日本文明と近代西洋 「鎖国」再考 (NHKブックス)

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  • Amazon.co.jp ・本 (266ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784140016275

作品紹介・あらすじ

近代以前、文明の中心にあったアジアから主要物産を輸入していた日本と西欧は、鎖国、近代世界システム確立の過程で輸入代替化に成功し、併行的発展をとげた。さらに開国後、文化の相違により西欧と競合しなかった日本は、アジア間競争の勝者になっていく-。そうした過程を木綿を例に実証。物産利用に文化差が関わる事実に着目して、西欧モデルの単線的な発展段階論を批判し、アジア、西欧を視野に入れて考察するスケールの大きい日本文明論。

感想・レビュー・書評

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  • 「鎖国」とは何だったのか?織豊政権から徳川幕府の成立期にかけて、あれだけ「世界」に開いていた日本が、なぜ国を閉じてしまうことになったのか。この問いに対する答えに、ようやく出会えたという思い。
    筆者は、中世までの世界の中心であった「旧いアジア」に対する、同じ辺境として西欧と日本をとらえる。その辺境が世界の中心と出会い、新たな商品が流れ込んでくるという状況に、どう対応したのかを「木綿」を中心に説明していく。イギリス綿工業が原料供給地および製品の市場を環大西洋圏からさらに拡張していくことでインドとわたりあったことと比較し、日本は・・・。「近代世界システム」論に挑戦した刺激的な一冊。

  • 川勝平太は現静岡県知事である。上から目線全開の文章で学問とは思い上がりの道具でしかないことがよく理解できる。
    https://sessendo.blogspot.com/2020/12/blog-post_27.html

  • [評価]
    ★★★★★ 星5つ

    [感想]
    最近、様々な本で江戸時代の鎖国は外部との交流を完全に断ち切るものではなく、幕府が外交を統制していたということに加え、国内では明治維新の要因となった改革が緩やかに進んでいたことが知られるようになったと思う。しかし、なぜ国内で緩やかな改革が進んだのかという点は読んだことがなかったが、この本を読むことである程度は納得できた。
    この本では鎖国以前は国外から輸入していた木綿が金銀等の流出を控えるために国内での代替生産が振興され、結果的には開国後に主要産業となったということは大変に驚いた。
    また、競争相手が一般的に知られているようなイギリス産の薄手木綿ではなく、東アジアの需要に沿ったインド産の厚手木綿だったということは聞いたことのない視点ではあるが妙に納得してしまった。

  • 本書は大きく二つの部に分けられており、第一部では近世から近代にかけての世界の産業構造について比較的詳細な検討をおこない、日本の鎖国と近代化がどのような条件のもとで生じたのかということを明らかにしています。

    第二部は、こうした著者の文明史的な視座が、今西錦司らを中心とする新京都学派的な文明論の立場にもとづいていることを明らかにするとともに、近代的な経済および産業のありかただけを視野に入れて組み立てられたマルクスやウェーバーの世界史観、さらにわが国の大塚史学などの立場を批判しています。

    とくに第一部の議論が興味深く感じました。著者は、西洋社会と近世日本社会は「文化・物産複合」を異にしていると考えており、西洋の近代資本主義システムの枠組みにもとづいて西洋圏と非西洋圏の関係を理解することはできないと主張します。そのうえで、とくに木綿という世界商品の生産と流通に着目することで、西洋の「近代世界システム」と日本の「鎖国」を、新しく生まれた世界的な経済空間における二つの異なる対処のしかたとしてとらえるとともに、開国後の日本が非西洋圏においていち早く近代化に成功した理由を明らかにしようとしています。

    これに対して第二部では、比較的実証的な水準で議論が展開されている第一部とは打って変わり、個人的には大風呂敷を広げすぎのようにも感じられる議論が展開されています。著者は、今西錦司の提唱する「自然学」や梅棹忠夫の生態学的文明論をマルクス経済学の対象となっている社会構造の根底に位置づけたり、中尾佐助が提唱し佐々木高明や上山春平らによって展開された照葉樹林文化論に議論を接合したりと、新京都学派の遺産を継承する立場を明確に打ち出しています。

  • 幕末の開国当時、国際的に取引されていた主要商品は、すべて国内で自給できていたことが、自由貿易でも日本がアジア中枢部との競争に勝つことができたという内容。銀の流出を止めるために商品の国産化を推進して成功し、鎖国をしていたにも関わらず国内の経済は活性だったことがわかる。

    中世末から近世初期にかけて、日本とヨーロッパは多くの物産を、それ以前からアラビアから中国まで広がっていたアジア貿易圏から輸入した。ヨーロッパが提供できたのは、武器とラテン・アメリカから掠奪した金銀しかなく、日本も戦国時代に進んだ鉱山開発によって保有していた金銀銅を輸出した。

