自由を考える―9・11以降の現代思想 (NHKブックス)

  • NHK出版
3.53
  • (25)
  • (35)
  • (84)
  • (4)
  • (1)
本棚登録 : 377
レビュー : 28
  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784140019672

作品紹介・あらすじ

9・11以降、人はセキュリティと引き換えに自由を権力に譲り渡し、動物のように管理されようとしているのではないか。「安全」を求める人々の動物的本能が最重視される一方で、イデオロギーや理念などの人間的な要素は形骸化したのではないか。従来の思想が現状への批判能力を失いつつある今、気鋭の二人が権力の変容を見据え、テロ事件から若者のオタク化までの様々な事象を論じながら、時代に即応した新しい自由のあり方を探究する。現代思想の閉塞を打ちやぶる迫力ある討論。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
  • 社会学者の大澤真幸と思想家の東浩紀が、3回にわたっておこなった対談を収録している本です。

    「自由を考える」というタイトルが示すように、管理社会の問題が中心的なテーマとなっています。本書のもとになった対談がおこなわれたのは東が『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)を刊行したころでしたが、その後彼が『一般意志2.0』(講談社文庫)で展開するテーマがすでに明瞭なかたちで論じられています。同時に、東の初期の評論であり、現在は『郵便的不安たち#』(朝日文庫)に収録されている「ソルジェニーツィン論」に関心がつながっていることも語られていて、オタク論から東の思想に触れたわたくしにとっていささか把握しづらかった東の思想の領域が、かなり明瞭に見わたすことができるような気がしました。

    対談のなかで東は、大澤の弁証法的な議論の運びに対する批判をしばしば述べているのですが、たしかに弁証法的な図式に回収することで問題がクリアに見通せるようになることは否定しがたいように感じました。もちろんそのことにある種の危険性がともなうということも理解はできるのですが、東のほうも現代における「自由」について明瞭な結論を提示してはおらず、オープン・エンドのかたちで対談は締めくくられています。この点に不満をおぼえる読者もいるかもしれません。

  • http://133.52.131.151/opac/opac_link/bibid/TB00019882

    正直、この本を2017年の学部生が読んで、どう受けめるのかわかりません。
    私が学部1年の時に出て、読んでわからないことだらけだったけど、
    強い衝撃を受けた対談本です。ここから、多くの間口を広げてもらいました。
    うん、本当に興味を拡大させてくれる入り口でした。

    (推薦者:行政 新藤 雄介先生)

  • 大学の頃に買ったと記憶していますが、買って以来おそらく7、8年本棚の肥やしになってました。買った当時は『動物化するポストモダン』が大変話題になった時期で、東浩紀がホットな思想家だったので、哲学科の学生だった私も気になって手に取ったと、そんなところでしょう。東浩紀の顔写真が若い上に、まだぽっちゃり(余計なお世話)。ともかく、何の気なしに手に取った今になってようやく通読し終わりました。

    3回にわたる対談で構成されています。大澤真幸が『文明の内なる衝突―テロ後の世界を考える』 (NHKブックス、2002)という本を出して(これはまだ私は未読)、その出版記念トークイベントが行われた。これが第1回。そして、それを発端に東氏と2回対談を行った記録が本書です。ベースとして、一方には「9.11」論である『文明の内なる衝突』までの思索の蓄積があり、また東浩紀の『動物化するポストモダン』(講談社現代新書、2001)の「動物化」論までの思索の蓄積が一方にある、そういう文脈の流れですね。その二人が、テロ以後の世界情勢、情報化社会についてそれぞれの視点からの分析をぶつけ合っています。これも本当にどうでもいい余計なお世話ですけれども、3回目の対談はクリスマスの日にホテルの一室というクローズドな形で行われたようですが、「対談を終えて高層階のレストランで夕食をとっていると、突然、聖歌隊を模した集団が現れ、クリスマスソングを合唱し始めたのを覚えている。周りはカップルだらけで、キャンドルが灯り、まるでバブル期のドラマの一画面のようだった。」(p.11)そうですね。いい年したおっさん二人が小難しい議論を戦わせた後にそれって……お前らのクリスマスの過ごし方こそ大丈夫か?……

