水と水とが出会うところ/ウルトラマリン The complete works of Raymond Carver(5)
- 中央公論新社 (1997年9月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (558ページ)
- / ISBN・EAN: 9784124029352
感想・レビュー・書評
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窓を大きく開け放って、
部屋に風が入ってくるのを確かめたら、
クッションをかかえて窓辺の大きな椅子に行って
詩集を読もう。
ゆっくりと、
コーヒーがポットの中でお茶のように膨らむのを待ちながら、
最初の1頁をめくろう。
レイモンド・カーヴァーの後期の2つ詩集、「水と水が出会うところ」と「ウルトラマリン」を収めた全集の1冊を読む。もともとカーヴァーを読むきっかけとなったのが、彼の初期の詩「夜になると鮭は・・・」であったので、一度その詩を真面目に読んでおきたかったのだ。しかし、この1冊に収められている詩は、「夜になると鮭は・・・」とは、全く異なった趣のあるものばかりだ。
先入観なしに、ということはつまり、カーヴァーについて余り知識の無い状態で読み始めても、この詩集に収められている詩が、彼の人生の断片を切り取ってきて置いたものに違いない、との確信を読み進めるうちに得てしまう。人生のゴタゴタが容赦なく主人公に襲いかかってくる。フィクションであって欲しいと、思わず願わずにはいられないのだが、確信はますます深まるばかりだ。
カーヴァーの詩が、どのような文学的評価を受けているかはともかくとして、彼の詩には「短編小説」のような趣がある。彼の短編集を読んだ後では、その呼応した関係がより一層はっきりとする。その趣につられ、読んでいても停滞することなく、頁をめくり続けてしまう。そのように感じるのは自分ばかりではなかったらしく、翻訳の村上春樹も同じことを解題で触れている。
もう一つ、村上春樹と同じように思ったことは、この尽きることのない人生の悲惨さに対するカーヴァーの視線についてである。何となくカーヴァーの悲惨さに対する態度が、自然な諦め、という感じのものでいやらしさを感じないのである。それを村上春樹は、悔恨はあるが自己憐憫はない、と表現している。悔恨はあるが、それは失われたものに対する悔いであって、その結果に対しては、どこかしら人知の及ばないものを受け入れるとでも言ったらよい態度、を自分も感じるのだ。
詩の中でも時折取り上げられるが、カーヴァーは狩猟と釣りを趣味としていたらしい。後年はもっぱら釣りだけだったようだが、その自然の恵みに対する態度と、人生のトラブルに対する態度がとても似ているような気がする。そのことを「ウルトラマリン」の中の「投げる」という詩を読んで、とくに強く感じた。
我々はお茶をすすった。君の国で僕の本が
好評であった理由などについて礼儀正しく
あれこれと考えを巡らせつつ。そのうちに
苦痛とか屈辱とかについての話になる。
(中略)
僕は部屋の隅の方に目をやる。
そしてしばしのあいだ十六歳に戻り
五十年型ダッヂ・セダンに野郎ども五、六人と一緒に乗り込んで
雪の中をびゅんびゅんと走っている。
(中略)
大人になって
おきまりの挫折みたいなものがあって
あいつもきっと人生の中にのみこまれて
しまったかな、僕と同じように。
あいつ、あのときのことなんて二度と
思い出さなかったろうな。思い出すわけないさ。
考えなきゃいけないことがこの世の中山とあるんだもの。
雪道をさああっと滑ってきて
角を曲がって消えていったアホな車のことなんて
誰が覚えているもんか?
我々は部屋の中で礼儀正しくカップを持ち上げる。
しばしのあいだ異物が入りこんでいたこの部屋で。
カーヴァーが既に達観というような境地にあることを考えても、異国の翻訳者と苦痛ということを話題にしながら、十六歳のときの雪だまのことを考えているカーヴァーに、底なしの祝福を贈りたい気分になる。詩集の成功とその後の挫折。飲酒、家庭崩壊、癌と、お決まりの三文小説のような人生を過ごして来て、それをまるで釣り上げ損ねた鮭のように語るカーヴァー。勿論、当事者達にとっては、そんな態度は全くもって無責任に映ったであろうことは容易に想像できるが、カーヴァーは水が低い方へ流れるように人生を自然に流れて来たようだ。
いつも何か足りないものを感じ、それを飲酒でまぎらわせる、というのは世の東西を問わず起こることだ。無心に近い状態で成功してしまった結果、何が成功の鍵だったのか解らず、柳の下に二匹目のドジョウを探しに行くような心境になることは、想像に難くない。それはまるで、名選手が監督になって悩むこと、ソロのうまい奴がパートリーダーになって悩むこと、つまり、自分の才能を自分で理解できない内に他人に認められてしまう全ての者に起こることだ。
そして、カーヴァーは詩を書かなくなる。
人生は悪循環をつづける。
しかし、最後の最後に踏みとどまった時、アルコールから手を引いた時、人生最後の時にまた詩に戻って来たのだ。その決意に拍手を贈りたい。
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