グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

制作 : Francis Scott Fitzgerald  村上 春樹 
  • 中央公論新社
3.62
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本棚登録 : 6816
レビュー : 621
  • Amazon.co.jp ・本 (356ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784124035049

作品紹介・あらすじ

村上春樹が人生で巡り会った、最も大切な小説を、あなたに。新しい翻訳で二十一世紀に鮮やかに甦る、哀しくも美しい、ひと夏の物語-。読書家として夢中になり、小説家として目標のひとつとしてきたフィッツジェラルドの傑作に、翻訳家として挑む、構想二十年、満を持しての訳業。

感想・レビュー・書評

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  • 村上春樹訳につられたわけではなく、上映中デカプリオ主演につられたわけでもなく読みました。

    実はどっちも購入意欲に火をつけたのですが。

    1920年代前半、アメリカがちょっと凄い意味での勢いのある時代の富豪、
    ギャツビーという男の謎の面鮮やかさ。わきを固める男女の人間臭さも語り手の友人ニックの好感度もすべてストーリーに素晴らしい色を加えてくれました。
    訳者あとがきがまた良くて、お得感とともにしみじみと本を閉じるのでした。

  • 最初は文化の違いや、独特の言い回しからページが進まなかったが、徐々に登場人物について知るうちに夢中になって一気に読んでしまった。

    主人公のややこしい人をほっとけないところや、傲慢なトム、悪気なく人を傷つけるデイジーなど、時代や文化は違えど全く別の世界の話とは思えなかった、むしろとても近く感じた。

    何より過去に囚われた哀れな男、ギャツビー。

    人をから女を奪うにはあまりにも優しすぎた。
    そして時とともに人は変わる。どれだけお互いを強く思っていたとしても。

    ラストはあまりにも衝撃的で切なかった。
    現実的でもあり、幻想的でもある。
    なのになんだか納得してしまうラスト。

    パーティーで見たたくさんの人々は幻だったのだろうか。
    それともギャツビーが幻だったのだろうか。

    彼はデイジーを手に入れるためにたくさんのことを犠牲にし過ぎた。
    デイジーがすでにギャツビーの中のデイジーではないということを知らずに。

    村上春樹がこの小説を愛している理由がわかる気がする。

  • もうずいぶん前のことだけど、野崎訳を買って読み始めた。けれど、最初の2章ほどでストップしてしまった。そしてそのままになっていた。その本を買ったのも、もちろん村上春樹が最も影響を受けたと言っていたからだ。そして今回、村上訳が出るということで、すぐに書店で買い求めた。読み手(私)の姿勢が違うためか、最初の段落からぐっと心が引きつけられた。もっとも、2章、3章はやはりちょっと退屈気味ではあった。ところが、4章後半から、一気に読むテンポが速くなった。それからどうなるのか、ということが早く知りたくなった。えー、そんなことに・・・。小説の内容は具体的には書きません。ただ気になったことを2つ。1つめ、デイジーは結局どうなったのか。罪の意識を持ちながら生き続けるのか。それとも気が狂ってしまうのか、自殺するのか・・・。何もかも忘れて普通に生活をされたら、いくらなんでもと思ってしまう。2つめ。5章でデイジーとギャツビーが再会する場面。「あがっている」という言葉が二度使われている。どうも、この言葉に違和感を感じる。確かに以前は、受験のときとか、ピアノの発表会とか、あがってうまくいかなかった、などと言っていた。しかし最近はどうもこの言葉は使わない。緊張するとしか言わない。そして、あがる=緊張する、ならば、この場面ではふさわしくないような気がする。それで気になって野崎訳も見てみると、同じ訳語だった。さらに原著に当たってみると、“embarass”という単語が使われている。辞書を見ると困惑とかまごつくという訳が当てられている。それも違う。何と言えばいいのだろう? そのときのギャツビーの気持ち、すごく分かるんだけどなあ。