    ヨーロッパ人が東インドに到着する以前、インド洋圏ではインド人、インドネシア人が主体となって、香料諸島の胡椒・香辛料、ヨーロッパの銀、インドの木綿を交換する三角貿易が行われていた。ポルトガル人はこの中継貿易を武力で奪い取り、西方の拠点だった中東→ヴェニスをリスボン→アントワープに移した。17世紀に貿易の覇権はオランダとイギリスに移ったが、香料諸島の利権をオランダに奪われたイギリスはインドに退いたことから、インド木綿がヨーロッパに輸出されるようになった。1660年代後半から約百年間、アジアからの輸入の3分の2をインド木綿を中心とする織物が占めるようになった。インド綿布は、イギリス国内の羊毛・絹工業を危機に陥れたが、1700年にキャラコ輸入禁止法が発布されると、イギリスの綿工業は西インド諸島のプランテーションから供給された原綿によって発展した。

    鎌倉期に一度途絶えた日本への綿の伝来は、15世紀末から16世紀初頭に再伝来し、綿作は日本一円に広がった。国産綿布は厚手のものだったため、冬季の生活に取り入れられた。綿作は、17世紀末から18世紀初期に多肥・労働集約型農法の典型として、畿内に集中した後、近世後半には瀬戸内地域が台頭して、江戸経済の最高段階をもたらした。

    開国後の西洋列強の販売品目の中心は木綿と砂糖で、日本からの購入品は生糸と茶だった。輸入の中心はイギリス製品だった。イギリスは、アメリカのプランテーションで栽培した綿花をイギリスで製品に仕上げて世界に販売していた。茶は19世紀半ばまでは中国、それ以降はインドとセイロンのプランテーションで栽培されていた。生糸は、フランスやイタリア、アメリカの絹織物業の原料として中国から輸入されていた。これらは、日本が近代世界システムに参入する前から国際商品として取引されていたものだったが、いずれも19世紀初めまでに国産化による輸入代替化が完成していた。日本は保護関税をもうける権利を奪われており、イギリスとは自由貿易で相対したことは、商品の価格差がものをいう競争条件が整っていたことを意味する。

    木綿は、日本では冬にも着用されたが、ヨーロッパでは夏用で、冬には毛織物を用いた。幕末に輸入された木綿は薄地のため、日本の木綿の代用にはならず、価格競争していなかった。19世紀半ばにいち早く紡績機械を導入して太糸の生産力が上昇したインドからの輸入は、1890年以降に急増して在来の手紡績業が打撃を被ったが、明治30年前後に日本の紡績業が機械化すると、インドに比べて労働力の質が高い日本がその競争に勝った。この結果、かつて中国・朝鮮から日本への木綿の流れは、日本から中国・インドへと逆転した。

    サトウキビは、インドより中国、台湾、琉球、日本へと伝播した。1624年にオランダが台湾を領有してからサトウキビ生産を奨励し、鄭成功が占拠後はさらに増産されて、主に日本に輸出された。17世紀の日本の砂糖輸入量はイギリスよりも多かった。吉宗の時代にサトウキビの国産化が奨励され、讃岐・阿波・薩摩をはじめとして各地に砂糖生産が発展し、1830年代には国内糖で自給の域に達した。開国後はインドネシア原産の砂糖が中国や台湾から流入して自給率は2割に減少したが、日清戦争の勝利によって台湾を占有すると、サトウキビの品種改良を行い、収穫高は30年で16倍になり、世界各地に輸出されるようになった。

    イギリスと日本は、生産革命によってアジア中枢部への貴金属の流出の危機から脱却し、最初の工業国となった。

  • 難しかった。
    とくに、第二部「経済と文化」の構想は、全くついていけなかった。

    でも、前半は多少理解できたので面白かった。
    日本が産業革命に成功し、植民地化されなかった理由の一つは、産業革命の生産品、木綿がヨーロッパと東アジアでは別物であったため競合しなかったためだとか、
    危機(ヨーロッパにおけるペスト、日本における倭寇、南北朝の内乱)を乗り越えるために、ヨーロッパは国際的な物産流通の「近代世界システム」、日本は「鎖国」を生み出した、とかいろいろ興味深い点があった。

  • (欲しい!/新書)

  • [ 内容 ]
    近代以前、文明の中心にあったアジアから主要物産を輸入していた日本と西欧は、鎖国、近代世界システム確立の過程で輸入代替化に成功し、併行的発展をとげた。
    さらに開国後、文化の相違により西欧と競合しなかった日本は、アジア間競争の勝者になっていく―。
    そうした過程を木綿を例に実証。
    物産利用に文化差が関わる事実に着目して、西欧モデルの単線的な発展段階論を批判し、アジア、西欧を視野に入れて考察するスケールの大きい日本文明論。

    [ 目次 ]
    序 アイデンティティの探究
    第1部 日本と西欧の併行的「脱亜」―アジア文明圏からの自立(鎖国と近代世界システムの連関;本綿の西方伝播とイギリス産業革命;木綿の東方伝播と日本産業革命;「脱亜」の2つの形)
    第2部 「経済と文化」の構想(唯物史観と近代日本;今西「自然学」への注目;文化・物産複合論;日本文明の形)

    [ 目次 ]


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