BORN TO RUN 走るために生まれた ウルトラランナーVS人類最強の“走る民族"

  • NHK出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (414ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784140814147

作品紹介・あらすじ

この冒険は、たったひとつの疑問からはじまった。「どうして私の足は走ると痛むのか?」その答えを探すなかでクリストファー・マクドゥーガルは世界でもっとも偉大な長距離ランナー、タラウマラ族に行きつく。その過程でわかったこと-わたしたちがランニングについて知っていることはどれもすべてまちがいだ-メキシコの秘境を彷徨う謎の白馬、現代社会と隔絶して暮らす"走る民族"、素足で峡谷を走り抜けるベアフット・ランナー、数時間走り続けて獲物を狩る現代のランニングマン、過酷な地形を24時間走り続けるウルトラランナーたち、そして、世界が見逃した史上最高のウルトラレース…全米20万人の走りを変えた、ニューヨークタイムズ・ベストセラー。

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    「ジョジョの奇妙な冒険」の第7部「スティールボールラン」に、「サンドマン」というキャラクターが登場する。彼は「大地の俊足」という異名を持ち、一般の参加者が馬を使う中、「自らの足」でレースに参加、1stステージ優勝を果たす。
    サンドマンが馬より速いのは、彼だけが持つ特殊な走法が関係している。走る時に踵が地面に一瞬しか触れず、着地の衝撃がつま先に移動する。その衝撃を利用し、地面を蹴り前に進む。普通の人間は衝撃のエネルギーが膝に蓄積するため、足にダメージや疲労が貯まってしまう。しかしサンドマンは足の前方に衝撃を逃し、地面との反発に再利用して加速を行う。これが馬をも超える走りを可能とするメカニズムだ。

    驚くべきことに、この「サンドマン」はフィクションの中だけでなく、実際に存在する。メキシコ北西部の山あいにひっそりと暮らす、世界最強の走る民族「タラウマラ族」だ。

    タラウマラ族は、近代スポーツ学から見て常識外れなことばかりだ。まず、彼らの履物はワラーチと呼ばれるペラペラのサンダルである。ナイキのランニングシューズのような厚いソールやふかふかのクッションは無い。そこら辺のゴミ捨て場にあるタイヤを適当に加工すれば完成するほど、簡素な作りである。しかも彼らはスカートやTシャツといった、散歩に行くような普段着でレースに参加し、一般参加者を打ち負かす。
    また、彼らはフルマラソンランナーのように鍛錬を積んでいない。電解質が豊富なスポーツドリンクを大量に飲んだりしない。練習の合間にプロテイン・バーで体力の回復に努めることもない。それどころか、たんぱく質はほとんど口にせず、もっぱら好物の焼きネズミで味つけした挽きトウモロコシを常食としている。レース当日にいたるまで、トレーニングや調整はしない。ストレッチや準備運動もしない。おまけに、彼らは大の酒好きで、しょっちゅうアルコールを口にする。レース当日まで酔っぱらっていることも珍しくない。タラウマラ族は一晩中パーティーをしたあと、翌朝にはむくむくと起き出してレースを始める。それは2マイルでも2時間でもなく、まる2日にわたってつづけられるものだ。メキシコの歴史家、フランシスコ・アルマダによれば、タラウマラ族のあるチャンピオンはぶっ続けで435マイル(約700キロ)を走ったことがあるという。立てつづけにフルマラソンをほぼ12回、昇った日が沈み、また昇るまでに走破したというわけだ。

    ここで一つ疑問がわく。なぜそんな適当な感じで100キロ以上も走り続けられるのか?普段の食生活はともかくとして、ペラペラのゴム草履で一切足を壊さないのはどういうわけなのか?