  • 高校生の頃に新潮文庫の方を読んでおり、内容もある程度記憶に残っていたので、ストーリーを楽しむというよりは訳者による表現違いを楽しもうと思って読みました。
    翻訳ものが訳によって全然違うというのは聞いていましたが、今回実際に読み比べて訳者が違うと全体の印象がこんなに変わるものか!と驚きました。
    以前の訳ではギャツビーの執着心が何かと目に付き、何て気持ち悪い人物と思っていましたが、今回はそこまで感じませんでした。
    むしろ今回は、デイジーの身勝手さと保身に走る姿に反感を覚えました…
    スコッティ・ジェラルドの作品は言葉の美しさが魅力と良く聞きますが、今回その美しさの意味が少しだけ感じ取ることが出来た気がします。

  • 大学の英文和訳の授業で読んでいたのを、村上春樹訳の日本語で読み直した。
    村上訳を選んだ理由は、彼の作品の中でしょっちゅうフィッツジェラルドが出てきたので、そんな村上春樹がこの作品をどう日本語におとしこむかに興味があったから。
    英語で読んだ時も勿論良かったが、私はすらすら完璧に読めるほど英語力が高くなかったので(笑)、訳書で読んで改めて理解を深めた。翻訳の出来としてもいい方だと思う。なかなか忠実に、そして読みやすいように仕上がっていると思う。
    そして内容の感想だが、やはりいい。しみじみとした深い感動が広がる。冒頭の文章は折に触れ思い出され、闇夜に浮かぶ緑の灯は度々目の裏にちらちらとともる。
    (ちなみに冒頭だけでも原文を読んでみることをおすすめする。本当に味わい深い名文だから)
    2013年公開のレオナルド・ディカプリオ主演の映画版も観たがそちらもなかなかよかった。でも映画好きなら1974年ロバート・レッドフォード主演の方も観てみるといいと思う。

  • 印象的だったのはギャツビーとデイジーが他の人(夫含む)が居るのを無視して二人の世界で語り合うシーン。あの瞬間が二人のピークだった。あのときはたしかに二人は愛し合ってたのに、人を好きになることと、そのことに必ずついて来る現実的な煩わしさとか、愚かさ、醜さとか。

  • ずーっと読みたかった村上春樹訳の『グレート・ギャッツビー』。こんなアメリカの田舎なのに、近くの図書館で見つけた!
    村上春樹が一番好きな本だけあって、彼が訳したこの本はとっても面白かった。

    「ギャッツビー」は原本は読んだことないけど、Robert Redford の映画と最近のLeoの映画は見たことあるので、頭の中でいろいろ比較しながら読んでみた。
    村上春樹の訳はレッドフォード「ギャッツビー」の情緒的で叙情的な映画の感じを、上手くレオ「ギャッツビー」の現代的な文体に訳されてて、すんなりと世界に入ってこれた。

    でも、このギャッツビーに出てくる人物たちはレッドフォード「ギャッツビー」のイメージなんだよな~。

    ギャッツビーの光と影、明と暗のギャップが上手く書かれてて、人の世の儚さがとても浮き彫りになってる。
    そこが映画では味えなかった貴重な部分だったので、読み終った後の寂しさはかなり重い。
    それでもニック・キャラウェイの素敵な文章(村上春樹の訳のすごさ)で、きれいに終わってるのが、海の引き潮をイメージさせる。

    これは、是非、本を購入してもう一度読みたい。

  • 名作といわれる作品には、ハードルが高いような気がして、あまり手を出して来なかったけど、ふと目に留まり挑戦してみた。
    デイジーのずるくて、軽薄で、いかにも「女」なところがリアル。そしてギャツビーは過去のデイジーや彼女との想い出を美化し過ぎてしまい、今のデイジーと対峙するにはあまりにも純粋過ぎたのかなあと。原作が素晴らしいのか、やはり村上春樹の訳が良いのか、読みながら情景や風景がカラフルに鮮やかに浮かんでくるのは、読んでいて面白かったし、そのお陰で思っていたよりもするすると読めた。
    翻訳って、原文の直訳では意味がなくて、そのエッセンスを伝えるためには、小説を自身でかける位の文章力と想像力がないとできないよなと常々思っていたので、実のところ村上春樹のあとがきが一番興味深かった。
    [2014.10.05読了]

