時間は存在しない

  • NHK出版
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本棚登録 : 1552
レビュー : 99
  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784140817902

作品紹介・あらすじ

時間の常識を根底から覆す!

時間はいつでもどこでも同じように経過するわけではなく、過去から未来へと流れるわけでもない──。“ホーキングの再来”と評される天才物理学者が、「この世界に根源的な時間は存在しない」という大胆な考察を展開しながら、時間の本質を明らかにする。本国イタリアで18万部発行、35か国で刊行予定の世界的ベストセラー!

感想・レビュー・書評

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  • 題名はシンプルだが、内容はものすごく、深い。

    時間とは、常に変化することなく進んでいくものだと思いがちだ。

    物理学も、ニュートンの考える、他の影響を全く受けることなく、何もしなくても進む「固定された時間」が存在することを前提に、進められていた。
    しかし、どうもそうではないらしいことが、現代物理学において、わかってきた。

    時間は、出来事の連続であり、起こっている間に時間の流れを"感じる"ことができる。

    すなわち、私たちが考える「時間」とは、主観的な感覚を定量化したものなのだ。

    この本では、現代物理学、特にアインシュタインが予想した一般相対性理論を起点に、やがて、プラトン、アリストテレスなどの哲学の分野にまで話が展開されていく。

    無学な私でも、わかりやすく説明されていて、また、日本語訳もかなりこなれていて、読みやすい。
    ただ、内容としてはかなり難しい上に、実感がわかない。これはおそらく、使っている言語が、過去・現在・未来の時間軸に縛られているからのように思える。

    最後に、話は人生観へと繋がる。
    自分が信じているもの、特に自分の価値観に関わるようなものが崩れたとき、何を軸に生きていけばよいのか。
    思うに、時間という基準があるからこそ安心できていたのだ。

    足場を失った今、我々はどうすればよいのだろうかー。
    いや、そもそも、最初から足場なんてないのかもしれない。

    タイトルに惹かれるものがあるならば、間違いなく読んでみることをお勧めする一冊。

  • 「一般相対性理論」と「量子力学」は現代物理学の2つの大きな柱だ。
    ところが困ったことに、この両者は互いに噛み合わない理論だということが分かってしまった。
    ならば、「一般相対性理論」と「量子論」を融合させた理論(量子重力理論)はないかと考えるのは当然だ。
    現在最有力視されている理論は「超ひも理論」だが「ループ量子重力理論」という有力理論もある。
    本書の著者(カルロ・ロヴェッリ)は「ループ量子重力理論」に注力している理論物理学者だ。

    「超ひも理論」は物理の根本原理として「時間」と「空間」があることを前提としている。
    対して、「ループ量子重力理論」では、何かほかの根本原理(ループ?)から「時間」と「空間」が生じたとする。
    つまり「時間は存在しない」という仮説が、「ループ量子重力理論」の根本原理となっている。
    こういうわけで、本書は物理学的に「時間は存在しない」ということを解説した本ではなく「ループ量子重力理論」の概念を紹介した本だ。

    子どもの頃よく「無とは何か?」と考えていた。(真空とか宇宙のはてとか)
    現代物理学では「無」という状態が存在し、「無」から「有」という状態に遷移したりする。
    ビックバンはそうして起こったと説明されている。よくわからないが、そういうもんかと無理やり納得している。
    「ループ量子重力理論」では、「ループ」という要素が集まることで「時間」と「空間」が生まれるらしい。
    ならば宇宙の歴史を逆にたどり最後の1つの「ループ」がなくなったらどうなるか?
    本当に時間も空間も何もない、宇宙の仕組みを示す方程式もない、"真の無"になるという恐ろしい結果になる。
    「ループ量子重力理論」のアイデアはとても斬新でおもしろいが"真の無"は容認できない。

    時間については昔から科学者、哲学者、文学者に限らずあらゆる人達が考察してきた。
    時間は次元の一つであり、我々は4次元世界に住んでいると言われれば信じてきた。
    時間って毎日普通に感じていて物理的にあると思い込んでいる。
    物理の超有名な法則 E=MC² の C って光速度のことだ。
    1秒間に光が進む距離。ちゃんと時間が関係している。

    時間を巡る微妙な議論に登場するのが「記憶」で、脳は過去の記憶を集め、それを使って絶えず未来を予測しようとする仕組みである。
    自分に向かって石が飛んできた(過去の記憶)。このままでは大けがをする(未来の予測)。身を守るためによける(現在の行動)。

