わたしは「セロ弾きのゴーシュ」 中村哲が本当に伝えたかったこと
- NHK出版 (2021年10月25日発売)
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感想 : 75件
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Amazon.co.jp ・本 (264ページ) / ISBN・EAN: 9784140818794
作品紹介・あらすじ
25キロの用水路を拓き、65万人の命をつないだ医師は、何を語ったのか
2019年12月4日、アフガニスタンで銃撃され亡くなられた医師・中村哲さん。本書は、中村さんが出演したNHK「ラジオ深夜便」の6番組より、インタビューに答えるその肉声を忠実に再現するものです。ハンセン病根絶計画から、空爆下の診療所開設と水源確保事業、そして用水路開通まで。「長年の活動の原動力は何でしょうか?」という問いに対して、中村さんは自らを、宮沢賢治の童話の主人公「セロ弾きのゴーシュ」にたとえました。本書には、本人が執筆したらおそらく触れなかったと思われる感慨や本音が随所に表れています。自身について多くを語らなかった医師・中村哲の心の内を知ることのできる貴重な証言の記録です。
第一章 ハンセン病根絶を目指して (1996年2月22日 中村哲49歳)
第二章 もの言わぬ民の命を (2002年2月16日 中村哲55歳)
第三章 アリの這う如く (2004年6月5日 中村哲57歳)
第四章 命の水 (2005年8月20日 中村哲58歳)
第五章 難民と真珠の水 (2006年9月16日 中村哲60歳)
第六章 開通した命の用水路 (2009年12月5日 中村哲63歳)
みんなの感想まとめ
人の命をつなぐために尽力した医師の言葉が、深い感動を呼び起こす本書は、彼の活動や死生観を通じて、私たちに生きる意味を問いかけます。中村医師は、医療や水問題に取り組むことで、アフガニスタンやパキスタンの...
感想・レビュー・書評
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セロ弾きのゴーシュ⁈読んで納得。
中村医師はアフガニスタン、パキスタンの根本的な生きるための手段をいち早く見抜いて行動した。まずは生きるために必要なことは何か、医療から水問題に取り組むことを誰が考えるか。教育や女子問題は生きてこそ取り組めること。
先進国での死生観ー長く命を繋ぐことー。生きること死ぬことを自然の流れとして受け入れることは日本人にできるだろうか。
海外支援は外国から来た、と言うだけで警戒されるという。その壁を少しずつ年月かけて無くしていったはずなのに、中村医師は殺されてしまったのか。
この先も中村医師の遺志がつながっていけばよいのだが。 -
まさに、魂の本。
①たとえば、地雷でよく足を負傷しておいでになる方があります。山の中では。片足ですと、杖をつきながらでも人に迷惑をかけずに生活ができる。。ところが、両足をなくしますと、たとえ命が助かっても、これは車椅子など使える生活ではありませんので、かえって、この人が生きておるために、一家全体が破滅するということもあり得る。その場合は、私たちとしても始めから助けない。(p40)
☆日本はさ、どんな方法を使っても生かすのが当たり前なんだけれども、ここでは違うんだね。よかれと思ってやることが、かえって迷惑になるというか、あだになることはよくよく考えておかなければならない。ようするに、親切にすればいいってもんじゃない。
②たしかに、長生きするというのもいいことですが、その長生きさせてもらったこの命をどう使うかについては、何も言わない。(p42)
☆自分の命の使い方。ただ生かしてもらっているだけではだめ。
③現地でみると、さっきも言いましたが、死んでいくということを甘んじて受け入れるということは、何も、命を粗末にしていいということではなくて、逆に、生きておるというのは、自分の意志で生きているのでなくて、いかされておるという感謝の気持ちと表裏一体なんですね。
☆感謝して生きる。シンプルなこと。 -
中村さんの穏やかで控え目なお人柄が伝わってくるような柔らかな語り口で、長年にわたって現地で活動した人にしか出てこない言葉が紡ぎ出されているように感じた。アフガニスタンの人々の死生観やその魅力に触れたくだり、支援をする側や先進国への一石を投じるくだりが特に印象に残った。
「天から人への問いかけに対する応答がわたしたちの人生そのもの」は、フランクルの実存主義に通ずる。これほど偉大なことを成し遂げながら「セロ弾きのゴーシュ」に自らを重ねる中村さんの慎しさに、胸を打たれた。 -
NHK「ラジオ深夜便」番組内での、中村哲さんへのインタビューの肉声を忠実に再現したものです。
