には、これまでの功績を評価され芸術会員に推薦されながらも「いやだから、いやだ」とそれを辞退。それからも『麗らかや』『残夢三昧』(いずれも三笠書房)などを著す。多くの名筆を世に刻み、1971年4月20日に逝去。

「2023年 『シュークリーム』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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