ヤノマミ

著者 :
  • NHK出版
4.30
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本棚登録 : 631
レビュー : 109
  • Amazon.co.jp ・本 (315ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784140814093

作品紹介・あらすじ

奥アマゾンで1万年にわたり独自の文化と風習を守り続ける人々、ヤノマミ。150日間におよぶ長期同居生活を綴った、震撼のルポルタージュ。

感想・レビュー・書評

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  • ブラジルとベネズエラに跨る広大な森に生きる先住民ヤノマミ族。

    男たちは獣を狩り、女子供は田畑を耕し、巨大なドーナツ状の集合住宅に暮らす。そこにプライバシーは皆無で真っ暗闇の中、眠り、時に交接する。

    基本的には一夫一妻制が成り立っているが開放的な彼ら。浮気や不倫は日常的で父親違いの子供も多い。

    なにより、衝撃的だったのが出産に関してのこと。彼女らは森で出産し、生まれた子を精霊のまま天に返す(殺める)か、連れ帰り子供として育てるかを一人で決断する。

    14歳の少女が45時間の難産に苦しみ泣き続けた末にやっと産み落とした命を天に返した。それを目撃してしまったディレクターは帰国後もなかなかショックから立ち直れず、夜尿が続き、げっそりと痩せたそうだ。

    コインロッカーベイビーや赤ちゃんポストなど、耳にするたび覚悟なく妊娠・出産することに対し、欲しくても授かれない人もいるのに…と反発を感じていたが、なんというかそういったモラルだとか善悪を超えた次元の世界だ…。

    自ら殺めた子の亡骸を白蟻の巣に入れ、骨すらも食べ尽くされた二週間後にその巣をゆっくりと焼く。

    自身の下した決断ではありながらも、やはり母は涙に暮れるそうだ…

    森を食べ、森に食べられ、森に生きるヤノマミ。時は流れ、彼らの聖域にも狡猾な文明が入り込み始めたようだ。
    発展は彼らに幸いをもたらすのか、それとも…。この先も彼らがアハフー、アハフーと笑っていられたらいいな。

  • 星の光さえ遮断する、深い深い森の中に、彼等は住む。

    彼等は、身を守る目的以上の衣服は纏わず、自ら磨いた鏃で猿を狩り、木を削って造った舟で、魚を獲る。


    彼等は自らのことをヤノマミと呼ぶ。ヤノマミ、それは人間という意味だ。
    奥アマゾンの最深部、文明から遠く隔たり、長い長い時間を掛けて築いた独自の文化を守り続けてきた。
    この本は、彼等と共に過ごした150日にも渡る日々を記録した、生々しいルポルタージュだ。

    彼等の暮らしは、私達がネイティブという言葉から安易に想像するーー眩い太陽の下で、自然と共生し、神の恩恵に感謝しながら、手を取り合って豊かに暮らす、というようなーー、ものとは、かけ離れている。
    病に伏せれば薬を飲み、命は当たり前のように法に守られーーこの常識の中で生きている私達から見れば到底理解の及ばない風習も、多々ある。
    宴をし、笑い合う。
    争いをし、傷つけ合う。
    欲があり、愛がある。
    彼等は一塊の肉であり、同時に誇り高い魂なのだ。

    頁を、紙一枚を隔てて彼等を眺めるように、この本を読んだ。
    ざわざわと木々の葉擦れの音がうるさいほど頭の中で鳴り、時々、向こう側の彼等の腕がひゅっと伸びてきて、ふいに私の首根を掴むのではないかという想像に駆られた。時には彼等と唄い、笑った。

    ヤノマミ、それは人間という意味だ。
    私はまだ、人間という生き物のことを、何も知らない。

  • ハンモックをうまく吊れずにアハフーと笑われ、女たちの歩く速度についていけず、アハフーと笑われる。
    子供が生まれない、病気が続く、嵐がやまない・・・、そのたび、余所者を意味する「ナプ」という言葉でののしられる。
    ヤノマミにとっては完全に異分子で、言葉もほとんどわからない中、よくぞここまで、というほど、ヤノマミに密着した1冊。

    コロンブスがやってくる前、南米大陸にいた先住民(1000万~5000万)は、虐殺や持ち込まれた病原菌によって1%以下に激減し、今や、ブラジルに生きる先住民は220部族、30万人にすぎない。
    多くの先住民は、「文明」によって土地を追われ、文化や伝統や宗教を蹂躙され、これまでの生活を手放すことを余儀なくされた。
    物乞いをしたり売春をしたり、アルコール依存症となる者は後を絶たない。