    答えは、われわれの常識が逆なのだ。つまり、ランニングシューズを履くから足が壊れるのであり、本来人間に適する走り方は、薄い靴ないしは裸足での走法なのだ。

    クッションつきのシューズが発明される以前、ランニングフォームはどの時代も同じだった。背筋を伸ばし、膝を曲げ、腰の真下で足が地面を後ろにかくようにして走っていた。ほかに選択肢はなかった。衝撃を吸収するものは、脚を縮める動きと中足部の厚い脂肪しかなかったからだ。
    しかし、ナイキがランニングシューズを発売し、底に厚いクッションの層を取り入れたことにより、不可能だった「踵着地」が可能となった。踵着地は遅いし足を壊すしでメリットは無いのだが、ナイキは悪どかった。「踵着地のほうがストライドの距離が伸び、速く走れる」「よりケガをしにくい」という説を広め、自社が製造する靴の販促に利用したのだ。つまり、今までに無かった走法を作り出し、それを正当化するために根拠をでっち上げ、そして「自社のシューズを買うことでしかその走りかたはできない」と宣伝することで、シューズを買わざるを得ないよう世界を変えてしまったのである。
    この状況を筆者はこう綴っている。「ランニング障害の蔓延を巨悪のナイキのせいにするのは安易すぎるように思えるが、気にしなくていい。大部分は彼らの責任だからだ」。
    ―――――――――――――――――――
    本書「Born to Run」は、読めば思わず走り出したくなる一冊だ――今までとは違う新しいフォームで。タラウマラ族の驚異的な逸話だけでも面白いのだが、そこに加えてランニングに関する科学的な視点を身体の構造の面から解説しており、非常にためになる。特に28章、進化学的観点から観た人間の特異性――ヒトは走るのが苦手な生物ではなく、超長距離を走るために設計された生物だった――が解明される章は、筆者の筆致も相まって抜群に面白い。ランニングの本質と喜びについて考えさせてくれる魅力的な作品だった。

    ――タラウマラ族の本当の秘密はそこにあった。走ることを愛するというのがどんな気持ちなのか、彼らは忘れていない。走ることは人類最初の芸術、われわれ固有の素晴らしい創造の行為であることをおぼえている。洞窟の壁に絵を描いたり、がらんどうの木でリズムを奏でるはるかまえから、われわれは呼吸と心と筋肉を連動させ、原野で身体を流れるように推進させる技術を完成させていた。それに、われわれの祖先が最古の洞窟壁画を描いたとき、最初の図案はどんなものだったか? 稲妻が走り、光が交錯する――そう、走る人類だ。
    ―――――――――――――――――――

    【まとめ】
    1 走る民、タラウマラ族
    どうして私の足は痛むのか?
    それは、ランニングというスポーツが根本的に健康に悪いからだ。ランニング関連の衝撃荷重は最終的に、骨、軟骨、筋肉、腱、靭帯といった脚の主要箇所を、時間をかけて破壊する。

    近代医学の常識の外にいるのが、タラウマラ族である。
    超長距離走にかけてなら、タラウマラ族ランナーの右に出る者はない。競走馬も、チーターも、オリンピックのマラソン選手も彼らにはかなわない。タラウマラ族の走る姿を見たことのある外部の人間は数少ないが、超人的なタフネスと静謐ぶりが織りなす驚くべき物語は、数世紀にわたって峡谷の外に伝えられてきた。
    タラウマラ族の地には、犯罪も戦争も窃盗もなかった。汚職、肥満、薬物中毒、強欲、家庭内暴力、児童虐待、心臓病、高血圧、二酸化炭素排出もなかった。癌の罹患率はかろうじて検知可能な程度だった。彼らは糖尿病にもうつ病にもならず、55歳でも10代の若者より速く走り、80歳のひいおじいさんがマラソン並みの距離を歩いて山腹を登ってみせる。
    タラウマラ族は一晩中パーティーをしたあと、翌朝にはむくむくと起き出してレースを始める。それは2マイルでも2時間でもなく、まる2日にわたってつづけられるものだ。メキシコの歴史家、フランシスコ・アルマダによれば、タラウマラ族のあるチャンピオンは435マイル(約700キロ)を走ったことがあるという。立てつづけにフルマラソンをほぼ12回、昇った日が沈み、また昇るまでに走破したというわけだ。

