NHKさかのぼり日本史 外交篇[1]戦後“経済外交"の軌跡 なぜ、アジア太平洋は一つになれないのか

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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784140815618

作品紹介・あらすじ

「経済外交」とは-経済的"利益"を追求する外交ではない、経済を"手段"とする外交である。TPP問題の底流には、戦後日本が選んだ「経済>政治」の決断があった。「政治」を捨て、「経済」を選んだ-その理由とは。

感想・レビュー・書評

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  • 井上さんは仕事の幅が広すぎるなあと思った。この本はおそらく宮崎弘道という外務官僚の聞き取りをベースに組み立てられているような気がする。経済外交というものについて理解が少し深まると同時に、やはり国際経済が絡むと話が難しくなるなあと感じた。
    一章 APECの誕生とアジア通貨危機という困難を描く
    ・APECはEUなどへの対抗で実現しようとする。
    ・アジアにアメリカが加わるかどうかが焦点
    ・開かれた連帯という難しさ
    ・アジア通貨危機の原因と日本の対応
    二章 おもに大平の活躍がかかれる
    ・大平正芳という人物(読書家、有能)
    ・オイルショックへの対応(田中/三木はアラブへ 大平はアメリカ)
    ・オイルショックへの対応でサミット開催
    ・アメリカを加えた環太平洋連帯構想を大平がオーストラリアを誘い提案 のちのAPECにつながる
    ・クウェートの新聞掲載に日本なし
    3章
    ・朴正煕は親日で経済援助を見返りに国交正常化
    ・日韓の国交にアメリカが支持(ベトナム戦争もあったので)
    ・所得倍増外交でOECD入り名実とも先進国に
    ・先進国として成長のモデルを示すことができた
    4章
    ・アジア・アフリカ会議への参加によって国連へのステップ
    ・会議屋宮崎と南北屋 大来
    ・自由主義のネットワークか、地域主義か、バランスをとる政治の場が国連

  • 歴史の本は多いが経済外交史のほどにはあまりない。
    本書は戦後日本のアジア経済外交が良くわかる本である。
    年配者にとっては、かつてリアルタイムにニュースで見聞きしたことがどういう意味を持っていたかがよくわかる本だ。
    外交や経済はリアルタイムよりも10年後のほうがよく理解できることが多い。

  • (2014.06.07読了)(2014.05.30借入)
    副題「“経済外交"の軌跡―なぜ、アジア太平洋は一つになれないのか」
    さかのぼり日本史の外交篇です。「さかのぼり日本史」シリーズは、一巻130頁前後と割と手に取りやすかったのですが、外交篇の方は、190頁前後と、ちょっと厚めになっていて手強そうです。
    外交交渉というと、相互交流とか、領土交渉とか、言うイメージだったのですが、貿易の関税問題とか、通貨の切り下げとか言うほうがメインなのですね。
    たしかに日米関係などを見ていると、通商交渉や円相場が大きなニュースになっているかと思います。安全保障でさえ、お金の問題抜きには考えられないようです。
    集団安全保障の問題も、アメリカの経済の弱体化に伴ってアメリカが一方的に日本を守ってやることができなくなったために生じてきたのでしょう。
    現代史ですので、なつかしい名前が多数登場します。そういえば、そういう人もいたね、という感じですけど、そういうことをやっていたの、という感じもあります。
    日本は、アメリカ一辺倒からなんとか抜け出そうと試みたようですが、そのたびにアメリカに強力にブロックされてきたようです。アメリカと戦争せざるをえなかったのもわかる気がしますし、今後もアメリカと…。

    【目次】
    はじめに
    第1章 アジアと太平洋のはざまで
    第2章 環太平洋連帯構想の誕生
    第3章 経済援助 積み残された課題
    第4章 アジア・アフリカ会議と日本

    第1章、1997年、アジア通貨危機の勃発によりAPECが目指す自由貿易圏構想は瓦解した。なぜ、アジアと太平洋の連帯が図られたのか
    第2章、1980年、環太平洋連帯構想の理念、それは「緩やかな開かれた連帯」にあった。なぜ、経済優先の国際協調が進められたのか
    第3章、1965年、日韓基本条約によって日本は韓国への戦後賠償を経済援助と置き換えた。なぜ、戦後日本の外交は経済を重視したのか
    第4章、1955年、アジア・アフリカ会議で日本は「経済」という新たなツールを見出す。政治問題を忌避する外交の始まりでもあった。

    ●日韓基本条約(107頁)
    1951年から1965年まで、首脳会談だけでも七度、事務レベルでの折衝など1500回以上の交渉の末、なぜ日韓基本条約は1965年に成立したのか?
    第一は韓国側の事情である。1960年代の韓国は、インフレ・失業・低成長の経済的な困窮にあえいでいた。そこに軍事クーデターによって政権を奪取した朴正煕が大統領に就任する。
    第二には日本側の経済的動機である。日本は高度経済成長へと離陸していた。日本経済にとって未開拓な市場=韓国は魅力的だった。
    第三はアメリカの役割である。国交正常化交渉の最後の一年半、アメリカの勧告が日韓に妥結を急がせた。
    ●ワンダラー・ブラウス事件(117頁)
    1955年に「ワンダラー・ブラウス事件」として知られることとなった日米経済摩擦問題が起こっている。ブラウスを一枚一ドルで輸出する日本に対する反対運動は、日本の綿製品全体の輸入制限運動へと拡大した。
    ●外交活動の三原則(181頁)
    国連加盟の翌年に第一号が発行された『外交青書』は、「国連中心主義」、「自由主義諸国との協調」、「アジアの一員としての立場の堅持」の「外交活動の三原則」を掲げている。

    ☆関連図書(既読)
    「NHKさかのぼり日本史①戦後」五百旗頭真著、NHK出版、2011.07.25
    「回想の日本外交」西春彦著、岩波新書、1965.02.20
    「日本の外交」入江昭著、中公新書、1966..
    「アメリカ外交とは何か」西崎文子著、岩波新書、2004.07.21
    (2014年6月9日・記)
    (「BOOK」データベースより)amazon
    「経済外交」とは―経済的“利益”を追求する外交ではない、経済を“手段”とする外交である。TPP問題の底流には、戦後日本が選んだ「経済>政治」の決断があった。「政治」を捨て、「経済」を選んだ―その理由とは。

  • つまらなかった。

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著者プロフィール

井上寿一
1956年(昭和31)東京都生まれ。86年一橋大学大学院法学研究科博士課程単位取得。法学博士。同助手を経て、89年より学習院大学法学部助教授。93年より学習院大学法学部政治学科教授。2014~20年学習院大学学長。専攻・日本政治外交史、歴史政策論。
著書に『危機のなかの協調外交』(山川出版社、1994年。第25回吉田茂賞受賞)、『戦前日本の「グローバリズム」』(新潮選書、2011年)、『戦前昭和の国家構想』(講談社選書メチエ、2012年)、『政友会と民政党』(中公新書、2012年)、『戦争調査会』(講談社現代新書、2017年)、『機密費外交』(講談社現代新書、2018年)、『日中戦争』(『日中戦争下の日本』改訂版、講談社学術文庫、2018年)、『広田弘毅』(ミネルヴァ書房、2021年)他多数

「2022年 『矢部貞治 知識人と政治』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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