狩場の悲劇 (中公文庫)

  • 中央公論新社 (2022年6月22日発売)
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本 ・本 (368ページ) / ISBN・EAN: 9784122072244

作品紹介・あらすじ

「五月の朝に詩的な《赤いワンピースの娘》に出会って以来、おびただしい数の犠牲者が、人世の暗い波間に、永久に姿を消し去った」……モスクワの新聞社へ持ち込まれた、ある殺人事件をめぐる小説原稿。そのテクストの裏に隠された「おそろしい秘密」、そして読み終えてなお残り続ける「もう一つの謎」とは何か? 近代ロシア文学を代表する作家が若き日に書いた唯一の長篇小説にして、世界ミステリ史上に残る大トリックを駆使した恋愛心理物語の古典。巻末に、江戸川乱歩による評論を収録。

江戸川乱歩――「チェーホフともあろう作家の、こういう作品を知らなかったのだから、われわれの全く気づかない面白い探偵小説が、まだどれほど残っているかと思うと楽しくなる。……探偵小説のトリックの歴史から考えても、相当大きな意味を持つ」。

解説・佐々木敦

感想・レビュー・書評

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  • ロシアの作家チェーホフ(1860-1904)が二十代半ばの駆け出しのころに書いたミステリ小説にして唯一の長編小説。1884年。

    巻末の江戸川乱歩によると、本書は所謂「叙述トリック」のなかの「記述者=犯人」の類型に含まれるという。しかし、他の「叙述トリック」の有名作と比べて、この作品のインパクトはかなり弱くなってしまっているように感じる。それは、解説において佐々木敦が指摘しているとおり、この作品の構成の複雑さに起因するだろう。

    ある編集者のもとに元予審判事が原稿を持ち込み新聞への掲載を依頼するところから物語が始まる。この原稿『狩場の悲劇(予審判事の手記より)』の内容が本書における小説内小説となっていて全体の九割を占めており、その前後を挟む外枠の部分が『狩場の悲劇(実在の事件)』とされている。そして本書終末の『狩場の悲劇(実在の事件)』の部分で、編集者が、この小説内小説『狩場の悲劇(予審判事の手記より)』が実は元予審判事が犯した実際の犯罪をもとにしたものであると暴き、「探偵」役を果たす。つまり、「記述者」が「犯人」であると暴かれる場面は、「記述」された物語の内部(『狩場の悲劇(予審判事の手記より)』)ではなくその外部(『狩場の悲劇(実在の事件)』)においてであり、暴かれた「犯人」は、小説内小説の「記述者」(セリョージャ)ではなく、その外部において新聞社に原稿を持ち込んだ「記述者」(カムイシェフ)である。つまりこの作品には、物語の真実が物語の枠を超えて読者の側の世界に迫り出してくるあの異様な感覚はなく、物語内物語として物語の中に綺麗に収められてしまっていて、読者は自分たちの世界と物語の世界との境界が物語の側から侵犯されるような不安の感覚に襲われることはない。

    ではなぜ事件の真犯人である元予審判事は自らの犯罪を物語として「記述」しさらにはそれを新聞紙上に公表しようとしたのか。そこに佐々木は「自意識の迷宮」(p365)という問題を見出すが、今回本書を読んでいてそこまで感じ取ることはできなかった。この作品は、物語のどぎつさ、登場人物のアクの強さ、異常さ、饒舌さにおいて、四大戯曲のチェーホフらしからぬ、ドストエフスキーの諸作品を思い起こさせた。そういえば『罪と罰』も『カラマーゾフ兄弟』も、ミステリ的な趣のある作品であった。

    物語のどぎつさはともかく、登場人物たちのあの喧しさからくる独特の異物感は、ミステリをミステリとして楽しむときの邪魔をしているように感じる。「娯楽小説」を読むのなら、もっと、現代人が生きている感覚や文脈をピンポイントに刺激してくれるような、条件反射だけで事足りてしまう作品のほうが面白がれるのではないか、などと思ってしまった。読書の姿勢としては、ひどく怠惰なものだと思う。

    後書きや解説で本書のトリックについて言及するのはいいとしても、他の作品のトリックを明かしてしまうのは、迷惑だ。かつて某トリックの有名作を読む前に誰かの文章の中でネタバレをくらってしまい、一度きりしか味わえないであろう衝撃の機会を逸してしまったという悔しい経験がある。その書き手が誰であったかは覚えていないが、いまでも恨んでいる。

    「わたし、今日になってやっとわかったんです……今日になって! どうして昨日のうちにわからなかったのかしら? 今となっては何もかも取り返しがつかないし、すべては失われてしまったんですわ! 何もかも、何もかもね!」(p171)

  • 新聞社の編集長が、小説家志望者から実話をもとにした作品を持ち込まれるくだりに始まる。手記を内包する形式の小説。作品内の紙数としては、持ち込まれた小説内のストーリーがその大半を占める。約340ページ。冒頭には主要人物紹介、巻末には江戸川乱歩の解説と、(訳者ではなく)評論家による解説が付属する。