おそらく、自分には想像もつかないような苦労や理不尽、恐怖などもあったのではないかと思うのですが、それでも、現地の人々に希望を見、ひたむきにご自身にできることを積み重ねてこられた姿があるからこそ、この言葉があるのだなと感じずにはいられません。
とてつもなく大きな問題や目標を前にしても、長い目でコツコツやるしかない、という精神力はどこから生まれるのだろう、と思いました。
また、中村哲さんが日本に一時帰国されたときに感じた、「みんな不満に溢れている。……景気がいいときには、困っている人のことなんかあまり頭に無い。常に何かでガサガサしているか、不平が多いんですね」という所感。…なんだか、まさに自分の姿だと思ってしまいました。
食べるものも、欲しいものも、なんでも手に入る豊かな生活をしているはずなのに、確かに、自分はことあるごとに不平不満を言っています。
豊かさと幸せは実は相関がなくて、本書で触れられているように、ちょっとしたことに感謝できる心を持っていることが本当に幸せなんだと、きづかされました。 -
誰の立場に立っておこなわれて、そして誰のためになる支援か。
本書を読み、上記の言葉に帰ることで見えてくる風景がありました。
世界がどうなろうと、そこに暮らす人がいるということ。
逃れられない人たちが、そこにいるということ。
出会った、目の前の人たちを大切に想い、最善を尽くしてこられた中村哲さんの生き方が浮かび上がってくる一冊でした。 -
中村さんの本を読むのはこれで3冊目だが、今までの中で最も親しみやすい本だった。NHKラジオのインタビューの書き起こしなので、彼の自然な語り口にまるで近くにいるような気さえするのだった。『セロ弾きのゴーシュ』でご自分を控えめに喩えていらっしゃるが、身近な困っている人々のために骨を折ることが、いかに尊いことかということを改めて感じた。とてつもなく大きな宝が暴力によって失われたことは耐え難い。心からご冥福をお祈りすると共に、私も自分の置かれた場所で、少しでも一隅を照らしてゆこうと思った。
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生き様だなぁと感嘆…。地球?を愛して、愛された方だったと感じると共に、自分のあり方を気付かされた方でもある。
忖度ばかりの世の中だか、平和賞を捧げるべき偉人ではなかろうか… -
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中村哲さんのアフガニスタンでの活動を知り、その興味から手に取ってみたが、ご本人の人柄や心根の優しさが伝わってくる。物凄いことをやっているのに、偉ぶるどころか信念さえを掲げるでもなく、自分の成し遂げたことを縁の一言で片付けてしまいながらも、問題点の本質を見抜き、愚直に真っ直ぐ謙虚に振る舞う。
どうしてそういうことができるのか、もっと中村哲さんという人物を学んでみたい。 -
なんだか胸がいっぱいで、うまくまとめられず。
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いわた書店の一万円選書で選んでもらった本。
中村さんは20年以上もアフガニスタンで医師として働きながら様々な活動をし、井戸や用水路を創ることで何万人もの人を救ったそうだ。そんな素晴らしい人が数年前に凶弾に倒れたニュースは知っていたが、この本は中村さんがどんなことを考えながら活動を行っていたのか、ラジオで語っていた内容を本にしたものだ。更に宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」も掲載されている。これは初めて読みました。
アフガニスタンの人達は、飲み水にも困り、食事も満足に摂れずに餓死する人もたくさんいるそうだ。内戦は激化し、状況は更に悪くなっているとのこと。
中村さんは、この地では生きること死ぬことがとても自然で、生身のものに感じるという。しかし不便な生活でも明るさを感じると。
日本に戻ると、蛇口を捻れば水が出てくるし、こんなにも恵まれているのになぜか窮屈で辛そうに感じるとのこと。
私は日々のことで悩んだり辛く感じることもあるけれど、もっと広い視野を持って世の中や世界を見た方が良いと感じた。ちっぽけで大河の一滴でしかない自分。もっとゆったり構えたい。 -
中村さんのとても身近な人が、「話し言葉が文字になったこの本がいつもの中村先生の声を直接聴いていると錯覚しそうになるほど親しみやすさにあふれている」とおっしゃる。
そんな本を手にとれて感謝である。
医者、井戸掘り、用水路造り、学校建設、、、
なすすべが全くなければ別だが、多少の打つ手が残されておれば、まるで生乾きの雑巾でも絞るように、対処せざるを得ず月日が流れていった。
と中村さんはいう。
砂漠地に水が引かれた時感じた事を訊かれ、
「男も、女も、子供も、動物も、昆虫も、鶏もみんな喜んだと思いますね。やっぱり命と言うのはですね、水が元手なんだなぁとつくづく思いましたですね」
