責任という虚構

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  • 東京大学出版会
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レビュー : 25
  • Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784130101080

作品紹介・あらすじ

責任という現象の構造・意味は何か。責任の根拠を問う。

感想・レビュー・書評

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  • 常識を疑うのが学問の役目ならば、この本はその本文を全うしていると言える。スキのない論理と緻密な分析で鋭く本質に迫り、我々がふだん「当たり前」と思って依りかかっている地平をひっくり返すことに成功している。

    われわれはなぜ責任をとらなければならないのか?普通は「悪いことをしたからだ」という答えが返ってくるだろうが、この「悪い」という概念は必ずしも自明なものではない。「悪」と定義されるものは時代や社会によって変わるし、それどころか同じ時代・社会においても違うときがある。例えば、同じ「他人を死に至らしめる」という行為でも、一般人が道行く人を急に襲って殺したら犯罪だが、死刑執行や交戦中に敵兵を殺すことは合法である。「悪」とは普遍的な概念ではなく相対的なものであり、悪いから社会が非難するのではない。社会が非難するものが悪なのだ。

    責任を問う際にはもう一つ、その行動が本人の自由意志によって引き起こされた、という要件が必要である。つまり「悪い」行動をしたときに他にも選択肢があったかどうかが重要で、このため自由判断の余地がない心神耗弱状態にあった者や緊急避難が適用される者は免訴される。しかし、ここで一つ大きな疑問が生じる。そもそも人間は本当に「自由」なのだろうか。リベットの実験によれば、意志が生じてから行動が起こるのではない。逆に「相手を殴る」という行動が起こってから「むしゃくしゃした」という意志が生じるのである。そのうえ人間は、「自由」なように見えて自分の属する社会や集団に大きく影響を受けるものだし、資質や性格は、主として遺伝や育った家庭環境など、自分ではどうにもならない部分に大きく左右されるので、まじめに考えれば考えるほど、行為をした本人に責任を負わせる正当性はないのだ。

    だから、「自由だから責任が生じる」というのは近代が生み出したフィクションで、「責任を負わせるために人間が自由だとみなすことにした」という方が正しいのである。社会秩序を維持するためには、秩序、平たく言えば「差別」が必要であり、ルールを逸脱するものにサンクションを加えなければならない。差別と制裁の正統性を担保するものが前近代の世界では「神」だったが、近代にあっては「自由意志」に変わったというだけの話である。

    「民主主義」を国是としている国では、「すべての人は平等だ」という信念が共有されているが、そんなの全くの虚妄である。だったらなぜ総理大臣に権力があって一般市民にはないのか、なぜ社長に権限があって平社員にはないのか、なぜ上に立つ人の言う事を聴かなければならないのか。すべての組織は「差別」の産物である。それがなければ皆てんでばらばらの行動をするようになり、集団は維持できない。(誤解の無いように言うが、私は一般的な意味での「差別」―人種差別とか男女差別とか―を肯定しているわけでない。ここで言っているのはヒエラルキーという意味での「差別」である)このとき重要なのは、クーデタを起こされないよう、ヒエラルキーを正当化する原理を作って被統治者を納得させておく必要があることで、その「原理」が昔であればカーストや士農工商であったが、今では「誰でも平等にチャンスに与えられている」という機会の平等性になっている。そこに「自由」や「努力」の話を持ち込み、成功者を褒めそやす一方で、失敗した人には「あなたの努力が足りないせいです」と言って自己責任に持ち込む。

    社会学者の立岩真也は「この社会は個々の存在に大きな負荷をかけている社会である。そして雑然としているぶん、複数の戦術を使い分けられる、巧妙な構造をもった社会としても作動している。」と指摘して、こうした社会システムの特徴を剔抉している。

  • 私には難しかったです。

  • 責任という虚構があることによって社会に出来た傷を回復することが出来る。人間に出来る傷を癒す役割を虚構が担っているのかもしれない。

  • 素晴らしい本である。
    難解な内容を素晴らしい文章で分かりやすく説明している。

    責任とは何か。
    ホロコーストから死刑制度、冤罪、ホッブズやルソーの考察など、歴史学・政治学・哲学・社会学・心理学と横断的な分野からアプローチしつつ、かつ主題を散逸させずに纏められている。
    ホロコーストはどのようにして普通の人々により遂行されたのか、死刑制度に抑止力がないと証明されているにも関わらず廃止されないのは何故なのか、銃を撃って死んだ場合と偶然死に至らなかった場合で罰に軽重の差が出るのは何故なのか。
    人や企業や責任を負うことはできるのか。そもそも責任とは何か。

