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本 ・本 (256ページ) / ISBN・EAN: 9784140883266
感想・レビュー・書評
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おもしろかったところ
・ミドルクラスに対するある種の心理学的説明。第二組合を用いた第一組合潰しの後に、第二組合にも抗して資本が権力を再獲得するという筋書き。「負い目」の感覚の剔出。
・資本の都市開発戦略として郊外化に続き展開されるジェントリフィケーションに伴う、都市下層民に対するミドルクラスの敵意や「心の平穏」の希求。
・コモンズを単に物質的に捉えるのではなく、共同体そのものや実践を含めたものとして捉えている。ショック・ドクトリンという方法を暴くことによって、コモンズの資本への従属が唯一の道ではないことを示し、コモンズの資本からの自律という別の道への希望を提示する。
・その際、能力は個人的なものではなく、コモンズからの授かりものであるという視点も提示される。
きになったところ
・資本と反資本の単純な二分法が気になった。「資本」という一般化、そこに悪意を見出していく書きぶりは、いくらか陰謀論に近づいていかないだろうか。
・とはいえ、敵を名指すことによって可能になる行動とか与えられる希望もある。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
大雑把な話、「ミドルクラス的価値観が浸透した社会」というものについて取り上げている。
ここでは、実際に持っている財産がどのぐらいあるかと言うこととは関係がなく、ある価値観や態度を共有しているものこそが「ミドルクラス」であるかどうかを決める。具体的には、社会の中で、「団結した集団」としてではなく、あくまで「個人として」上昇を目指す態度のことを指す。
言い換えれば、個人が、個人の努力(能力)によって資本による圧力に抗う(自分の財産を守り、階級上昇を目指す)ということを規範と見なすのがミドルクラス的価値観であり、そうした価値観が浸透した社会こそが「ミドルクラス社会」なのである。
ミドルクラスは本質的に孤独である。彼らはある階級として見なされながらも、「ブルジョアでないもの」「プロレタリアートでないもの」として定義されるだけで、そこにはポジティブな集団性がない。
「労働者の団結」といった利益を守る闘争を資本が切り崩し、そして労働者内部で裏切りが起こることによって、利益を共有するはずの集団が、それぞれ個人の利益を追求する人々(孤独な群衆)になる。ミドルクラスはこうして薄暗い資本やシステムと結託するところから始まる。
だから、ミドルクラスは孤独に上昇を目指すしかないのである。
この本の半分くらいは日本の話で、具体的にはネオリベが本格的に導入される以前に、それと極めて親和的な「ミドルクラス的価値観」がいかに日本社会の中で用意されてきのか、ということを取り上げている。著者によれば、それは戦後から高度経済成長の頃には十分に下地が出来上がっていたという。
そうした下地が形成された背景には、労働組合活動の敗北、戦後の住宅政策(持ち家政策)、社会全体でのメリトクラシー(学歴主義)と会社内での「能力主義」(能力の判定に客観性はないので、会社に従順で献身的であることが好評価となる)などがあるという。
ここらは日本のうんこ企業カルチャーがいかにして形成されてきたのか、ということの分析でもあるので興味深かった(;´Д`)
後半は、もっと広い文脈で資本主義がいかに拡大しようとするか、その手口を分析していて、最後はコモンズの話で落ち着いた。資本は本質的に「自然」(自由に利用することのできる資源)を必要としていて、それ抜きには活動し得ない。だから、そのコモンズを取り戻すことが重要である、と。
高祖岩三郎とかホロウェイとか引用してたけど、まぁ当時の「VOL」界隈で盛り上がってた話ですね。資本は本質的に地球環境および私たちの「愛の労働」に依存していて、それを提供することはやめれば資本は終わりですよ、みたいな。でもねぇ…
正直、この本は前半の分析の方が面白かった。最近の個人的な感情としては、「オルタナティブ!」とか希望を語る思想の言葉よりも、地味に分析してる本のが共感できる。
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