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Amazon.co.jp ・本 (336ページ) / ISBN・EAN: 9784140017401
みんなの感想まとめ
言語の本質に迫る本書では、思考が言語によって規定されるという一般的な見解に挑戦し、言語能力が本能的に形成されることを主張しています。ダーウィンの進化論やチョムスキーの生成文法を引き合いに出しながら、文...
感想・レビュー・書評
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私の思う「黄色」とあなたの思う「黄色」をピタリ同じ色にしたい場合、色見本が規定するカラーコードを用いれば良い。言語における認識の齟齬は、無限に発生する言語表現の振れ幅の違いによるのだから。
本書でも取り上げられるサピアとウォーフの有名な仮説は、ほとんど成立しないとこの事からもわかる。この仮説は“言葉によって思考が既定される”というものだが、著者はそれが正しければ、新しい言葉なんて生まれないだろうと反論するし、私もそう思う。
代表としての言葉があれば、厳密な語彙は必ずしも思考に必要というわけではない。「激昂する」という語彙がなくても「怒りの激しさ×5」などの表現の組み合わせとその強度でいかようにも示せる。“記号接地した代表的語彙“さえあれば、組み合わせで換言可能。だから、辞書で新たな言葉が調べられるのだ。
本書ではこういう論理展開をしている訳ではないが、サピアウォーフ仮説に反論しながら、チョムスキーを解題していく内容だ。
ー チョムスキーは、言語に関する基本的事実を二つ指摘した。第一に、ある人間の発する文はほぼすべて、単語をまったく新しい順に並べたもので、史上にその前例を見ない。したがって、言語が反応の総目録であるはずはない。脳のなかに、有限の単語リストから無限個の文を作り出す処方箋なりプログラムなりがあるに違いない。このプログラムを、(従来の、教育上の、あるいは名文を書く助けとしての「文法」と区別するために)心的文法と呼んでさしつかえなかろう。第二に、子どもは正式の指導を受けることなく、この種の複雑な文法を短期間に身につけ、はじめて出会う新しい文の構造をも一貫したやり方で理解するようになる。したがって、子どもは生来、あらゆる言語に共通する文法の青写真ともいうべきものを備えているに違いない。このいわば「普遍文法」によって子どもは、両親の発話から統語構造パターンを抽出する方法を知るのである。
ー なにかいったり書いたりしているとき、どうもこれは自分が本当にいいたかったことではない、という気がしたことはないだろうか。誰でもそんな経験があると思う。そう感じたからには、自分が口にしたこととはべつの「いいたかったこと」があるはずである。それをうまく伝えられる言葉を探すのが難しいことも少なくない。また、なにかを聞いたり読んだりしたとき、私たちの記憶に残るのは正確な言葉そのものではなく、主旨だけである。つまり、単語のつながりとはべつの「主旨」が存在することになる。それに、思考が言語に依存するとしたら、新語が誕生するはずはない。子どもは言葉を覚えられないはずだし、ある言語からべつの言語への翻訳も不可能なはずである。言語が思考を規定するという説は、皆がいっせいに疑問を棚上げにしないかぎり成立しえない。
興味深い内容が続く。下巻へ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「言語が思考を制約する」と考えるのは、ある意味、20世紀の社会科学の大きなトレンドではないだろうか。ソシュールの言語学に始まる構造主義や記号論、文化相対主義を主導する文化人類学や解釈学など。こうした傾向は、実証主義的な傾向の強い英米系でも一定のポジションを得ており、哲学の分野では「言語が考えられる事の限界を示す」とするウィトゲンシュタインや言語哲学の一派や「言葉が現実を構築する」とする社会的構築主義など。社会現象面でも、PC(ポリティカリー・コレクト)もそうしたトレンドのなかにあって、言語決定論は、文化相対主義と連動しつつ、政治的には、民主主義や多元主義と連動するものともなっているのだ。
一方、この議論も、ちょっと行過ぎているのではないか、と思うところもあって、自然科学の全てを含めて全部相対化されてしまったり(自然科学も、たしかにクーンのパラダイム論でいうような人間の認識のパラダイムによる相対性はあるのだが)、自然的なものと思われる性差も結局社会的に構築されるジェンダーなのだ、というところまでいくと、?な気がする。
やっぱり、程度の差というものは、あるんじゃないの?
という気分でいるところに、ちょっとした気分転換を図ってくれるさわやかな本であった。
言語は、人間の社会的構築ではなく、脳の本能によって生み出されるものである。また、言語の前に、言語化されない思考があり、言語によって思考が構築されるわけではない。ということを、言語学や心理学、進化論、脳生理学などなど、さまざまな角度から論証していく。
事例が、英語によっているところが多くて、ちょっとニュアンスが分からないところも多いが、内容はおおむね、そうだろーなー、と思えるものであった。
特に、移民の集まりが片言の文法化されない言葉でコミュニケーションをとっている状態から、第2世代の誕生とともに、クレオールとして、一挙に文法化され、言語的に洗練されたものになるというあたりは、とてもスリリングだったな。
でも、ピンカーが批判の対象としているほど、社会的構築主義の論者は、単純な言語決定論を主張しているのかなー、というのはやや疑問である。一部の極端な論者を例外とすれば、脳の構造が、一種の文法を持っており、この文法に基づいて(一見)多様な言語が生じてくる、という主張は、それほど違和感を持たないのではないだろうか?