    彼らはフルマラソンランナーのように鍛錬を積んでいない。電解質が豊富なスポーツドリンクを大量に飲んだりしない。練習の合間にプロテイン・バーで体力の回復に努めることもない。それどころか、たんぱく質はほとんど口にせず、もっぱら好物の焼きネズミで味つけした挽きトウモロコシを常食としている。レース当日にいたるまで、トレーニングや調整はしない。ストレッチや準備運動もしない。ただ、ふらふらとスタートラインにつき、笑って冗談を言いあい……そしてつぎの48時間は鬼のように走りまくる。
    そんなふうに謎に包まれたタラウマラ族は、実は別名が通り名になっている。彼らの本当の名前は「ララムリ」――走る民族――だ。


    2 レッドヴィルのウルトラマラソン
    フルマラソンよりも長い距離と過酷な環境でレースを行うのが「ウルトラマラソン」だ。ウルトラマラソンは、50キロメートル以上の距離を、険しい山岳地帯や草木が生い茂るトレイルで走る。ウェスタン・ステイツ・エンデュランス・ランは161キロ、バッドウォーター・ウルトラマラソンは217キロ、スポルトマン・デ・アウトラに至っては一つのレースで431キロを走る。完走のためには24時間以上ぶっ続けで足を動かし続けなければならない。

    24時間もノンストップで走ると、ウルトラランナーは頭がぼうっとして、懐中電灯の電池を交換することも、トレイルマーカーの意味を理解することもできなくなったりする。なかには正気を保つランナーたちもいる。だが、それ以外の者にとって幻覚はめずらしくない。あるウルトラランナーは懐中電灯を目にするたび、列車が迫ってくると思いこんで悲鳴とともに森のなかに飛び退きつづけた。バッドウォーターでは20人のランナーのうち6人が幻覚を訴え、うちひとりは腐乱死体が道路沿いに並び、「突然変異のネズミのモンスターたち」がアスファルトを這うのを目撃したらしい。

    アメリカ西部のレッドヴィルという都市では、町おこしのためにレッド・ヴィル・トレイル100というイカれたマラソン大会が開かれていた。総距離100マイル(160キロ)、フルマラソンほぼ4回ぶん、その半分は暗闇のなかで、途中に800メートルの登山が2回ある。レッドヴィルのスタートラインは飛行機の客室が加圧されはじめる高度より二倍も高く、しかもそこから先は上にしか行かない。

    1993年、レッド・ヴィル・トレイル100に数人のタラウマラ族のチームが参加した。リーダーは小柄な55歳のおじさんで、若者二人は18歳ぐらい。チーム・タラウマラは現地に到着するが早いか町のごみ捨て場へと姿を消し、ゴムタイヤの切れ端を手に戻ってきて、サンダルをつくりはじめた。彼らのランニングシューズである。
    過去10年間、レッドヴィルの全ランナーを見てきたが、こんな者はひとりもいなかった。これほど、異様なまでに……普通の顔をしている者は。10時間連続で山を走れば、へたばるか、顔にそれが出るかのどちらかで、例外はない。最強のウルトラランナーでさえ、この地点まで来るころには下を向いて思いつめたように、足を交互に踏み出すというもはや不可能に近くなった苦行に集中している。それなのに、タラウマラ族はけろっとしている。たったいま昼寝から目を覚まし、ぼりぼりと腹をかきながら、子供たちにこのゲームのやり方を見せてやることにしたといった風情だ。
    ビクトリアーノが最初にテープを切り、セリルドが僅差の二位で到着した。マヌエル・ルナは、新しいサンダルが83マイル地点でばらばらになり、足をすりむき血を流していたが、それでもターコイズ湖のほとりの岩がちなトレイルを走りきって五位につけた。タラウマラ族以外の最初の完走者はビクトリアーノよりほぼ1時間遅く、距離にしてざっと10キロの差をつけら れていた。


    3 アン・トレイソンvsタラウマラ族
    タラウマラ族に勝てる者がいるとすれば、アン・トレイソンしかいない。彼女はカリフォルニア州出身の33歳になるコミュニティ・カレッジの科学教師だ。アンはウェスタン・ステーツ100――トレイルランニング界のスーパーボウル――の女子チャンピオンに14回も輝いた。アンはレースとなると見境がなくなる女性だった。一時、彼女は4年にわたり、ひと月おきのペースでウルトラマラソンを走った。それだけ身体を酷使すれば消耗するのが普通だが、アンの回復力は突然変異したスーパーヒーロー並みで、動きながら元気を取り戻し、弱って当然のときにますます強くなるように見えた。彼女は月を追うごとに速くなり、その4年に20レースを制覇した。トラックとロードで打ち立てた世界最速記録は10をくだらない。オリンピックのマラ ソン選考競技会への参加資格も得たし、62マイル(約100キロ)を1マイル6分44秒のペースで走って「ワールド・ウルトラ」のタイトルを獲得し、ウェスタン・ステーツとレッドヴィルを同じ月に制覇した。

