愉快なる地図-台湾・樺太・パリへ (中公文庫 は 54-4)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122072008

作品紹介・あらすじ

どこへ行くにも、棺桶の仕度なンかいらないじゃないのと、無鉄砲な旅ばかりしていました――一九三〇年、総督府に招かれた台湾から、『放浪記』の印税をつぎ込んで一人で旅した満洲、シベリア鉄道でのパリ行きなど。肩の張らない三等列車の一人旅を最上とする著者の若き日の紀行を集成。文庫オリジナル

〈解説〉川本三郎
(目次より)

台湾を旅して/台湾風景 フォルモサ縦断記/台湾のスヴニール/基隆水望

林芙美子さんの満州便り/愉快なる地図 大陸への一人旅ハルビン散歩/秋の杭州と蘇州

『三等旅行記』序/シベリヤの三等列車/パリーまで晴天/下駄で歩いたパリー/パリーを歩るく/フランスの田舎/パリー案内/ひとり旅の記/屋根裏三昧/マッチと酒に寄せて/三等船室雑話/ナポリ小景/マルセイユより横浜までの勘定書/ソヴェートの冬

樺太への旅

北京紀行/北支那の憶い出/北平通信

 *

『林芙美子選集第七巻』あとがき/『私の紀行』序

感想・レビュー・書評

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  • 愉快なる地図|文庫|中央公論新社
    https://www.chuko.co.jp/bunko/2022/04/207200.html

  • 林芙美子の海外への旅、紀行文集成。その主な行程は以下のようなもの。
     1930年1月 台湾
     1930年8月 大連、ハルビン、杭州、蘇州
     1931年11月~1932年6月 シベリア鉄道を使い、パリ、ロンドンへ
     1934年5月 樺太
     1936年10月 北京

     最初の台湾行こそ準公的な団体行動であったが、残りは基本的に一人旅。この時代に女性が一人で海外への旅をするというのは珍しいことだったのではないだろうか。文章を読んでも、「何とかなる」との精神でバイタリティーを持って行動していることが良く分かる。

     シベリア鉄道の三等列車の旅では、乗り合わせたいろいろな乗客とのちょっとしたふれ合いを語るところが楽しい。

     中国への旅では、日本と中国との軍事衝突が起きていた時期でもあり、中国の人たちの日本に対する見方や批判行動などについても言及がされている。この数年後には著者は中国戦線での従軍記を書くことになる。そんなことを想いながらこの辺りの文章を読むと、少し複雑な心境となった。


     最近の中公文庫、編集の妙が感じられて、ついつい購入してしまう。本書もそんな一冊。

  • まだ林芙美子をよく知らない。
    NHK「100分de名著『放浪記』」の回で林芙美子の文章の魅力に目覚めた。
    上記番組で指南役を務めた、作家の柚木麻子さんが、とっても新しいんです、今こそ読んでほしいと言っていた意味がよく分かりました。

    この本は、その林芙美子の若き日の紀行文を収めたもの。
    1930年から1936年の作品。
    「放浪」がいよいよ海外へ舞台を移した。

    令和の今だって、女一人で海外旅行なんて怖くてできやしない。
    ましてやこの時代、女ができることは非常に狭い範囲に限られている。
    そこへ一人で旅立つ芙美子に、すっかり魅了されてしまった。

    旅の目的があったりしたようだが、それは書かれていない。
    だいたい私たちが今、旅行というと、ガイドブックに沿って見るべき名所旧跡を巡ることになるが、芙美子の旅はそうではない。
    まだよく理解できていないけれど、松尾芭蕉みたいな「漂白の思いやまず」という気持ちから旅に出るのではないか。
    芙美子にとって、旅の空こそが自由に息ができる場所だったのだろう。
    気持ちはとても分かるし、私も若い頃はよく旅に出た。でも国内がせいぜい。
    芙美子は名所旧跡よりも、そこに生きる人々に興味があった。
    感動したものはそのままに、汚いものははっきり汚いと書く。
    そうして表現や比喩が秀逸である。

    最初の台湾では、出版社の企画で、女流作家たちが講演会をするためのツアーだった。
    芙美子さんには窮屈だったらしい。
    面白かったのは・・・一つ例を上げさせてほしい。
    台湾総督に「どうか皆さんの口から全島へ良妻賢母を説いてくださるように」と言われた時の芙美子さんの頭の中。
    ソクラテスか何かの哲学書の中の「禿(はげ)の定義」を思い出した。
    一口にハゲと言っても、まだ髪はたくさんあるものの後退している、頭頂部が薄くなっていると「ハゲ」と呼ばれる。
    一方、ツルッツルで髪が1本も無くても「ハゲ」と呼ばれる。
    髪の本数も程度もまるで違うのに、一口に「ハゲ」だ。
    それと同じく、一口に「良妻賢母」といってもいろいろだろう。
    どの程度の「良妻賢母」が講演を聴きに来るのか、自分の講演は歓迎されるのであろうか、と書いている。
    まず私個人は、その良妻賢母何たらかんたらというセリフに反発を感じ、そういう講演じゃ無いんだよ!と思う。
    むしろ逆。
    芙美子さんのこれも皮肉と取って良いのだろうか。

