グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

制作 : Francis Scott Fitzgerald  村上 春樹 
  • 中央公論新社
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本棚登録 : 6820
レビュー : 622
  • Amazon.co.jp ・本 (356ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784124035049

感想・レビュー・書評

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  • 「村上春樹が人生で巡り会った、最も大切な小説を、あなたに。・・・小説家として目標のひとつとしてきたフィツジェラルドの傑作に、翻訳家として挑む、構想二十年、満を持しての訳業。」(扉ページから抜粋)

    私はこの作品を読むのはこれがはじめてですが、この扉ページの紹介文を読むだけで、かなり期待してました。
    これまた、「漫画で読む世界文学」シリーズで「グレート・ギャツビー」を読んでいて、読んだつもりになっていたのですが、はっきり言って漫画では意味がよく分かりませんでした。小説のほうが、全然いいです。

    あとがきで、村上春樹さんが、「これまでの人生で巡り会ったもっとも重要な本を三冊あげろ」と言われたら、」、『グレート・ギャツビー』と『カラマーゾフの兄弟』、『ロング・グットバイ』をあげる、と述べています。このチョイスも興味深いですが、その中で一冊あげろと言われたら、『グレート・ギャツビー』をあげる、と言っています。
    それほど思い入れのある作品なわけですが、何故それだけ好きなのか、今回読んでみて、なんとなく分かったような気がしました。

    今年の六月から映画も公開される予定のようです。
    哀しくも、美しい物語です。
    村上春樹の美しい日本語がお世辞ではなく、冴え渡っているような気がします。
    ギャツビーという青年が主人公です。
    ギャツビーは、夜ごと、豪勢なパーティを催しているんですね。
    そして、豪華な邸宅まで建てている。
    それらのギャツビーの行動のすべてが、あるひとつの目的のためになされているのが、読み進めるにつれてわかってきます。
    つまり、ギャツビーは、失われた愛を取り戻そうとしているんですね。
    しかし、ギャツビーの愛した女性は、既に結婚してしまっている。・・・

    これ以上は書きませんが、どうでしょうか? あなたにとって、ギャツビーは、どう映ったのか・・・。ご意見、お待ちしています。

  • 二回繰り返し読んだ。
    原書や他の訳書も読んでみたい。

    ギャツビーのデイジーへの熱情が切ない。

  • 自分の信じる理想や夢(例えそれが帰って来るはずのない過去であろうと)に心血をそそぐことを恥ずかしいという理由であきらめてはいけないなと感じた。
    人に笑われようが軽蔑されようが、笑うのはいつも人であって、物語の中のギャッツビーはきっと笑わない。「大丈夫だ、オールドスポート」とうすっぺらいオックスフォード仕込みの英語で、完璧な微笑みで、元気づけてくれるだろう。

    村上春樹がこの滑稽なまでの夏の悲劇に何度も元気づけられた気持ちがわかるような気がした。

  • 村上春樹が「一番好き」と公言している、1920年代のアメリカを舞台にした小説。

    …なんていうことについては、実は事前には全く知らず、『テヘランでロリータを読む』という小説に取り上げられていたから読んでみようと思ったという、恐らく、この本を手に取る人の全体から見たら物凄く珍しいと思われる経緯から、作品世界に入りました。

    村上春樹作品にドップリ浸かっている、フリークに近い方々からは絶賛されているのでしょう。それは、読者が村上春樹と程度の差はあれ似たような視座を持ち、感性を持ち、人によっては「春樹が好いと言うならば、問答無用で好いに決まっている」という盲信をも持ったうえで抱く感想なので、ごく当然だと思います。

    それを踏まえ、さらに村上春樹という人の小説家としての、また翻訳家としての素晴らしさは理解しているものの、今まで彼の作品に全くと言っていいほど触れていない自分としては、この作品が「村上春樹がトップに挙げるほど素晴らしいもの」だとは思えませんでした。

    もちろん、小説の中に描かれる風景はとても美しいし、煌びやかなギャツビーの生活も、ニューヨークに向かう途中の灰色の街も、ギャツビーの繊細で純粋な心も、緻密に素敵に描かれているのは分かる。でも、結局のところ小説というのは個人の感性が良し悪しを総て決めるものなので、今の自分にとってはそこまでは響かない、としか言えないなぁ、という感じです。
    そんなことを言ってしまったら、そもそも小説の書評というもの自体が成り立たないんだけど。

    ただ、あとがきで村上春樹が「これまでの翻訳では、自分の読み方とは相いれない翻訳がなされている部分もあったので、今まで自分が抱いてきたイメージを大事に訳出した」と書いています。つまり、彼の中にある彼なりの「ギャツビー」像が、この村上春樹版「グレート・ギャツビー」には盛り込まれている、ということ。彼の美意識や感性による訳だからこそ、それに親和性の高い村上春樹ファンを惹き付けているのでしょう。

    そうなると、春樹版以外の「ギャツビー」を読んでみたくなるのが、読書好きの常。そのうち、別の方が訳したギャツビーに会いに行くことになるかもしれません。その意味では、「これは春樹版である」と断言してくれた、親切な訳者に感謝です。

  • 人生で初めて二度目を読んだ本。

    最初はピンとこなかったけれども、二度目は「ギャッツビー」を都合よく利用する彼の周囲の登場人物たちを憎んだ。そして三度目は純粋でまっすぐが故に馬鹿を見る彼に同情するとともに、突っ走る彼にも非があったことを感じた。