    過去には戻れないので過去は存在しない。もしくは存在していたが消滅した。記録に残すことができるのだから過去はあった。
    未来はまだ観察できていないので存在しない。
    いつでも存在していて直接感じることができるのは(過去の記憶を含む)今だけだ。

    私の結論:我々が生きている宇宙には「時間は存在する!」

  • >高さや速度による時間の遅延、現在が存在しないということ、時間と重力場との関係、異なる時間同士の関係が動的であること、基本方程式では時間の方向が認識されないこと、エントロピーとぼやけの関係、これらはすべてきちんと確認されている。

    という、物理の基本法則には時間という物はない、ことを説明する本です。正直難しかった。
    相対論的時間の話はまあ大体知ってる範囲のことを説明してくれたけど、そのあとの章は分かったふりして読み進めるのが精いっぱいでしたよ。繰り返し読めば多少は理解が進むのかも知れない。でも少し時間を空けたい・・・。


    巻末の解説も助けになる。

    ニュートン物理学では絶対時間が想定され、
    アインシュタインが時間が相対的で伸び縮みするものであることを見出し、
    1960年代以降、量子論的に宇宙を説明しようとして時間を含まない方程式が導き出された。つまり

    >基礎的な物理現象を記述するためには時間変数が必要

    「ではない」、という結果が得られた。

    >時間の向きが指定できるのは、エントロピーの増大という統計的な変化を考慮に入れた場合に限られる。

    >しかし、人間には、過去から未来に向かう時間の流れが、当たり前の事実のように感じられる。その理由は何か。
    >人間は、物理現象の根底にある微細な基礎過程を識別できず、統計的な側面だけをぼんやりした視点から眺めるので、一方的な(エントロピーの)変化を感じることになるのだ。

    というあたりから更に難解になり、仮説の範疇に足を踏み入れていくことになる。

    ロヴェッリによれば、初期宇宙が低エントロピー状態である理由は、われわれが見ているのが、始まりがたまたま低エントロピー状態だったきわめて特殊な宇宙のごく一部で、そのため生命に適した環境を用意できたからだという。

    つまり宇宙のほとんどはエントロピー増大則を満たしておらず時間の向きが存在しないが、このあたりのごく狭い範囲ではたまたまエントロピーが増大方向にのみ進むので、時間に向きがあって、時間を認識する生命がいる。と。

    …なるほど(?)。

    高度に数学的で多くの研究者がひたすら数式をいじり回すだけで終わってしまう最先端の理論物理学を、最前線の物理学者が一般の人間にもわかりやすく(少なくとも数式を使わずに)説明してくれる本でした。

  • ごめんなさい。
    僕には難しすぎました。

  • まだレビューがないことが、若干心細い。
    すごく面白くて、でも咀嚼が足りない気もしている。

    私たちに均等に流れていると思っていた「時間」は、所によっては早く流れ、また遅くも流れる。
    この「時間」を軸にして、物理学の現象を捉えてきた部分があるのだけど、どうやら、その捉え方では限界があるようだ。

    「わたしたちはずっと、この世界をある種の基本的な実体の観点から理解しようとしてきた。物理学はほかのどの分野よりも熱心に、それらの基本的な実体の正体をつきとめようとしてきた。だが調べれば調べるほど、そこに『在る』何かという観点ではこの世界を理解できないように思えてくる。出来事同士の関係にもとづいたほうが、はるかに理解しやすそうなのだ」

    「『物』はしばらく変化がない出来事でしかなく、しかもそれは塵に返るまでの話でしかない。すべては、遅かれ早かれ塵に返る」

    昨日が今日に、今日が明日にという時間の流れは、便利だけど当たり前ではない。

    ちょっと外れた見解になるけど、初めてカナダに旅行をした時、出発日から一日遡って到着する、という経験を不思議に思っていた。
    何かを基準とするから、マイナスという値が生まれるんだろうけど、私自身は時差と共に若返らないし、遡らない。

    どんどんと増加するエネルギー、エントロピーの方向に向けて、私たちは変化している。
    そこに過去と現在、未来という意味付けをしてしまったのは、私たちが覚えている存在、つまり「記憶」を持つ生き物だからなのか。