    そんな南米で、ブラジルとベネズエラにまたがるアマゾンの奥深い森の中。
    今も、脈々と原初から続く伝統や風習を保つ人々がいる。
    「ヤノマミ」とは、彼らの言葉で「人間」という意味だ。

    ヤノマミは30人から200人で集団を作り、広大な森に分散して生活する。
    彼らは焼畑で畑を耕し、土地が荒れると移動をする。
    円形の共同住宅である大きな「シャボノ」で、囲炉裏ごとに家族が暮らす。
    仕切はなく、プライバシーはない。
    男は狩りに、女は畑に。
    1日はゆったりと流れ、誰かがアハフーと笑っている。

    何よりも、自然と一体として生きている彼らの死生観には衝撃を受けた。
    生き物は死ぬと精霊となり、「ホトカラ」に送られる。
    死んだ者は、ジャガーもインコも、子供も昔のヤノマミも、みんなホトカラにいて、自分たちのことを見て、話しかけている。
    その声を聞くのがシャーマンだ。
    ワトリキには、年に一度、死者を掘り起し、その骨をバナナと一緒に煮込んで食べる祭りがある。
    一方、生まれたばかりの子供も、人間ではなく、精霊である。
    女は精霊の力によって妊娠する。
    人間になるのは、母が子供を抱き上げ、家に連れ帰ったときだ。
    精霊のまま天におくるのか、人間として連れ帰るのか。
    それを判断するのは母親だ。男はその結果をただ受け入れる。
    誰の子からわからない子を妊娠した14歳のローリは、45時間にも及ぶ難産の末、ついに赤子を産み落とす。
    しかし、やつれ憔悴したローリは、手を赤子の首にかける――

    人間と精霊、天と地、生と死がすべてが大きな空間の中で一体となっている。

    大長老シャボリ・バタの言葉。
    “「あなたたちはしっかりと広めてほしい。自分の家に帰って家族に話してほしい。ナプが来る前、ヤノマミは幸せだったと。ナプが病気をもってきて、私の父も母も祖父も祖母も叔父も叔母もみんな死んでしまった。私はひとりぼっちになった。こんなことは二度と起きてほしくない。ヤノマミがナプの病気で死ぬところを見たくない。私たちは逃げた。山の中を歩いた。そのときもたくさんの人が死んだ。今、ワトリキにいる者は生き残った者たちだ。とても苦しい思いをしてきた者たちだ。忘れないでほしい。私たちはもっと大きなグループだった。とても大きなグループだった。その頃のことを思い出すと、今でも苦しくなる。思い出すだけで悲しい。どうして、私たちの祖先の土地でそんなことが起きたのか。あなたたちはしっかりと伝えてほしい。”

    現在は「保護区」の中にあって、一定の権利が保障されるも、地下に眠る資源を求めて侵入者は後を絶たず、農場所有者との境界争いは激しい。
    彼らも「文明」とは無縁ではいられず、特に若者たちは「文明」への興味を抱き、長老たちと対立する。
    シャーマンによっても治癒しない病気は、文明側の病院に行けば治るんだ・・・。
    少しずつ、彼らの価値観も変容が生じている。

    たくさんの人に読んでほしい一冊。

    • vilureefさん
      すっごくこの本、評価が高いですね。
      マリモさんの昨年のNo1.に輝いた本だし、さっそく読まねばなりません(笑)

      マリモさんの本棚、私が手を...
      すっごくこの本、評価が高いですね。
      マリモさんの昨年のNo1.に輝いた本だし、さっそく読まねばなりません(笑)