つまり、言語化されていない思考までも含めて、一種の言語、文法的なルールに基づいているというのが、「言語によって思考が決定されている」という意味じゃなかろうか。
また、言語化されるまえの思考が言語を通じて表現されると同時に、社会化された言語が思考に影響するという側面もあるんじゃないかな、と思う。
つまりは、「言語決定論」も「脳決定論」も同じ穴のムジナじゃなかろうか、という気がするな。
なにかによって一元的に「決定」されるというのはないんじゃないかな、と思うんだけど。。。。 -
これは面白い。思考は言語に規定されるという一般意味論は科学的根拠がないのだと一刀し、言語能力(特に文法)というのは人間が直立歩行するのと同じように、本能的に形成されたものだという主張をダーウィンの進化論やチョムスキーの生成文法と関連付けて展開する。英文法の構造の解説は流石に飛ばし飛ばしになりつつも、クレオール言語の形成や心的言語の解説箇所は本当に刺激的だし、「文法は、耳と口と脳を結びつける仲介者」なんて比喩もセンスが効いている。ちなみに、『虐殺器官』の中核をなす言語論の内容は、本書からほぼそのままの引用。
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言語のうち、書き言葉は文明だが、話し言葉は本能であり、カラスが空を飛べるように人間が本能的に持ち合わせた先天的な能力であって、どんな言語でも共通の心的言語を基盤にして成立していることを主張した書籍。
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<内容>
母語が思考を枠づける、とするサピア、ウォーフの言語決定論を実証的にしりぞけ、言語本能説の前提として、人は普遍的な心的言語で思考することをまず洞察する。さらに、文法のスーパールールが生得であること、その基本原理を幼児は母語に応用して言葉を獲得することを、最新の発達心理学等から確認する。チョムスキー理論をこえて、人がものを考え、言葉を習得し、話し、理解するとき、心の中で何が起きているかを解き明かす、アメリカで大きな反響をよんだベストセラー。
(BOOK」データベースより)
<感想>
発売当初から話題になった本ということもあり、洗練された議論の進め方だったり随処に至るトリビアルな知識が知的欲求を満たしてくれる。一方で、かなり噛み砕いて説明がなされているにも関わらず、テーマ上どうしても難しい部分があったり、使われている例文や表現も英語ベースのものばかりだったりするので、予備知識がない読者にとっては結構大変なんじゃないかな、と思ったりも。
いずれにせよ、初版からかなりの時間がたってはいるが、基本的な内容はそう色褪せてはおらず、普遍文法や言語能力についての概略的説明としても、疑似科学的な言語に対する通説をバッサリと斬ってくれる読み物としても、良書であると思う。ただし、普遍文法や言語の生得説があくまでも一理論であり、Michael Tomaselloのレビューに見られるような批判や違う方向からの研究もまた数多くあるということには留意しなければならない。そしてその辺の議論を追っていくのもまた、ホットなテーマを扱った本書を読む面白さではないかと思う。 -
ゆる言語ラジオで推薦されていた本。ゆる言語ラジオでもよくわからなかったX バーがすらすらわかる!
