- Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
- / ISBN・EAN: 9784140019917
作品紹介・あらすじ
確率の発想さえ身につければ、不確実な状況をうまくコントロールできる。ギャンブルや保険、資産運用など、日常に即しながら確率の基本的な計算方法を数字の苦手な人にもわかりやすく解説し、経済学や金融工学などが確率をいかに利用しているかを紹介。さらに、環境問題などのリスクに確率のテクニックを応用して対処する可能性をさぐる。社会生活に役立つ、異色の数学入門。
感想・レビュー・書評
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書店でみかけて、あまり興味なくペラペラとめくったら、数学(確率論)の視点からロールズの「無知のヴェール」を説明しているところが気になって購入。
読んでよかった。せっかく買ったので「無知のヴェール」のところだけでなく最初からさらっと読もうという軽い気持ちで読み始めたところ一気に読んでしまった。特に「自己責任論」「不確実性」の説明、「そうであったかもしれない世界」が楽しく読めた。
確率論というと「未来を予測する!」とかのビジネスっぽい感じとか、あと「雷に打たれた」とか「大きなつづらと小さなつづら」みたいな話が多いんだけど、こういう本はおもしろいな。この著者の他の本も読んでみたいわ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
確率理論の解説書、というより、広く人間の意思決定について論じた本といった方がよいかもしれません。
最初にまず基礎的な確率理論に関する説明があり、次に<a href="http://search.goo.ne.jp/web.jsp?IE=utf-8&from=blog-edit&PT=blog-edit&MT=%E5%A4%A7%E6%95%B0%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87" target="_blank">大数の法則</a>に基づくフィッシャー流の統計的推定との対比で、<a href="http://search.goo.ne.jp/web.jsp?IE=utf-8&from=blog-edit&PT=blog-edit&MT=%E3%83%99%E3%82%A4%E3%82%BA%E7%90%86%E8%AB%96" target="_blank">ベイズ理論</a>が紹介されます。
また、ギャンブルを事例にして、人間の経済行動を<a href="http://search.goo.ne.jp/web.jsp?IE=utf-8&from=blog-edit&PT=blog-edit&MT=%E6%9C%9F%E5%BE%85%E5%8A%B9%E7%94%A8%E5%9F%BA%E6%BA%96" target="_blank">期待効用基準</a>で説明する考え方に触れられます。
ベイズ理論と期待効用基準に踏み込むことにより、客観的な統計的概念に閉じていた確率理論が、主観の世界へと展開されます。
そしてここからが本論。
確率計算が可能な「リスク」と、確率分布さえ不明な「不確実性」を区別して考える、<a href="http://search.goo.ne.jp/web.jsp?IE=utf-8&from=blog-edit&PT=blog-edit&MT=%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88%E3%81%AE%E4%B8%8D%E7%A2%BA%E5%AE%9F%E6%80%A7" target="_blank">ナイトの不確実性</a>の世界へと踏み出すことで、不確実性の中で、人間がどのように意思決定し、どのように社会を選択するのかについて、数学的に証明しようとする様々な試みが披露されていきます。
人々は不確実性を回避する性向を持ち、<a href="http://search.goo.ne.jp/web.jsp?IE=utf-8&from=blog-edit&PT=blog-edit&MT=%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%9F%E3%83%B3%E5%8E%9F%E7%90%86" target="_blank">マックスミン原理</a>(最悪の数値が最大化されるような行動を選ぶ方法)に従うとの説が紹介される一方、<a href="http://search.goo.ne.jp/web.jsp?IE=utf-8&from=blog-edit&PT=blog-edit&MT=%E3%82%B3%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B8" target="_blank">コモン・ノレッジ</a>(ある情報を双方が知っており、且つ、「双方が知っている」ことを双方が知っている状況)という概念が解説され、個人がマックスミン原理に従い行動を選択することと、集団がコモン・ノレッジによる合意から行動を選択することの同質性が指摘されます。
次に、ちょっと意外なんですが、「平等」に関する議論へと論旨が展開されます。
