グレ-ト・ギャツビ- (村上春樹翻訳ライブラリー f- 2)

  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (356ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784124035049

作品紹介・あらすじ

村上春樹が人生で巡り会った、最も大切な小説を、あなたに。新しい翻訳で二十一世紀に鮮やかに甦る、哀しくも美しい、ひと夏の物語-。読書家として夢中になり、小説家として目標のひとつとしてきたフィッツジェラルドの傑作に、翻訳家として挑む、構想二十年、満を持しての訳業。

感想・レビュー・書評

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  • 【読もうと思った理由】
    カラマーゾフの兄弟を読むきっかけの一つにもなった村上春樹氏。本書はその村上春樹氏が生涯でもっとも感銘を受けた小説らしい。また本書は、村上氏本人が翻訳した書籍だ。この本を60歳で翻訳すると30代後半から周りの人達に公言し始め、実際にほぼその年齢で翻訳している。有言実行とはまさにこのことだ。何度か他の書籍の感想でも書いたが、僕が今までで、もっとも感銘を受けた小説が「カラマーゾフの兄弟」だ。村上氏は、そのカラマーゾフの兄弟を超える小説として、本書を挙げている。そんなことを言われれば読んでみたくなるに決まっている。どの部分がカラマーゾフの兄弟を越えたのか、そこを気にしながら読み始めた。

    【スコット・フィッツジェラルドって、どんな人?】
    F・スコット・フィッツジェラルドは1896年9月24日、アメリカのミネソタ州に生まれる。「失われた世代」を代表する作家の一人で、代表作「グレート・ギャツビー」は20世紀アメリカ文学最高の作品の一つと言われている。同作を翻訳した村上春樹は彼の大ファンとして知られ、作品中でもF・スコット・フィッツジェラルドをしばしば取り上げる。陸軍を除隊後、1920年に初の長編「楽園のこちら側」を発表するとすぐに脚光を浴び、1922年に「美しく呪われし者」、1925年には「グレート・ギャツビー」を出版し、瞬く間に流行作家となる。1920年代のアメリカは「ジャズエイジ」と呼ばれ、第一次世界大戦後の好景気に沸いていました。これまでの保守的な女性像とは違い、ショートヘアで奔放な社交生活を楽しむ新しい女性「フラッパー」として知られる妻ゼルダとスコットは、毎晩パーティに繰り出し原稿料を使い果たして享楽的な生活を送くる。

    1929年に世界恐慌が起こると人々の生活は一変し、彼の作品も過去のものとなっていく。スコットはゼルダの精神病院への入院、彼自身のアルコール中毒、膨れ上がった借金により「転落」していく。生活費を稼ぐため、ハリウッドで脚本家として働きますがアルコール依存は治らず、1940年12月21日、グレアムのアパートで心臓発作を起こし亡くなる。44才の若さだった。

    (フィッツジェラルドのエピソード)
    アーネスト・ヘミングウェイは1925年にパリで出会って以来、スコットの親しい友人となる。マッチョなヘミングウェイと都会的で繊細なスコットは奇妙な取り合わせでしたが、二人は大変気があった。ヘミングウェイは彼の妻ゼルダに批判的だった。ヘミングウェイはゼルダをほとんど気が触れていると思っており、彼女はスコットの執筆を邪魔するために酒を飲んでいると言っていた。ヘミングウェイが自分の書くものにスコットを何度か登場させたことから彼らの仲は険悪になり、1937には喧嘩別れしています。スコットは言いました。「僕は失敗の権威だが、アーネストは成功の権威だ。もう同じテーブルにつくことはできないだろう。」と。

    作家として成功したスコットだったが、彼は家を所有したことがなかった。人生のほとんどを賃貸の一軒家やアパートメント、お金がある時には高級ホテルで過ごした。1920年から1940年までの間、彼はニューヨーク、コネチカット、ミネソタ、ロングアイランド、パリ、フレンチ・リビエラ、ローマ、ロサンジェルス、デラウェア、スイス、バルチモア、ノースカロライナで暮らす。引越しの理由は主にパーティに明け暮れる生活をたてなおそうという試みからだったが、それは最後までかなうことはなかった。