    次のシベリア鉄道編は、満州事変の起きた年。
    危ない。
    普通だったら旅行しない。
    しかし芙美子さんは、国と個人は別と考えているようだ。
    素晴らしいコミュニケーション能力。
    しかしそれゆえに、「個人は連帯できるのに国家は対立の構図」に憂える。
    これらの旅の後は、もう自由に国境を超えて旅することはできなくなると思う。
    旅人・作者はどうやって生きていったのだろうか。

  • ●は引用、その他は感想

    ブックレビューに”沢木耕太郎や下川裕治の先取りのようだ”というコメントがあったが、自分もそういった印象を受ける。バイタリティーに富んだ人なのだろう。だから、興味があるとそれを実行してしまう。本書では、軍国主義の台頭に嫌悪感を表わしているのに、たぶん同時に語られる愛国心の発露が、この後の従軍記者時代につながるのだろう。一見すると一貫性が無い様に見えるが、本人にすれば一貫しているのだろう。

     文庫オリジナルの編集として、パリ→ロンドン→パリという移動を、年代と場所でくくってパリを一つにまとめて文章を配置している。時系列で文書を配置した方が読みやすくなるような気がする。

    ●台所と云えば、パリーの住宅は、ほとんどアパルト住いが多いので、日本のように、あんなきまりきった台所を所有している家は少い。それに、たいていは戸外のレストランを利用する家族が多いので、大した台所も必要ではないのであろう。日本のレストランが、まだまだゼイタク視されている間は、一家の主婦が台所から解放されると云う事ははなはだ遠い事であろうと考える。
    ●言葉の通じないせいもあるだろうけれども、全く不思議なインショウになってしまった。何故なら、私の眼にはいったロシヤは、日本で知っていたロシヤと大違いだから。日本の無産者のあこがれているロシヤは、こんなものだったのだろうか!日本の農民労働者は、ロシヤの行った革命にあこがれているのだろうか。―それだのに、ロシヤの土地もプロレタリヤは相変わらずプロレタリヤだ。すべて、いずくの国の特権者はやはり特権者なのだろう。あの三ルーブルの食堂には、兵隊とインテリゲンチャ風な者が多かった。廊下に立って眠った者達の中には兵隊もインテリもいない。ほとんど労働者風体の者ばかりではなかったか。
    ●黒い龍と云う名を、度々ロンドンの新聞で見るんですけれどもあれはいったい何なのでしょうか。ロンドンの平和論者の一部には大ヤバン国日本とやっつけていますが、(中略)これでは日本も軍隊や右翼から革命が起こるのですかね。厭なことだ。
    ●上海まで戦争が拡がって行ったようですがいったいどうなるのでしょう。外国に来ていると、毎日の新聞で、日本の評判が悪いのが気になる。全く、上海までも戦争に行かなければならないのですかね。トラファルガル広場の、中国コミンタンの示威運動も、あまりパッとはしなかったけれど、中国婦人の火を吐く愛国の演説には感激してしまいました。ねえ、誰だって国を愛しているのだ。国を愛しきっているのです。

  • 林芙美子の紀行文をまとめた
    オリジナル編集の文庫本。
    ハンディで嬉しい。

    283ページの本とはいえ
    芙美子さんって一文がわりと長いので
    なかなか読み終わらなかった。
    旅の記憶も濃ゆいしね。

    鉄子としてはシベリア鉄道もいいけど
    満州鉄道の記録も良かった。
    それからパリを拠点にバルビゾンまで
    足を伸ばしていたなんて!
    私が大好きな画家たちの絵を
    芙美子さんも同じように愛でていたとは
    時を超えて嬉しさを覚えます。

  • 詳細は、あとりえ「パ・そ・ぼ」の本棚とノートをご覧ください。
    http://pasobo2010.blog.fc2.com/blog-entry-1986.html

    林芙美子の名前は知っているけれど、本はちゃんと読んだことはないと思います。
    一体どんな話が飛び出すのか、読むのが楽しみです。

    内容が細かいので、TVドラマ化されたらいいなと思いました。

  • 1930年代の女性の海外ひとり旅というユニークさと、行く先々での心象描写や観察眼とが相まって、バイタリティ溢れる旅行記を形作っている。行商や貧民街を体験してきた筆者ゆえに、旅の手段や目線は庶民的で、約半世紀後のバックパッカー旅を先駆けている一方、今や1世紀近く過去となったアジアとヨーロッパ世相の貴重な見聞録にもなっている。時間や時代を相当隔ててはいるが、一個人の人情はほとんど現代と変わらず、旅先で触れ合う異国人達との交流の愉しさや彼らの親切も同様。世界戦争の緊張感漂う時勢においても、人間の本質部分が変わらないところが一番の読みどころに感じた。ただ我々と異なる点があったとすれば、望郷の念の有無。欧州からの帰国に船旅1ヶ月掛かる当時と、1日で済む今日との事情の差異もあるだろうし、生活習慣がグローバルにフラット化した現在の、(日本人に限らず)失われつつある感覚でもあるかもしれない。

  • 旅だけがたましいのいこいの場所――台湾、満洲、欧州など、肩の張らない三等列車一人旅を最上とする著者の若き日の旅。文庫オリジナル。〈解説〉川本三郎

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著者プロフィール

1903(明治36)年生まれ、1951(昭和26)年6月28日没。
詩集『蒼馬を見たり』(南宋書院、1929年)、『放浪記』『続放浪記』(改造社、1930年)など、生前の単行本170冊。

「2021年 『新選 林芙美子童話集 第3巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

林芙美子の作品

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