    「過去の痕跡があるのに未来の痕跡が存在しないのは、ひとえに過去のエントロピーが低かったからだ。ほかに理由はない。なぜなら過去と未来の差を生み出すものは、かつてエントロピーが低かったという事実以外にないからだ。
    痕跡を残すには、何かが止まる、つまり動くのをやめる必要がある。」

    「わたしたちは物語なのだ。両眼の後ろにある直径二〇センチメートルの入り組んだ部分に収められた物語であり、この世界の事物の混じり合い(と再度の混じり合い)によって残された痕跡が描いた線。エントロピーが増大する方向である未来に向けて出来事を予測するよう方向づけられた、この膨大で混沌とした宇宙のなかの少しばかり特殊な片隅に存在する線なのだ」

    引用が長くなったのだけど、感嘆した。
    実は今、小林秀雄の「無常ということ」を読み返している所だったのだけど、「なまにょうぼう」の苦しみの声に、応える一つの手掛かりがここにあるような気がした。

    生まれるという点から、死ぬという点までに流れる線が、日夜膨大な流れ星となって、地球を埋め尽くしている、そんな想像もした。

    そして、痕跡となった人間は、美しさを得る。

    「わたしたちは時でできている。時はわたしたちを存在させ、わたしたちに存在という貴い贈り物を与え、永遠というはかない幻想を作ることを許す。だからこそ、わたしたちのすべての苦悩が生まれる」

    私たちが縛られているものを、抜け出せないまでも、違った視点で眺めることが出来るとすれば。

  • 色々と感想が出てるが、どれもちょっと変な感じになっているのは、この本の難しさの反映か?

    まず、指摘しておきたいのは、訳者あとがきにあるけども、この本のタイトルは「時間の順序」というような意味のものであって、「時間は存在しない」というのは、NHK出版の編集さんが考えたのか、いかにも今の日本の出版界を代弁するような、誠実さよりも棚での見栄えが優勢された安易なタイトルと言わざるを得ない。
    もとより、僕は、このタイトルの安易さゆえに、本書があちこちで推薦をみても買う直前で断念したのが続いてた。
    「時間の順序」という魅力的なそそるタイトルならとっくに買ってただろう。
    読者レベルを下げてるのは出版社自身だ。反省してほしい。

    (ただし、同じ著者の河出から出てる「すごい物理学講義」(原題は、「現実は目に見える通りではない」)ほどは酷くない。どちらにも共有しているのは、読者への敬意ではなく、読書をただの消費者としか考えてない出版社の思想だ)

    で、肝心の内容ですが、皆さん、ループ量子重力理論の提唱者というのに引っ張られてますが、肝心の本文のなかで、「ループ量子重力理論」という言葉は使われてない(仮に見落としてたとしても、中心になる用語としては出てこない)。

    むしろ、ループ量子重力理論の提唱者として、t という時間項のない理論を構築していく結果、時間ってじゃあなんなんだ、と考えるに至った、そんなことから着想されてるものではないかと思う。なので、ループ量子重力理論を説く本ではない。

    本書全体のストーリーは、極めて平凡である。
    物理学の最新成果からすると、時間なんて存在しない。
    でも、僕達の実感としての時間がある。
    そこを繋ぐのに、熱力学が活躍する。
    これは、もの凄く平凡である。とはいえ、随所の記述の仕方などは目から鱗がいっぱいあった。
    ただ、第二部だけ、凄く大胆。定説とは違うオルタナティブな世界観は興味深い。が、一番読みにくい。

    構成としては、第一部で、現代人が基本にしているニュートン的時間感覚を破壊していく。相対性理論をもとに、現在、というものが極せまい距離で通じるだけの近似値に過ぎない、と明らかになる。また、ニュートン力学だろうが相対性理論だろうが、未来と過去を区別してないことも指摘される。
    相対性理論に、量子論を持ち込むと、さらに色々が揺らぎはじめる。(このあたりがループ量子重力理論への最接近)

    ここまでは、雑誌のニュートンとか読んでれば、ある程度、共有できてる世界観なのでは。

    第二部では、じゃあ、その時間の存在が怪しくなった世界には何が残ってるのか、という話。
    ここが一番、難しい。
    2回読んで、なんとなくわかった。ただし、細かいことは省略されてるので、この本ではなんとなく以上は理解できない。
    そして、ここで、「視点」というものなくして世界をみることはできない、という指摘が入る。

