限界費用ゼロ社会 〈モノのインターネット〉と共有型経済の台頭
- NHK出版 (2015年10月27日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (536ページ)
- / ISBN・EAN: 9784140816875
感想・レビュー・書評
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単にあらゆるモノがインターネットにつながる、という話ではない。
読む者の遠くない将来の姿を暗示する本だ。
いまの職場や持ち家に別れを告げ、身の回りの自分のモノを手放し、これまでの人間関係や考え方さえ一変する未来の姿。
著者にとっては年来の予言した未来の到来であり、ドイツのメルケル首相とともに積極的にこの社会の実現にコミットしている。
どのような社会か?
いまの成熟した資本主義経済がいよいよ最終段階を迎え、それこそ究極の勝利を手にしようとするまさにその時、体制の核心にある矛盾から主導権を失い、かわりに協働型コモンズの社会が表舞台に立つようになるという。
資本主義体制が崩壊するという一時期さかんに喧伝された話ではない。資本主義市場は縮小し、より狭いニッチへと後退するが、生き延び続ける。それが経済の辺縁部であろうとも。
「あらゆる人とモノを結びつけるグローバルなネットワークが形成され、生産性が極限まで高まれば、私たちは財とサービスがほぼ無料になる時代に向かってしだいに加速しながら突き進むことになる。そしてそれに伴い、次の半世紀の間に資本主義は縮小し、経済生活を構成する主要なモデルとして協働型コモンズが台頭してくる」
「遅くとも今世紀なかばまでには、世界の雇用者の半数以上が協働型コモンズの非営利部門に属し、ソーシャルエコノミーの推進に尽力する一方で、必要とする財やサービスの少なくとも一部を従来の市場で購入するといった状況になるのではなかろうか。そして伝統的な資本主義経済は、少数の専門職と技術職が管理するインテリジェント・テクノロジーによって運営されることになるだろう」
それにしてもなんとも皮肉な話である。「生産性を押し上げ、限界費用を押し下げるという、競争的市場に固有の起業家のダイナミズム」が、無駄を極限まで削ぎ落とすテクノロジーの導入を強い、それによって生産性は最適状態まで押し上げられ、最終的には生産にかかる費用がほぼゼロに近づく。生産コストが実質ゼロであるなら、その製品やサービスはほとんど無料になるということだ。「仮にそんな事態に至れば、資本主義の命脈とも言える利益が枯渇する」し、所有権は意味を失い、市場も不要になる。これは、旧来の経済学者の言葉を失わせる事態だ。
「ほとんどのモノがただ同然になれば、財やサービスの生産と流通を司るメカニズムとしての資本主義の稼働原理は何もかも無意味になる。というのも、資本主義のダイナミズムの源泉は稀少性にあるからだ。資源や財やサービスは、稀少であればこそ交換価値を持ち、市場に提供されるまでにかかったコスト以上の価格をつけられる。だが、財やサービスを生み出すための限界費用がゼロに近づき、価格がほぼ無料になれば、資本主義体制は稀少性をうまく活用して、他者に依存される状態から利益を得ることができなくなる」
稀少性ではなく、潤沢さやシェアを中心に経済生活を構成するという考え方は、従来の経済理論はとはあまりにもかけ離れているため、すぐに想像することはできないが、それこそが今まさに起こり始めていることなのだ。
限界費用がほぼゼロの社会は、一般の福祉を増進するにはこのうえなく効率がよい。
・インターネット上での情報の大衆化
・エネルギーインターネット上での電力の大衆化
・オープンソースの3Dプリンティングを用いた製造の大衆化
・MOOCを活用した高等教育の大衆化
・ウェブ上での保健医療の大衆化
GDPの一貫した下落の原因も、著者によれば、資本主義体制の緩やかな凋落と協働型コモンズの台頭によって説明できるとする。
「財やサービスを生産する限界費用がさまざまな部門で次から次へとゼロに近づくなか、利益は縮小し、GDPは減少に転じ始めている。そして、しだいに多くの財やサービスがほぼ無料になるにつれ、市場での購入は減少し、これまたGDPにブレーキをかける。かつては購入していた財を、共有型経済の中で再流通させたりリサイクルしたりする人が増えたため、使用可能なライフサイクルが引き延ばされ、結果としてGDPの損失を招いているのだ。しだいに多くの消費者が、財の所有よりも財へのアクセスを選択し、自動車や自転車、玩具、道具といったものの使用時間に対してだけお金を払うことを好むようになりつつあり、これがまたGDPの減少につながっている。一方、自動化とロボット工学、人工知能(AI)のせいで、何千万もの労働者が職を失い、市場での消費者の購買力は縮小を続け、さらにGDPが減少する。それと並行してプロシューマーの数が増え、市場における交換経済から協働型コモンズにおける共有型経済へと経済活動が移るにつれ、GDPの伸び率はさらに縮まっている」詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
10年以上前に「水素エコノミー」を著した未来思想家。あらゆるリソースがインターネットを介してシェアされることで実現される限界費用ゼ口の社会。
ドイツのインダストリー4.0のきっかけ?IoTの重要性を説く論説。 -