    最後の章では、伝統社会の階層制度もある意味では社会秩序維持の仕組みとして機能していることが書かれている。
    平等とは何か。貧困削減とは何か。No one left behindとは何か。

    読むほどに知的好奇心が刺激され、考えの糧を得ることができる。読むのに時間はかかるが、満たされる。

  • 基本的に自由意志を認めない立場の筆者が論じる社会とは何か。歴史とは何か。とてもスリリングな展開で小気味よい。特に結びの6章、社会秩序と<外部>が最も興味深い。
    「倫理判断は合理的行為でなく、一種の信仰だ。それゆえに道徳・社会規範は強大な力を行使する。」
    社会規範と宗教の類似性、そして集団とは何か、個とは何かを巡る骨太の格闘がここにある。

  •  大変な力作である。
     事件や事故が発生すると、われわれは特定の個人に責任を押し付けようとする。しかし「責任」とは何だろうか。
     責任を正当化するためには、行為者の自由が保証されていなければならない。その「自由」がいかに不確かな概念であるかを、さまざまな心理実験を参照しながら小坂井はまず論証する。しかしそのことは必ずしも決定論を導かない。「自由とは因果律に縛られない状態ではなく、自分の望む通りに行動できるという『感覚』である」と小坂井は言う。
     では犯罪とは何か。「犯罪とは行為の内在的性質によって規定されるのではない。社会規範に違反することが犯罪の定義だ」と小坂井は答える。絶対的な善悪に従ってルールが定められるのではなく、定められたルールに違反することがすなわち悪なのだという論理は、永井均の道徳哲学とも親和性が高い。
     ルールは虚構である。しかしルールが虚構であることと、その虚構によって社会が成立することとのあいだに矛盾はない。貨幣というフィクションによって市場経済が成立しているのと同じように。小坂井はそう解説する。
     罪よりも先に罰がある。然り、罰したいという欲望がある。しかしそれこそが原罪であるという考え方は成り立たないだろうか。殺人が罪であることは、ルールの制定以前の必然ではないだろうか。言語と相即的に発生し成立する「同情」に、ルールの根拠を求めることはできないだろうか――等々、数々のインスピレーションがわき起こり、ページをめくる手が止まることもしばしばであった。
     著者はフランスに在住し、フランス語での著作も多数あるという。確かに緻密さと息の長さは日本人離れしているが、美しい日本語は論旨も叙述も実にクリアである。ゾレンを含まない客観的な叙述は類書にありがちな啓蒙主義とは無縁であり、圧倒的な論域の広さも含め文句なしの名著である。

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  • 前半は「実際に人間はどう行動するか」として、ホロコーストや現在の死刑制度、冤罪が生まれる構造、それらの共通点の解説。後半は責任という社会現象について、自由意志論や責任の概念構造から云々。後半部分は十分理解できたといえないので、またいつか読み直したい。なので今回は引用して終わり。
    「本書は規範的考察ではない……実際に人間はどう行動するのか、責任と呼ばれる社会現象は何を意味するのか、これが本書の課題である(p.ⅲ、はじめに)」
    「死刑制度を可能にする無責任体制に目を向けたのは、死刑制度日批判したり、廃止を呼びかけるためではない。ホロコーストや戦争犯罪のような悪だけでなく、我々が必要と認める制度も実は同じメカニズムに支えられている。善と悪の境界は想像以上に曖昧だ。地獄への道は善意で敷き詰められている。この警句の意味を我々はもう一度よく考えるべきだろう。(p.256、結論に代えて)」

  • 常識変わった。目から鱗。でも「責任」について考えたことなかったらここまで驚かなかったのかな?どうなんだろう。「責任」に関するあらかじめあった説を知ってたから固定観念があって、逆に新鮮なんだろうか。
    ホロコーストや社会心理学実験、死刑執行人の話など多岐にわたる分野の知見がたくさん紹介されているところが読み物としてもとても面白い。

  • 「責任」とは何だろうか?虚構と現実を結びつけている社会的・心理的仕組みを解き明かし、「常識を疑う」という問いの重要性を鮮やかに示す。 (松村 教員)

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