    そのアンがレッドヴィルに出場する。タラウマラ族との対決だ。

    タラウマラ族のフアンは17時間30分でゴールを通過し、レッドヴィルのコースレコードを25分速いタイムで更新した。アンは約30分遅れの18時間6分だった。女子の新記録である。彼女のすぐ後ろにつけていたマルティマノが三位にはいり、マヌエル・ルナと残りのタラウマラ族が四位、五位、七位、一〇位、一一位でゴールになだれこんだ。

    アンはゴールまで30分たらずのところでフアンに抜かれていた。“疲れた様子さえない!彼はまるで……楽しんでる!"アンは打ちのめされ、棄権しようと考えた。タ ラウマラ族のあふれる喜びは、アンを心底、落胆させていた。ここまで、それこそ死にものぐるいでリードを保ってきたのに、この男は気が向けばいつだって挽回できたとでも言いたげだ。屈辱的だった。


    4 ランニングシューズの罠
    タラウマラ族はサンダルで走っているのに、何故脚を壊さないのか?
    タラウマラ族の走りに非常に近い、ケニア人の走り方を見てみよう。彼らの足は体の真下に着地し、そして押し返す。ストライドを短くし、前足部で立ち、背筋を伸ばし、頭を固定し、腕を上げ、肘を激しく動かし、前足部でさっと接地して尻に向かって蹴り返す。
    そして、この動きがアスファルトからの反発力を推進力に変える。踵着地ではアスファルトからの衝撃が直に膝に伝わり、その逃げ場がない。一方でつま先で着地しそれを次の一歩の慣性に利用できれば、身体の負担は軽減され、かつ速く進める。

    ランニングとは本来、危険なスポーツである。アスファルトの衝撃が膝に負荷を与え、脊髄にまで駆け上がるからだ。それは現代のランニングシューズの構造に原因がある。靴はわれわれの足を弱くし、オーバープロネーション(着地の衝撃を分散するために、着地時にかかとが内側に倒れ込むように動く人体の自然な動き)を招き、膝に問題を生じさせる。1972年にナイキが現代的なアスレティックシューズを発明するまで、人々はきわめて薄い底の靴を履いて走っていたが、彼らの足は強く、膝の負傷率ははるかに低かった。
    そして、ナイキはそれを知ってなおランニングシューズを普及させた。

    ●真実その1:最高のシューズは最悪である
    最高級シューズを履くランナーは安価なシューズのランナーに較べてけがをする確率が123パーセントも大きい。これはスイスのベルン大学に所属する予防医学の専門家、ベルナルト・マルティ医学博士を中心とした研究の結果だ。故障経験者に共通する最大の変数は、トレーニング場の表面や走るスピード、一週間に走る距離、「実戦トレーニングによるモチベーション」のいずれでもなかった。それは体重でもなければ、それまでの故障歴でもない。シューズの価格である。95ドル以上のシューズを履いたランナーは、けがをする確率が40ドル未満のシューズのランナーの2倍だったのだ。

