- Amazon.co.jp ・本 (113ページ)
- / ISBN・EAN: 9784140813751
作品紹介・あらすじ
虚無と孤独の底から立ち上がる表現への渇望、自由への意思。孤高の写真家をめぐり静かに深まりゆく作家の言葉。
感想・レビュー・書評
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辺見さんはジャコメッリの作品をみると心に刺青を彫りこまれたような感覚をおぼえると言う。
初めて東京都写真美術館でジャコメッリの写真をみたとき、過去の記憶の断片が頭の中にふつふつと浮んでは消え、なんとも言えない不思議な気持ちになった。
なぜか幼い頃の記憶をめくりかえしてくる。僕も心に刺青を彫られたらしい。
ジャコメッリの写真には死の匂いがあり、詩情が漂い、幻夢的で、リアルで、謎が満ちていて、異界の妖しさと狂気がある。
不思議な表現者だが、心惹かれる。
辺見庸という作家の眼を通して語られるから純粋なジャコメッリの作品論や写真論ではない。むしろ全篇辺見さんのジャコメッリを俎上にした文明論や死や表現についての論考が多い。でも充分読み応えがあるし、考えさせられる。ジャコメッリという謎に満ちた表現者を読み解く上でひとつの見方を辺見さんは与えてくれている。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
凄いものを見てしまった!という感想しかない。
あの「もの喰う人びと」の辺見氏が、脳溢血で倒れたという。目覚めても意識が途切れている感覚、たよりなく、よるべなくひたすら孤独で、あの世とこの世のあわいにいるような異界であったそうだ。
そんな感覚が蘇るジャコメッリの映像は、なんとも言葉がない異界だ。ポスピスで死を待つ老人たちは、死を生き、生を死んでいるが、ジャコメッリは冷酷にして深い眼で撮影する。なにかが壊れているのに正視する、此の世もまさに異界の一片なのだ。
写真集のタイトルはまるで詩だ。
「死が訪れて君の眼にとって代わるだろう」
「私には自分の顔を愛撫する手がない」
「夜が心を洗い流す」
「この憶い出を君に伝えん」
辺見氏は、映像の資本論を展開する。
これらの映像には慰めなどない。癒しということばには陥穽がある。あくなき資本の論理、癒しとはそれを隠蔽するための抜け殻のことばだと論破する。
生と死の往還を唯見つめる眼は透徹していて恐ろしいが、もう一度更に覗き込もうとする私もいる。 -
これから何回も読むだろうし、また何回も読んで様々なことを考えると思います。マリオ・ジャコメッリの展示を見てかなり色々なことを考えて、さらにこの本を見付けたのが、この本との嬉しい出会いでした。何度でも再会するジャコメッリ作品への問い掛けとなっています。(何回も読むので、点数はつけません。毎回変わると思うので。)
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辺見さんのジャコメッリの見方です。
このジャコメッリの現実離れした白黒写真は、死の世界や天国や心の奥の中に踏み込んだようである。
絵画のように創作した写真は、わざとらしく見えるものもあるが、一目見たらこれは何なんだという驚きがまず湧き上がる。
こういう芸術の形が世界にあることは事実で、ジャコメッリはそれを誰にも共有できない形でもっていた。
なぜこういう写真をとるのか、どのようにとったのか
ジャコメッリという人に興味が向かう。
写真もやはり見事。
老人ホームで死にかけている抜け殻のような人の画面、鳥瞰してとった秩序ある自然をだましとった画面、そして白黒の死の世界と生の世界とはざまの画面。
ぼくたち普通の人ではなかなか感じ取ることのできない画像である。
ここではないどこか別の世界にひたりたいとき、ページをめくったり、見つめたり、現実的な違った場所に行ったりするものだが、本書もそういった期待に沿うものであろう。
マリオジャコメッリの写真を初見したのは芸術新潮の小さな特集。 -
マリオ・ジャコメッリのことを知りたくて借りたものの、「辺見庸の考えるマリオ・ジャコメッリ」という内容だったので少し外した気がする。
ジャコメッリの作品が何点か掲載されてたのでまあ良しとするってことで。
読みながら、そう考える根拠は?って突っ込みたくなるところが大量にあった。おそらく根拠なんかなく、辺見庸がインスピレーションのままに自分の考えたことを記してる本なんじゃないかな。
面白かった箇所抜粋↓
「強奪されるものはもはや労働力だけでない。判断し決定する能力までもがうばいとられる」エルツェンスペルガー
映像には2つの詐術がある。ひとつは権力の詐術、もうひとつは資本の詐術
辺見庸は資本の詐術として「CMによる映像の詐術」を挙げているけど、現代的にはCMよりもSNSの映像の方が個人の意識に訴えかけるものが多いんじゃないかな?SNS映像の詐術、虚栄心の詐術、と言ってもいいのかも? -
私には、写真の良し悪しなどわからないのだが、本書では、ジャコメリットという写真家に対する私的な感想文であるため、まったく理解できなかった。しかも、文書自体が、恐ろしいほど難解かつ、錯綜的。著者はどうしてこのような本を書いたのか、まったく理解できない。
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正に辺見庸の眼差しで捉えた、他の何物でもない辺見のジャコメッリだった。納得する部分があったり、偏見に思える部分もあったり。それはそれでいいと思う。鑑賞する者の捉え方なんて千差万別だ。ただ思うのは、ジャコメッリの写真には視る者の心を剥き出しにしてしまう力があるということ。辺見はジャコメッリを視て語りながら、どんどんと己の感情が迸り出て収まりつかなくなってしまったようだ。世を嘆き悲しみペーソス漂う辺見の語りを、ジャコメッリの写真から見つめ返す鋭利な視線が冷ややかに突き刺す。「白、それは虚無。黒、それは傷痕だ」
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なんかこのボヤッとした文章どっかで…って思ったら辺見庸さんだった…。この人の文章特徴ある。探さなきゃわからないところに名前書いてあるからわからなかった。
文学論みたいなものかな、と思うけど、あまりにも辺見さんワールドすぎてちょっとはなにつくなぁ、普段あまり文学論読まないせいもあるとは思うけど…。「…~間違いない」って書いてあったら「え?本当に?出典は?」って思っちゃうので気持ちよく読めない。 -
辺見さんの文体が夏にはちょっと向かないかもしれない。
もしくは真夏の炎天下の公園で読むと、ジャコメッリの写真と相まって
ぴったりくるかもしれない。
ジャコメッリへの愛とオマージュがたっぷり。
夜半の地下鉄にはぴったりだった。