雪ぐ人 えん罪弁護士 今村 核

著者 :
  • NHK出版
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感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784140817490

感想・レビュー・書評

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  • 『99.9刑事専門弁護士』。この数字はドラマ用にデフォルメされたものと思いきや、それが日本の現実で、覆すためのハードルがこんなに高いとは…。

    今村核弁護士の弁護活動には頭が下がるし、希望にも思えるけど、それがひとりや少数派のままだと自分が冤罪事件の当事者になった時どうなるのかが簡単に想像できすぎて恐ろしい。
    実社会には松本潤もいなければ、HEROの木村拓哉もイチケイのカラスの竹野内豊もいないので…もはやどこから手をつけたらいいのかわからないほど根が深いけれど、一歩ずつ進むしかないし、進んでいけると信じたい。そのためにも今村弁護士を追ったドキュメンタリー番組。再放送を強く希望します。

  • 凄まじい生き方をするすごい人がいた

    NHKドキュメンタリー「ブレイブ 勇敢なる者」
    を見終わった時に心が震えた!

    冤罪弁護士・今村核さんに密着したドキュメンタリーだった。


    これは、そのドキュメンタリーを撮ったディレクターが書いた本。

    99.9%有罪
    残り0.1%の無罪
    無実の罪を認めてしまった「弱くさせられている人」
    その無実を確実なものとするために真実をとことん追求していく

    鮨店の放火事件では現場の模型を自ら作り燃焼実験をし、チカン事件の時は映像を何百回と自ら確認し、
    さらには骨格のことや人間の皮膚神経についてまで調べる。
    執拗ともいえるその姿勢は「変人」と揶揄されることも…

    そこまでしても無罪が勝ち取れないこともある
    それでも今村核さんは不屈の精神で立ち上がる

    何がそこまで彼を駆り立てるのか?
    その理由について彼はこう語る
    「私が生きている理由」

    司法は本当に正義なのか?
    いや、まだ正義は日本の司法にあると言っていいのか?
    裁判という得体のしれないものの恐ろしさ…

    人は人を裁けるのか?
    司法と正義とは?
    それを追求するために今村核さんは戦っているのかもしれない。

    ご本人が書いた著書もぜひ読みたいと思った。

  • この弁護士さん自身が書かれた著書を読みたくなりましたね。

    この先生の、「信念を貫くこと=生きる意味」は採算を度外視しなくては成り立たない。しかし採算度外視のままでそれをし続けていけば自分の人生は破滅してしまう。その葛藤がすごかった。描かれた孤独の様相が壮絶だった。
    ここに描かれたこの弁護士さんの孤独は私たちがこの著書を読んで知るものよりもはるかに実質は過酷だと感じます。私たちはかろうじて一端を知るのみで、体感では理解しえないでしょう。

    冤罪事件の実際、そしてそれを覆すことの想像を絶する困難と日本の司法の現状、読めば読むほど無実である人間が犯罪に巻き込まれることの恐ろしさを感じます。

    そしてこの弁護士さんの人間性の真摯さもさることながら、そのお父さんの人間的魅力にも大変心惹かれました。
    こういう親子関係、というのもあるんだなということを知ることが出来てそこまで掘り下げて取材した著者にも敬意を感じます。愛情表現というものの一筋縄ではいかない人間の感情の複雑さを垣間見た気がしました。

    司法制度、感情を交えず冷徹に事実を積み上げていくという科学捜査とその根拠の信頼性、それを行う執念と根気、人としての真摯な生き方、信念を貫く方法、信じられる人間を得るということ、家族との関係性などなど…いろいろな点から「生きる」ということを考えさせられる良著です。中々手に取られにくい一冊かと思いますが、たくさんの方に読んで欲しいですね。

  • 官僚社会には限度という言葉がない。ルールが警察官の点数稼ぎという野心を押しとどめなければ、市民の安全はあり得ない。行き着く先は絶対主義の専制である。個々人の自由とは永遠に相容れない。そこを腹に据えて対応するしかない。どちらの世界に生きたいかということである。寛容であるべきことと、寛容であるべきではないことがある。冤罪や警察不祥事に寛容であってはならない。
    自白強要の取り調べが繰り返される理由は、日本警察にとって手段ではなく、目的になっていることである。絶対的に優位な立場から被疑者をいたぶることを楽しんでいる。そこに支配欲と優越感を感じている。被疑者をいたぶることである種の全能感と無根拠な自信、嗜虐心が成長する。警察官の屈折した精神が育まれる一因になっている。

