科学は誰のものか―社会の側から問い直す (生活人新書 328)

  • NHK出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784140883280

作品紹介・あらすじ

遺伝子組換え作物から再生医療まで、暮らしに深く関わる科学技術の問題にどう向き合うか。哲学、政治学など文系のアプローチを用いて科学を見つめれば、サイエンスの「不確実性」や、テクノロジーに埋め込まれた「政治性」が見えてくる。科学技術と社会がいかに深く作用しあっているかを解き明かし、専門家と素人の知性を架橋するSTS(Science,Technology and Society科学技術社会論)入門の決定版。

感想・レビュー・書評

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  • ・1960年後半に始まった緑の革命(穀物類、高収量品種の発展途上国導入)後70年から90年までに世界の人口一人当たりの食糧供給量は11%増え、飢餓人口は16%減ったが、中国以外の国では飢餓人口は20%増えている。モノカルチャーによって自給に回らない、高収量発揮のためには初期コストが比較的高い、などが原因。

    ・1960年代半ば~1990年ごろAIDSの治験は二重盲検法を、他の薬を服用せずに行わなければならなかった。

  • 著者はもともと物理学を学び、そこから社会学に「文転」した方。科学技術社会論という、ちょっと耳慣れない分野について、丁寧に論を展開されています。
    同列で扱われがちな「科学」と「技術」をしっかり定義して使い分けてる時点で、個人的にはけっこう高評価でした。中身も、実例を挙げつつ自分の口調でしっかり論じている印象があります。

    3.11前に刊行された本ではあるけど、まるで原発事故後の盲目的な「原発No論」vs「それでも原発必要論」を見透かしたうえで、そういう視点では進展がないよ、と諭しているかのようです。

    後半、徳島の吉野川可動堰の建設に関して紹介されているのが、「推進派」でも「反対派」でもなく「疑問派」という立ち位置。
    本文から引くと、この疑問派というスタンスには、『可動堰が安全かどうか、必要かどうかではなく、「自分たちで納得して決めたい」という願いと、その結果を「自分たちが下した判断として引き受ける」という覚悟が示されている。』のであり、こうした視点を持つことで『僕たちは倫理や必要性、意味や価値に関わる問いも発することができる。科学技術を前にした時には、そうした問いこそ発しなければならない。なぜならそれらこそ、科学では答えられない、答えてはいけない問いであり、僕たちが答えなければならない問いだからだ。』と論じています。

    ページ数はそんなに多くないけど、原発論議にもそういった視点で臨む必要があると感じられる、好い意見を提示した良書だと思います。

  • サイエンス
    社会
    政治

  • 科学や技術の特性について述べたものであるが、社会に分類される書籍と思われる。政策決定にあたりその根拠となっている科学的分析結果が妥当でない例を挙げ批判している。論調が狭視的で反政府的な単なる個人的(自分勝手な)批判が多いと感じた。意見が建設的でなく読んでいて腹立たしい論調が多い。技術や科学の定義が曖昧であり、それが著者の論述を発散的にしていると思われる。地震予知システム、水俣病対策など、不具合のある政策について紹介する形で列挙するのがよかったのではないか。ムリに体系づけようとしたために非学術的、非論理的展開になっているような気がする。また、政策は待ったなしで作られるから、誰からも評価される完璧なものはできないのであって批判は必ずある。その意見をいちいち聞いていては意志決定が遅れ、日本の悪い遅れた政策策定となる。中途半端な妥協案となったり、官僚的な形式ばった施策となり、チャレンジできなくなる。著者は、そういった根本的な政治、行政システムがわかっていない。反政府市民グループに所属する浅はかな政策批判書といえる。

  • 699円購入2011-06-28

  • 一般向けSTS入門としては読みやすい方だと思う。でもせっくかくサイエンスショップを実践しているのだから、もっとそのことに触れた方が読者もイメージしやすくなるのではないか。

  • 科学は決して科学者のためのものではないという考えで書かれた書である。生活者にとって意味のあるものでないと、有用であるとはいえないということか。なんか上手く説明できん。

  • 「科学なしでは解けない課題/科学だけでは解けない課題」が急増したとして、御上からの「統治」でなく、「協治」=ガバナンスが必要と説く。科学技術社会論としてはスタンダードな議論だと思います。(新書だしね)
    科学は最終的には一種の「賭け」になるのはしょうがないと思ってはいたけど、著者が言うように「『賭け』を『実験』に」昇華させるために、自分の中で科学的リテラシーや素養を醸成させておく必要がありますね。

  • これは勉強になりました。
    科学技術社会論の出発点には最適かと。そしてこの分野は自分が結構勉強してきたハーバーマス=公共圏の議論ともむちゃくちゃ関係があるのだということを認識。とりあえず、僕はこの本と小林先生『トランス・サイエンスの時代』を熟読せねばと。あとやはりハイデッガー『技術への問い』ですね。

    冒頭の箇所は、社会学者の見田宗介による戦後史の3区分(理想の時代/夢の時代/虚構の時代)が意識されているんだろうな〜と。

    1点。
    「科学の価値中立性」のところで、若干、疑問があった。
    恐らくM.ウェーバーの価値自由の議論が念頭に置かれているのだろうけど(いや、恐らく間違いない)、ウェーバーの言う「価値自由」って、著者の言う「科学の純血主義」とは、実は真逆というか、その純血性にはどうやって辿り着くことができないことへの苛立ちから発せられたものというふうに僕は理解していた(この辺の議論に関しては宮台真司・北田暁大『限界の思考』に詳しい)ので、少し違和感を覚えた。本書を読んでいてウェーバーの『客観性』論文は非常に重要だなと思ったし、忘れている/理解できていない部分もあるので、こちらも読み直してみよう。

    いずれにしても大変勉強になったことは間違いない。

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著者プロフィール

大阪大学コミュニケーションデザイン・センター 准教授

「2011年 『リスクコミュニケーション論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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