- Amazon.co.jp ・本 (431ページ)
- / ISBN・EAN: 9784124035025
作品紹介・あらすじ
表題作に加え、「ぼくが電話をかけている場所」「ささやかだけれど、役にたつこと」ほか、一級の文学としての深みと品位をそなえた、粒ぞろいの名篇を収録。成熟期の風格漂う、レイモンド・カーヴァー最高の短篇集。ライブラリー版刊行にあたり全面改訳。
感想・レビュー・書評
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密室殺人の謎を解き明かしたいから、ホッキョクグマの生態が知りたいから、はたまた確定申告の仕方がわからないから、、、人は色んな理由で色んな本を手に取る。私にとって、本、もっと言えば小説を読む理由は色々あるが「自分が歩むかもしれなかったifの人生を追体験し、そこにどんな感情が生まれるのかを知りたい」からというのが一つだ。
その意味でこの「大聖堂」は自分の経験値を高めてくれたと感じた。
自分の子があまりに不細工でも(友達が嫌々見せてくれた彼女があまり可愛くなかったあの感覚に似ている)その子を愛すことの尊さを知った。
自分の子を失った絶望の淵で救いになるのは見え透いた同情でもお金でもなく、小さなパンの温かみであることを知った。
飲んだくれの浮気者だからこそ愛を信じたいと、そう思った。
妻に逃げられ、何もかもうまくいかない中で一人のベビーシッターから喪失と向き合う力をもらった。
盲人と手を重ね合わせながら目が見えない人間の心のありようを感じとった。
書き出してしまうとあまりに陳腐だが今後自分の人生で悲しい出来事に見舞われた時、帰ってくるのはこういう作品なんだと思う。 -
とても、おもしろかったです。
読むと、心がざわざわする短篇ばかり。
人の何気ない行動とか、その人の目に映る風景などの描写が続くのですが、それらがこんなにも人間の感情を映し出しているなんて、と驚かされます。
すぐれた小説は映画と同じなのかも。直接的な言葉であれこれ説明しないところが。
村上春樹氏の解説も良かった。
同じものを読んで、こんなにも理解力が違うとは! 驚きます、自分に。(笑)
でも、村上さんが選んだ「ベスト4」より、「それに続くAダッシュクラス」の作品が私は軒並み好きでした。「轡」とか「熱」とか、すごく好きだなぁ~。
うーん、でもやっぱり「ささやかだけれど~」もいいし、「羽根」や「コンパートメント」もいいな。
どれも甲乙つけがたい作品集です。 -
優れた小説は確かさに裏打ちされる。フィッツジェラルドの短編も、ヘミングウェイの短編もそうだ。確かなあたたかみ、確かな孤独、確かな悲しみ。そういった確かさをレイモンドカーヴァーの短編はしっかりと備えている。それは一級の文学作品であることと裏表だ。優れた小説を読む喜びに胸を浸しながらゆっくりと一冊読んだ。
どの短編もじんわりと良くて一言ぐらい何か言いたくなるが、『ささやかだけど、役に立つこと』がなかでも抜きん出ていたように感じた。突然の悲劇に見舞われる夫婦と、愛から見放されて投げやりな日々を送るパン屋の出会い。悲しみはとめどなく、そこから浮上する方法は見えないが、パンは確かにあたたかくて柔らかい。そういったことがシンプルな描写から実感としてずしりと伝わってくる。
派手さと分かりやすさがない分、カーヴァーを読みこなすにはそれなりの小説を読む力というか、味わう力が必要なように感じた。これはある人にはあるし、ない人にはない、私もかつてはなかったのだけれど、いろんな小説を読んで鍛錬して、小説を読む力が少しずつ育てられたみたいだ。そういうことを感じられるのは、私にとってとても嬉しいことだった。 -
文学ラジオ第107回紹介本
https://open.spotify.com/episode/3ASShVN8JYXXZq1HA1gCy1?si=c5f2a9cde48e4faa
言わずと知れた短編の名手の代表作に近い短編集で、再読するとどれも印象に残っていた作品ばかり。短編って本当に不思議だと思う。タイトルや登場人物の名前なんかはすっかり忘れていたけれども、描かれていることの断片がしっかりと残っていて、読み返すと初読のときの気持ちをすぐに思い出すことができる。 -