    ●痛ましい真実その2:足はこき使われるのが好き
    ベイツ博士と同僚たちは、シューズがすり減ってクッション材が薄くなると、ランナーは足をコントロールしやすくなると報告した。
    どうして足のコントロール+べらべらになった靴=けがをしない脚になるのだろうか?ある魔法の成分、つまり恐怖のためだ。アディダス・メガバウンスといった商品名から連想されるふかふかしたイメージとは裏腹に、クッション材は衝撃を緩和する役には立たない。しかも、シューズのクッション材が多いほど、足は保護されなくなる。
    モントリオールのマギル大学で、スティーヴン・ロビンズ医学博士とエドワード・ワケド博士が体操選手を対象に一連のテストを実施した。その結果、着地用のマットが厚いほど、選手は強く突き刺すように着地することがわかった。彼らは本能的に安定性を求めていた。着地面がやわらかいと感じると、バランスを確保するために強く足をたたきつけるわけだ。
    「バランスと垂直方向の衝撃には密接な関係があるとわれわれは結論づける」マギル大学の博士たちはそう書いている。「われわれの発見によれば、現在入手可能なスポーツシューズは……やわらかすぎ、分厚すぎる。人間の運動機能を保護することが目的なら、設計を改めなければならない」

    「建築物を見てみるといい」とハートマン博士は説明している。足の中心となるのは土踏まずだ。重量を支えるためのデザインとして、これほど優れたものは歴史上見当たらない。あらゆるアーチの素晴らしさは、圧力をかけられると強さを増す点にある。押し下げられれば下げられるほど、アーチの各部分はぴったりとかみ合うのだ。有能な石工ならアーチの下に支えをつけるような真似はしない。下から押し上げれば、構造全体を弱めることになるからだ。足のアーチをあらゆる面から強化するのは、26の骨、33の関節、12のゴムのような腱、そして18の筋肉からなる伸張性の高い網であり、これはいずれも耐震構造のつり橋のように収縮する。一方で、シューズを履けばそのアーチの隙間を埋め、脚の弾性を殺すことになる。


    5 ナイキの大罪
    ランニング障害の蔓延を巨悪のナイキのせいにするのは安易すぎるように思えるが、気にしなくていい。大部分は彼らの責任だからだ。この会社を設立したのは、何でも売ろうとするオレゴン大学のランナー、フィル・ナイトと、何でも知っていると自負するオレゴン大学のコーチ、ビル・バウワーマンだった。このふたりが手を組むまで、現代的なランニングシューズは存在しなかった。現代的なランニング障害の大半もしかりだ。
    バウワーマンが上手かったのは、自身の新型シューズでのみ可能な新たな走法を提唱したことだ。コルテッツによって、人はそれまでは安全におこなえなかった走り方ができるようになった。骨ばった踵で着地することだ。
    クッションつきのシューズが発明される以前、ランニングフォームはどの時代も同じだった。背筋を伸ばし、膝を曲げ、腰の真下で足が地面を後ろにかくようにして走っていた。ほかに選択肢はなかった。衝撃を吸収するものは、脚を縮める動きと中足部の厚い脂肪しかなかったからだ。
    だが、バウワーマンには考えがあった。重心より前に足を着地させれば、若干距離がかせげるのではないか。踵の下にゴムの塊をつければ、脚を伸ばし、踵接地して歩幅を長くすることができるだろう。著書『ジョギング』で、ふたつのスタイルを比較した彼は、時の試練を経た「扁平な」着地の場合、「広い面積が着地を支え、身体は安定する」と認めていた。にもかかわらず、こう信じてもいた。「踵からつま先へ」式のストライドが「長距離ではいちばん疲れにくい」、それ用のシューズを履きさえすれば。

    マーケティングは完璧だった。同じ人物が新しい走法を作り、製品の市場を作り、そしてその製品を作ったのだから。

    実際のランニングシューズと踵着地は、安定するどころか、プロネーションを悪化させ、足とくるぶしの両方に痛みを感じさせた。
    リディアードはプロネーション関連の話がすべてマーケティング上のたわごとだとわかっていた。「どの年齢層にせよ、平均的な人に裸足で廊下を走ってもらっても、その人の足の動きにプロネーションやスピネーションの兆しはまず見られない」とリディアードは訴えた。「そうした足首の横への傾きは、足をランニングシューズに通して初めて生じる。多くの場合、シューズの構造が足の自然な動きを一変させてしまうからだ」

    バウワーマンは途中から気づいていたけれども、シューズを売るのをやめなかった。彼はナイキのイデオロギーをこう言い表している。「金を儲けること」だと。彼は同僚への手紙で、ナイキは「大量のゴミをばらまいている」とこぼしていた。