      マリモさんの本棚、私が手を出さない作家さんもたくさんあるので是非参考にさせていただいて新規開拓していきたいと思います。

      2013/02/25
    • マリモさん
      vilureefさんこんにちは。

      ヤノマミという南米アマゾンに暮す部族に密着したノンフィクションなのですが、人生観を変えてしまうくらいの威...
      vilureefさんこんにちは。

      ヤノマミという南米アマゾンに暮す部族に密着したノンフィクションなのですが、人生観を変えてしまうくらいの威力をもっていました。
      色んなところで読んでみて!と勧めまくってる一冊です(笑)。興味があれば是非是非どうぞ!
      もともとテレビ番組のために取材に行ったものなので、そのうち映像の方も見たいなぁと思っています。
      vilureefさんの本棚は、共通する作家さんも多くて嬉しいです。私も本探しの参考にさせていただきますね!
      2013/02/26
  • アマゾンの奥地に暮らす少数民族ヤノマミ。NHKのドキュメンタリー班が10年来の交渉を経て彼らへの取材と撮影を実現した。数度に分けて計150日間の現地で寝食をともにして取材撮影を行った日々の様子が本書では綴られている。南米の部族とフィールドワークで一緒に暮らした経験についてのエッセイとしては、人類学者レヴィ=ストロースの『悲しき南回帰線』が有名だが、人類学者ではない日本のテレビクルーが描く部族の姿は、その視点が自分たちに近いからなのか、より生身の人間として感じられる。それは、筆者が彼らと彼らの生活に対して適切な畏れと敬意を持ち、正しく接しようとしているからでもあろう。

    「ヤノマミ」とは、実は彼らの言葉で「人間」を意味している。彼ら以外の人は、「ヤノマミ」以下の存在として「ヤプ」と呼ばれる。取材陣が異物でもある「ヤプ」と見做されていることは、この取材が危険を伴うことを意味する。もちろん、毒蛇などの自然の災害についてもついてまわる。その緊張感が行間から溢れる。

    ヤノマミはこれまで「文明」による厄災から奇跡的に逃れており、口承での独特の文化が保持されている。今でもヘレアムゥと呼ばれる長老たちの講和があり、一日は朝のヘレアムゥで始まり夜のヘレアムゥで終わる。
    それでも文明との接触は避けられず、現代医療が入ってきたり、多くの人が工業製品の短パンを履き、留学により接触を行ったり、とその独立性が失われつつある。ジャレット・ダイアモンドもその著書『昨日までの世界』で、パプアニューギニアの部族が急速に「文明化」されている様子を描いている。ヤノマミの世界は、まさしく『昨日までの世界』で、それはまさに失われつつある。「一定の人口を維持し、独自の伝統と風習を保ち続けているのは、ヤノマミだけと言っても過言ではなかった」 - ドキュメンタリを作るものとして、ジャングルの中で危険を冒してでも、どうしても今映像に記録をしておきたいという気持ちを持ったのはとてもよく理解できる気がする。

    そうして本書の中で語られるエピソードとしては、祭り、狩りの旅、出産、死、部族の歴史、世界観、文明の侵入、などがある。特に彼らの死生観は独特だ。死者については忘れなければならない、とされる。死者に縁のあるものは死者ともに燃やされる。そして死者がいたことも忘れて、その名前も決して口にされることはない。男は最後には蟻や蠅となり、女はノミやダニになって地上に戻ると信じている。そして、もっとも印象的で、著者も衝撃を受けたのが嬰児殺しだ。産まれたばかりの子供を人間として育てるのか、精霊として森に返す ~ その場で殺す ~ のかは、産んだばかりの母親が決める。我々がその行動において従っている倫理、道徳、法律が、現代文明という枠の中で作られたものであり、相対的なものでしかないのだと痛感することになる。

    この本を読んだ後に、NHKオンデマンドでヤノマミを特集したNHKスペシャルを見た(全く便利な世の中になった)。わかっていることではあるが、映像ドキュメンタリーは、事実だけを伝えているわけではない。映像にCGなどで加工をしていないという意味では事実だが、編集するという行為を通してひとつの視点が固着される。その意味でもヤノマミに興味を持ったのであれば、映像だけでなくこの本も読んだ方がいいだろうと自信を持って勧めることができる。
    NHKスペシャルとして放送された映像は、美しい映像であるが、この本で語られる内容の多くが捨象されてしまっている。この本を読めば、映像を作ったのにもかかわらず、この本が書かれた理由が分かるだろう。
    お勧め。

  • 以前NHKのBSで観て衝撃だった映像の取材記録本。
    アマゾンの奥地、ブラジルとの堺に棲むヤノマミ族の営み。
    あれやこれやと人々の様子を読んでいると、文明のある社会の中の人々と共通する、身に覚えのある感覚も多々あった。