    第三部では、その視点から始めれば、時間が生じてくる、というところから、最近の脳科学などをちょこっとふれて、インド哲学やらから引用して時間を組み立てていく。
    ここは、割と退屈。あんまり面白くない。

    確か第三部で、デカルトを否定してたものの、この構成ってデカルトそのもの。
    デカルトは、まず、世界を疑う。
    そうすると、疑ってる自分を発見する。これがこの本の第一部。

    んで、「我思うゆえに我あり」として、自分の第一歩を見つけ、その世界で、デカルトは、そんな我がある原因なんかを探ったりしていくことで、神の存在証明をする。
    これは第二部にあたるかな。

    で、そこから日常的なものの存在証明を経て、新たに根拠づけられた信用できる日常に戻ってくる。
    これが第三部かな。

    旅立ち、苦難と克服、帰還、だなんて、ジョセフ・キャンベルとはいわないけども。

    で、一番、難しいのは第二部。
    個人的に反論したいのは、

    ・時間があるように見えるのは、世界をミクロレベルで完全に把握はできないから、つまり無知の故

    となってるけども、では、完全なる把握、つまり全知がありうるのか?ということになる。
    本書のロジックを簡単にすると、

    ・完全なる把握、全知ができれば、そこに時間はない

    ということになってると思う。しかし、第一部で、現在というものは幻想だ、ということも言われてる通り、また、量子の在り方からしても、あるまとまった量が存在する場合に、その全知というのは原理的に存在しないと言えるのでは。

    つまりは、

    ・完全なる把握、全知ができれば、そこに時間はない。
    ・しかし、全知は原理的に不可能である。
    ・つまり、時間がある

    となるのでは。
    全知がありうるのかどうかがここの判断の分かれ目で、僕は原理的に全知というのは矛盾していると思う。
    全知はありえない。故に時間は存在する。
    こちらが正しい結論なのでは?
    ここを問うには、ループ量子重力理論をもっと知らないといけないのかもしれないけども、この本からはそれが帰結されそうだ。

    ただし、時間、というのは正しくないのかもしれない。世界には順序が存在する、というのが正確なのでは、と思う。
    だから、この本のタイトルに突っ込んだのだ。

    著者とは意見があわないのか、かなり突っ込みたいところがいっぱいある。
    例えば、第一部で、何万光年も先の星とこことでは、現在を共有できない、そんな現在は存在しない、宇宙レベルで通じる現在というものはなく、それは近くの距離にだけ現れるもの、という。
    ここで脳の認識速度なんかが急に入ってくるのが議論が混乱してる証拠なのだけども。
    でも、ここから帰結するのは、「近くにしか現在は存在しない」じゃなくて、「遠ざかるほど現在というのはボヤけた幅のある概念になってしまう」ということなのでは。
    例えば、100万光年先の星にいる人と、僕とで、現在を共有しようとして、光の信号を僕が送ったとする。
    向こうに届いたときに、100万年あとだったとする。途中で重力波の影響もあったかもしれない。だから、正確に共有はできない。それは、現在なんてない、ということだ。
    とも言えるけど、現在が100万年レベルでボケる、という言い方でもよいはず。だって、少なくとも10億年もはズレてなくて、100万年レベルのどこか、というタイミングの現在というのは共有できる。
    これってつまりは、僕は「現在というのは点ではない」という話をしてて、著者は「点としての現在は存在しない」という話をしてる、ということとも言えて同じことを話してるともいえる。
    なんだけども、著者は、この「点としての」を省略している。これは、劇的でかつ読み易くしたのかもしれないが、その結果、近くでは現在を共有できる、脳は1/10秒以下は同時に感じる、みたいな無茶苦茶なことになっちゃってる。

    いや、そうでなく、近くになれば、現在のボケの幅が極小化していくだけだろう。だって、仮に1mの距離であっても、プランク秒レベルの精度でいけば、現在はブレブレなのだ。
    つまり、遠いと破綻、近いと成立、ではない。
    現在というもののブレは、遠いと大きく、近いと小さくなる、という話であって、ライプニッツ的に極少値で考えるのがいいのでは。

    こういうところが、全体的に、本書をわかりにくくしてると僕は思う。

    10章とか、一回読んだだけでは絶対にわからない。実は対したこと言ってない、めちゃ簡単な例えを使って書いてあるんだけども、どうにもこうにもわかりにくい。
    ここは、ちょっと書く順序を入れ替えれば劇的にわかりやすくなると思う。

    他にも意見があわないところはいっぱいある。
    ミクロからマクロな構造が創発してくる感覚を、安易に単にボケてるだけ、近似値、統計学、としてしまうのは、量子レベルばっかりやってるせいだろう。
    一匹の蟻と、集団としての蟻とは違うのだ。そのあたりは、ゲーデル・エッシャー・バッハのホフスタッターのほうがずっと面白い。

  • 途中まで読み進めることができた。しかし、中身はさっぱりわからない。読んでいて面白いが、いかんせんさっぱりわからない。永遠に理系に憧れる文系なのか??