資本主義という社会構造がSHARE文化(本文では"コモンズ")により変革しつつあり、それはIoTによって実現可能となっている、という話。要はwikipediaが定期的に寄付を募らなくてもいいような社会が実現しようとしている、という主張と理解。限界費用がゼロになるまでのロジックはいいけど、その後にやってくるのは、完全なる協調社会? 他人との共感と同じくらい競争本能も重要なわけで、何かしらの尺度を持った優劣はずっと残ると思う。あと現状、広告マネーがなくなったら結構な数のOSSはやってけなくなる。
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資本主義から協働型コモンズに世の中が変化していくこと、またそれによって、テクノロジーによるコミュニケーション、エネルギー、輸送に関する変化、それによりビジネスや人の生活が変わっていくこと、その上でどのように生きていかなければならないのかを少し考えさせられる本。
第一次産業革命から、世界の革命による変化の歴史を知ることができること、今すでに限界費用が限りなくゼロに近づいている教育などの具体的事例なども解説されており、勉強になった。
読んでいてまだ理解が難しい点、読みにくい点も多かった。また改めて読み返したい。 -
コモンズ
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全く図表が出てこないのでなかなか読むのに疲れます。IoTしかり太陽光しかり限界費用ゼロの世界観が詳述されます。他方でネットゼロ排出の世界に向けては水素や二酸化炭素の吸収のような途方も無いコストがかかる分野への研究開発・インフラ投資も必要な訳で分野に応じたメガトレンドの見極めは大事になるでしょう
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モノのインターネットと共有型経済の台頭による経済パラダイムの大転換について、3Dプリンター等の事例をもとに変革のメカニズムと未来展望を説明。
メルケル独首相のアドバイザー等を務めるジェレミー・リフキン氏による2015年の書。 -
結局、カネの出所が広告になるだけで、費用はゼロにならない。
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費用ゼロ社会へ。
日本向けの特別章もよい。
常に転換点に晒されつ外的要因によって変化してきた日本は
変容する資本主義におけるシェアのメリットを享受していくかが鍵だが希望が持てた。
再生エネルギー分野の発展次第だが、
電力が必要な社会でインフラが整っていけばインターネット活用と合わせて社会的なあり方見直していける未来が描けそう。 -
モノを1ユニット生み出すのに必要な限界費用が、テクノジーとインターネットの普及で限りなくゼロになり、利益が出なくなっている。これは資本主義の究極の形であるが、その性質ゆえに、自壊していくという矛盾を秘めている。
IoTシステムの要は、コミュニケーションインターネットと輸送インターネットを、緊密に連携した稼働プラットフォームにまとめること。
IoTが、出現しつつある協働型コモンズに命を吹き込んでいる。→シェア文化に始まる「協働主義」が生まれ、新たな経済パラダイムを築きつつある。GDPによる景気動向の評価という、社会の考え方が根本から変わりつつあり、その代替品として「生活の質」という新指標を考え直す必要がある。
資本が企業家の元に集められ、労働者が自らの労働力を原材料に加え付加価値(商品)を大量に生み出し始め、資本主義が始まった。
過去においても、蒸気による鉄道輸送というインフラと、蒸気による大量印刷というコミュニケーション手段が、経済と産業のビジネスモデルを一変させた。
こうしたビジネスモデルは大量生産される財と流通を構成するのに、巨大で複雑なモデルを必要としたため、垂直統合型で中央集権化された少数企業が、各業界を独占した。
古来より考えられてきた労働力(財には自らの労働力を与え付加価値を増すものであり、したがってその所有権は労働した者にある)の価値観は、資本家という存在の出現によって大きく変わることとなる。
今後の生産性の向上に大きく貢献するのが、モノのインターネット(IoT)というインフラである。
肝心な疑問は、あらゆる人間とあらゆるモノがつながったとき、個人のプライバシー権をしっかり守るためにはどんな境界を設ける必要があるか、だ。
半導体の性能は2年ごとに倍になるというムーアの法則は、現在テクノロジー分野だけでなく、エネルギー分野(太陽光発電や風力発電の性能とコスト)にも及んでおり、このまま行けば、2040年にはエネルギーの7割を再生可能エネルギーによって生産することが可能となる。
3Dプリンティング
従来の工場は、素材が除去されるプロセスが多い。(原材料を切り刻み、より分けられるため廃棄が多い。)
3Dプリンティングは、溶融した材料をソフトウェアにより一層ずつ積み重ねるため、効率と生産性で有利。また、少数生産による在庫抱えのコストも少ない。
IOTインフラに接続できる環境であれば、エネルギー、製品、輸送手段等がほぼ限界費用ゼロで販売できる体制になると言えるだろう。グラム・パワーという新興企業が、スマートマイクロ送電網をインドの田舎の村に設置して、グリーン電力を供給している。