  •  日本の刑事裁判の有罪率99.9%に挑み続ける弁護士、今村核さんのドキュメンタリー。2016年に放送されたNHKの番組の取材内容を盛り込んだもの。
     冤罪がどう作られていくのかという点に関して、『証言の心理学』という中公新書と、『虚偽自白を読み解く』という岩波新書で読んで興味を持っていたが、弁護士の立場から、否認事件を担当するとはどういうことなのか、99.9%になってしまう(暗数を含めるとこの数字がさらに上がってしまう)司法の構造的な問題点がどういうことなのか、ということを全く分かっていなかったということが、本当に恐ろしいことだと思った。つまり、この本で取り上げられている痴漢の冤罪事件のようなことは誰しもに突然起こることというのが恐ろしい。最後の「司法の病」の章で、「えん罪を生み出す刑事司法の構造を見て、その中に自分が入ってしまったわけですから、もう徹底してやるしかない」(p.222)、「いや、俺はね、他の弁護士はなんでそこまでやらないのか、逆に不思議で。刑事司法のえん罪を生み出す構造を見て、その中に入ってしまったわけですから、それはもう徹底してやるしかないじゃないですか。僕はただ真面目なだけで、『変わってる』とかよく言われるけど、心外ですよ。」(p.161)と語る今村さんについて、鑑定依頼を受ける別の教授は「安っぽい正義感とかではなくて、『本当にこれを変えていかないと、日本の刑事司法はどうなっていくんだ』という危機感が、彼の中にはあると思うんです。誰もがいつ、その制度の中に放り込まれるか、分からないわけですよね。だから、試行錯誤している。どのように証明していけば、間違った判断をしない裁判になるのか。そのための努力は惜しまない。そういう使命感を彼からひしひしと感じます」(p.223)と述べている。この「誰もがいつ、その制度の中に放り込まれるか」という部分は、本当ひとごとじゃないよな、と思ってしまい、なんかこの本を読むと電車に乗ることすら怖くなる。「被害者の女性の思い込みに基づいて結論を導き出すことが可能なら、誰でも犯人にされてしまう危険性があるわけです。」(p.205)ということが怖い。
     この本では一貫して、なぜ今村さんは冤罪事件を担当するようになったか、という点を軸にして、今村さんの普段の様子を追っていくドキュメンタリーだが、キレイなドラマの弁護士とは全く違う、そして冤罪事件ばかりを担当していった結果「”破滅”しかない」(p.11)という絶望が語られる様子に、現実の厳しさをこれでもかと感じずにはいられない。
     最後は余談だが、青年期の今村さんの様子を描いた部分、父親を憎み、母親から逃げようとした部分、というのは、日々中高の教員をしているおれには印象に残るけど、今の時代こういう中高生は少数派なのかなと思う。「無意識に子どもを呑み込んじゃう親とかいますからね。」(p.137)と今村さんは語るが、今の時代無意識でも意識的でもとにかく呑み込み、子どももむしろ積極的に呑み込まれてなんぼ、みたいに思ってるんじゃないかなと思う。あと、「弁護士って一応、法律の専門家とされてますが、重要なのは有罪か無罪かと言う事実認定なので、法律知識なんてほとんど関係ないんですよ。(略)本当の勝負ってそこじゃないから。知識として法律だけを知っていても勝てないんですよ」(p.159)という部分も、弁護士という仕事について、全然知らなかったなと思った。最後まで興味を持って読めた。(22/11/10)