  • カルロ・ロヴェッリ(1956年~)は、イタリアのヴェローナ生まれの理論物理学者。現在、世界中の物理学者が構築を目標としている量子論と重力理論を統合した「量子重力理論」において、「超ひも理論」と並ぶ有力候補といわれる「ループ量子重力理論」を主導する一人である。
    本書は一般向けの4冊目(邦訳では3冊目)の著作であるが、前著『世の中ががらりと変わって見える物理の本』は物理学書としては異例の世界で100万部超を売り上げ、本書も2017~18年に原書・英訳が刊行されると、2018年のタイム誌のベスト10ノンフィクションに選ばれるなど、主要な新聞の書評で絶賛され、35ヶ国で刊行が予定されているという。
    本書は、大きく3つのパートからなっている。第一部では、現代物理学が「時間」について知り得たことを明らかにし、第二部では、第一部で明らかになった「根源的な時間のない世界」はいかに記述されうるのかが探求され、第三部では、「根源的な時間のない世界」に生きる我々にとって、時間の流れが当たり前の事実のように感じられるのはなぜなのかが論じられている。
    私は典型的な文系キャリアの人間で、前半のアインシュタインによる重力場の解明あたりまでは、(以前に他の本から得た知識もあり)イメージできたものの、量子論の世界はやはり難解で、付いて行くことが難しかったのだが、著者は、「時の流れは存在しない」という物理学的な結論を示したあとも、物理学の範疇に留まらず、脳科学や近代哲学の分野に踏み込んで、我々の感じる時間とは何なのかを追求しており、その姿勢に引っ張られて、最後まで読み切ることができた。
    そして、印象に残ったのは、「この世界は、物ではなく出来事でできている」ということである。時間は、一つでもなく、方向もなく、事物と切っても切り離せず、「今」もなく、連続でもない。しかし、この世界が出来事のネットワークであるという事実に揺らぎはない。時間に様々な限定がある一方で、ひとつだけある明確な事実は、事物は「存在しない」、事物は「起きる」ということである。この極めて難解な学術的帰結と単純に結びつけることが適当とは思えないのだが、我々人間が近年、「モノ」ではなく「コト」に価値を見出すようになりつつあるのは、我々が無意識に「時間」の本質を感じ始めたからなのだろうか。。。?
    高度化した科学により「時の流れは存在しない」という物理学的事実が明らかになったとしても、我々の持つ素朴な時間のイメージは、日常の生活には適しているし、我々の生活に影響を与えるのは遠い先のことなのだろう。
    しかし、我々が「時の流れ」を感じるという謎が、個人のアイデンティティの謎、意識の謎に交わっているのだとすれば、それはおそらく、物理学、脳科学、哲学に留まらないあらゆる学術分野が交わる、人間にとっての究極の問いになる。
    難解ではあるが、関心を持ち続けないわけにはいかない世界である。
    (2020年1月了)

  • 難解な部分も多いが、丁寧に読むほどに思考が研ぎ澄まされるような、物理学者の深い思考が伝わる好著。

  • 世界中でベストセラーになっている作品、「時間は存在しない」という考察を、数式などを極力使わず(出て来るのは一つだけ)文学的に書き切ったカルロ・ロヴェッリによる一冊。数式を使わないとはいえ内容はかなり難解で哲学的、物理学を学んだ人ではないと全部の理解は困難かなと思った。時間が存在しないのではなく、宇宙人類共通の絶対時間が存在しないということか。

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著者プロフィール

1956年イタリア生まれ。ボローニャ大学で物理学を専攻、欧米各地の大学で教鞭をとる。現在、エクス=マルセイユ大学理論物理研究室。専門はループ量子重力理論。『すごい物理学講義』『時間は存在しない』など。

「2020年 『すごい物理学入門』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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