    ロシアのとある村で暮らす予審判事セリョージャが主人公であり、小説を持ち込んだ書き手にあたる。独身生活を謳歌するセリョージャは、久々に村に帰還した友人である伯爵の招待を受けて伯爵家へと向かう。食事後に散歩に出かける伯爵とセリョージャ一行は、そこで貧しい森番の娘である19歳のオーレニカと出会い、オーレニカの美貌に目を奪われる。その後は、伯爵家に戻り、伯爵とともに恒例のどんちゃん騒ぎで泥酔するセリョージャだったが、後日に実はオーレニカが、伯爵の執事である年老いた醜い男と婚約している事実を知って驚くのだった。

    帯でミステリであることが大々的に謳われている本作だが、殺人事件が発覚するのは250ページを超えてからと、非常に遅い。それまでは主人公であるセリョージャをはじめ、先に紹介したオーレニカ、伯爵、執事ウルベーニン、セリョージャの元恋人であるナジェージダ、ナジェージダを慕いセリョージャの友人でもある医師パーヴェルといった主要な登場人物たちが絡み合って紡がれる恋愛を中心にした物語である。事件が発覚するまでは、仮に冒頭のくだりやタイトルや、部分的な匂わせがなければ、ミステリとは関係のない純粋に人間ドラマをテーマとした小説として読めるし、そのような物語として完結させることも可能だったろう。
    (ちなみに登場人物紹介のなかでサーカス団員のチーナが主人公セリョージャの恋人として紹介されているが、出番はわずかであって、恋人といっても関係性は薄く、セリョージャのプレイボーイぶりを強調する道具程度にすぎない。)

    事件の発生が非常に遅かったこともあって、読み進めるうちにミステリとしての要素があるとしてもあくまで人間ドラマの添え物なのではないかと予想するようになっていた。事件そのものが発生した後も、密室トリックのような手の込んだ特殊な状況ではないため、正直なところミステリとしては既に期待せずにいた。それにもかかわらず、最終的には本作がミステリ作品でもあることを認めざるをえなかった。この終盤の展開には、本書の特徴的な形式も関わってくる。

    読み終えての率直な感想としては、面白かったし、とても満足できるものだった。読書前にはミステリとしての小説を期待して読み始めたのだが、先に触れた通り事件の発生自体が非常に遅いため、紙数としての純粋なミステリとしての割合は多くはない。にもかかわらず面白く読めた理由のひとつとしては、ミステリ部分と関係のない、恋愛模様を中心としたストーリーと人物描写を楽しめたことにあり、もうひとつは終盤に至るまで起動しなかったミステリとしての仕掛けも十分に興味深く読めたことにある。

    帯で謳われているように、本書はミステリ作品として押し出されているのだが、実際に本作を真に楽しめる読者はむしろミステリファンではない気がした。何度も触れているように純粋なミステリとしては事件の発生までが非常に長いために読み手によっては冗長に感じるかもしれないし、トリックの内容としては、むしろミステリに慣れている読み手であるほど驚きは薄くなると思われる。つまり、先ほど私が感じた面白さの理由は、純ミステリ作品としてはむしろ欠点として働く可能性が考えられる。

    私自身はこのような作品が1884年の時点で執筆されていたことに驚くとともに、恋愛模様を描いたドラマとしての面白さに加え、作品全体の構成も見事だと感じた。むしろ本作が、その作品内容とチェーホフという作者にもかかわらず、おそらくあまりメジャーではないことを意外に思う。

  •  チェーホフと言えば短篇と戯曲というイメージだが、そんなチェーホフが書いた唯一の長編小説。しかもそれは、殺人事件が発生し、調査があって、遂には犯人が示されるという推理小説的なもの。
     
     自分が書いた経験談を出版して欲しいと新聞社に持ち込んだ男と、新聞社の編集者とのやり取りがあって、編集者は一応その小説を読むこととした。そして、その小説が「狩場の悲劇(予審判事の手記より)」というもの。語り手である予審判事の男が住んでいるところに、領地を持つ伯爵が久し振りに帰ってくる。そんな彼らの前に、狂人の父と暮らす美しい娘が現れるが、彼女は伯爵の執事を務めるかなり年上の男のプロポーズを受け入れた。こうした登場人物の男女関係の中で、一体何が起こるのか、どんな悲劇が起きたのか。
     
     確かに、小説ではガボリオ(当時流行していたフランスの探偵小説家)に言及していたりするので、チェーホフがミステリを意識していたのは間違いないだろうし、ミステリとして読んでも、当時としてはかなり斬新なトリックが使われていて興味深い。ただ、”謎解き”を主眼としてこの小説を書いたというよりは、登場人物の心理の真相は何なのかを読者に問い掛けようとしたのではないだろうか。

     本書の前半は、自堕落な貴族の生活、結婚を巡る男女の交際や駆け引きの様子、身勝手な登場人物の心情描写など、いかにもなロシア小説の描写が延々と続き、なかなか読むのが捗らなかったが、事件の発生する当日、227頁からは一気読みになった。

     解説者の読みも参考になるが、いろいろな「読み」の可能な、面白い小説だと思う。
     

     

