ウィトゲンシュタイン 「私」は消去できるか (シリーズ・哲学のエッセンス)
- NHK出版 (2006年5月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (126ページ)
- / ISBN・EAN: 9784140093320
作品紹介・あらすじ
「すべて」と「無」は一致する。私は強力で特異だからこそ、無と化していく。独我論から私的言語論まで、正反対のものが折り重なる不思議な世界に分け入る。
感想・レビュー・書評
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ウィトゲンシュタイン研究者でもある入不二基義氏(青山学院大学教授)が,ウィトゲンシュタインの「私」をめぐる思考について書いた一冊です。例えば,独我論と実在論は一致するのか,等が論じられています。また,著者自身はこの本について,「かなり偏向した『ウィトゲンシュタイン本』」であると明言しています。
ページ数は読書案内やあとがき等を含めても126ページと少ないため,短時間で読めます。しかし,内容的には,哲学に慣れ親しんでいない人には少し難解だと感じました(哲学の本を初めて読むため,極力ページ数の少ない本を選んだのですが,それでも分からないところがたくさんありました)。また,個人的意見として,分かりやすい箇所と分かりにくい箇所の差がはっきりしていると感じました。図を用いた説明は一貫してとても分かりやすかったのですが,ウィトゲンシュタイン本人の言葉を引用している箇所はかなり難解だと感じました。そのような箇所は大体その後に著者の補足説明が入っているため,分からない箇所があったらその先を見てみて,説明があるかどうかを確認する,という読み方をお勧めします。
(2013 ラーニング・アドバイザー/心理 KANAI)
▼筑波大学附属図書館の所蔵情報はこちら
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=1289214&lang=ja&charset=utf8詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本書は単なるウィトゲンシュタインの入門書ではない。『相対主義の極北』と『時間は実在するか』で確立された入不二哲学の手法を自我論に適用した、オリジナルな哲学書である。
入不二はウィトゲンシュタイン哲学を「私」の問題に限定し、「独我論」「無主体論」「私的言語論」の三つの側面に切り分ける。そのそれぞれに入不二製の哲学メスが入れられる――「独我論」には「正反対の一致」が、「無主体論」には「ないよりもっとないこと」が、「私的言語論」には「拡張するわれわれ」が――。ウィトゲンシュタイン哲学の入不二的解釈であると同時に、入不二哲学のウィトゲンシュタイン的解釈でもあり、読者は双方の哲学を味読できるというお得な構成になっている。
「世界は私の表象に過ぎず、私が死ねば世界も消える」と主張する独我論。「私は世界の一部に過ぎず、私が死んでも世界は傷つかない」と主張する実在論。それら相反する二つの立場を徹底させると、その極限において両者が重なるというマジックのような展開は、序章でも紹介されている「入不二」哲学の醍醐味である。
世にウィトゲンシュタインの入門書はいくらでもあるが、入不二自我論の書は今のところこれだけである。読みやすそうな体裁をまとっているが、内容は決して薄くはない。『ウィトゲンシュタイン』というタイトルだけで誤解してほしくない、本格的かつ独創的な入不二哲学論文であることを改めて銘記しておきたい。 -
『論考』が「私」「世界」「言語」をどのようなものとしてとらえているか。そこに焦点を絞って説明してくれているのでありがたい。本書を読み進めていくと、著者が引用する『論考』の文が何だか理解できた気がするのがうれしい。特に60頁あたりの、「「言語」は、「世界」や「思考」や「論理」とは違って、その中で「限界」を引くことができる唯一の領域」という指摘は、なるほどと思った。が、本書後半の『論考』以降の議論は難しかった。
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私と世界の深淵をのぞき込む体験をした。言葉に出来ないものを言葉で表す野心作。ウィトゲンシュタインの思考の深まりも追っている。冒頭の維摩詰の導入から引き込まれた。
・限界という概念 P39
0.限界とはあるものごとが、それでありうるぎりぎりの条件である。
1.限界とは、部分ではなく、全体に関わる。
2.限界とは、全体の外にある何かではなく、全体を成り立たせている不在というあり方をする。
3.限界とは、境界線なき全体であり、その全体の中身は別様でありうる。
4.限界とは一つ限り、一回限りという唯一正を示唆する。
・類比的な以降の観点から見るとき、隣接項を持たない側面としての私と隣接項を持つ側面としての私の葛藤は、単に解消すべき矛盾ではなく、移行に内在する力である。P92 -
p34 主体の扱い方がよくわからない。
表現された世界は境界を持ち、一つの箱に収まる。しかし収めた箱は世界の外にあり、表現された世界には含まれていない。その箱を収める箱も表現できるが、描かれた時点で別の箱に収まっている。最表部にある箱は常に描かれることはない。 -
何の因果なのか、ウィトゲンシュタイン氏なる人物にかかわる事情ができたので、一番薄そうな本だったのでとりあえず読んだ。読み終えたのが奇跡。「私は歯が痛い」と「私の身長が5cm伸びた」の違いは面白い。
本当は「論理哲学論考」に関する功績を知りたいのだが、本書はちょっと違ったようだ。まぁ、どっちにしても形而上の話は理解できないので、薀蓄の「う」の字でも得られれば良いものとしよう。 -
わかりやすく書いてあるとは思うが、理解しきれなかった。
私は私の世界である。
もう一度じっくり読みたい。 -
ウィトゲンシュタインの入門書は書くのが難しいだろう。10人いれば10とおりの入門書ができる気がする。そんな訳でこれも一般的な入門書ではない。僕はそもそも独我論というのがまったくピンとこないので,その路線からのウィトゲンシュタインには興味がない。しかも論理学がからきしダメなのもあって,言語哲学そのものにも全く触手が伸びない。それでもウィトゲンシュタインに魅力を感じるのは,彼の生き方にあるのだろうと思っていて,それはそれで間違いではないのだけれど,この本を読んでウィトゲンシュタインの思想それ自体にも,僕の好きなテイストがあるのだということを思い出した。
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難解なウィトゲンシュタインの哲学を、独我論に関する議論を中心にわかりやすく解説している。論理哲学論考以降の姿勢の変化についても、一つの指針を示していて興味深い。