    まぁでも真面目な話、この本での現状認識、この本で予測していることは、かなりの部分で的を得ている気がします。今これを書いている2016年現在までの、例えばイスラム国に至るまでの流れであるとか、ブッシュからオバマ、トランプに至る流れだとか、SNSの爆発的な流行だとか、監視カメラだらけの商店街だとか……。15年前に書かれたものだということを考えるとちょっとびっくりですが、それだけやはり「時代の閉塞感」みたいなものは15年前あるいはそれよりちょっと前くらいから、変わっていないんですね。
    今の時代は物質的に豊かでアクセスできる文化も多様で、一見自由を謳歌しているような気がするけど、どこか自由が奪われている気がする。そして、その奪われていると思う自由を考えてみろと言われてもどうも、しょーもない。社会は確かに進歩しているのかもしれないけれど、逆にその進歩は社会が自分をコントロールする方向で、進歩しているのではないか。自分が社会を作るんじゃなくて、社会によって「こういう社会でしか生きられない」ような自分にどんどん作り替えられていくような感じ。とにかく、神様とかそういうものではない、もっと物理的で直接的な何かに操られているような感じ。この本で問題にしている自由とは、自由に関する感覚というのは、平たく語ろうとすればこういうことなんじゃないでしょうか。
    大変分かります。端的に言えば、目に見えて「苦労」が減りましたよね。快適に、便利に、効率的に、そういうラク出来る方向に改善されていってますよね。そして、だからと言って不快になる自由、不便になる自由、効率が悪くなる自由、要するに苦労する自由、欲しいですかって言われるとそんなもの欲しいと思わないわけですよ。いや、欲しいと思う発想すら、私自身の生活を振り返ってもどこからも出てこない。
    ただし、その一方で「苦労」が減る代わりに、「苦労」を減らしてくれるもの(この本でいえば「情報技術」とそのの産物)に自分を預けなければいけない。というより、預けさせられる。現代人はスマホに自分の人生握られてますね。望んで、自分の意志でというより、望むように仕向けられてさえいますね。
    もう、「これが現代社会の現実だ」と言われれば、ぐうの音も出ない。時代認識としては真っ当です。そして、そういう時代認識に対抗しようとしても、既存の哲学・思想はほとんど役に立たない。そこで、「もう哲学に仕事はない」と諦めてしまうのは簡単だけど、それってどうなのか、まだできることってないだろうか、という危機感が読みながら伝わってくるようです。カフカの「掟の門」とかアガンベンとかアーレントとかデリダとかドゥルーズ=ガタリだとか飛び交いますけれど、根本にはともかくそういう危機感がこの本にはあると思います。ただ、危機感は期待の裏返しですから、どこかには必ずあるって信じてもいるはずで、そういうのも読んでいて感じました。
    大学の先生が考えそうなことだと思います。大学の頃、アカデミックの道に進むか悩んだときに「哲学に仕事はあるだろうか」ということについて私自身も考えていたことをふと思い出しました。そのことについてこの本を読んで改めて考え感じたことがあります。
    一つは、この本で「島宇宙化」というのが問題に挙がりますが、この対談で問題にするまでもなく、もっと以前から哲学・思想の世界は極度というか末期なほど「島宇宙化」してたんじゃないかなということ。世の中の流れとして「苦労」を避ける以上、「自分にとって都合が悪く、耳が痛いけど真実をついている話」にもやはり耳を貸さなくなってきているのは道理でしょう。そして、そういう話に耳を貸さなくなる必然の結果が「島宇宙化」だと私は思います。そういうことである以上、本来「自分にとって都合が悪く、耳が痛いけど真実をついている話」であるはずの哲学・思想の話がモテないのも道理だと思うんです。ただ、哲学・思想の世界も結局は自分の都合を優先しているというか、乱暴な言い方をしますが要するに殆どがワイドショーのコメンテーター以上の仕事をやってない。「哲学学んでもそこまで未来は明るくないなぁ」と、かつてそういう思いがよぎったのも、やはりあれは道理だったなぁと思いましたよね。
    もう一つは、古典の言葉自体がもう、錆びた包丁のようなもので、今日の現実に起きている問題を切り分けるということに関して全く使い物にならない、歯切れが悪くなっているんですね。だからこそこの本も、「新しい概念作っていこう!」みたいな、そんな終わり方です。そういう意味で仕事はあると思いますけれど、それにはやはり、大学に引きこもってカビの生えた本ばかり読んでいては(歴史の勉強とか、教養という面では非常に大事ではあるんですが)、もうダメなんでしょうねぇ。