    口やかましい義母から離れて暮らし始めた家族の話。出戻り娘の話。夫婦喧嘩の話。日本語の「美人」「ブス」という単語を教えてくれと聞く女の微笑ましい話。男の子に混じって遊んでいた女の子に初潮がきた時の話。
    ヤノマミからはじかれた子供が保護されて外部で育つ話と、外部に連れ出された子供がそこでの教育に反感を覚えヤノマミへと戻り暮らした話、などドラマに富んだエピソードもあった。

    大勢で大きなひとつ屋根の下で壁なく暮らすヤノマミに、性のタブーはほとんどない、と始めの頃書かれていたのだが、読み進めると結構タブーはあって、守られている。
    近親交配は避けているし、あっけらかんと性の話はするけれど、夜の営みの際は周りに気を使っている(使わない奴が笑われた話もあった)。妻を寝取られた際の報復は凄まじい。


    子供のころみたTVで、アフリカかどこかから文明化されていない土地の人を日本に連れてきてその様子を撮影していた番組があった。その人はみるみるうちに元気がなくなり、缶入りの飲み物を差し出されても「そんな何処からいつ採れたかわからない水は、いらない」と言って口にしない。ドクターストップがかかり、故郷へ帰されたようだった。ひと安心しながらも、TVって、ひどい事するな…と思った。「ヤノマミ」は、取材者自らが現地へ赴いて体験している。持ち込む文明の品も慎重に選んでいる。帰国後には体験が尾を引きひどく気持ちを苛まれたようだったが、この仕事の取り組み方は相手を尊重していて偉いなと思う。


    産んだ嬰児を、育てるか大地に戻すか母親が選択する儀式。BSにて映像で観た時は衝撃で沈み込み、「十代初めの女性がくだせる決断なのだろうか。そんな細い体で身ごもり、妊婦であっても大量の荷物を背負った労働が当たり前、そんな過酷な環境下で子供を育てたいという気力が湧くだろうか。ただでさえ産後の精神状態は普通と違う。もう少し産前産後の協力制度があれば違ってくるのではないか」とモヤモヤとひとり思っていた。全てそれはこちらの基準の考えで。
    たとえ十代であっても母親になる女が決める、というのが肝なのだろう。引用に書いたのだが、王や権力者がいない。シャーマンは尊敬はされるが命令の権力は持たない。誰かが定める事ではなく、母となるものの選択。
    「『命』を巡る決断は女が下し、理由は一切問われない。母親以外の者は何も言わず、ただ従うだけだった。」


    性交渉が屋根のある場所よりも森で行われる事が多く、その逢引場所は茂みに葉を敷いた、毒蛇などに襲われる可能性もある死と隣り合わせの場所である、という。安全な場所から離れて行われるところに性と生の濃密な野生を感じた。
    そして、女が出産するのも必ず森。
    「剥き出しの生と死」が絡み合う森。森に生かされ、森を食べ、森へ還る生活。


    「文明」のもたらしたものは、宗教や病原菌のほかに、便利な武器や道具。それは緩やかに自立を奪い、文化は廃れ、集落は町へ出て物乞いと売春を始め、若者の自殺率が高まるという…。「『文明化』した先住民が辿る、お決まりのコースだった。」
    嬰児の儀式から感じた怖さよりも、よっぽど、恐ろしい。

    ヤノマミたちの密かな伝統的な暮らしが今も失われずに息づいていることを、遠く文明化された田舎で祈る。
    心の中に、彼らの姿、様子を思い描く。読めてよかった。


    余談
    ヤノマミは塩を摂る文化がなく、必要分は森の生き物や野菜から、あるいは特殊な方法で摂取するのみだったという。しかし、文明化に触れた若者によって「土産」として塩が当たり前に持ち込まれつつある、というくだりがあった。近頃、塩分の必要性を二分している本をいくつか読み、どっちなのだろうと思っていたのだが、具体的な一例を見た気がした。

  • これはすごい本だ。
    起承転結がキッチリと計算された構成にはなっていないが、体験者だけが語りうる、ザラザラとした質感をハッキリと伴い、時に読み手の胸に突き刺さってくるような圧倒的なリアリティが、だからこそ確実に浸透してくる。