    T.S.エリオットなどから好意的な書評が出たにもかかわらず、1925年に出版された「グレート・ギャツビー」はスコットの生きている間には2万冊程度しか売れず、大きなヒット作にはならなかった。作品の転機となったのは第二次世界大戦。戦地の兵隊に本を送る運動が始まり、グレート・ギャツビーは「Armed Services Edition」と呼ばれた選書の1冊になりました。約15万部が配布され、多くの兵士たちが古き良き時代の故郷を思いながらこの本を読んだ。今では毎年約50万部が売れている。

    【感想】
    「天才肌の文章家だ」と、訳者あとがきで村上春樹氏が語っている。

    この本を読んで50ページほど読んだだけのときに、「あー、これは村上氏が好きな文章表現だわ」と深く納得した。文章のレトリック(日本語では修辞法と訳され、具体的な表現技法として、比喩・誇張・反語・倒置などがある)が、ふんだんに使われているのに、嫌味がまったくないのだ。たまに作家の方で色んな技法をこれでもかと目一杯使っている方もいるが、実はかえって何が言いたいのか、説得力に欠ける文章も意外に多い。だが、フィッツジェラルドの文章は、まさしく辞書通りの意味で使われ、技法を多用することにより、「説得力のある文章」や「華麗な文体」を実現している。

    レトリックという言葉はそもそも、キリストが生まれるさらに数百年も遡り、アリストテレスやプラトンの時代から弁論や説得の技術として使われていた。ある種フィッツジェラルドの文章はその2,000年以上にも及ぶ技術の集大成とも思えるほど、唸るほどに巧みだ。僕が本書を読んでもっともこの技術は凄いと感じた文章がある。ネタバレには一切触れない文章なので、以下に書きます。

    彼は創造的熱情をもって、その幻想に全身全霊を投じていた。寸暇を惜しんで幻想を補強増大し、手元に舞い込んでくる派手な羽毛を余すところなく用いて日々装飾に励んできたのである。いかに燃え盛る火も、いかなる瑞々しさも、一人の男がその冥府のごとき胸に積み上げるものにはかなわない。(p178)

    上記に上げた箇所だけではなく、書き出しからエンディングに至るまで余す所なく、緻密に計算し鮮やかにレトリックを使っている。文章技法の話ばかりしてしまっていたので、あらすじを書くと以下となる。

    狂乱の時代を生きた主人公のニックは、証券会社での労働を口実にニューヨーク郊外のロング・アイランドへと住居を移した。彼の住む家の隣には豪華絢爛な住宅が佇んでおり、そこでは正体不明の大富豪ジェイ・ギャツビーによるパーティーが毎晩のように繰り広げられている。このことに興味を持ったニックは、ギャツビーからの招待を快諾し隣家へと足を運んだ。若い男女が狂乱の騒ぎを繰り広げる中、彼は招かれている客人たちが誰一人としてギャツビーの素性を知らないということを認識した。俄然ギャツビーの正体に興味を持ったニックは、彼と顔を合わせるとしだいに仲を深めていくのだった。二人が親しくなったある日。ニックはギャツビーの秘めた思いを知ることになる。

    人物エピソードにも書いたが、毎晩のように豪華絢爛なパーティーを催し、惹かれた女性は自由奔放な女性であるところなど、今作の主人公ギャツビーは、実生活の作者フィッツジェラルドそのものなのだ。読了後に人物エピソードの情報を読んだときには、少し鳥肌が立った。それほどにそっくりなのだ。実生活でも同じような生活をしてきたからこそ、作品が現実感をもって、ありありと感じられるのだろうと思った。

    この作品を読み終わって、一つ感じたことがある。多分この作品は、読み手を選ぶ作品なのだろうと。村上氏もあとがきで書いていたが、「この作品の良さが分からない」と少なからず言われたと書いている。それに対して村上氏は、「グレート・ギャツビー」がすごい作品ではなくて、一体何がすごい作品なんですか?と詰め寄りたくなるんだとか。ただそういう言われ方をするのも理解できるとも書いている。

    村上氏いわく、この作品はすべての情景が極めて繊細で鮮やかに描かれ、すべての情念や感情が、極めて精緻に多義的に言語化された作品であり、一行一行丁寧に読まないことには、理解が追いつかない作品だという。僕は一回読んだだけなので、そこまでの思い入れはないが、作中のほとんどの文章を暗記できるほど読み込んだ村上氏が言うのだから、そうなのであろう。