  • 村上春樹はグレートギャツビーを今まで読んだ本の中でNo.1と言っていたが正直自分にはそこまでと思える作品には思えなかった。もちろん読み応えがあり面白い作品ではあるが
    映画版の翻訳は村上春樹訳を使っているのだろうか?台詞の訳がほとんど村上春樹訳の小説と同じだったと思う。

  • 「よくわからなかった。」というのが
    初めて呼んだ感想だった。

    それと同時に「また読みたい」とも思った。
    はじめは少し読みづらいと思って読み進めていたが、
    いつの間にか、のめり込むように読んでいた。

    最後は感動も悲しみもなく、
    終わってしまった。という感情だけが残った。
    「よくわからなかった」というのは、あとがきでも書いてある通り、
    理解できていないだけだと思った。

    また、沢山の本を読んだあと
    ゆっくり読み直したい。

  • ○「誰かのことを批判したくなった時には、こう考えるようにするんだよ」と父は言った。「世間のすべての人が、お前のように恵まれた条件を与えられたわけではないんだと」
    ○ギャッツビーは緑の灯火を信じていた。年を追うごとに我々の前からどんどん遠のいていく、陶酔に満ちた未来を。それはあのとき我々の手からすり抜けていった。でもまだ大丈夫。明日はもっと速く走ろう。両腕をもっと先まで差し出そう。・・・そうすればある晴れた朝にー

  • 80年前に書かれた普及の名作を最近、村上春樹氏が翻訳したもの。村上氏の「雑文集」で絶賛されていた小説なので、普段私は、小説はほとんど読まないのではあるが、読んでみた。本当に作品の良さを知るためには、英文で読まなければいけないらしい。英文学科では、実際に授業で翻訳するらしい。いい小説だとは思ったが、絶賛するほどではないと感じた。村上氏のような専門家には評価が高いのかもしれない。

  • デイジーはギャツビーに「ああ、あなたはあまりに多くを求めすぎる!」と言った。何でも手に入るはずだけど、本当に欲しいものを手に入れるのは簡単じゃない。時間は巻き戻せない。ギャツビーを純情と言うべきなのか、オイラはわからない。不倫をするトムだからデイジーを奪ってもいいということにはならないだろう。ニックのまわりにはまともな人が少ない。そのニックがまともかどうかもあやしいけど、ニックじゃないとこの物語は全然違うものになっちゃいそうだ。考えてみればオイラだって、身のまわりでまともなのは自分だけだと思っているところがあるなぁ。第三者のことはまるで監督気取りで見れるってことなんだと思うけど、自分のこととなると甘い。恋愛沙汰となればなおさらなんだろうけど、ギャルビーはなんでテイジーなんだろう?トムはなんでマートルがいいんだろう?ニックにとってのジョーダンも。好きになる女の子の好みって、ほんとに人それぞれぞれ。この仕組みってほんとにすごい。女の子もそうなんだろうけど。ギャツビーとトムみたいに一人の女性を奪い合うようなことがあちこちで起できたら世界は平和でいられないもの。

  • 面白い。面白かったです。でもやはり、これ困ったことなのですが、この物語そのものの内容よりも、村上春樹さんの「訳者あとがき」読んでいるほうが、面白い、、、という、大変に困った感想になってしまうことが、うーむ、すみません。という事に、なってしまうのですよねえ、、、

    多くの人々が、村上さんに対して「グレート・ギャツビーって、そこまで面白い作品ですかねえ?そうでもないと思うんですけどねえ、、、」って感想を述べて、それに対して村上さんは「グレート・ギャツビー、最高じゃないですか!何故にこの作品の素晴らしさがわからないんですか!?」ってプンプンしちゃう、っていうことを繰り返してきた、みたいな逸話が語られているのですが、すみません。僕も、もし村上さんに会うことができたら、同じ質問をしちゃう気がします。「そんな、そこまで、おもろなかったですよ。なんでそんなに好きなんですか?」って、言っちゃう気がします。