  • 文章は読みづらかったが、内容は刺激的で、トレイルやサンダルラン、ウルトラマラソンへの興味が掻き立てられた。

  • クリストファー・マクドゥーガルさんの作品。
    フルマラソンの教本を探す中で、何となく見かけてはいた。
    改めて気になり、オーディオリスニングにて購入、読了。

    この本、半端なくめちゃくちゃオモロイ。
    現代社会から孤立したメキシコの走る部族VS現代最強のマラソンランナーという構図、こんな面白い設定があるだろうか。
    しかもこれが小説でなく、なんとノンフィクションなのだ。
    作者にとっては記者生命をかけた取材だったと思うが、それに値する作品に仕上がっているように思う。

    私自身フルマラソンを趣味にしているのだが、ランナーにとっては必読の本だと思う。
    ランニングをしながらオーディオリスニングでコレを聞くと、テンションの上がり方がとめどない(笑)
    今までは考えたことが無かったウルトラマラソンも、いつか挑戦してみたいと思った。

    個人的には中盤のアン・トレイソンとの対決が一番熱くなった。
    マラソンの方法に対する内容、例えば「ランニング障害はランニングシューズ引き起こしていて、裸足に近い状態で走る方が良い」等は、部分的には理解できるものの、かなり大胆な手法のためそのまま取り入れようとまでは思えなかった。
    ランニング教本として読む本ではなく、純粋にそのストーリーを味わう本であるように思う。

    タラウマラ族の文化もとても素敵だと思った。
    見返りを求めずに人に親切にする文化、そしてそれで成り立っている生活。
    きっと幸せなんだろうなと。
    現代社会が忘れてしまった何かが、そこにはある気がする。

    ちょっと本質とは異なるが、普段洋書を読まないので独特な言い回し?表現?アメリカンジョーク?の違いを感じた。
    全然読めないことは無いけれど。

    尋常ではなく心に残ったセリフ。
    「人は年をとるから走るのをやめるのではない、走るのをやめるから年をとるのだ。」
    こんな格好良い言葉が他にあるだろうか。
    今後の人生の要所要所で使っていきたい(笑)

    オーディオリスニングで読んでしまったので、改めて本を購入したいと思う。

    内容(「BOOK」データベースより)
    この冒険は、たったひとつの疑問からはじまった。「どうして私の足は走ると痛むのか?」その答えを探すなかでクリストファー・マクドゥーガルは世界でもっとも偉大な長距離ランナー、タラウマラ族に行きつく。その過程でわかったこと―わたしたちがランニングについて知っていることはどれもすべてまちがいだ―メキシコの秘境を彷徨う謎の白馬、現代社会と隔絶して暮らす“走る民族”、素足で峡谷を走り抜けるベアフット・ランナー、数時間走り続けて獲物を狩る現代のランニングマン、過酷な地形を24時間走り続けるウルトラランナーたち、そして、世界が見逃した史上最高のウルトラレース…全米20万人の走りを変えた、ニューヨークタイムズ・ベストセラー。

  • 運動は、高校の体育で最後のわたし。でも走ってみたくなる最強のランナー本だと思う。

  • 超人的な走りを見せる登場人物たちに圧倒され、こんな世界があるのだと感じた。ランニングシューズが脚を弱くしているというのは衝撃を受けた。独特な言い回し、ジョークは頭に入ってこなかったが、全体として興味深い内容だった。

  • トレイルランニングやウルトラマラソン有段者のキレっぷりが描かれ、競技の楽しさが伝わってくる一冊です。森の中を裸足で走ってみたくなります。取っ付きにくい文章だし、中盤で少々中だるみしますがレースの描写は最高。最後のレースも圧巻です。「スニーカーは足の故障の原因だ、ナ○キもわかってる」説にドキッ。
    読後、裸足で田んぼを走りましたが痛かったです……。

  • 「人は老いるから走るのを止めるのではない。走るのを止めるから老いるのだ。」

  • 面白い内容なんだけど、実に読みにくい!(翻訳がヘタ) タラウマラ族に会うクダリ、レース開催へこぎつけるクダリも、悪くはないが、P220以降のNikeを引き合いに出した、シューズの悪影響の話と、P300以降の人類の進化の話あたりを読めばコト足りるような気がしないでもない。
    でも、”読んだ後走りたくなる”というキャッチコピーは嘘じゃない。