    この作品はストーリー展開の面白さ重視で読まれる方には、おそらくだが、あまり面白くない作品だと思う。ただ僕のように、何かしらの理由で、文章が上手くなりたい、あるいは上手くなる必要がある人には、読む価値が高い作品だと思う。まったく作品の内容は違うが、佐藤亜紀氏の作品や古井由吉氏の作品好きの方には、おそらく面白いと感じて頂ける可能性が高いと思う。そういった方で、この作品を読んだことがない方がいれば、是非読んで欲しい作品だ。村上主義者の方は、当然読んでいる方がほとんどだと思うので、敢えて割愛しました。

    【雑感】
    フィッツジェラルドの作品を初めて読み終わってみて、僕にはやはり圧倒的に「カラマーゾフの兄弟」が好みであることが分かった。ただ文章技術の巧みさは、ドストエフスキーを圧倒的に凌駕していた。おそらく村上氏は、「みみずくは黄昏に飛びたつ」にも書いたが、文章を上手く書くことに、人生を全振りした人だと思う。だからフィッツジェラルドの文章が刺さりまくったのだろうと感じた。

    ようやく積読本もあと二十冊ほどに減ってきた。次は、夏目漱石氏の「私の個人主義」を読みます。夏目漱石氏は、今後作品を深く理解したいと思っている筆頭の作者だ。

    ちなみに残りの積読本ですが、以下になります。

    「安岡章太郎短編集」(岩波文庫)
    「汝、星のごとく」(凪良ゆう氏)
    「螢・納屋を焼く・その他短編集」(村上春樹氏)
    「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」(村上春樹氏)
    「国境の南、太陽の西」(村上春樹氏)
    「号泣する準備はできていた」(江國香織氏)
    「火喰鳥」(今村翔吾氏)
    「イクサガミ」(今村翔吾氏)
    「こころ」(夏目漱石氏)
    「流星ワゴン」(重松清氏)
    「満願」(米澤穂信氏)
    「インシミテル」(米澤穂信氏)
    「舞台」(西加奈子氏)
    「残り全部バケーション」(伊坂幸太郎氏)
    「火星に住むつもりかい?」(伊坂幸太郎氏)
    「唯識の思想」(横山綋一氏)
    「ケーキの切れない非行少年たち」(宮口幸治氏)
    「ダンマパダ」(ブッダ)

    上記となります。
    もっとも積読になって放置している本は、インシミテルだと思う。おそらく8年以上積読だ。もうここまで読まなかったのだから、一生読まないのだろうと思ったが、ここ一年以内に黒牢城を読んだことを忘れていた。ミステリー作家もまだ読めるんだと感じ、このタイミングで読もうと決心した。

    誤解のないよう書きますが、ミステリーが嫌いなわけでは決してないです。20代の頃に読んだ小説は、全作品漏れなくミステリーのみだった為、完全に飽きてしまっただけです。以前にも書きましたが、この本棚にある本は、一生涯に僕が読んだ全作品でははなく、一定期間内に購入した本の一部のみです。ご理解賜りますよう、よろしくお願いします。

  • 〈2019.10.26 5回目くらいの再読〉
    「グレート・ギャツビー」はたぶん村上春樹さんの「ノルウェイの森」で知った小説。学生時代に野崎孝さんの訳で読んで以来、たま〜に読み返したくなる。

    ギャツビーはデイジーと結ばれるという夢の実現のために人生の全てを捧げて進み続ける。
    滑稽なほど純粋な男の美学を描いた儚く切ない夏の物語。

    「かすみたい」な人達の中で、ギャツビーの真っ直ぐさが際立って輝いていて美しい。でも、ギャツビーがその愛を求めてやまないデイジーもただの「かす」だ。そこにこの小説の哀しさがある。
    そういう女に惚れて信じて守り続けてしまう。よくある話だけど、男って馬鹿だね。

    そして、やはりなんと言っても、最後の段落の美しさ。ここが歳をとるにつれ、心にしみてくるんだよね…


    村上春樹翻訳版は現代的で読みやすいと思う。解説も作品に対する村上さんの愛情がたっぷりで微笑ましい。

    そういえば、ギャツビーについて語るニック・キャラウェイの「やれやれ」感が、村上さんの小説の主人公っぽいなぁ、と気がついた。

  • 主人公ニックの隣人ジェイ・ギャツビーという男性の一途な恋を描いた話。訳者の村上春樹が、人生でもっとも重要な本のひとつとして取り上げた作品である。物語は、ニックが回想するような形では進んでいく。素性の知れなかったギャツビーは、だんだんと周りの人を巻き込んでいき、とんでもないトラブルへと発展していってしまう。後半はとくに面白かったが、残念ながら、誰にも感情移入することはできなかった。まぁただ、美しい文章に浸れるし、現代風に馴染みやすく訳されているため、比較的読みやすい部類の本ではないだろうか。