    そんな面も含めて、うは~、人って面白いなあ。って思いますね。村上さんにとっては、本当に本当にこの作品は、大切な作品なのだろうなあ。俺にはあんま、わからんかったけど。っていう、その価値観の違い。その違いは、何故に生まれるのか?不思議。本当に不思議。おもろいなあ、っていう感じ。

    あと、村上さんの解説で面白かったのが、この作品を「現代の物語」として翻訳しようとしたこと、ってところですね。1922年が舞台の、1924年に書かれた物語を、1922年が舞台の、2006に書かれた物語にする。という行為。そうした変換。いかに「まさにリアルな現在そのものの」作品にするか?って考え、面白いなあ~。ってね、感じましたね。映画で、バズ・ラーマン監督が、「ロミオとジュリエット」を、ディカプリオとクレア・デーンズ主演で、現在の物語としてリメイクしたみたいな感じでしょうか?バズ・ラーマン監督、この作品自体も、これまたディカプリオ主演で、「華麗なるギャツビー」で、映画化してますよねえ。観たい。観てみたいなあ。

    なにはともあれ、自分にとってはこの作品は、村上春樹、という媒体を通して理解した作品であり、村上さんあってこそ気になった作品である、ということは、そもそも、ホンマモンの原作者であるスコット・フィッツジェラルド氏にとっては、大変に失礼だよなあ、、、マジごめん。ってところなのですが、やっぱ俺は村上春樹が好きだなあ、という事しかどうしても言えない。すまん。そういう作品でした。

    ギャツビーさんは、愛すべきキャラだなあ、とか、なんでデイジーよりも別に好きな女の人に出会わなかったのかね?ううーもったいない、とか、色々と思うことはありますが、心からこの作品にハマったか?というと、ごめん、、、そんなことは、なかった、、、というね。大変申し訳ない感想ですね、ってところで、ゴメンナサイ。なのでした。ごめんなさい、、、

    • aida0723さん
      同感です・・・
      同感です・・・
      2018/08/25
    • 浮気なスーさん
      aida0723 さん
      コメントありがとうございます。
      同感していただけまして、嬉しいです、感謝です。
      どうしても、「ホンマにめちゃん...
      aida0723 さん
      コメントありがとうございます。
      同感していただけまして、嬉しいです、感謝です。
      どうしても、「ホンマにめちゃんこ面白い!」とは、思えなかったんですよね、、、フィッツジェラルドさん、ゴメンなさい。村上さん、ゴメンなさい。
      そんな感じの一冊でした、うんうん、という。
      コメント、ありがとうございました!
      2018/08/28
  • この本を初めて目を通した後に得た感想としては残念ながらフィッツジェラルドの魅力を十分に感じることはできなかった、という一言に尽きた。優美な比喩表現に目に映るような背景描写。確かに偉大な小説であることは間違いないように感じるが、何か一つもの足りないような、読後に腑に落ちないような葛藤に襲われる。村上春樹が言うように、どうやら僕は他の人々と同じようにこの小説の魅力を知るに値する能力を持ち合わせてはいなかったようだ。読書というのは奥が深い。僕はまだ読書家としてはまだまだだから、もっと嵩を増やしていけばいつかこの小説の本当の魅力が分かるのかもしれない。そんな、小説全体の可能性について感じることができる作品だった。最後に敢えてこの小説の感想を述べるとしたら、デイジーには失望した、です。

  • 高校生くらいの時に読んだギャツビーを、村上春樹訳で再読してみました。10代のころは全く理解できてなかったな、この小説の深さは(笑)。淡々とした状況、心理描写が続く中に、登場人物たちの微妙な心理のかけひきが展開される。それぞれの人物の過去が徐々に明らかになっていくプロセスにもそそられる。そしてラストに向けての一気の展開。
    また、村上さんがあとがきでも書かれているように、小説の冒頭と最後の文章のリンクの美しさもまた素晴らしい。
    途中、状況設定が細かくてついていけなさそうにもなったけど、やっぱり5つ星かな。

