- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784130530170
作品紹介・あらすじ
許すべきミスと罰すべきミスの違いとは? その線引きを司法に任せることは果たして有効か? 誰もが公正だと感じる安全な風土を築くには? 医療・航空などの事故当事者から得た豊富な実例を用いて,心理学的な視点を取り入れながら,具体的に論じる.柳田邦男氏推薦.
「本書が,日本におけるヒューマンエラー論,とりわけ刑事責任優先の思想と制度に,大きな影響を与えるのは確かだ.」(柳田邦男氏・推薦)
「起きてしまったことから最大限の学習をし,それによって安全性を高めるための対策を行うことと同時に,事故の被害者や社会に対して最大限の説明責任を果たすこと.この二つの目的を実現するための挑戦を続ける組織文化が「ジャスト・カルチャー(公正な文化)」なのだ.」(監訳者による解説とあとがきより)
感想・レビュー・書評
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原題「Just culture」
ヒューマンエラーに携わる人以外にも法曹界の人にも勧められる本です.
現在,ヒューマンエラーが症状となり顕在化し,法廷で争うインシデントが目立ってきてますが(駿河湾上空ニアミスなど),はたして管制官は罰せられる対象であるのか?
企業の安全文化を築くために,管理職が行うべきアクションとは?
考えさせられる一冊である.詳細をみるコメント1件をすべて表示-
猫丸(nyancomaru)さんふ~んふ~ん2014/02/06
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【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/50578 -
仕事のうえで、とかく無理強いや人事考課の材料になったり叱責のネタにされたりする「責任」について、当事者や組織が何を求めるべきかを論じる。
司法や裁判の話題は私には興味が薄いので読んでいてノイジーだが(この本はそれをテーマに書かれたので仕方ない)、公正に扱うとは何か?を考え勉強になる。 -
ただ職責を果たそうとしてミスしただけで、あるいはミスすらもしてないのに結果として危険や不幸な事態を招いただけで、その職務の現実をかけらも知らない人たちによって犯罪者にさせられてしまった人々がいる。
手術に失敗した医師、投薬を間違えた看護師、危うく飛行機を墜落させそうになったパイロット、誤って人を撃った警察官・・・
起きてはならない事態が発生してしまったとき、人はその原因を説明する単純なストーリーを求める。それは往々にして「誰の責任なのか」という性急な犯人探しになり、不運な人がスケープゴートとなって処罰される。それで問題は解決ということになり、人々は溜飲を下げる。
問題は、現実はそんなに単純ではないということだ。しかし単純な勧善懲悪を求める人々にとって、現実の複雑さなどどうでもよい。心の中の不条理感を解決してくれる単純なストーリーこそが人々の求める真実なのだから。
実務者が自分のミスによって裁かれてしまうなら、それを進んで報告することはないだろう。そうした組織はヒューマンエラーからのフィードバックが得られず、組織的な改善が停滞してしまう。組織が学習するためには、いたずらに犯人探しをしない「公正な文化」が必要なのだ。
公正な文化とは何か。公正な文化は「前向きの説明責任」を重視する。前向きの説明責任とは、下記の2つの要求を満たすものである。
・説明責任に対する要求を満足させること
・学習や改善に貢献すること
これとは逆の後ろ向きの説明責任は、スケープゴートを見つけ出して処罰する。一方、前向きの説明責任はミスやそれに起因する被害を認めたうえで、そうしたことが2度と怒らないように変化を促す。
公正な文化が欠けている組織は、仕事に対する意欲、組織コミットメント、仕事に対する満足感、役割の境界を超えた仕事をする意欲が低下する。
本書はヒューマンエラーに対する新しい見方を教えてくれる。
「ヒューマンエラーの古い視点は、ヒューマンエラーをインシデントの原因と考える。これに対し、新しい、システム的な視点は、ヒューマンエラーを原因ではなく、症状と考える。ヒューマンエラーは、システムの内部の深いところにある問題の結果である。」 -
社会
ビジネス -
原題は”Just Culture”だそうだが、その方がインパクトあるしこの本のメッセージがより伝わるような気がする。正確さを重視したと思われる翻訳文は正直読みやすくはないのだが好ましい。専門家は失敗を恐れるより失敗から学ぶ機会が得られることが重要でありそのためにも専門家のヒューマンエラーは裁くべきでないという論だが、組織運営の勉強にもなる。
[more]<blockquote>P29 オメルタとは「沈黙の掟」である。(マフィアが使う言葉)
P83 情報開示と報告は異なる
・報告とは、上司、管理組織あるいはその他の関係機関への情報提供である
・情報開示とは、顧客/患者/家族への情報の提供である【中略】情報開示は、専門家意識の指標とみなされる
情報開示と報告が衝突することがある。また、異なる種類の報告が競合することもあり得る。
P104 指導教官や監督者、管理者たちにとって難しいのは、失敗を許容することで実務者が得る学びが、失敗の回避や手助け、やり方を手取り足取り教えることよりも、価値が大きいかどうかを判断することである。
P143 どこに境界線を引くかではなく、誰が引くかである。
・誰が境界線を引く権威を持つのか?
・あなたの組織の中で、またはあなたの社会で、正しい言葉を使って「境界線を越えた」という公的正当性を持っているのは誰か?
P149 客観的視点とは「存在しない場所からの視点」なのである。そして、そんなものはない。どのような視点も中立的、客観的ではあり得ない。【中略】真実にたどり着くには、複数のストーリーが必要
P166 ヒューマンエラーを犯罪として扱うことによって司法制度の根本的な目的が促進されるという根拠は何もない。そもそも裁判の根本的な目的とは、犯罪予防や懲罰を科すこと、更正させることであって、何が起こったかに対する「真実」を説明することでもなければ、「公正」を提供することでもない。
P167 裁判によるヒューマンエラーの犯罪化は税金の無駄遣いであるばかりでなく司法システムが守ろうとしている社会の利益を損なうことになる。実際に、再発防止のためには別のアプローチの方がはるかに効果的である。
P172 どのように振る舞ったら法的なトラブルに巻き込まれないかということに認知的な努力を割くことは、質の高い作業のために割り振られるべき注意力を損ねる。
P219 古い視点はヒューマンエラーをインシデントの原因と考える。【中略】自動化を進めることで人間を重要な役割から外すことやルールや手続を増やすことによって仕事を厳密化することである。
新しい、システム的な視点は、ヒューマンエラーを原因ではなく症状と考える。ヒューマンエラーはシステム内部の深いところにある問題の結果である。
P224 人に説明責任を化すことと、人をとがめることとは、全く別のことである。【中略】失敗をとがめないシステムと個人的な説明責任がないことを同一視する人もいるが、それは間違っている。とがめないことは、とがめないことを意味するだけで、説明責任を問わないこととは違う。
P236 行為が悪いのではない、関係が悪いのだ。
P238 「公正」も「文化」も二つの巨大な概念である。【中略】これらは基本的に御しがたく扱いにくいものである。一方「関係」なら築ける。少なくとも半分はあなたの手の内にある。
</blockquote> -
326.14||De