  • 無罪推定で無罪を取ろうと思っていないーその言葉は,弁護側立証ができないような事件では雪冤をしないという態度の表れでもあり,ある種の危険がある。しかし,それくらい弁護側で無罪立証をしなければ刑事裁判で無罪を勝ち取ることはできないのが現実であり,また,弁護士側も事件を選別せざるを得ないのだ。冤罪事件は,当然の無罪という結果に対して,かかる時間とお金と労力は釣り合わず,ましてや裁判官の証拠の採否の裁量や思い込みで無罪という結果も保証されていないために,ビジネスモデルとして成り立たないからだ。冤罪事件で無罪となってもならなくも,怒りしかないという今村先生の言葉は,冤罪というものを最もよく表している。無罪となって笑っている弁護士はおめでたい。なぜなら,冤罪被害者が思うのは,「『検察官,裁判官,警察,さらには弁護士,こういう人たちがトータルで俺に何をやったか?ただ,俺を苦しめたな』」ということだからだ。だからこそ,今村先生は,冤罪弁護士としての生き方に悩む。「権力の言葉」である判決に絶望したりもする。しかし,雪冤が「自分の人生そのもの」という殊勝な弁護士,事実を客観的に明らかにしようとする専門家,そして冤罪事件の支援者がいることで,少しずつでも刑事司法システムが健全となる。このままではいけない。こうして今村先生がその苦悩を語ることには大いに価値があり,この困難を少しずつ変えていかなければならない。

    今村先生が鑑定を頼みに行く専門家とのやりとりや記録の読み込み方にはただただ感服。弁護士には科学的なものの見方,考え方や人間に対する深い洞察が必要であることがよくわかる。冤罪は,常になんらかの「弱み」を持った一般市民が直面するもので,刑事司法システムも人間の営みという間違いが起こる構造的な問題を持ち続けているということを忘れてはならない。

    そして,このような特殊な一部の弁護士でさえ,当然の結論が出ない,あるいは出るまでに時間がかかる刑事司法システムは,平野先生が言うように,絶望的である。無罪立証には手間暇お金がかかり,自分でも無罪の確証が持てる事件しか受任しないという今村先生の尊敬すべきところは,本来は無罪推定であり,今ある現実が原則論に反しているを常に意識して苦しんでいるところ。弁護側立証が見込めない事件では,本来は無罪推定により無罪にされるべきなのに有罪となっている冤罪暗数を思うと,背筋が凍る。原則に戻す努力を怠ってはならない。

  • 来月のとある読書会の課題図書。
    無罪を証明するのにかかるコストについて考えさせられた。
    冤罪弁護は儲からない、故に弁護士個人の執念、というかそういう執念を持ち得るようになる弁護士個人の資質によって、冤罪弁護がなりなっているのだとしたら、それは健全な司法とは言えないんじゃないか、と思う。

  • 本作は冤罪事件を取り扱う弁護士の話であり、実際に担当した裁判の緻密な検証が見事。加えて、最後の最後で、父と息子の話となり、このエピソードも大いに感動した。これで著者の作品は全て読んだが、いずれも素晴らしい作品だと思う。

  • 東2法経図・6F開架:327.6A/Sa75s//K

  • 久しぶりにスッキリした読後感の本を読んだ。
    「えん罪」といえば、リベラルな現行司法制度に批判的な視点のみの本がほとんどと思うが、本書はよりリアルな現実を丁寧に描いている。
    弁護士のキャラが立っているのがいい。「えん罪」の現実についてより深みのある紹介となっていると思う。
    しかし、この99.9%の有罪という刑事裁判の現実を読むと、「制度の硬直化」という言葉が頭に浮かぶが如何だろうか。

    2018年7月10日読了。

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著者プロフィール

1943年東京都生まれ。東京大学文学部フランス語フランス文学専修課程卒業。同大学院人文科学研究科美学芸術学博士課程修了。埼玉大学助教授、東京大学文学部教授、日本大学文理学部哲学科教授を歴任。元国際美学連名会長。現在、東京大学名誉教授、国際哲学系諸学会連合副会長。文学博士。1982年、『せりふの構造』でサントリー学芸賞受賞。著書に『せりふの構造』『作品の哲学』『ミモザ幻想─記憶・藝術・国境』『美学辞典』『美学への招待』『日本的感性─触覚とずらしの構造』『ディドロ『絵画論』の研究』ほか。

「2016年 『講座スピリチュアル学 第6巻 スピリチュアリティと芸術・芸能』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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