「三流のすすめ」に続いて、新相対性理論の中で紹介されていて興味を持ったので読んでみた。レイモンド・カーヴァーはこれまでもいくつか読んでいたけど(主に院生のころに読んでいた)、これまでイマイチその良さがよくわからずに、なんかよさげなんだけど「人間に冷たい」印象を持っていて、そこまで好きではなかった。
でも今回、たぶん、導入のテス・ギャラガーのまえがきが存在していたからだと思うのだけど、レイモンド・カーヴァーが私が感じていたようなこと(それはそれでそのときの私の感覚が感じたことだから間違ってはないとは思うんだけど)のつもりではなくて、もっと「人たち」に温かいまなざしを注いで書いていたことが感じられた。
以前の私はたぶん、世の中に自分とは違う世界を見ていて、そこでの苦しみが当たり前になってしまっている人たちがいることに、気づいていなかったのだ。視野が狭かったのかもしれない。
「ささやかだけれど、役に立つこと」は、この短編集の中でも個人的にはとびきりの一篇になった。なんなら泣いた。一つの奇跡を目撃したみたいな気持ちになった。人と人との間にはこんな奇跡が起こりうるのだ。
レイモンド・カーヴァーすごい。昔イマイチ…と思ったものも全部読み返してみたくなった。 -
悲劇的な出来事であってもレイモンドカーヴァーに語られることでどんなハッピーエンドよりも美しい話であるように思える。
人生から悲劇を取り除くことはできないけれど
レイモンドカーヴァー的考えがあれば全ての出来事を美化できると思う。
この思考を持っていれば見かけだけのキラキラ生活を送るよりもずっと素敵だろうな。
本当に美しいものに触れた時に感じる、胸が締め付けられる冷静な高揚がずっと続いていた。
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レイモンド・カーヴァーの短編集。これぞ読書の醍醐味と言っても決して過言ではない。どの短編も捨てがたいが、特に表題作である「大聖堂」を読んだときには、何かが「降りてきた」ように感じた。そんな本ってあまりない。
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風景と物語との距離感が実に心地良い。風景を物語の象徴だと受け取ってしまえばそれまでなのだけれど、そこはあえて、ただそこにあるものとして読んだ方が楽しめるはずだ。
この短篇集で描かれるのは、人情劇に近いものなのだけれど、それにしてはテーマが明確で無いし(けして悪いことではない)登場人物たちの感情もはっきりしない(重ねて言うが、けして悪いことではない)。
こういうタイプの小説としては、O・ヘンリーほど劇的ではないし、モーパッサンほど冷たい視線を注いではいない。
ただ実に正確に、実際に存在するであろうタイプの人々に心を寄せて描くその姿勢には、不覚にもうるっとくるものがある。レイモンド・カーヴァーというのは、本当に良い小説家だ。 -
レイモンド・カーヴァーのマスターピースが収められた短編集であるが、個々の作品である「大聖堂」、「ささやかだけれど、役に立つこと」、「ぼくが電話をかけている場所」は既に読んでいたので、この短編集自体は未読であった。しかし、他にも優れた作品があるといわれているし、短編集として改めて読んだ一冊。
前述の3作品がどれも完璧な作品であることは最早言うまでもなく、何度読み返しても素晴らしさを実感できる。「大聖堂」の静かに胸に湧き上がってくる感動や、「ささやかだけれど、役に立つこと」の全く別種の悲しみを背負った2組の奇跡的な邂逅など。
一方、未読の作品では「熱」が素晴らしいと感じた。妻に逃げられた美術教師が子供の世話をしてくれるベビーシッターを探し苦労する中、ようやく見つけた一人の老女性との出会いにより、別れた妻を吹っ切り次のステップを進む端緒を見出す。ベビーシッターの老女性は全てを見通している超越者のようにそこに存在し、進むべき道を教えてくれる宣教師のようでもあり、静謐な美しさが印象に残る。