    著者はドキュメンタリー番組を作るという業務目的のため、同じ“人間”という種族である、それ以外にほとんど共通項を持たないようなアマゾン奥地に暮らす部族の集落に身を投じ、共同生活を送ったわけだが、おそらく完成した番組からも画面を通しては決して伝わってこないであろう、スタッフだから、仕事だからという理由で身の安全が保障されているなんてことはまったくないその恐怖と不安たるやいかばかりのものか。
    同じ業界で飯を喰う者として、我が身に置き換えて考えてみたら、その戦慄は一層際立つ。
    その恐怖感とはとどのつまり、ヤノマミの人々の価値観の内にある、生死を分かつ境界というものが、我々が知る現代文明社会におけるそれと比べてあまりにも曖昧である、という着地点に落ち着くのではないだろうか。
    個人主義とかファシズムとか、そういった近代以降の理性的な分類とはまったく異なる次元で、ヤノマミの人たち個人の生死が持つ濃度は全体の中において私たちには希薄に感じられる。
    人以外の動物や生き物によく見られるような、個の生よりも種の存続と継承を優先する、という摂理がより強く残っているように思われるのだ。
    現代社会に暮らす私たちの個が生に対して執着するということは、すなわち欲の現れである。
    それも、食欲や性欲、睡眠欲といった原始的な本能ではなく、物欲、名誉欲、支配欲など、他の動物が備えないような後天的な欲求の現出に他ならない。
    物質的に豊かといわれる、いわゆる先進国に暮らす私たちはそういった即物的な欲望に如実に支配されてしまいやすい。
    今日獲るのは今日必要なものだけ、“モノ”に対する執着が我々に比すと格段に薄いヤノマミの人々にとっては、死というものに向き合う距離感もまた、私たちには実感が困難なほどに近いのではないだろうか。
    現世に遺すモノに執着すればするだけ、死に対する恐怖は高まり、今生への未練も引きずりやすい。
    それは実は、とてつもなく不幸なことなのかもしれない。

    人間とていうまでもなく、動物の一種である。
    哺乳類に属する一種に過ぎない我々人間が、いうなれば本来の獣に近いとも表現できるこのような生活様式に則って生きることは、本当の意味でナチュラルなことであり、ストレスフリーなあるべき姿なのではないかな、とこの本を読んでいると改めて感じてしまう。
    いや、そうであるのだ、と私たちは皆既に知っているような気もする。

    と言いながらも、後半に差し掛かると、こんなヤノマミにも実は以前から西洋科学技術の長い手は伸びていて、連綿と続いている伝統が脅かされている側面もある、という事実も明かされる。
    そして私たちは、未だにこのように動物本来の野性を保ちながら暮らしている人間たちがいるのか、と感嘆するのと同時に、やはりもうこの地球上に近現代文明社会の影響が及ばない地は存在しないのだな、と否応なしに思い知る。

    と、このように文章に綴れば大仰に聞こえてしまうような様々な理を、まったく大上段に構えることなく、純粋に自らが見聞きし、感じたことをシンプルに構成していくことによって読者に伝え切ってしまう、そんな著者の体験こそが凄まじく、それを著す手法が優れているのだ。

  • 文明社会と絶妙な距離感を保って彼らはアマゾンの奥地で奇跡的に生活しているが、そんな中で迫り来る変化を暗示しているので10年後ヤノマミはどうなっているのかとても気になる…
    印象的なのはまだ幼い少女も初潮を迎えると本能的に女になり、母にならざるをえないことの強さと残酷さ。
    ここでは文字どおり子どもを生かすも殺すも母親次第なのだ。

  • ブラジルの奥地アマゾンの保護区に生きる先住民族ヤノマミ。
    ヤノマミとは、彼らの言葉で「人間」
    ヤノマミ以外の人間の蔑称は「ナプ」
    言葉がわからなくても、蔑称の響きというのはわかるらしい。
    「ナプ」と呼ばれて、取材陣は悪意を感じたそうな。

    未だ、独自の文化と風習を守り続けるヤノマミのとある集落で4回、150日間におよぶ長期同居生活を著者らNHKの一行が送る。
    初回は通訳も交えていた。ヤノマミの言葉←→ポルトガル語←→日本語、で二人。
    でも二回目以降は通訳もなしで、彼らの言葉を覚えて、ディレクターとカメラマンと、もうひとり三人のみ!
    なるべく日本からの物を持って行かないということで、食料もカロリーメイトをこっそりとか、ほんのわずかのみ。
    そうしたら、狩りも出来ない一行はあっという間に飢えて、飢餓状態にあるアフリカの難民によく見られるあの下腹だけが突き出した体型になるほど。一日千カロリーくらいしか食べられなかったと。
    ムカデは50センチを超えるわ、用足しで繁みに近寄れば毒蛇がいて落ち着けず、下腹がどんどん重くなる日々だとか。