  • 人は誰しも自分のことを、何かひとつくらいは美徳を備えた存在であると考えるものだ。そして僕の場合はこうだ___世間には正直な人間はほとんど見当たらないが、僕はその数少ないうちの一人だ。



    .
    青春が、時間をかけて少しずつ色褪せていく、その移ろいを繊細に掬い取ったような上品さがある。それはたぶん翻訳者の脚色もありきでそう感じるんだと思う(あとがき参考、村上春樹がこの作品への思い入れを熱弁していて良かった。)


    外国文学って、どうしても翻訳した時点で原作オリジナルとしての良さが半減するし、特有のニュアンスは失われてしまうんだろうな、と思って敬遠してたけど、純粋に楽しめたし、むしろこれは別物として割り切った上で、原作特有のリズムを味わってみたいと思えた。

  • 「誰もかれもかすみたいなやつだ。みんな合わせても、君一人の値打ちもないね」
    この語り手ニックの言葉が物語(ギャツビー)を表しているような気がした。
    冒頭、ギャツビーが遠くの海上にある緑の灯火に向かって体を小刻みに震わせている理由。愛する一人の女性のために成り上がった先に待ち受けていたもの。それでも彼は豪邸から遠くの海上に灯る緑の光に手を伸ばし続けた。

    村上春樹が、誰かを深く愛したという過去はあとで自分を温めてくれるということを言っていた気がする。ギャツビーはどんな境遇にあろうとも、デイジーという女性を深く愛した過去が彼をずっと温め続けてくれたんだと思った。

  • おめでとうございます!「最悪な気分で読了、マイ・ベスト1位」に認定されました。若かりしギャッツビーはデイージーのことを好きになるが、残念ながら戦争に行くことになる。その後デイジーは別人(トム)と結婚する。でもギャッツビーはどうしてもデイジーを忘れられない。私財を投入してデイジーと再婚したいと画策する。功を奏しギャッツビーはデイジーから「もう、欲張りなんだから♡今の私はあなたを愛している」とまで言わせたが。最後には裏切られ、死ぬ羽目に。ギャッツビーよ!そこまでデイジーは魅力的だったのかい?本当か?

  • 村上春樹訳につられたわけではなく、上映中デカプリオ主演につられたわけでもなく読みました。

    実はどっちも購入意欲に火をつけたのですが。

    1920年代前半、アメリカがちょっと凄い意味での勢いのある時代の富豪、
    ギャツビーという男の謎の面鮮やかさ。わきを固める男女の人間臭さも語り手の友人ニックの好感度もすべてストーリーに素晴らしい色を加えてくれました。
    訳者あとがきがまた良くて、お得感とともにしみじみと本を閉じるのでした。

  • すごく美味しいシャンパンみたいな本。
    後味ちょっと苦いけど、そこすらも良いです。
    これを夏真っ盛りの今読めた幸せ!!
    読もうか迷ってる人は、ぜひ夏のうちに読んでください!!!できれば美味しいお酒と一緒に。

    本編ももちろん良かったけど、それ以上に村上春樹が書いたあとがきが興味深かった。
    この作品への愛がビシバシ伝わってくる感じ。
    正直「どこが良いの?」と聞かれると、「うーんそれはねぇ…」ってうまく説明できないんですけど。私が言えるのは、電車で隣に座った男の子がこの本読んでたら間違いなく好きになっちゃうよ、ってこと。(要らなすぎる情報)
    男の人には何歳になってもギャツビーに憧れていてほしい、と願ってしまう身勝手な女です。
    10年後、また読みます。

  •  東部(ウェストエッグ)に引っ越してきたニックの隣人は大きな屋敷に住むギャツビーという人が住んでいた。

     毎夜開かれる、豪勢なパーティ。資産家であろギャツビーとは何者なのか?

