ラマレラ 最後のクジラの民 ( )

  • NHK出版 (2020年5月29日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (496ページ) / ISBN・EAN: 9784140818190

作品紹介・あらすじ

勇魚(いさな)と呼ばれた海の王者クジラに挑む繊細かつ豪胆な海人の闘いに圧倒された。
喝采と感動の熱い涙がとまらない──椎名誠

世界で唯一、伝統捕鯨に生きるラマレラの民は手銛1本で巨獣に挑む。
近代化の波が押し寄せるなか、祖先から引き継いできた暮らしを守るべきか、
変化を受け入れるべきか、村人たちの心は揺れる。
銛打ちに憧れる若者ジョン、もっと教育を受けたいと願う妹のイーカ、
誇り高い村一番の銛打ちイグナシウス、都会生活を夢見る息子のベン……
それぞれのドラマを通して、存続の危機にある希少文化の“いま”を生き生きと描く。
圧倒的な迫力のクジラ狩りと、村人の心の葛藤が丹念に描写された貴重なルポル
タージュ。「ニューヨーク・タイムズ」紙ベスト100冊選出。

【レビュー】
●臨場感あふれる緻密なルポルタージュ。第一級の文芸小説のような風格と見事なジャーナリズムが結実したストーリー。読後は、クジラの民のよりよい未来を願う気持ちになる。──「ニューヨーク・タイムズ」紙
●じつに読みやすく、共感を覚えずにいられない作品。発展途上地域での近代化への強い誘惑と、そのなかで大切な文化が失われつつある危機感について述べられた考察が非常に深い。――「パブリッシャーズ・ウィークリー」誌
●読者はこの村の生活にどっぷり浸かり、村人たちの直面する究極の選択までも、わがことのように身近に感じられる。――「サンフランシスコ・クロニクル」紙
●著者の取材対象への共感と情熱は本物だ。インドネシア語とラマレラ語を習得して信頼関係を育み、物語のなかに完全に溶け込んで自分の存在すら感じさせない。――「アウトサイド」誌


【目次】
プロローグ 見習い修業
第1部 1994年〜2014年
第1章 漂流
第2章 クジラの骨を遊び場として
第3章 クジラ乞いの儀式
第4章 村の団結が戻る
第5章 父の教え
第6章 笑う娘
第7章 ラマファの作法
第2部 2015年
第8章 新しい一年
第9章 自分の道は自分で
第10章 結婚式
第11章 人生の嵐に揉まれしときも
第3部 2016年
第12章 ケナプカ号が生まれ変わる
第13章 海獣との対峙
エピローグ

みんなの感想まとめ

伝統的な捕鯨文化を守るラマレラの人々の葛藤と、その中での生活を生き生きと描いた作品で、読者は村人たちの直面する選択や感情に深く共感することができます。著者は現地の言語を習得し、村人との信頼関係を築くこ...

感想・レビュー・書評

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  • 【まとめ】
    1 変わりゆくラマレラ社会
    狩猟採集社会は現在でも世界にいくつか存在しているが、数は減る一方だ。ラマレラはそうした稀少な社会の一つであり、なかでも捕鯨で生きている唯一の村である。イルカからシャチまで、あらゆるものを銛でしとめるが、彼らの主たる獲物は、歯を持つ肉食動物として現存する最大の生物、マッコウクジラだ。漁師300人が一年に平均20頭をとり、それで村の住民1500人が充分に食べられる。海が荒れてほとんと出航できない雨季も干し肉で生き延びる。イヌイットにも捕鯨をするコミュニティがいくつか残っているが、北極海沿岸では輸入加工品や漁業機械に頼る割合が増しているため、ラマレラ部族は真の捕鯨集団として世界最後の存在だ。
    しかし過去20年ほどのあいだで、ほかの多くの先住民と同じくラマレラの人々も情報、品物、テクノロジーの流入を浴びるようになり、この最果ての地すらもしだいに姿を変え始めている。現代的な生き方を求める若者たちがクジラ漁を捨て、商業漁船が付近の海で魚を乱獲し、外国の企業や活動家などが生活の変革を押しつけ、さらには近代化との折り合い方について村人同士でも見解が対立し、ラマレラの暮らしを脅かしているのだ。アイデンティティを守りつつ、増加する難問を切り抜けていく方法を見つけられなければ、彼らは民族として終わりを迎えることになる。

