グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

制作 : Francis Scott Fitzgerald  村上 春樹 
  • 中央公論新社
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本棚登録 : 6813
レビュー : 621
  • Amazon.co.jp ・本 (356ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784124035049

感想・レビュー・書評

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  • 泣いた。上流社会に入れない田舎者。対岸の灯りが見える湾の夜景が印象的。

  • 村上春樹を真似るみたいで嫌だが、自分にとってこの作品は本当に大切な作品のひとつ。

    野崎訳を読んだ時、正直言って良さが分からなかった。五年くらい経ち村上春樹訳を読んで衝撃を受けた。かつて見落としてたディテールがすんなり頭に入ってくるような感覚になった。

    ギャツビー氏の葬儀に誰も来なかった時のノスタルジーの描写は鳥肌もの。

  • たった1人の友人でもいい。飾らない自分の姿と、ある人を慕い続けた半生とを、そんな数少ない友人にさえ知っておいてもらえたなら…


    主人公・僕の隣家、豪邸に住むジェイ・ギャッツビーは週末の毎夜に盛大な宴を開いては、パーティーに押しかける誰とも彼ともつかぬ人々を自分の邸宅に招いていました。
    遠くに見える桟橋の灯火を眺めては、何かを考えるようにして佇むギャッツビー。
    物語は、そんな彼の心にしっかりと刻まれた記憶を、『僕』の回顧を通して紐解いてゆきます。


    ---僕がまだ年若く、心に傷を負いやすかったころ、父親がひとつ忠告を与えてくれた。

    この、お洒落な言い回しから始まる本作のタイトル『グレート・ギャッツビー』とは、まさしく『偉大なるギャッツビー』という。
    素性も明らかではなく、悪い噂がついて回るギャッツビーを『偉大』と称えるこの物語は、人としてまっすぐに生きる男の夢の航跡なのです。


    何かを考えていると、目の前に存在する景色よりも、ずっと遠くの風景に思いを馳せることがあります。
    ちょうど、ギャッツビーが桟橋の灯りに何かを確かめていたように。

    過去に押し戻されても、前に進むことを止めなかったギャッツビーの生き方が、僕は好きです。

  • 男と女のドラマのハーモニーをここまでパズルみたいに描けるって凄いなぁと思う。

    西部から東部へやって来た人間は、どこかしら自分を自分で騙して別の人格を信じ込ませている。

    どうすればギャッツビーはデイジーと結ばれたのだろう、と思う。そして、過去には戻れない、というデイジーの台詞を思い出す。

    過去を封じ込めて夢を追って、でもそれが粉々に砕け散ってしまうなら、いっそ夢など叶わなければいいんじゃないか。甘い夢が悲劇に変わる瞬間は、見ていて耐えられない。
    でもそんな刹那に、人間らしさというものが現れているという人もいるんだろう。

    それでも、たわいもない作り話でもいいから、ギャッツビーには幸せになって欲しかったな。

    結局私は、ギャッツビーが憎めないしそんな人間が好きなんだと思う。

  • ギャツビーをひたすらグレートと言ってる小説だよ、と冗談でおすすめされました。村上春樹の文体のせいか、彼が意識したというスコットの文体のせいか、文章が音楽のように耳に通り抜ける感じ。反芻すると情景が一気に目の前に広がってきて、読んでいる間は自分がアメリカ東部にいるような感覚になりました。
    ギャツビーやデイジーやトムの人生は下手したらどろどろの昼ドラになりそうなものだけれど、ニックのフラットな目を通すと、どこか物悲しいひっそりとしたでも愛に熱いようなものに見えてきました、不思議。

    古典とは思えない翻訳、すごく読みやすかったです。これからもそばに置いて読み返したい一冊でした。

  • グレートギャツビーに関するいくつかの記憶

    夏バテ気味で、冷房にあたると頭痛がするので、三連休というのに、何度もぬるい風呂で長風呂しながら、村上春樹が翻訳したグレートギャツビーをずっと読んでいた。

    村上春樹は、この本の長いあとがきで、自分が作家として影響を受けた作品として、スコット・フィッツジェラルドの「グレートギャツビー」、レイモンド・チャンドラーの「ロンググッドバイ」、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の三冊をあげていた。

    デビュー作の「風の歌を聴け」の美しく、謎めいた出だしも、同じく謎めいた、ギャツビーの出だしに共鳴しているし、彼が英語圏の小説の翻訳をはじめて以来、なんども、ギャツビーに対する思いを述べてきている。

    村上春樹は翻訳と小説を書くという行為の関係について繰り返し語ってきた。

    実際、翻訳という孤独な行為の積み上げが彼の文体を作ったともいえる。

    ニューヨークでコロンビア大学の文学部の大学院生に英語を習ったことがある。20年以上も前のことだ。当時勤めていた日本企業の社員用のプログラムだった。


    僕はグレイト・ギャツビーを一語一語、一緒に読むという変則プログラムにした。小柄で赤毛のユダヤ系の女子学生は、一瞬、フィッツジェラルド何か読むわけというような表情をした後、Greatと微笑んだ。それから数ヶ月間、週2回僕がパッセージを音読して、わからないところを彼女に聞くという奇妙な時間が続いた。それが実用的な意味を持ったかというとかなり疑問なのだが、一つだけわかったことがある。フィッツジェラルドの文章は、ネイティブにとっても、わからないところが多い。特に、謎めいた冒頭の部分がそうだった。文学専攻の彼女も、何度も、これは私にもわからないと肩をすくめた。ギャツビーはそれほど繊細で微妙な文章だった。