平等と確率って、すぐには結び付かないように思いますが、個人的には次のように消化しました。
不確実性に支配された世界において、人間は誰もが不幸な境遇に陥るリスクに晒されている。
不確実な要因により、結果的に幸福な人と不幸な人に分断されるような「不平等」に苛まれる可能性があり、だからこそ「平等」が目指されるべき規範たり得る。
平たく言えば、世の中が不確実だからこそ「平等」であることに価値があるのである。
不確実性下における個々人による行動の決定が、集団としての社会選択にどのように作用するのか、そのメカニズムを解き明かすところに確率論の出番があり、目指すべき規範たる「平等」を達成するために確率論による分析が有用なものとなる。
<a href="http://search.goo.ne.jp/web.jsp?IE=utf-8&from=blog-edit&PT=blog-edit&MT=%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%81%AE%E6%AD%A3%E7%BE%A9%E8%AB%96" target="_blank">ロールズの正義論</a>において提唱された格差原理において、「もっとも不遇な人々の利益を最大化することを目標とし、その目的の限りにおいて不平等は是認される」との命題が提示されますが、このマックスミン原理が、前述した個人の不確実性回避行動におけるマックスミン原理と重なることに気づかされます。
さらにここからが佳境になりますが、不確実性下における推測と行動決定のメカニズムに「時制」の概念を当てはめる試みが論じられます。
即ち、人間は「過去の経験」を基に推測を行ない、行動を決定するという当たり前の現象です。
重要なのは、個人がそれぞれ内面に持っている「公理系(=原則、ルール)」は、その公理系を揺るがすような新たな経験をすることで自己修正され、最適選択を可能にする公理系に接近していくということ、そして、社会に硬直性が存在するとそうした公理系の自己修正システムがうまく働かず最適選択に近づくことができない人々が出現してしまうということ。
それゆえに、教育制度や医療制度などの<a href="http://search.goo.ne.jp/web.jsp?IE=utf-8&from=blog-edit&PT=blog-edit&MT=%E5%85%AC%E5%85%B1%E8%B2%A1" target="_blank">公共財</a>が重要な意義を担うことが論証されます。
そして、最終章では「時制」に関わるアイデアをさらに発展させ、「そうであったかもしれない世界」に思考を向けます。
人間は、現在を起点に、「もしあの時このような別の選択をしていなかったら…」というように、現在たまたま実現していないが実現してもおかしくなかった事象についても自身の責任の範囲内にあると感じる性質をもっている、という指摘です。
人間の行動決定はかくも複雑なものであり、確率理論はそこまでを射程に入れるべきではないかという問題提起です。
…と、備忘も兼ねて長々とサマライズしてしまいましたが、単なる数学理論の披歴に留まらず、経済社会に対する興味深いアプローチまでをも包含している内容で、たいへんに知的刺激を受けることができました。
自分は、著者の著作では「<a href="http://blog.goo.ne.jp/rainygreen/e/b5bf3de594783552feb45d51e8e54f4d">容疑者ケインズ</a>」を読んでいますが、ケインズ同様、専門家の間ではすでに様々な反論・否定が為されて、過去の遺物となっているロールズに対する熱い思いが伝わってくるのが面白いところです。
著者は、この本の中でしばしば「市場主義」に対する批判的な見解を述べています。
「自己責任」論に対しては、効用の完全知、選好の完全知といった前提条件を見落としている、と。
「構造改革」論に対しては、経済参加者に不確実性回避の行動があると、いくら公の障壁を取り除いても自律的に効率化されるとは限らない、と。
「民営化」論に対しては、上述した公理系の自己修正システムが働かない状況では、教育制度を公共財として提供することの必要性が見落とされている、と。
現在、巷で流れている感情的な反「市場」的言説と異なり、モラルやヒューマニズムに留まらず、数学的理論的見地からの市場主義への反論というスタンスは、とても興味深いと思います。
この本は2004年に書かれたもので、出版からかなり時を経ていますので、こういった観点での研究成果がどこまで進んでいるのか、関心を持ちました。 -
後半は筆者の社会的思想に色濃く移っていくが、これほど分かりやすいベイズ推定の説明を読んだことがない。
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タイトルからは想像できなかったが、これは経済学の入門書。確率の考え方を使って、経済学における問題のとらえ方をやさしめ(やさしくではない。。)解説している。言葉だけでは解説しきれず、確率で使われる記号を用いて説明しているので、数字アレルギーがある人には少しきついが、そうでない人は、是非一読すべし。新たな発想が得られることと思う。
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以下注目点