    20世紀末には、ラマレラの村の人々も少しずつ、世界各地で先住民社会を消滅させつつある変化の到来を感じ取るようになっていた。島の反対側にある都市レウォレバまで道路が敷かれ、バスでの行き来が可能となった。外の世界のほうが裕福な暮らしができるという魅力に惹かれ、2000年代初期からはラマレラを離れる者が大勢出るようになった。
    2000年代前半には、政府による融資プログラムと、ラマレラを出て別の地域で成功した人々の寄付によって、多数の氏族が船外機を購入している。重労働をせずにあっというまに長距離を走れるのだから、若者たちはモーターボートに夢中だ。しかし年長者から見れば、機械のせいで伝統的な知識、たとえばクジラ狩りの唄や帆を操る技法などが失われることが心配だったし、実際にそうした知識は消失しつつあった。船外機が乗組員同士、そして部族全体の団結を損なっていることも由々しき問題だった。
    2001年には、村の協議会において、モーターボートでテナ(伝統的な木船)をクジラの目の前まで牽引し、狩りを行うことが承認された。

    村そのものも変容しつつあった。竹を組んだ藁ぶきの住居は、1980年代にはレンガ造りでトタン屋根の家に入れ替わっていた。2005年にはインドネシア政府がラバルカン山の中腹にディーゼル発電機を設置し、ラマレラ村にも夜6時から翌朝6時まで電気がつくようになった。2007年にはラマレラに工業高校ができた。

    2014年に、インドネシア東部への大々的な投資を公約したジョコ・ジョコウィ・ウィドドが大統領になると、外国の実業家が鉱業・漁業ブームを期待して、地元企業との提携を模索するようになった。村の住民であるサレスは進んで手を貸し、水産加工工場の建設を進めている。サレスのビジネスが軌道に乗れば、ラマレラ村は日常的な銛打ち漁から遠ざかることになるだろう。漁師の獲物をサレスが現金で買い付けることで、この村の物々交換経済も一気に終焉へと近づくだろう。サレスがこのビジネスを始めようと、始めまいと、遠からず近代文明がこの村を呑み込むはずだ。


    2 消えゆく伝統社会
    世界の先住民のほぼ全員、3億人以上が、伝統的生活と近代的生活の板挟みに直面している。工業化されたライフスタイルを受け入れるのか、それとも、自分たちの伝統を忠実に守ることで近代世界における不利な立場に甘んじるのか。グローバリゼーションが大勢の健康、教育、そして富を向上させていることは否定できない。しかし、そうした現代社会に加わるということは、先住民の人々にとっては往々にして、居住地域の生態系と調和した暮らしを捨て、その暮らしを破壊する元凶たる生き方を選ぶという意味になる。語り継いできた神話をハリウッドなどの没個性的な娯楽にすり替え、緊密に結ばれた民族集団ごとのアイデンテイティを国でひとくくりにした属性に切り替えることになる。民族は国家の従属物となり、国家全体の人口の一部とみなされるのだ。

    2016年の時点で、残存する言語はわずか7100種類ほど。言語的多様性のピーク時と比べれば約7パーセントだ。しかも言語消失のスピードは加速した。生き残っている言語のうち1500種類ほどは、話者が1000人を切っている。ほとんどは老人だ。言語の生存を確保するには若者層の一定数が流暢に話せる必要があるが、その下限を満たしていない。ある学術研究の推計では、2100年までに現存する言語の90パーセントが死滅し、残るはたった700種類になって、世界人口の大半は英語、北京語、スペイン語でコミュニケーションをするようになる。今現在も平均で毎月2つの言語と、それに伴う文化――千年にわたり積み重ねてきた歴史、哲学、生活様式、宗教、伝統など、人の行き方を表すすべてのものが死んでいるという。


    3 グローバル化が世界を呑み込むとき
    グローバリゼーションに関するおもな言説では、グローバル化の動きは大勢を豊かにし、健康にし、高い教育を与える力になると語られる。それはたしかに真実だ。多くの面で恩恵でもある。だがそうした視点は、産業世界との接触によって追い詰められ、ときには死に追いやられる先住民数億人の体験を無視している。彼らの側から見たグローバリゼーションとは何なのか。彼らは「原始的」で、彼らの生き方が変わっていくのは「進歩」である――そんな理屈で先住民の物語を切り捨てることなく、彼らの体験に私たち自身の生き方と等しい価値を見ることができるなら、そこから何が生まれるだろうか。