    村上春樹はギャツビーの翻訳への想いを書きつづけてきた。その想いがあまりに強いので、なんとなく、彼は、結局、ギャツビーを訳さないような気がしていた。そんな彼が3年前(2006年)に、とうとうギャツビーを翻訳すると聞いたときに、ちょっと驚いたのを思い出す。身体でもわるいのだろうかと思ったほどだ。


    「僕は『グレイト・ギャツビー』の最初の部分がものすごく好きなんですよ。あれを読むといつも胸が震えるんだけど、でも今のところはまだ訳せないんです。そろそろ『ギャツビー』を訳そうかなとときどき思うんだけど、あの最初の1ページを見ただけで、「あ、まだだめだな」と思って、いつも諦めちゃうのね。」 (翻訳夜話)


    ギャツビーを読んでいて、アイビーリーグの出身者が、自分の出身校を地名で言い合う一節があった。ペーパーバッグから目を上げた赤毛の学生が「Snob」と軽く顔をしかめて呟いた。その瞬間に、彼女がユダヤ人であること、アメリカという社会の中で女であること、ギャツビーの大豪邸のある場所の近くの普通の町で育ったことなどが一度にぼくの頭の中に流れ込んできて、文章の中から、濃密な時間と空気の匂いが溢れ出たのが鮮明に記憶に残っている。


    かなり丁寧に読んだので、1冊すべてを読み終わることはできなかった。どこまで読んだのかは忘れてしまっていたし、テキストに使ったペーパーバックも今はもう手元にない。


    でも、今回グレートギャツビーを読んでいて、自分がどこまで読んだかが、はっきりとわかった。彼の文章を辿って行く中で、オリジナルな英文の連なりまでがうっすらと思いだされる部分とそうでない部分があったからだ。その断絶部分もはっきりとわかった。

    ヒロインの古い友人ジョーダン・ベーカーが、語り手のニック・キャラウェイに、ケンタッキー州ルイビルでの、ディジーの結婚にまつわる秘密と、ギャツビーとデイジーの関係のことを告白するシーンの途中だった。

    村上春樹は、この本のあとがきで、こんなことを書いている。

    「『グレート・ギャツビー』はすべての情景がきわめて繊細に鮮やかに描写され、すべての情念や感情がきわめて精緻に、そして多義的に言語化された文学作品であり、英語で一行一行丁寧に読んでいかないことにはその素晴らしさが十全に理解できない、というところも結局あるからだ。


    『グレート・ギャツビー』において、文章家スコット・フィッツジェラルドの筆は、二十八歳にしてまさにその頂点に達している。ところがそれを日本語に翻訳すると、そこからは否応なく多くの美点が損なわれ、差し引かれていく。デリケートなワインが長旅をしないのと同じことだ。独特のアロマやまろみや舌触りが、避けがたく微妙に失われていく。


     だからこういう小説は原文で読んでいただければいちばんいい、ということになってしまいそうだが、ところがこの原文がまた一筋縄ではいかない。空気の微妙な流れにあわせて色合いや模様やリズムを刻々と変化させていく、その自由自在、融通無碍な美しい文体についていくのは、正直言ってかなりの読み手でないとむずかしいだろう。ただある程度英語ができればわかる、というランクのものではない。」

    本当に、厄介な英文だった。古典文学を研究している大学院生のアメリカ人が、何度も、首をかしげたのが懐かしい。

    ただ、一行一行、しつこく読むという体験は、確実に、僕の肉体にはっきりとした息遣いとして記憶されていた。村上春樹がギャツビーと向かい合ってきた長い時間と、彼を契機としてフィッツジェラルドを読んできた僕の時間が複雑に交錯している。一種の快楽だと思う。これが、長く人生を生きてくる良さなのかもしれない。

  • 読むのに少し時間がかかった。どうしても外国が舞台の本はその情景や慣行、言い回しに慣れなくてイメージするのに時間がかかる。
    このグレート・ギャツビーにしても例外ではなく、最初さえ馴染むのに時間がかかったが、途中からはのめり込んで読めた。
    ギャツビーの激しくも冷静さを装う感情の起伏が読み手を引き付けてくれるんだと思う。もちろん他の登場人物の微妙な心の揺れも。
    哀れなギャツビー…

    あとがきで村上春樹さんがどれだけこの本がすばらしく、個人的に好きかを熱弁してる。
    このあとがきもおもしろかった。

  • あんなにも大勢居たパーティーの客達は、一体どこへいってしまったの?
    ギャツビー…ギャツビー…

  • 冒頭と最後の文章が好き。
    ギャツビーの不器用で滑稽なまでの幻想。哀しさが残る物語だ。
    前半は人物の名前の羅列や、波風たたない調子で読み進みにくかったが、ギャツビーがニックに打ち明け始めるところから俄然おもしろく、一気に読んだ。

    過去へと押し流されながらも、前へ前へと進み続ける。
    ギャツビーにはそれができなかったのだろう。

  • 何とも切ないストーリー。
    世の中には繊細な人と繊細でない人がいて、繊細でない人々は自分にとって余計な物が目に入らないから、何も知らずに利益を享受する。
    一方で、繊細な人は無神経な誰かの体を避けるうち、哀しい運命を負わざるを得なくなる。
    ギャッツビーという人物がどんな人だったのか、本書では意外と明らかにされていない。
    そのために僕ら読者は、彼の中の自分と重なる部分を発見して、彼の気持ちと自分のきもちをかさねあわせるのだろう。

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著者プロフィール

スコット・フィッツジェラルド

1896~1940  1920年、処女長篇『楽園のこちら側』がベストセラーとなり、妻のゼルダと共に時代の寵児ともてはやされるが、華やかな社交と奔放な生活の果てにアルコールに溺れ、失意のうちに死去。『グレート・ギャツビー』『夜はやさし』等長篇数作と数多くの短篇を残した。

「2019年 『ある作家の夕刻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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