大企業による大量生産から大衆一人ひとりによる生産が可能となれば、もはや何もないところから現在文明を築くことができる。とりわけ、発展途上国におけるインフラの整備及び貧困の撲滅にはかなり効果的だ。
ガンディーは、分散・協働型の新型経済を提唱し、中央集権化したトップダウン型経済から、上下の差がないグローバルかつローカルな経済にパラダイムシフトすることこそ、人間の幸福に役立つとした。
【教育】
MOOCというオンライン教育の台頭は、従来の教育観を揺るがしている。今まで知識というのは教員から生徒への一方的なトップダウン型教育によって伝えられたものであり、「なぜ?」よりも「どのように?」といった即物的な知識が重要視された。
この先の時代では、知識は「共有」されるものであり、その時代の教室においては教師は生徒達のアドバイザーであり、生徒たちは学問分野の垣根を取り払い、より統合的な流儀でものごとを考え、他生徒との協働型の創造性を発揮させることが可能となる。互いが互いを教え合う時代の始まりだ。
学習とはけっして孤立した営みではなく、人々のコミュニティで最高の結果を出す協働型の企画なのだ。
スマートメーターの設置とエネルギーインターネットの発達により、消費者自体が生産者となり、エネルギーにおける限界費用をほぼゼロへと近づける。また、使用できる周波数帯域の増加により、国に無料Wi-Fiを整備する計画もある。
あらゆるコモンズがフリーライドのせいで破綻すると運命にあるという主張は、オストロムの研究により、個人は市場で私利だけを求めるのではなく、コミュニティの利益や共有資源の保全を優先するということが判明し、覆った。
コミュニティの生活を管理する方法を最もよく知っているのはコミュニティの成員自身であり、そこにある公共の資源や財やサービスは、コミュニティ全体で管理するのが最善であることが多い。
こうしたコモンズは生物学の分野にも及び、遺伝子情報を共有し、特許権を認めない判例が下された。
インターネットというバーチャルスペースのインフラを、企業による囲い込みから解放しようという動きが、ハッカーを中心に行われている。それは、コモンズを商売に利用しようとする企業と、コモンズを開かれた資源として活用することで、限界費用ほぼゼロを達成し世界を繁栄に導こうとする人間との戦いだ。
市場における財産の交換と深く結びついた資本主義に代わり、「所有からアクセスへ」を掲げるシェアリングサービスが人気を集めている。
限界費用がほぼゼロになることの恩恵によって、協働型コモンズにおける経済活動の占める割合が拡大すれば、旧来の資本主義が支配力を失っていくことは間違いない。
商業はつねに文化の延長として存在してきた。そこにはまず文化による成員の社会的結びつきがあり、それに裏打ちされた社会関係資本がある。決して貨幣と商業が、人間の文化より先にあるわけではない。2008年の世界金融危機において、実体経済に見合わないほど膨れ上がった貨幣の価値が、人々の希望や幸福を破壊しつくすのを見た。
【持続可能性】
富裕層と貧困層の間に存在するエコロジカル・フットプリントの不均衡の問題に取り組む必要がある。
物質的主義が富裕層と貧困層の間で不信感を植え付けるのは、その主義が教官という本質を奪うからだ。人間はもっとも社会性の強い動物であり、社会に根を下ろすことを切望する。
ミレニアル世代は他の世代に比べ、共感に基づく関与の増加、他社への支援、LGBTへの配慮、多数の人々への集合知の信頼性が高く、逆に政府、専門家、物質主義への懐疑性が見られる。
この物質主義から人生の有意義性へのシフトは、2008年を境に起こっており、これは協働型消費や共有型経済の急拡大とぴたりと一致する。
【希少性の経済から持続可能な潤沢さの経済へ】
人類史には、たえず自己の枠を超えて、いっそうの進化を遂げた社会的枠組みの中にアイデンティティを見出そうとした、幸福で調和のとれた時代が含まれている。人類の歩んだ歴史を振り返ると、幸福は物質主義ではなく、共感に満ちたかかわりの中に見出される。
ミレニアル世代には、保守対革新、資本主義対社会主義について論じることはない。政治行動を判断するときには、組織がとる行動が中央集権的・トップダウン的・強権的・専有的という性格か、分散型・協働型・透明性が高く、ピアトゥピアなのか、といったこと。
【感想】
この本を読む前は、世の中に出現し始めているシェア・サブスクリプションに対して、あくまで人々の節約を促す一サービス程度にしか考えてなかった。
この本では、そこから一歩踏み込み、環境を持続可能的に、人々を協働に、世界をより水平かつ透明性の高いものに変えていこうとする人々の取り組みや、今後の展望を描いている。
ここで出てくるのが「限界費用ゼロ」という概念だ。
太陽光などのエコ・エネルギーによりモノを動かすコストが限りなくゼロに近づき、
モノの生産にかかる限界費用も限りなくゼロに近づいていく。
そうした究極の資本主義社会の先に待っているのは「資本主義の終焉」なのだから、なんとも皮肉な話である。
だが、本書は資本主義の終焉に対しても「それでいい」という態度を取っている。
幸福は物質主義ではなく、共感に満ちたかかわりの中に見出されるため、
人間が社会的動物である以上、生きる上で大切なことは物質の多寡よりも「社会との関わり」であるからなのだ。
この本を読んでから改めて自分の生活を振り返ったときに、いかに多くのモノが自分の手の内という「閉じたコミュニティ」の中だけに存在していることを知った。