- Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
- / ISBN・EAN: 9784140017258
感想・レビュー・書評
-
ヘーゲルの思想を、よく批判される国家論としてでなく、自分と世界との関わり方を論じたものとして、紹介する。ルソーやカントの思想との関係・比較、あるいはキリスト教の思想との関係も交えて語られるヘーゲルの思想はわかりやすく、頭の整理になる。ただ、どこまでがヘーゲルの思想でどこからが著者の思想であるのかわからなくなるとことがある。それだけ著者がヘーゲルの思想と自分を生を重ねて読んでいるということなのだろうが。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
『知的複眼思考法』で紹介されていて、古い本だったので中古で購読。
アウフヘーベンの考え方が、仕事の中での思考法にも応用できるのかなと思っていたが、アウフヘーベンには全く触れられていない。一番紙面を割いて解説している『精神の現象学』に出てくる言葉のようなので、そう思って読むと、これがアウフヘーベンなのかなと思えるところはある(”歴史は大きく自由と共同性を達成する方向へと進みつつある。『精神の現象学』は何よりも、このことを主張するものだった”とか)
ではあるが、一番の気付きは、偉大な哲学者も一人の人間であり、その思考が導かれた背景、当時の社会情勢やその人個人にとってどんなタイミングだったのか、そんなことに当然大きな影響を受ける。一人の人間にとっては長い人生、ずっと同じ論調なわけもなく、成長なのか、少なくとも変わっていくということだ。 -
(2015.11.26読了)(2004.08.06購入)(1996.05.20第8刷)
100分de名著の別冊「「幸せ」について考えよう」で西研さんがヘーゲルの『精神現象学』を紹介していたので、積読してあったこの本をこの機会に読んでしまうことにしました。
ヘーゲルの著作をたどりながら、ヘーゲルが何を考えていたのかを読み解こうとしています。だからこれは、西研さんの読み解いたヘーゲルということになります。
主力は、『精神の現象学』で第三章から第五章までを使っていますので、全体の半分ほどです。ヘーゲルの思想に影響を与えたものとして、ルソーの『社会契約論』とカントの『実践理性批判』、それと「イエスの生涯」を挙げて紹介しているのが、第一章と第二章です。
第六章は、『法哲学』の紹介です。
☆デジタル大辞泉の解説
ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel)[1770~1831]
ドイツの哲学者。自然・歴史・精神の全世界を、矛盾を蔵しながら、常に運動・変化する、弁証法的発展の過程としてとらえた。また、欲望の体系としての市民社会概念を明らかにした。ドイツ観念論の完成者で、その弁証法は、マルクスにより弁証法的唯物論として批判的に継承された。著「精神現象学」「大論理学」「歴史哲学」。
この本では、弁証法の話とかは出てこなかったように思いますので、ヘーゲルの全貌の紹介というわけではなさそうです。
とりあえず、ルソーの『社会契約論』とヘーゲルの『精神現象学』入門みたいな本を読んでみようか、と思ってます。『精神現象学』そのものは、ちょっと手が出ません。
【目次】
序章 ヘーゲルってどんな人?
第一章 人々が熱狂した近代の夢―自由・共同性・道徳性
第二章 愛は世界を救えるか
第三章 自己意識は自由をめざす―『精神の現象学』の構想
第四章 わがままな意識は大人になる―自己意識から理性への歩み
第五章 私と世界の分裂と和解―精神の歴史的な歩み
第六章 制度の根拠はどこにあるのか―家族・市民社会・国家
終章 ヘーゲル哲学をどう受けつぐか
引用・参考文献―読書案内を兼ねて
あとがき
●ポスト・モダニズムの主張(8頁)
絶対の真理も、絶対の道徳もありはしない。真理や道徳を自称する哲学があるだけだ。それが犯罪的なのは、ほんらい多方面に炸裂し伸び広がっていくはずの人間の欲望を「封じ込めて」しまうからだ。そういう哲学は、「世界はこうなっているのだから、おまえはこうあるべきだ」と人間をひとつのかたちに縛りつけてしまう。共同体も同じだ。共同体は、「まっとうな社会人でなければおまえの存在は無意味だ」とプレッシャーをかけて、人間を共同体の一員に取り込もうとするからだ。
●ヘーゲルの問い(14頁)