    そういう中で、自然と共に生きる人々の生活を追うのだけれど、まったく異なる死生観や、倫理観。
    衝撃的だったのは、出産。
    これは一行にも衝撃だったから、多くページが割かれている。

    出産のとき、妊婦は森にひとりで消えて、赤子を産む(初産の場合は、女達がついていくこともあるよう)。
    赤子は、生まれたときには、まだ人間ではない。
    精霊が男の体に入って、精子に宿り、女の胎内に入って、赤子に宿る。
    生まれた段階では、赤子はまだ、精霊であり、母親が抱きあげることで人間になる。
    産み落とした赤子を、女はじっと、物のように見つめる。
    十分以上も、表情なく。
    そして、赤子を抱きあげれば、集落に連れ帰る。
    集落で赤子を抱く女の顔は、母の眼差しになっている。
    この赤子は精霊として返すと決めれば、赤子の始末をする。
    自ら首を締める等して精霊に返し、蟻塚に切れ目を入れて赤子と胎盤をおさめる。後日、蟻塚ごと焼く。
    赤子を連れ帰る場合には、バナナの葉などにへその緒と胎盤を包んで木の枝に吊るし、蟻に食わせる。この蟻とは、ヤノマミの男が生まれ変わるもの。男は蟻、蝿に。女はノミ、ダニになる。

    女の選択には、一切誰も口を挟まない。
    赤子を人間にするか、精霊に返すかは、女が決める。

    日本でも、七歳までは神のうちといって、死んだときには大人のような墓を作らない風習があった。
    子墓、捨て墓とも言ったかと。
    でもこれは、死んだ場合。
    間引きの方が近いかも知れないけれど、もっと、ヤノマミの女達だけが知る別の感覚なのだろう。障害がある赤子だけを殺すわけではないのだから。

    ヤノマミでは、死者が出た場合、その人の使っていたものをすべて焼く。
    その人が切り払った藪ですら、焼く。
    そして忘れる。
    決して名前を出さない。
    けれど、ヤノマミの女達は、その風習を守れず、死んだ赤子のことを思って夜中に泣く。

    集落どうしの諍いで死んだり、毒蛇などにやられて死んだもの――普通の死に方をしたものの遺骨は囲炉裏に埋めて、年に一度、掘り返して、バナナと共に煮る。それを食べる。
    これは死者の祭り。
    生死が常にそばにあって、回っている。

    祭りや狩りや、その他の風習を持つ彼らのもとに、後半では変化が描かれていて。
    今まではシャボリという、呪いを唱える儀式で病の平癒を祈っていたけれど、それでは治らない病気にかかった女がいた。
    その女の病を、保護区関係の施設づてで街の病院に連れて行く。その女が、手術で治って帰ってきた。
    もう、彼らは、シャボリだけに頼らない前例を得てしまった。
    そして、先住民族の交渉役として育てられるために街に勉強にいっていた若者が、文明を持ち帰ってくる。ラジオや、パソコンや。

    先住民族の中には文明化された集落も多くあって、しかし彼らは、今まで食料を狩りで得ていたのに、狩りをしなくなる。
    物乞い。
    売春。
    そうして、独自の文化も壊れ、廃れていく。

    まったく日本と違う風習を知って、驚きながらも感じ入っていたのに、この衰退の兆しを知って、最後はやるせなくなる。
    文明化された暮らしは楽だけれども、彼らが持っていた森とのつながり、精霊とのつながりは、なくなってしまう。

  • ヤノマミを崇高で誇り高い民族、という風には決して描かないところが好きだった。
    それでいて神秘的で、文明の中で生きる私達には到底理解できないであろう出来事や行動も、著者なりの目線で分かりやすく記していた。
    NHKのドキュメンタリーは通常放送と再放送、両方観た。
    生まれたばかりの赤ん坊が精霊になる、何を馬鹿なことを言っとるんだ、早く助け出せ、と当時思ったが、これは今でも私の中で結構な葛藤がある。
    ドキュメンタリーを撮るって本当に大変だな、と思った。