  • 村上春樹の本に出てきた作家がスコット・フィッツジェラルドというだけで大学の図書館に入りびたり、フィッツジェラルド全集等を隅から隅まで読んでいたあの頃。しんとした図書館の人気のない片隅の古い紙の匂いがよみがえります。大学の近くの小さい本屋さんでは文庫本しか買えず”華麗なるギャツビー”の映画のロバート・レッドフォードとミア・ファローが表紙の偉大なるギャツビーを手元に置いて何度も何度も読んだはずなのに・・・・

    いつの間にか手元にはその本は無く、そしてショックなことに内容さえおぼろげ。
    先日サリンジャーの本も何冊か再読したんですが、それもかなり覚えてなかった。こんなに若い時に読んだ本って覚えてないものでしょうか?「長距離ランナーの孤独」や「土曜の夜日曜の朝」はタイトルだけは鮮明なのに中身は?たぶん覚えてない。。。

    自分の脳にがっくりしながらこの本を熟読。初めて読むような気がするのは翻訳者が違うからではなく
    私の脳細胞が劣化しているからなのでしょう。しかしその初めて読む感じがとても新鮮で瑞々しく読めたのは儲けものでした。

    フィッツジェラルド作者自身についての情報も知っていて且つ他の作品も同時期に読んでいてこの作品を読むのであれば古い文体での翻訳でもいいのではないか?と感じる人もいるのではないかと思うのですが、この本だけに注目して読むのならば現代の物語になっているという事が読み進めるうえで重要なポイントになっているのではないかと思います。

    それは日本の古い小説を読むときにも感じる事で、慣れていないととても簡単に読み進められません。
    文章を理解するのに必死で本の内容に集中できないのです。純粋に楽しめない。面白いはずの内容が文体や表現方法のせいで頭の中に入っていかない時ほど歯がゆい時はありません。この本はそう言うストレスがまるでない!これだけでも現代の日本人にとても優しい翻訳だと思います。

    文章の端々に村上春樹を感じたのはもちろん私だけではないでしょう。丁度「騎士団長殺し第一部・第二部」を読み終えてすぐでしたからね。尚更書き出の部分や小説の舞台等々・・・そして訳者あとがきは素敵なプレゼントでした。

    この本ならまたボロボロになるまで私の傍にいてくれるのではないかと思います
    え?小説の内容?
    それはそれぞれがそれぞれに楽しむ物ですよ。はははは・・・・

  • 如何ともしがたい哀しみが残っている。哀しい哀しい物語だった。人間の身勝手さ、ことの理不尽さ、夢の儚さが詰まっていた。デイジーが「過去にあったことは変えられないのよ」と言ったところが個人的にはハイライト。最後の一文はとても重く響いた。
    我々は本当に未来に向かっているのか? 本当は過去に沈んで行っているのではないか? 時間的には絶え間なく未来に進んでいても、その実は変えられない過去だけが積み重なり、届くかもしれなかった未来はどんどん遠ざかっていく。人生の普遍的な深い悲しみを味わった。

  • ギャツビーの住んでる家がいいんだよなー、
    豪華で、寂しげで、常にとても不穏。

  • 文章は綺麗だと感じたし、とても雰囲気のある小説であった。海外の書はいつ読んでも最初頭に入ってこないのは相変わらずだったが、雰囲気と登場人物のギャツビーのキャラクターに引き込まれた。ドライにも感じる引き際が良いのかなと。

    あとがきも力が入っていて良かった。翻訳者の想いが伝わった。

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著者プロフィール

スコット・フィッツジェラルド

1896~1940  1920年、処女長篇『楽園のこちら側』がベストセラーとなり、妻のゼルダと共に時代の寵児ともてはやされるが、華やかな社交と奔放な生活の果てにアルコールに溺れ、失意のうちに死去。『グレート・ギャツビー』『夜はやさし』等長篇数作と数多くの短篇を残した。

「2019年 『ある作家の夕刻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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