    1922年のアメリカが舞台で、フィッツジェラルドが亡くなってから名作と評価される本作品。

     かれこれ15年くらい前に初めて読んだものの、村上春樹先生の訳が綺麗だなぁと思った以外、内容がサッパリ理解できなかったのですが、何故か久しぶりに読みたくなったので、人生2回目の『グレート·ギャツビー』にチャレンジしてみました。

     読んでみた感想は、相変わらず翻訳が綺麗だなと思いました。

     スムーズに読めるというだけじゃなくて、その場面場面の夏の暑さであったり、風景が綺麗に見えるというか、文章が翻訳とは思えない綺麗さ。

     訳者の村上春樹先生が1番影響を受けているという作品だけあって、そのこだわりっぷりが凄い作品です。

     ただ、英文で読むと凄いとされる『グレート·ギャツビー』ですが、内容は1922年のアメリカ東部のニューヨーク周辺を舞台にしたお話で、理解することがなかなか大変。

     家の出とか階級社会だったり、黒人への差別は根強かったり、今のアメリカのニューヨーカーをイメージしてはいけないというところもありますし、倫理観も違うはず。

     そういうところもあり、なかなか理解が難しいのですが、私もあれから15年読書なり人並みには生きて来た身なので、今読んで思う『グレート·ギャツビー』の感想は人間のつれなさというか冷たさを感じました。

     主人公である語り手ニックから語られる、ニックの周辺の人々とギャツビーと過ごしたお話は、友達のお嬢様、デイジーの結婚生活が上手くいっていないところから始まるわけですが、実際は上手くいっていない夫婦もじゃあ離婚すれば?と安直にいく話でもなく、嫌でも世間体のために結婚生活を続けることって今でも実は良くある話だなぁと思いながら読んでみると、ギャツビーは実はその逆の人間だと思えるところがあります。

     毎夜パーティを開く金持ちですが、表向きはやはり何やってるかわからない謎の人、でも、中身は階級というのに苦しみながらも自分の目的のために良くも悪くも必死に努力する人、それがギャツビーだということ。つまり、世間体のためなら自分を偽って生きていく凡人とは違う人間として主人公のニックに捉えられているのかな?と思いました。

     そういう風に読んでみると、純粋に愛に生きるギャツビーを良くも悪くも利用する人々の都合の良さ、お金を持っていても満たされない虚しさ、世間体を気にするあまりの傲慢な行いなど結構いろいろなことが書かれていたんだなと思いました。

     結局、国も文化、時代も違えど、ここに共感するくらい、人って実は変わらない生き物なんだなと思いました。

     ちなみに、個人的にはギャツビーとデイジーが5年ぶりに再会するシーンがすきです。

  • これは、読んでいて辛いな。最後はこれでいいのか…?でも、これが名作と言われる理由は、何となく分かった気がする。

    ずっと恋焦がれていた女は、他の男(しかも結構なクズ)と結婚していて、しかもその女自身も結構な…
    彼が毎週末、豪華なパーティーをするのは、その1人の女のためだったし、その根本的な理由を思うと「あぁ、ギャツビー……」と思わざるを得ない。

    ギャツビーは一途過ぎて、見ていて眩しいくらいだった。そう、彼の豪華絢爛な週末のパーティーの様に。
    そこまで一途に人を愛せることは、素敵なことだとは思うけど、結局彼はそれが原因で、あのような最期を迎え…そして、あんなに周りに集まってきていた人、デイジーでさえも、最期には現れず……

    確かにみんな、ニックの言うように"かす"ばっかりだった。
    デイジーは同じ女としても最低だと思うし、ギャツビーにあそこまで愛される価値なんぞないと思う。
    トムもトムであり得ないし…
    ただ、そこまでジメジメねっとり妬み嫉み!みたいにかんじなかったのは、村上春樹訳だったからと言うのもあるのかも知れない。

    これは読んでよかった。

    ニックがギャツビーに言ったあの言葉….あれは「何なんだこの話は……ギャツビーが辛すぎるだろ…」と思っていた私の気持ちも救ってくれた。

    ニックに村上春樹作品特有の「やれやれ」感を、若干ではあるが感じた私がいた……ふふふ……

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著者プロフィール

1896~1940  1920年、処女長篇『楽園のこちら側』がベストセラーとなり、妻のゼルダと共に時代の寵児ともてはやされるが、華やかな社交と奔放な生活の果てにアルコールに溺れ、失意のうちに死去。『グレート・ギャツビー』『夜はやさし』等長篇数作と数多くの短篇を残した。

「2022年 『最後の大君』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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