  • ブラジルの国土の10%は人口の1%にも満たない先住民の保護区となっている。NHK取材班はアマゾン奥地のワトリキ(風の地)と呼ばれる集落に都合4度、計150日にわたり彼らヤノマミ(人間と言う意味)とともに暮らした。ヤノマミは推定3万人弱で200ほどの集団にわかれ集団生活を送っている。ワトリキはアマゾン川の合流地点として知られるマナウス(Wカップの開催地の一つでもある)から北西へ数百km、ほぼ赤道直下のベネズエラ国境に位置する。グーグルマップで拡大して行くとただの緑色でよく見ると時々川らしきものが見える程度だ。

    ワトリキはシャボリ・バタと言う長老が作った集落で170名ほどが住み、その内100名ほどはシャボリ・バタの何らかの血縁に当たる。ヤノマミはシャボノと呼ばれる大きなドーナツ型の住居に住みワトリキのシャボノは直径60m、家族ごとに囲炉裏を囲んで住んでいる。寝床は柱につられたハンモックだ。プライバシーなどと言うものはここにはない。ワトリキが文明と接触したのは1970年代のことで今では男性はほぼパンツははいている。ただし7名はいまだにノーパンだそうだ。

    男は狩りをし、たまに開墾もする。狩りに行かない日は男はゴロゴロしている。ヤノマミのいい男とは狩りがうまい男のことだ。女は畑仕事をし、囲炉裏を掃除し、森でキノコや薪を集め、料理をし子供の世話をする。主食はバナナ、パパイヤ、タロイモ、サトウキビなどで焼き畑による開墾をするが家族4人を支えるには1ヘクタールほどの畑がいる。ヤノマミのいい女とは健康で、タロイモ料理が上手で、薪を毎日集め、釣りが上手で、蟹を集めることが上手な女のことだ。まるで「おしん」じゃないか、しかしヤノマミは無駄にアハフーと笑って暮らしている。

    ヤノマミのデートは森の中、うーむ麦畑か。しかしそれほどロマンチックではないのはベッド代わりのバナナの葉をしいた湿地には毒蛇もよく現れるからだ。集団生活でも性には開放的であちこちで浮気があり、妊娠しても父親がわからないケースも多い。結婚するためには新郎は畑を開墾しなくてはいけないし、新しい家族のために狩りも増やさなければいけない。自分の妻を守ろうと夫は数m先の囲炉裏に引っ越したりもするし、浮気が見つかった間男はとりあえず死なない程度に殴られる。他の村の女を攫ったり他の村に移り住んだりとそれなりに近親婚を繰り返さないようにはできているようだ。

    ヤノマミの出産は女たちだけで森の中で行われる。NHK取材中に自称ヤノマミの一番いい女スザナは子供を育てることを選んだが、父親のわからない子供を妊娠した14才の少女ローリは陣痛から45時間かけて子供を産み落とし、そして生まれたばかりの子供の首を絞め殺してしまう。ヤノマミの社会では生れ落ちた子供はまだヤノマミではなく精霊だと考えられている。子供を育てるか精霊のまま天に返すかは母親が決めるのだ。どういう理由で育てるかを決めているのかは聞くことも出来ず取材班はただ黙って見ているしか無かった。ヤノマミは死ぬと精霊になり、男は最後に蟻や蝿となって地上に戻る。女は最後にノミやダニになって地上に戻る。地上で生き、天で精霊として生き、最後に虫となって消える。それが定めなのだ。生まれてすぐに精霊になった子供は白蟻の巣に埋められ蟻に食べられた後蟻塚とともに燃やされる。

    ヤノマミの世界にも少しづつ文明が接近している。まずはナイフや薬からだが徐々にポルトガル語を話すものも増えて来ている。またブラジルの中でもわずか1%のヤノマミのために広大なアマゾンを保護区にすることに反対する勢力も有り実際にはその理由はそこに資源があるからだ。ヤノマミのかつての敵はガリンペイロ(金鉱掘り)だった。文明への接触がヤノマミにとって幸せなことかどうかはわからないがいずれ文明に取り込まれてしまうのだろうと思ってしまう。

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著者プロフィール

国分拓(こくぶん ひろむ)
1965(昭和40)年宮城県生れ。1988年早稲田大学法学部卒業。NHKディレクター。著書『ヤノマミ』で2010年石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、2011年大宅壮一ノンフィクション賞受賞。

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