流石に95年の本なので自然言語処理の内容は古さは否めないが、それを除けば素晴らしい本です。
下巻が楽しみです。 -
子どもは、統語体系の設計図をもって誕生し、クモが巣を作るように、母語を本能で獲得する。世界的言語学者が、チョムスキー理論を越えて、言語獲得の謎を実証的に解き明かす。【「TRC MARC」の商品解説】
関西外大図書館OPACのURLはこちら↓
https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB00218042 -
「ブレークポイント」関連本。
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生得なルールによってひとが言葉を理解していることがよく分かる。心的プログラム「パーサー」の仕組みを様々な実験を通して解き明かす第7章が最も興味深かった。二義性のある文を聴いている際には一つの意味を選択して解釈を進めていくという。機械であればどちらの可能性も一時記憶として保持できるが、人間の場合はそれが苦痛になるため、可能性の高い意味を選ぶ必要があるらしい。二義性があることに脳は反応しながらも、文法だけでなく何らかの知識を使って判断をしているというのだから奇蹟のようだ。1995年出版ということもあり、今日のコンピュータ技術を前提とするとやや古いのではないかと思われる言及も少なからずあった。この辺りはピンカーの近著等でアップデートしたい。
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和訳の素晴らしさも手伝って、言語学の凄さに楽しく触れられる本。
論文調ではなく、ユーモアや例えを持ち出しながらの演出。
上巻は、全体的に丁寧な文法の持論が、後半に音韻と書き言葉、そして談話分析の話題。幅広いものの、浅くない。知らなかった事や視点だらけ。下巻も一気に行けそう。 -
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1209円購入2012-01-19
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20年前には「できそうにない」と思われていたことが、「できるかも」になってきている。もちろん、「やっぱり、だめだ」も多いのだけど。
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この著書で一気に高名となりました。
この当時ピンカー氏はまだジャーナリストとして見られてましたが。
紹介するにしても専門筋じゃないよ的な感じで。
肩書きなんて飾りですよ。
自称「脳科学者(そもそもコレ自体わからんちん)」
でも通る世の中です。実験一切やっとらんけど・・・
よその研究成果を我が事の如く開陳するのはチョット・・
そリャあね、一般ピープルは専門雑誌読みませんて。 -
『言語を生みだす本能(上・下)』(NHKブックス 1995年)
原題:Language Instinct
著者:Steven Pinker
翻訳:椋田直子
言語学にもいろんな対象や方法があるわけですが、本書は、「人間の本性として言語」への生成文法にやや沿ったアプローチ(個人的には著者の理解も独特な気もする)。また、一般人にも楽しめるという意味で言語学の啓蒙書の面もある。
扱う内容は、言語獲得以外にも社会言語学やら言語決定論と言語相対論の話やら認知言語学っぽいのまで。
上下文冊で全13章。
なお、ピンカーが日本について書いた箇所が、何故か日本語版では割愛されてるとか。
【全体通した目次】
『言語を生みだす本能(上)』
1.技能を獲得する本能
2.おしゃべり
3.思考の言語
4.言語の仕組み
5.言葉、言葉、言葉
6.サウンド・オブ・サイレンス
7.トーキングヘッズ
『言語を生みだす本能(下)』
8.バベルの塔
9.しゃべりながら生まれてきた赤ちゃん、天国を語る
10.言語期間と文法遺伝子
11.ビッグバン
12.言語指南役たち
13.心の構図 -
言語を客観的に分析することは難しと思うが,本書では「読みづらい文」や「同じくらい複雑な割に,読みやすい文」が挙げてある。これらの文章は確かに読みづらかったり,複雑な割に案外読めちゃったりして,読者としても言語の背景に普遍的なルールの存在を体感し自然に受け入れやすいように工夫して書いてあって感心した。
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子供が言葉を身につけるのに親の協力は必要ないという事実が意外だった。言語を学習するのは意図的なプロセスではなく、人間に備わった本能らしい。
それと、第二言語の習得は幼少時を過ぎるとネイティブのそれと同等になるのは至難であること。改めて指摘されるとやっぱり大変な努力が必要なんだなーと覚悟させられる。 -
言語は後天的に身につけるものである、とは言い切れないというのが本書の主張するところ。いままで何の疑いもなく、言語は後天的なものだと思っていたのですが、本書を読んで、人間の本能レベルのところで言語を生み出す仕組みがあるという考え方にも一理あると感じました。心理学、言語学からコンピュータ科学にもちょっと触れていたりします。しかし、1990年代半ばの本のため、若干内容が古いかもしれません。言語学に絡んだ話としては、原著が英語であることから当然なのですが、英語文法を題材にしたものが多いです。ちょっとこれが読むのがつらかった。この本は読んでよかったと思える本です。この本を読んだ上で、「語りえぬものには沈黙しなければならない」という某哲学者のフレーズを、もう一度咀嚼したくなりました。※上下巻とも同じレビューです。
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人の思考は母国語によって枠付けられるという考え方を否定し、言語とは本能であると説いている。
母国語が人の性格に影響するというのはこれまでに聞いたことがあって、英語を母国語とする人のほうがより論理的に思考しやすく、日本語を話す人は、周囲の環境などに目を向けやすいなどといった理論には納得させられていた(内容については、記憶があいまいなので、若干違うかも?)。だけど、この言語にはスーパールールがあり、どの言語に関わらず、人間は本能として言語を話す能力を持っているという説もとても説得力がある。
言語というのは、体系であり、どの人間にも中身は備わっているものの、その整理法は言語によって様々であると整理できようか?
ただ、話すという行為自体が本能的なものであったとしても、その整理方法によって思考の方向性が変わることもありうるのではないか?どちらで無ければならないの?という疑問がわいてくる。
まだ、上巻しか読んでいないので、下巻を読んだら、もっと納得できるのかな?
大枠はつかめたと思うのだけれど、真ん中あたりの、具体的な例については、さっぱり訳がわからなかった。というか、たぶん日本語で読むことに、無理があるのだろう。英語の文法の細かい内容に興味も持てず。ただ流してしまった感じだ。ほかの人のレビューを読むと、英語で読むほうがわかりやすいと。なるほどと思う。ただ、英語で読むほど言語学に興味があるわけでも無いので、とりあえず、下巻も読み流して、雑学の一部にできればと思う。
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