日本とは何かということ: 宗教・歴史・文明

  • NHK出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784140803035

作品紹介・あらすじ

海図なき不確定な時代、物狂いする異様な時代を、どう生きるのか。日本人の倫理の課題を思索しながら、宗教のこと、歴史のこと、そして民族問題、人類文明のことなど、古往今来のさまざまを、痛切な想いで語り合った最後の大型対論。

感想・レビュー・書評

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  • 95年の5月、NHKでの対談企画を契機に生まれた、対談本。
    本書でも何度か出てくるが、95年とは、1月に阪神淡路大震災があり、4月に
    オウム真理教による地下鉄サリン事件があった。
    バブル後の失われた10年まっただなかで経済は重く、上述の出来事が
    社会をゆるがしていた。
    そのときに、「宗教・歴史・文明」に関して、
    作家・司馬遼太郎と宗教研究者・山折哲雄が対談したのである。

    p.76~
    山折
     「無常観」といったようなものを、どのように一般的な言語で表現するかということが、
     実は大切な問題なのですね。
    (中略)

    司馬
     そうです。英語や、アラビア語や、中国語に翻訳できる言葉として、
     我々は自分自身についての説明をしなければいけない。
     それをいま、吉田松陰や寺田寅彦の例を、あるいは正岡子規の例をもってきたら
     向こうはもう聞かないでしょう。
     ひとことで分かる言葉を、われわれは、やはり考えなければいけませんね、
     われわれ自身の説明として。
     (中略)
     自分自身の説明がつかないときに、宗教の問題がいま現実に目の前に
     起こってきている。
     それをわれわれは、これはこれで宗教の具体的な、つまりコントロールによらずに、
     こうやって無事に暮らしているわけです。たとえば、具体的に「あなたの宗教は何ですか」
     と私が何教だといわれても、何教かわからない。
     (中略)
     そういうことをひとことで表せる、日本人の説明としての宗教的な「説明言葉」というのか、
     言語表現があらねばならないですね。

    大きな石でゴーンとやられたような衝撃がある。
    私は少なくとも司馬遼太郎なる人物を「歴史の大家」だと思っていたし、ゆえに一方でどこか
    「過去を描く仕事の人」だと思い込んでいたのである。
    とんでもない間違いであって、司馬は現代の日本のアイデンティティを、海外に伝えられる
    言葉で確立すべきだという極めて力強い提言をしている。

    さて、それから16年経ったけれど、やはりというか、
    まだ私たちは日本の「無常観」に説明をつける言葉を持っていないように思われる。

    このたびの東日本大震災で、日本は世界から「道徳心の高さ」で賞賛を受けたのは
    記憶に新しい。 あんな整然とできるのは、どうも日本くらいだ、という話を聞いた。
    「我を通さない」ことが、まわりまわって「利己」になるという潜在意識の問題なのか?
    それとも、純粋に耐える素養があるのか?
    もし唯一の神を信じるのなら、悲劇は「神の与えた試練」というラベルで整理できるのかも
    しれない。だが、私たちの多くに神はなく、自然がそこはただ人類を打ちのめした。
    そうか、「自然を克服」という合理主義(神は信じるわけだが)がそもそもないのか。
    結局、神への信仰も人類が作り出した文化であることは、暗黙の了解の中にある。
    だが、それを強くイメージできるかたちで持たないということは、結局自然はあるがままに
    「共存」するしかないのかもしれない。

    このたびの反原発の流れも、そういう文脈においてみるとどこか納得いくムーブメントに
    思われる。
    原子力のテクノロジー概念は、明確に自然のコントロールと超克である。
    (というか、いまいち感覚でよくわからないあたりが、そう思わせるのだ)
    おそらく、これからの日本は脱原発を目指していくのだろう。
    別にエネルギーの需給バランスが取れれば、私としてはなんでもよい。
    ただし、「日本は成長し、テクノロジーで世界を制する国」という国民的感情を捨て去ることが
    条件だ。
    これから国別GDPで見てもなんの統計を見ても、世界における日本のインパクトが縮小
    することに間違いは無い。
    そのときに、それを受け入れられるのか、否か。
    私はきっと、日本人は受け入れてしまう素地があると思っている。それは、これまで述べてきた
    「神なき無常」とも通じるのだが。

    もし外国の視点から見ると・・・日本の歴史はとんでもない。
    250年の江戸幕府で、進化をぴたりと止めていたはずなのに、たかだがそこから数十年で
    列強と肩を並べ、でかい戦争に突入し、負けたと思ったら産業の力でまた列強を脅かした。
    「なんなんだ、こいつらは」
    と思って警戒(国によっては尊敬もしていくれているが)するのも無理はない。

    でも、きっとこれからの世界のあり方、日本のあり方は、その繰り返しとはならないように
    思われるのだ。
    大量生産消費時代が終わり、保護貿易時代が終わり、知価社会/ハイ・コンセプトの時代が
    到達した。
    これからは、国家や企業の影響力はもちろん大きいけれど、それ以上に組織/他者を
    エナジャイズして動かせる個人の働きが大きくなってくる。
    これはどこの国でも、程度の差はあれ、そうだと思うのだ。

    したがって、日本的な強みを歴史の中から掘り起こして、それで世界を繋げる人の存在そのものが
    新たな時代の「世界に通じる日本人像」のモデルなのだと思う。
    もし司馬の言葉にひとつ反論、というか言っておきたいことがあるとするのなら
    「言葉は何を言うかより、誰が言うか」ということではないか、ということ。
    その誰をどう育てていくか、に私は関心がある。