    じゃぁ「ギャッツビー」はどうしてたら正解だったのか・・・
    読了後にそう考え込んでしまうような本でした

  • 悲しく、寂しくなる話ですね。ギャッツビーに完全に肩をもつわけではないけど、彼を取り巻く人々が憎い。でも自分自身がトムにも成り得るかもしれないし、デイジーのような部分が全くない訳ではないだろうし、実際の社会の現実はこういうものという実感があるので、手放しで憎めない。それが辛かったです。

  • なぜこの作品が何年も読み継がれているのかを考えてみた。

    フィッツジェラルドの描写はとても精緻だ。

    でも、不思議なことにイメージを限定しない。

    燦々と降り注ぐ陽光がまぶしくて景色でも人でも輪郭がよく見えない、そんな印象。

    まるで批判しているみたいだけど、そもそも小説というのはどれだけ読者の想像力を喚起させるかというのが肝なわけで、これだけ精緻でありながらイメージを押し付けないというのは読者が頭の中で架空世界を飛躍させていく上では夢のような踏み切り台になる。

    何度読んでもそのときの自分の状態によってちょっとずつ違うイメージを浮かばせてくれる。

    文学ってのはすごいもんだ。

  • ブッククラブ、7月の課題本。珍しく、ミーティングの前に感想を書けました。なんで、他メンバーの感想を聞く前に、他情報に心変えられる前に、素直な自分の感想を。

    マジで理解不能。なんでこの本が評価されたのか全くの謎。
    時代設定が1920年代ってのもあると思うけど、あまりにも現在社会とかけ離れすぎてて、また一般読者の平均収入からもかけ離れすぎてて、超理解不能。
    アメリカに住んでる私ですら、風景が頭に全く浮かんでこない故、日本に住んでる読者とか、読むのに超苦労するだろ。

    プラス、登場人物多すぎ。そして名前覚えられなさすぎ。すなわち、各個人の特徴がつかめなさすぎ。
    皆様の話題の中心にいる艶やかなギャッツビー氏、どうやら後ろ暗い噂もいくつかあるようですが、常に注目の的である氏。氏と共通の友達であるブキャナン奥方を合わせて氏と深く付き合ってくと、徐々に氏の過去と本性、そして思惑が垣間見え始める。ただ、運命の歯車が思わぬところで咬み合ってしまい、氏に訪れる突然の幕切れ。艶やかだった氏を取り囲んでいたものは、氏の生い立ちと同じく、偽りの友人のみなのであった。
    って言うのを読み取るので精一杯。でもって、感想:「ふーん」。

    登場人物が多いから、スポットライトを当てる人物をギャッツビー氏からブキャナン氏、ブキャナン奥方に変えることで色んな読み取り方ができると思う。
    そういう意味では何度も読み返せる小説なのかもしれないけど・・・如何せん、何度も読み返そうとするほどの文章的引力がないと思う。
    だってさ・・・めっちゃ疲れたもん。この1冊終わらせるのに。

    自分にとっていい本とは、本を読んでいるということを忘れさせてしまうくらい、物語の中にグイグイ引き込んでくれる文章、ってのがあると思う。
    グレート・ギャツビーは真逆。
    物語に入っていきたいのに、グイグイ現実に押し戻される感じ。
    課題本だから頑張ったけど、もう二度と読まないと思う。
    読書はエンターテインメントなんだからさ、物語からグイグイ押し戻されて、それでも必死にしがみつく努力をしなきゃいけないエンターテインメントってのは、矛盾してね?

    文学者にとっては、こういう硬い・難解な、絵で言えばピカソ的な方が高評価なのかもしれないけど、ゆとり教育に片足突っ込んだ現代っ子の私は、一眼レフの写真のように、明確でわかりやすく、努力をしないでも読める話のほうが好きです。
    7/26/2012

  • 夏至がやって来ると、いつも読みたくなる。

    きっと誰でも、デイジーのセリフと同じなのだ。いつでも、通り過ぎて、気づかない。

  • ちょっと過激な友人が「グレート・ギャツビーを読まないヤツは人じゃない!」と豪語してましたが、まさにその通りだと思いましたw

    グレートと呼ばれる謎に包まれた男ジェイ・ギャッツビーの恋を描いたひと夏の物語。禁酒法の時代にお酒の密輸で大金を得たり、毎晩毎晩どんちゃん騒ぎのパーティを自身の豪邸で開くといったとても真っ当とは言えない生き方をするギャッツビーだが、恋についてはただ只管まっすぐ。そこまで一人の女を愛せるのは純粋にすごいと思う。是非とも参考にしたいw
    恋に溺れたら失敗すると解っていても愛せずにはいられない、だが、それでこそグレートなのである。
    現実とロマンの間に揺れてロマンを取る。これこそが男の生き様であり、愛しさの概念なのではないだろうか?
    男が生まれきってのロマンチストなのは間違いない。男は夢に生きるのだ。愛した女がたとえ人妻になろうと生涯追い続けて手に入れる。それが純粋な恋心であり、真実の愛だ。
    それでも大人の世界は上手く行かないのだろう。それぞれにそれぞれの意思があるから物事はねじれ、みんなが幸せになろうとするからこそ誰も幸せになれない。そんな不条理をも感じさせる作品でした。
    田舎者はいつまでたっても田舎者で、都会になれることはできても染まることはできないのである。

    ギャッツビーの生き方は実にかっこいいなー。

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著者プロフィール

スコット・フィッツジェラルド

1896~1940  1920年、処女長篇『楽園のこちら側』がベストセラーとなり、妻のゼルダと共に時代の寵児ともてはやされるが、華やかな社交と奔放な生活の果てにアルコールに溺れ、失意のうちに死去。『グレート・ギャツビー』『夜はやさし』等長篇数作と数多くの短篇を残した。

「2019年 『ある作家の夕刻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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