鼻の奥がツンとした。
心に留めておきたいフレーズに溢れていた。
なぜわざわざアフガンなのか。日本でも問題はあるし働くべきことはあるんじゃないか。
そう言う人は、たいてい日本でも何もしていない方々。答えるならそれは一つの縁。そこに何かの力で結ばれた。そうとしか言いようがない。
ペシャワールを知ることは世界を知ること。
私たちは生きる時間も空間も限られている。
1つのことを深く掘り下げていけばおのずと他のこともわかってくると言う意味であり、ペシャワールに行かなければ世界がわからないと言う意味ではない。
水が善人、悪人を区別しないように、誰とでも協力し、世界がどうなろうと、他所に逃れようのない人々が、人間らしく、生きられるよう、ここで力を尽くす。
人が生きて、死ぬということの意味を、日本人は忘れているんじゃないか、という気がする。アフガン。人間がむき出しに見える場所。持たない人の明るさ。日本人の方がくよくよしている。
私たちが考えつく知恵と言うのは、たかが知れたもので。それに基づいて、戦争をしたり、殺し合いをしたり、恨みあったりするよりも、自然ももちろん災害も起こしますけれども、恵みも準備してくれているわけですね。どういう風な形で恵みを受け取るかというのを探し出して、それを私たちにも役立てるといいますか、お裾分けをもらうと、こういう知恵が、私たちを気持ちの上でも平和にしていくのではないかなと、私は思います。
遭遇するすべての状況が天から人への問いかけである。それに対する応答の連続が、すなわち、私たちの人生そのものである。 -
国際協力を志す者からすると、中村哲さんは英雄のような人です。そんな人でも、最初から偉かった訳では無く、目の前の課題を一つずつ悩みながら解決していくことで、実積を挙げていったことがよく分かります。話している言葉がそのまま活字になっているので、親しみやすいお人柄が伝わってきます。
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ガンジーといい中村医師と言い、尊い人がなぜ同じ人間の手で殺されてしまうのだろう。
先生のことを知ってから、ずっとその疑問が頭の中にあります。答えは出ません。善悪や道徳で世界は回っていないということを突きつけられる心地です。
そして、私はそんな正しくない世界に生かされているんだな、としみじみ思います。蛇口をひねれば水は飲めるし、近くの川が涸れることはない。職や家を失っても、いきなり死ぬことはありません。何より、生活の中で爆弾が落ちてくる危険はほぼ皆無。
私は前世で何か偉大な功績でも残したのでしょうか?アフガニスタンの人は、何を対価に支払ったらこの生活ができるのでしょう?
誰がどう見ても不公平なのに、これが現実です。
不公平すぎて、“中村医師が殺されてしまうような歪んだ世界だからこそ、私は生きていられるのかもしれない…自分は世界の歪みの一部なのかも知れない…”そんな罪悪感のようなものが、じわりと胸に滲みます。
(だからといって“日々の行いを正そう”的な話に帰結してしまうのは浅薄な気もしますし、アフガニスタンに生きる人々が不幸と言いたいわけではありません)
(日本に生まれたせいで、物質的な欲望をずっと刺激され、当たり前の幸福感を奪われている…という見方もできるので)
とりあえず、全くもって正しくはない世界ですが、私はなんの因果か今日も生かされています。
生かされている以上、冒頭の問の答えを探し続けたいと思いました。
おそらくそれが幸福に繋がると信じています。
※何気に『セロ弾きのゴーシュ』が収録されているので、再読したらゴーシュの不器用な人柄がいっそう好きになりました。華々しく評価される人よりも、隅っこを照らす人の灯りに気づける人でありたい。 -
現地の人が何を必要としているのか、どうすることがここで生きる人達を幸せにするのか、また争いのない世の中を作るのか、継続出来るのか。
人として、与えられた命をどう生ききるのか。 -
もう 20年も前に なるでしょうか
ケニアのストリート・チルドレンへの支援活動を
長年しておられる方に誘われて
ナイロビ近くの 孤児院に行ったことがある
その時に 日本人のスタッフの方もおられて
その方とお話をしていて
ー本当は 私たちのような
(ケニア人ではない)外国人が この現場に
必要とされなくなるのが
私たちの 一番の希望なのです
と おっしゃっておられたことが
強く印象に残っています
それから しばらくして
中村哲さんへの賛同をしておられる
日本人の方と出会った時に
その方も また
(中村哲さんが)同じようなことを
おっしゃっておられた
と お聞きしました
中村哲さんには むろんのこと
異国の各地で
そんなふうな 心の持ち様で
活躍しておられる方には
ほんとうに 頭が下がります
中村哲の作品