  • イロニーな亜種として、竹田が批判。

  • この本が出たのは10年以上前だけど、現在に通じるものがあるなと思う

  • 過去の著作からの繋がりも言及されつつ、『弱いつながり』に繋がっているのかなと思えるところが多々あったように思う
    そういう一貫性みたいのは結構好き
    しかし対談とかを読むたびに思うけど、いくら編集してるとはいえこんな長くてややこしいやり取りを口頭で行ってよくちゃんと認識できるな

  • 自由を欲するということは、自分のやりたいことが阻害されている、という感覚のことである。この本では具体的に自由とは何かを示すわけではなく、アーレントの示すアクションの領域から自由でない部分を探すことに焦点が当てられており、そのことが島宇宙化、偶有性の議論へとつながっていく。

  • 今でも十分読める本でしたがちょっと補足すると フィルタリングの話題において個人が任意にフィルタリングをやると言った話には現在では携帯を持ち始めた子供の場合は躾のため「親」がフィルタリングの有無を決めてしまうケースもあるだろう。そうなると自由を決める親はまさしく規律訓練方権力でアーキテクチャーは環境管理型権力である

  • 現代を生き悩む若者に救いの持てる結論


     自由を考える……。「そんなの考えずにもっと自由にやろうよ~」と提案したいところですけど、考えないということこそ自由を「放棄」するのに近いのかも分かりませんね。

     まえがきに、こうあります。
    「本書はむしろ、理論に興味のない読者にこそ読んでもらいたい」

    「自由とは何か」「自由の意味は」「自由のあり方とは」
     時には眉間に味のある皺をたたんだポーズもとりながら、曖昧模糊とした「自由」の実態について、対談が進められていきます。色さまざまな文化や生活、政治、社会情勢の中で、真に現代に求められている「自由」が、クールにシャープに論じ倒される本です。

     東氏は、インターネットの利用者にとってはかなり身近なところに、可能性を見出してくれています。匿名の自由。立場や責任がずっしりとのしかかる実名の圧迫感を逃れた時、匿名の世界には解放感が広がっています。だからこそ、お互い足元に縛られず、自由に情報や意見の交換ができるというもの。

     しかし、自由であるが故に現代人の興味関心は細分化が進み、若者はオタク化し、共通項が減っています。全く価値観が異なる相手に対しても共感を抱くことができるのか…。大澤氏の答えは「できる」です。そして、この状況に光射す結論は、これしかないのです。
     現実には、大澤流に「他でありうる」と考えたくても、価値観の違う人から向けられる言葉の暴力に傷を負い、今をもがいている身の上。すんなりとは納得できないものも感じるけれども……。

     どちらも、現代を生き悩む若者にとって、救いの持てる結論を提示していると思います。
     正しくとらえられれば居心地がいい。ただし、履き違えるといっぺんにめちゃくちゃになってしまう。今時の自由は繊細です。何がどう自由なのか、いま一度問い直してみたくなりました。

  • 東さんと大澤さんは、監視カメラによる監視社会や国民総背番号制などの議論をよくしている。テレビなどでは議論されないが、自由について議論することは、重要だと思う。この間「そうだこれから正義の話をしよう」がベストセラーになったが、正義や公正さを語るには自由についても議論する必要があると考えている。

    ウォール街占拠デモやアラブの春など、世界では正義と自由の問題は大きなテーマになっていると思う。ただ、それが日本で起こらないのはやはり、自由について議論する風土がないからだと感じた。自由というのは、お上から与えられるものでなく、やはり個人・市民レベルで議論しなければ、自由に関する議論足りえないから。

全28件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

東浩紀(あずま・ひろき)
1971年東京生まれ。批評家・作家。ゲンロン代表。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。専門は哲学、表象文化論、情報社会論。
著書に『存在論的、郵便的』(サントリー学芸賞思想・歴史部門)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞受賞作)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015受賞作)ほか多数。『ゲンロン0 観光客の哲学』は第5回ブクログ大賞人文書部門受賞作。

東浩紀の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
有効な右矢印 無効な右矢印

自由を考える―9・11以降の現代思想 (NHKブックス)を本棚に登録しているひと

ツイートする