  • <感想>
    アメリカの白人たちが、メキシコのタラウマラ族とのウルトラマラソン大会を開催するまでのノンフィクション。

    「走るために生まれた」というタイトルから想像したのは、精神論だった。しかし、読後には考えを改めた。まさに人間は走るために生まれたのだ。後半の、一見すると本編のタラウマラ族とのレース開催へのプロセスとは関係のないと思われた学者のパート。その並列の物語が動物としての人間の秘密を解き明かし、クレイジーと思われたランナーたちの方が正しい生き方をしていると感じさせる。
    これまでとは違った視点で「走る」ことを感じさせてくれた一冊。

    <アンダーライン>
    ・本質的にウルトラマラソンとは、イエスかノーで応える数百の質問からなる二進法の方程式だ。いま食べるか、あとにするか?この下り坂を爆走するか、スピードを抑えて大腿四頭筋を平地用に休ませておくか?
    ★タラウマラ族はレースを友情の祭りとみなしていたのに、フィッシャーは戦場とみなしていたのだ。
    ★走ることは人類最初の芸術
    ★「トレイルとけんかするんじゃない」「トレイルが差し出すものを受け取るんだ。石と石の間を一歩でいくか二歩でいくか迷ったら、三歩でいけ」
    ★★★「楽に、軽く、スムーズに、速く、と考えるんだ。まずは「楽に」から、それだけ身につければ、まあ何とかなる。つぎに、「軽く」に取り組む。軽々と走れるように、丘の高さとか、目的地の遠さとかは気にしないことだ。それをしばらく練習して、練習していることを忘れるくらいになったら、今度は「スムーズ」だ。最後の項目については心配しなくていい。その三つがそろえばlきっと速くなる」
    ・地の上を走り、地とともに走るかぎり、永遠に走ることができる
    ★★★疲労から逃れようとするのではなく、しっかり抱きしめることだ。疲労を手放してはならない。相手をよく知れば、怖くはなくなる。
    ・何かを征服する唯一の方法とは、愛することなのだ。
    ★★「長い距離を走ってると」と彼女はつづけた。「人生で大切なのは、最後まで走りきることだけって気がしてくる。そのときだけは、わたしの頭もずっとこんがらがったりとかしていない。なにもかも静まりかえって、あるのは純粋な流れだけになる。
    ★★★計画どおりにいくものはひとつもないが、それでもかならずうまくいく
    ★★彼らのノウハウは鍛えることで、無理に耐えることじゃない
    ・相手の弱点を見つけて、それをこっちの強みにするんだ
    ★★★「きみの娘さんが通りに飛び出したのを、裸足で全力疾走して追いかけるはめになったとしよう」「きみはおのずと完璧なフォームになる。前足部で立ち、背筋を伸ばし、頭を固定し、腕を上げ、肘を激しく動かし、前足部でさっと接地して尻に向かって蹴り返すはずだ」
    ★★★背筋は伸びているか?チェック。
    膝を曲げて前に出しているか?チェック。
    踵を後ろに振り払っているか?
    ★★★疑問に答えられないときは、逆さまにしてみる、というものだ。速く走るために何が必要かは忘れて、こう考えてみる。どうしたら、スピードが落ちるのか?
    ★★★走ることはわれわれの種としての想像力い根ざしていて、想像力は走ることに根ざしている。
    ★★われわれは走るためにつくられた機械、そして、その機械は疲れを知らないのです
    ★人は年をとるから走るのをはめるのではない、走るのをやめるから年をとるのだ。
    ★★★人が競争をするのは相手を打ちのめすためというわけではない。いっしょにすごすためだ
    ★★★「がんばっているなと思ったら、がんばりすぎている」

  • 8割がた過ぎから、一気に面白くなった。
    それまでは中々な道のりだった。寝落ちも何度か。相関図とかサイドストーリーの解説が別にあると自分としては面白いと思った。

    まあ裸足とはいかないが、これ見てサンダルラン初めて、疲労骨折しました。今年はものにしてやりますよ。

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