  • 「日本とは何かということ」司馬遼太郎・山折哲雄著、日本放送出版協会、1997.03.20
    238p ¥1,260 C0014 (2024.03.04読了)(2024.03.02拝借)(1997.06.10/5刷)
    オウム真理教による地下鉄サリン事件のあと『宗教と日本人』をテーマに行われた対談を活字化したものです。第四部以降は、三人の方が司馬遼太郎について述べたものです。
    司馬遼太郎は、1996年2月12日に亡くなっています。

    【目次】
    第一部 宗教と日本人 ―自然のなかの神と仏
    第二部 日本人の死生観 ―「天然の無常」ということ
    第三部 宗教と民族 ―なぜ対立を生むのか
    第四部(付論1) 「道徳的緊張」―司馬遼太郎の文明論 米山俊直
    第五部(付論2) 裸眼の思索者 松原正毅
    第六部(付論3) 『故郷忘じがたく候』『坂の上の雲』のことなど 山折哲雄
    あとがき

    ☆関連図書(既読)
    「明治という国家」司馬遼太郎著、日本放送出版協会、1989.09.30
    「空海の風景(上)」司馬遼太郎著、中公文庫、1994.03.10
    「空海の風景(下)」司馬遼太郎著、中公文庫、1994.03.10
    「司馬遼太郎の風景(1)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、1997.10.25
    「司馬遼太郎の風景(2)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、1998.01.25
    「司馬遼太郎の風景(3)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、1998.04.25
    「司馬遼太郎の風景(4)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、1998.07.25
    「司馬遼太郎の風景(5)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、1998.12.25
    「司馬遼太郎の風景(6)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、1999.03.25
    「司馬遼太郎の風景(7)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、1999.05.25
    「司馬遼太郎の風景(8)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、1999.07.25
    「司馬遼太郎の風景(9)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、1999.11.25
    「司馬遼太郎の風景(10)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、2000.07.30
    「司馬遼太郎の風景(11)」街道を行くプロジェクト、 日本放送出版協会、2000.09.30
    「日本の仏教と民俗(NHK市民大学)」山折哲雄著、日本放送出版協会、1989.10.01
    「親鸞をよむ」山折哲雄著、岩波新書、2007.10.19
    「『教行信証』を読む」山折哲雄著、岩波新書、2010.08.20
    「先生!どうやって死んだらいいですか?」山折哲雄・伊藤比呂美著、文藝春秋、2014.02.15
    「集団の生態」米山俊直著、日本放送出版協会、1966.02.20
    「ザイール・ノート」米山俊直著、サンケイ出版、1977.07.05
    「新・アフリカ学」米山俊直著、日本放送出版協会、1985.04.01
    「遊牧の世界(上)」松原正毅著、中公新書、1983.03.25
    「遊牧の世界(下)」松原正毅著、中公新書、1983.03.25
    (「MARC」データベースより)amazon
    海図なき不確定な時代、物狂いする異様な時代を、どう生きるのか。日本人の倫理の課題を思索しながら、宗教、歴史、民族問題、人類文明のことなど、古往今来のさまざまを、痛切な想いで語り合った巨匠の対論。

  • ▼福島大学附属図書館の貸出状況
    https://www.lib.fukushima-u.ac.jp/opac/opac_link/bibid/TB00020529

  • 宗教・歴史・文明 とサブタイトルがある。
    山折哲雄と司馬遼太郎の対談が 興味深い。

    日本人は 無心論者が多い。
    なぜ、無心論者がおおいのか?ということを
    考察している。

    絶対という存在があるキリスト教徒
    神が存在しない仏教、そして 八百万の神。
    相対との総和としての空。

    明治維新において 宗教がかかわらなかったこと。
    伊藤博文が 憲法をつくるさいに キリスト教に見合う日本の柱を
    天皇においたことで、神道が 宗教とされなかったこと。
    内村鑑三が キリスト教をぬいて 西洋文化を受容したことを
    批判した。

    明治維新が 無血革命だった 大きな理由は
    トインビーは 仏教の影響といい、
    貝塚茂樹は 儒教の「禅譲の精神」といったが、
    徳川慶喜が 水戸史観にもとづく朱子学を重視したことが大きかった。
    朱子学では 正義論が体系だっていた。楠木正成は善人だった。
    徳川慶喜は 悪人の足利尊氏になりたくなかった。

    寺田寅彦は 「天然の無常」としてきした。
    日本の自然はすごく不安定で、地震、台風、洪水、津波がある。
    あるいみでは 天災を受けやすいことから、無常が受け止めやすかった。
    宗教とは 対立を うみやすい。

    米山俊直  道徳的緊張
    司馬遼太郎は 文明と文化について 様々なところを旅行することで
    見つめていた。

    松原正毅  裸眼の思索者
    司馬遼太郎は 現場を自分の眼で見た。
    時空を超えた旅のなかで、思索して、人物を浮かび上がらせた。

    山折哲雄
    司馬遼太郎は 明治の時代 を透徹した眼でみつめた。
    幕末から明治の人々の 志の高さを つむいだ。
    そして、昭和の時代の暴走に、失望していた。

  • 本書の内容は大きく分けると二部構成と言っていいと思います。
    司馬遼太郎先生と山折哲雄先生の対談による「日本とは何かということ」の対談と、付録の三人の先生方による「司馬遼太郎論(?)」の二部です。

    前半部は本書のみの通読が可能ですが、後半の付録部分は司馬先生の著作を読んでおかないと理解できた気がしません。(私がまだほぼ未読だったせいですが・・・。)
    本書も日本人独特の感性に焦点をあててかかれており、一読の価値があると思います。

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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