第3章 リスクの商い
P.84
・デリバティブの普及した高度金融社会とは、高い金を出す気があるなら誰でもたいていのリスクを他人に渡すことが出来る社会、そう規定することができます。もちろんこのことが、わたしたちに便宜をもたらしている面は否定しません。しかし、いろいろな問題点もあります。それは、「知らないうちにいつのまにかリスクを背負わされている」という危険性です。
第4章 環境のリスクと生命の期待値
P.101
・自己責任論が成立するためには、3つの前提が必要なことを確認しなければなりません。
1. ルールの公平性
2. 効用の完全知
3. 個人の情報と知識によって参加を回避できる。
P.105
・宇沢が試算したのは、「仮に自動車がなかったとしたら、市民が享受できたであろうものを、自動車が存在する中で回復するには、どのくらいの費用が必要となるか」、そういう計算です。
第5章フランク・ナイトの暗闘
P.126
・9・11テロの直前に何者かが株式市場で大量の空売りをしたことがわかっています。これは所有していない株を売っておいて、世界中で株が暴落した後に買い戻し、大儲けした例で、テロを事前に知っていた人物ではないか、と疑われています。
第6章 ぼくがそれを知っていると、君は知らない
P.154
・各人すべてが知っていることであっても、それは集団の知ではないかもしれないのです。このことはある意味では、「公共」というものが「個人を総合したもの」とは、本質的に異なるかもしれないことを暗示している、といってもいいでしょう。
第7章 無知のヴェール
P. 161
・平等は、人類全体にもたらされる厚生の総量を減少させる悪効果を持つことにもなるのです。
第8章 経験から学び、経験にだまされる
P.203
・市場社会における知識の不備を認め、推測の不完全性を認め、個人的な論理が過誤をおかしている可能性を認めるならば、むしろ私有されない環境が存在することこそが、人々を最適行動に導く道を拓く、そういえるのです。
P.206
・わたしたちは、学校という場所で、この社会の仕組みを知り、法の意義を知り、さまざまな人生の危機から脱出するすべを知ります。学校が大切なのは、そのような知識を与えてくれるからではありません。そのようなことを知る機会があるのも分からない未成年のときに、そのような知識が得られる、ということが大切なのです。
その結果、「学校に行かなかったことが損失」ということも理解出来なくなる可能性がある。
終章 そうであったかもしれない世界
P.220
・「人は過去をも最適化したいと思っているし、またそうあるべきだ」という論点
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フィッシャーの統計的推定は大数の法則を利用した「イカニモ」な確率、一方、ベイズ推定は主観確率、逆確率。
第4章で中西準子の環境リスク論に触れ、単純なリスクの数量化を需要の価格弾力性の観点から批判している。しかもタイムリーに原発のリスクの話まで出てくるが、低価格に生まれた需要を過剰消費としか見ていないのは疑問。まさに、その増えた電力消費に経済的な価値があると思うのだが。
第5章はナイトの不確実性。
・リスク=オッズは分かっていて結果が分からないだけ
・不確実性=オッズすら分からない状態
更に言えば現実世界ではどんなステイトがあるのかすら分からないことの方が多いだろう。リスクと不確実性は大違い。ヒトが不確実性を避けるので、エルスバーグ・パラドックスのような、確率を足して1にならない事態が起きる。
コモン・ノレッジや無知のヴェールにつては面白く読んだが消化し切れていない。しかし終章の、「そうであったかもしれない世界」論、「過去の最適化」「過誤に対する支払い」はすっと腹に落ちる。少し感動すらした。この考え方によれば、施し的な発想によらず社会保障がなりたつだろう。 -
数式が難しい。
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中西リスク論の批判と宇沢論の紹介がよかった。
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筆者の著書はいくつかあるが、大体同じなので一番安いヤツを読めばいい。決して悪い訳ではない。
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4〜5
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数学ライターとして著名な小島寛之氏による確率論の啓蒙書。私は確率・統計というものに昔からどうしても馴染めないし、これらを「数学」と呼ぶことには抵抗があるのだが、小島氏の啓蒙書をもってしても確率論の面白さはまったく伝わってこなくて残念である。やはり私には合わないのだろう。確率論は、頻度主義とベイズ主義のイデオロギー対立が解消していないし(情報系でベイズ主義が流行っているのは、単にコーディングとの相性が良かっただけ)、そもそもどちらにしても基本的な公理からして怪しさ満点なので、どうも頑健な学問という感じがしない。ギャンブラーによるギャンブラーのためのエセ科学、とまで言うと言い過ぎかもしれないけれど。本書の話に戻ると、あとがきは著者の心の叫びが込められていて面白い。