<正義や理想を腐らせなてしまわないために、どういう態度をとればいいのか>(社会を批判する基準は、どこに求められるべきなのか)<ルールの本質とは何であり、どう変わっていくものなのか>
●『精神の現象学』(17頁)
『精神の現象学』とは、人類の精神と社会制度とがどういう歴史をたどってきたのか、を描いた書物である。<人間どうしは闘争し合い、不平等な支配・被支配の社会をつくってきた。絶対的な権威をもつ宗教に人々がひれふすような社会もつくってきた。しかし、人類の歴史はまったく不合理な混沌ではない。人類は経験を通じて、少しずつ自分の価値観と制度とをつくりかえてきたからだ。いま人類は、自分の自由と他人の自由を認め合ったうえで、社会のルールをより合理的なものにつくりあげる、という方向に進みつつある>
●現代の精神(20頁)
現代に生きる私たちの「精神」は、
「一人一人が自分の充実感を求めて生きる」、そういう精神のあり方を前提としたうえで、国家を・共同体をどのようなものと考えればいいのか。このことを、私たちは考えなくてはならない。
●「近代の夢」(21頁)
ルソー、カント、若きヘーゲルは、一つの共通の夢をもっていた。人間が自主独立で、自由であること。人間がともに結び合って美しい共同体をかたちづくること。人間が高貴な道徳的な存在となること。そして、これらの実現のために社会を変革すること。<自由・共同性・道徳性>をめざす、<革命>の夢である。
●『社会契約論』の骨格(30頁)
①国家は、<社会契約>によってつくられたものであり、その目的は成員の「共通利益」を守り推進するためのものである。
②国家は、明文化されたルールである「法」が支配すべきである。法のもとでは全員が平等である。
③法は、国家の成員の共通利益にかなったものでなくてはならず、それは「人民集会」の決議によって決定される。こうして法は、<一般意思=成員の共通の意志>を表現するものとならなくてはならない。
●ルール変更(189頁)
国家の一員であることは、既存のルールの全面的承認ではなく、「ともに共通の利益を配慮し合おう」という意志を持つことであって、そのかぎりルール変更を主張する権利をつねに保持していること。
●『法権利の哲学』(196頁)
権利・道徳・社会制度の「正当性」の根拠を体系的に明らかにしようとするのが、『法権利の哲学』の目的なのである。
●社会契約という考え方(222頁)
国家ないし共同体を、神や伝統や血縁や文化によって裏づけられたものとみなすほうが、歴史的にはごく一般的だろう。そのとき国家は、宗教的共同体か民族的共同体とみなされる。しかし、社会契約という考え方は、国家を、<メンバーの共通の利益を配慮するためにルールを形成する共同体>とみなし、宗教的・民族的裏づけをそぎ落とす。
●恐怖(236頁)
ぼくは予備校生の小論文や大学生のレポートを眼にする機会があるけれど、ときどきそこから(中略)集団性や共同性に対する根深い恐怖が伝わってくるのだ。
☆関連図書(既読)
「ニーチェ『ツァラトゥストラ』」西研著、NHK出版、2011.04.01
「「幸せ」について考えよう」島田雅彦・浜矩子・西研・鈴木晶著、NHK出版、2014.05.30
(2015年12月22日・記)
(「BOOK」データベースより)amazon
マルクス主義につながる悪しき思想の根源とされていたヘーゲルは過去のものになる。共同体と人間の関係について徹底的に考えた思想としてヘーゲル哲学を捉えた新しい入門書。 -
ヘーゲルのそもそもの素質と動機がよくわからなかったところを、『精神の現象学』以前から説き起こしていてわかりやすい。
-
深く強く考えることを志向して生きていることを改めて実感した。
-
ヘーゲルなんて名前とんと聞かないなあと思っていた。高校の倫社の教科書に出ていた肖像画が気に入って版画で彫ったなあ、大学時代には岩波文庫の「歴史哲学上中下」を買ったけれど途中で挫折したなあというくらいの想い出だった。それが、西さんの手にかかると面白くわかりやすく読めてしまう。ヘーゲルの単なる解説ではなく、これからどう考えて生きていくか、どういう社会を作っていくかについての西さんなりの考え方が示してあるのがよかった。ルールを改変できる社会ということは大いに共感できます。
-
いわゆる弁証法を幼児がさまざまな他者に出会っていくことで成長していく姿にたとえて解説している、というより、大人になるとはどういうことかというテーマをヘーゲルを手がかりにつかみ出そうとした本。すわりの悪いタイトルだけれど、内容には合っている。