    近代の工業世界のライフスタイルは、それが人間の心や精神のニーズを満たすという理由から、地球全体を侵略してきたわけではない。このライフスタイルが世界中に広がっている理由は、あくまで先進諸国が伝統的な社会よりも強かったからであり、自分たちをますます富ませるために、強引な力をふるって支配下の人民、領土、資源を追い求めてきたからなのだ。いったん確立された産業主義は、物質的豊かさと、教育と、医療の面で大幅な進歩をもたらし、もはや後戻りを不可能にした。
    狩猟採集民の生活様式と、近代社会のライフスタイル、それぞれの利点をめぐる議論は、どちらのほうが優れているかという結論の追求となりやすい。だが、そのアプローチは重要なポイントを見逃している。どちらの暮らし方にも長所があり、短所があるのだ。むしろ私たちが考えるべきは、異なる社会がお互いから何を学び会えるかという視点ではないだろうか。

  • 最初、読むのを躊躇する厚さだったけれど、すぐに読み終える。ラマレラで、その空気の中で、ラマレラの人々にリスペクトをもってコミュニケーションを取った人間だからこそ書ける生々しさ。迸る感情、激情も、目の前に感じるほど。透明人間になって、その場にいる、見てるような感覚で読み進める。

    「伝統的社会を守るというのは、人が自分にとって1番心の満たされる生き方をしていく権利を守るということだ。」

    近代文化の暴力的な流入と、祖先から引き継いできた暮らし。どちらにも良いところがあり、そしてどちらにも受け入れ難いものがあるからこそ、人は悩む。悩んでいる間にも、変な倫理観や価値観を押し付けるように、乗り込んでくる人々。外堀を埋めようとする人々。

    捕鯨になると、詐欺的行為や、より恐喝的な行為に及んでも、その行為が善なのだと思い込んでいる欧米の環境活動家たち。

    ベン。その最期も先祖から連綿と伝えられてきてイグナシウスから注意を受けていたことを思い出させる。安全に生きながらえるための術は、祖先から繋がっていた。

    何年もの流れを見て、終盤は近代文化と伝統的文化について考える。
    価値観、文化の押し付けはやってはならないけれど、日本もやられてきたし、やられてるな…と思う。この本を読んでから、インドネシアと捕鯨のニュースが、より気になるようになった。

  • 鯨を狩猟して生きて来た民族のルポルタージュ。
    伝統を守りつづけることや、民族の中での地位の確立、家族を守る事、新しい時代への変化など、人々の生き様が鮮明に描かれている。
    今までドキュメンタリーを読んで来なかったので、とても新鮮で興味深く読めた。
    こんな生き方をしている民族が今も居るんだなぁ。
    生きていくための捕鯨、認めてあげて欲しい。

  • 昔ながらの捕鯨を生活の糧としている文化の人たちの日常と、少しずつ影響が出てきている近代化の話。ノンフィクションでリアルな内容です。

  • インドネシア周辺、手銛1本で

  • インドネシア南東の島に暮らし、古来からの銛打ち漁法でクジラを捕って生きる人々を描いたノンフィクション。
    巨大なクジラに命がけで挑むシーンは、まるで彼らの目で見ているような迫力がある。著者は村人一人ひとりの生活や心情を丹念に描き込み、それによってラマレラ独自の伝統文化のかけがえのなさと、今それが避けようのない時代の変化にさらされていることを浮き彫りにしていく。これまでほとんど知らなかったラマレラの世界に呑みこまれるような濃い読書体験で、登場する村人一人ひとりの苦労、葛藤、人生の選択、喜びや悲しみの一つ一つが、どれも強く重く胸に迫ってくる(原著2019)

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著者プロフィール

著述家、フリー・ジャーナリスト。ニューヨーク大学客員研究員。『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』『ジ・アトランティック』『ナショナル・ジオグラフィック』『GQ』『WIRED』『ローリング・ストーン』『ザ・ニュー・リパブリック』などの雑誌や、「ザ・ニューヨーカー」ウェブサイトなど著名メディアに寄稿。2016年Mirror Award最終候補、2017年Arthur L. Carter Journalism Institute Reporting Award受賞、フルブライト奨学金を2回授与されたほか、ピューリッツァー危機報道センターの助成金、およびカリフォルニア大学バークレー校11th Hour Food and Farming Journalism奨学金も授与された。ABC局の番組「20/20」をはじめ、CNNやBBC、ラジオではNPRでインタビューを受ける。本書中の写真は、『ニューヨーク・タイムズ』『ザ・ニュー・リパブリック』『WIRED』『メンズ・ジャーナル』『ELLE』「BuzzFeed」などにも掲載されている。本書が初の著作。

「2020年 『ラマレラ 最後のクジラの民』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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