- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784140814642
感想・レビュー・書評
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この時だけのことではない。
今の生活に必死になって考えることをやめてしまっては、同じことが起こってしまう。 その危険性を改めて思う。
10年前の本とは思えない、現代性を持って読了。自戒。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
[評価]
★★★★★ 星5つ
[感想]
この本を読むと物事を自分で調べることの大切さを理解できる。
普通、新聞は戦前は言論統制が行われていたたいめに自由な言論がなかったと言われ、政府や軍部を批判するような記事を書くことができなかったと考えられている。
これは教科書にも似たようなことが書かれていたと思うし、終戦記念日前後のテレビでの特別放送でも似たようだったと思う。
しかし、実際には言論統制が開始されたのは対米戦開始後であり、むしろ開戦前は日米間の対立を煽る記事を書いていたということ。また、それらの記事が売上のために書かれていたということはマス・メディアという存在への認識を改める良い機会となった。
別章の決定できない指導者は時と場合によっては致命的な事態に陥るのだということがよくわかった。 -
メディアが熱狂を作り出したのか。国民もその熱狂に乗ってしまった。無責任なリーダー達はとうとう日本を戦争へ連れて行ってしまった。しかし国民も単に被害者だけではない。
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180407 中央図書館
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第3章メディアと民衆では、「世論とメディアにより戦意が高揚されたこと」、第4章指導者では、「指導者の判断不足」が記されているが、こちらも内容的に難しかった。しかし、「戦争へと向かったこと」について多少はわかりかけてきた気がする。
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下巻ではメディアの果たした役割と首脳部が開戦を決定する過程を検証。朝日新聞は自社が如何に戦争を煽ったかの自己検証特集をやるべきじゃなかろうか?それが安保法制から憲法曲解とそれを取り巻く輿論世論に対する最大の批判になるはず。
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メディア戦意高揚への道のり
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メディア:開戦を煽った理由をまとめれば、1)記者が「国益」を考えていた、2)メディアの大衆化や記者のサラリーマン化による売り上げ重視と世論への迎合、か。一見矛盾するような1と2は、政府や軍の主張する「国益」をメディアがそのまま受け入れることによって成り立った。本書ではこの状況を「メディアと世論」「メディアと権力」それぞれの「共犯関係」と評している。また、新聞以上に扇情的なラジオの登場も役割を果たしたようだ。
指導者:国策に北進論と南進論を官僚的に併記したことで押された仏印進駐が米国の逆鱗に触れて石油の全面禁輸となったこと、軍も含めた当局者たちが戦争は避けたくとも責任を取りたくなかったこと、それまでの戦死者・払った犠牲から引き返せなかったこと、「開戦後二年はもつ」との都合のよい見積りに飛び付いたこと、を総合して「指導者『非決定』が導いた戦争」としている。が、国を問わず官僚機構はそういうものである上、ブッシュ政権のイラク戦に至る過程もそうではなかったか、と疑問を感じつつ読み進むと、ジョン・ダワーがまさに同じ指摘をしていた。あの時代の日本の特殊性と時代や国を問わない普遍性の違いは念頭に置いておく必要があるだろう。 -
上巻に続き、太平洋戦争への歩みを、「メディアと民衆」「指導者」の二つの視点で考える。
第3章の「メディアと民衆」では、ラジオや新聞の太平洋戦争への報道にどのように関わったかを紹介する。一般によく取り上げられる”報道規制の被害者”という視点ではなく、戦争報道がメディアの大企業化を育て、そのメディアが”短期的な視点での「国益」”という視点により、扇情的な報道で民衆を戦争へ動員していった姿を描いている。
第4章「指導者」では、真珠湾攻撃の直前まで戦争回避に向けた努力が行われていたこと。そしてその努力が指導者の「非決定」の連続によって、最後まで実を結ばず、開戦に至った経緯を紹介する。
日本の太平洋戦争に至る経緯を、アメリカのイラク戦争へと至った経緯に重ねるジョン・ダワーの解説が興味深かった。上巻以上に、戦前期と現代の連続性を強く意識させる内容となっている。