  • ★3.5
    人物描写がいかにもロシアである。犯人は簡単に分かるが、ポイントはそこではないと思う。

  • あまりのクズ男っぷりに笑えるし、半分以上がしょーもない酔っ払いの話で退屈だったが、殺人が起きてからのクズ男のサイコパスっぷりが振り切れててゾッとした。そもそもクズ男がクズだって何でみんな気付かないのかよく分からん。

  • チェーホフ唯一の長編がミステリー小説だったとは。劇作家、短編の名手も若い時にはミステリー好きだったのか。厳密にいうと、犯人が誰かという話でもない。原注で盛大にネタばらしされているし、殺人犯が捕まる終盤になるとそういう方面に疎い自分でも予想がつく。アクロイド殺しよりずっと前にこの構造で書いたそうだが、チェーホフに対して犯人探しのアイデアを褒めるのは違うような気もする。主人公がどうしてこの本(小説中の小説)を書いて発表しようと思ったのか、自己顕示欲か承認欲求か、という心理ドラマとしてブラッシュアップすると面白そう。

  • 今更と感じさせないかえって新鮮なプロットと、外連味たっぷりの不穏な演出のせいで一気読み。瑞々しいオリガを1978の映画で先に観ていたこともあり、緑の森の中ではじめて赤いドレスの少女を目にした語り手(堕落した酔っ払いで性根が腐っている上に、気まぐれで感傷的)の、えもいわれぬ歓びがまざまざと伝わってくる。
    書き口がまるで乱歩の文章みたい、と思いながら読んでいたけれど、むしろ乱歩がチェーホフのこの作品に影響を受けていたのかも。
    学生時代に書いて、のちに自分の著作リストから削除したらしいが、もし後年に大幅加筆修正してくれていたらと惜しく思わずにいられない。冗漫な描写を削り、より鋭いサスペンスに仕上がっていたに違いない。
    そして、果たしてこれが真相なのか? 真犯人は別の誰かなのに、「あの女が愛していたのは俺だ」と云いたいがためだけにこんな話をでっち上げたのではないかと疑いたくなってしまうのは私だけだろうか。

  • 帯に「前人未踏の大トリック」とあるので読んでみたのだけど、、正直に言うと「このあとどんな仕掛けがあるんだろう…残りページ少ないけど、、」のまま終わってしまいました。。まぁでも、歴史的なものですよね、”あの作品”より早く世に出ているらしいので。あと、主要登場人物の誰にも共感できなくて読み進めるのがしんどかった。事件も中盤以降にならないと起きないので、そこもすいすい読めなかった理由かな。推理小説というよりは心理小説と思って読んだ方がいいと思います。

  • ロシアの大・劇作家、アントン・チェーホフ(1860-1904)が残した
    唯一の長編ミステリ小説『Драма На Охоте(The Hunting Ground Tragedy )』
    (1884年)。
    1880年4月某日、新聞の編集者である〈わたし〉に訪問者が。
    紳士は小説の原稿を持ち込みに来たのだった。
    〈わたし〉は気乗りがせず、
    それを二ヶ月も放置していたが、
    別荘へ向かう際に持ち出し、列車内で読んでみた。
    実際の事件を元に綴られたという『狩場の悲劇』なる
    小説の内容とは――。

    【注】少しでも核心に触れそうな指摘を行うと
       即ネタバレの恐れがあるので盛大にぼかします。

    小説『狩場の悲劇』には、
    予審判事と友人である伯爵を中心に、
    彼らを取り巻く人々の怠惰な日常が綴られていた。
    彼らは森番の若く美しい娘オーレリアを見初めたものの、
    彼女が伴侶に選んだのは伯爵に仕える執事だった。
    しかし、じきに嫌気が差したと言い出し、
    彼女は予審判事と伯爵、双方に気のある素振りを見せ始めた。
    そして、一同が狩りに出かけた先で彼女は凶刃に倒れ……。

    枠物語の外枠、編集者〈わたし〉と訪問者の
    丁々発止のやり取りが舞台劇の趣きを呈すところで
    「なるほどチェーホフ」と唸らされた。

    ※もう少し詳しいことは後程ブログで(ネタバレ必至)。
    https://fukagawa-natsumi.hatenablog.com/

  • チェーホフの書いた推理小説

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著者プロフィール

アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ(1860~1904)
1860年、南ロシアの町タガンローグで雑貨商の三男として生まれる。
1879年にモスクワ大学医学部に入学し、勉学のかたわら一家を養うためにユーモア小説を書く。
1888年に中篇小説『曠野』を書いたころから本格的な文学作品を書きはじめる。
1890年にサハリン島の流刑地の実情を調査し、その見聞を『サハリン島』にまとめる。『犬を連れた奥さん』『六号室』など短篇・中篇の名手であるが、1890年代末以降、スタニスラフスキー率いるモスクワ芸術座と繋がりをもち、『かもめ』『桜の園』など演劇界に革新をもたらした四大劇を発表する。持病の結核のため1904年、44歳の若さで亡くなるが、人間の無気力、矛盾、俗物性などを描き出す彼の作品はいまも世界じゅうで読まれ上演されている。

「2020年 『[新訳] 桜の園』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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