ダメ情報の見分けかた メディアと幸福につきあうために (生活人新書 334)
- 日本放送出版協会 (2010年12月10日発売)
本棚登録 : 362人
感想 : 27件
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
Amazon.co.jp ・本 (200ページ) / ISBN・EAN: 9784140883341
感想・レビュー・書評
-
三人の識者による、メディアリテラシーに関する一冊。「数多くの情報が氾濫している昨今、何が正しい情報なのか見極めるのが難しくなっている。そのような状況に対して一人一人がメディアリテラシーを高めるべきである」といった通説を聞くと疑うべくもない。ただし本書は、その類の通説をも疑うところからスタートしており、非常に奥が深かった。
◆本書における新しい視点
・これまでのメディアリテラシー論は、被害者にならないということを第一の目的にしていた。しかし、今や情報の受信者は同時に発信者でもあり、本書においては、加害者にならないためにということに重点を置いていてる。
・これまでのメディアリテラシー論は、リテラシーがない人を対象に語られてきた。しかし、昨今の情報環境の変化は誰しも経験したことのないものであり、本書においては、全ての人を対象に、必要なリテラシーが変化してきているという視点にたって為されている。
・これまでのメディアリテラシー論は、中立であるということを目標とされてきた。しかし、人やメディアが偏ってしまうことは不可避なことでもあり、本書では偏りや多様性を前提としたうえで議論が為されている。
◆本書で紹介されている処方箋
1.リンクの不在を怪しむ、情報元を確認する、文章を最後まで読む
今年一年、Twitter上で何件のデマで出回ったのだろうか?MIXI破産、みのもんたの駒野選手のお母さんインタビュー、鳩山由紀夫偽アカウント、小沢一郎偽アカウント、福山雅治結婚・・・全てがネット上に要因があったわけではないが、情報発信の簡易さが火に油を注いだのは事実である。これらの共通の特徴は「それらしいこと」にある。与えられた情報に対する、内在的なチェックを行いながら、安易な行動をおこさないことが肝要である。
2.無内容な話を見抜く、定義が明確でない話を見抜く、データで簡単に否定される話を捨てる。
上記のような捨てる技術を都度行うのではなく、ソーシャルグラフを定期的にメンテナンスをしながら、フィルタリングの精度をあげていくことが重要なことだと思う。一度でも2010年はソーシャルグラフの拡大が顕著であったと思うが、2011年は断捨離が一つのテーマになるのではないだろうか。
3.マイノリティの視点に立つ、その存在を承認する。
そもそも、”メディアリテラシーを高める”という考え方自体が、思想的に偏ったものであるらしい。言われてみれば、利用者に全ての責任を負わせているわけで、システム提供者の社会的責任などは、なかなか議論にあがってこない。このように、議論をしている前提条件がどのようなモノの上で成り立っているのかを考え、さまざまな視点でモノを考えるということは大切なことである。
このようなメディアリテラシー論の本を読むと、この本自体もあるメディアなわけだから、鵜呑みにするのはどうかなどという、天邪鬼な気持ちも芽生えてくる。しかし、このような状態を、心理学的に「ダブル・バインド」と呼び、受け手に強いストレスを与えるため推奨しないという話が、本書で紹介されていた。完全に先回りされてしまっている・・・詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
信頼できる著者たちの論考。基本的なことだけど、案外できていないことが多いんじゃないかな。
-
駒澤大学経済学部のシンポジウム講演を下敷きに加筆・修正したもの。3氏それぞれがメディアが移り変わっても使える考え方を、事例を使って論じている。
第1章 荻上チキ 「騙されないぞ」から「騙させないぞ」へ ― ウェブ時代の流言リテラシー
ウェブ流言も昔からの流言と本質は同じ。流言やデマを放置せずに検証し、拡散というアクションを安易に行わないように注意する。
第2章 飯田泰之 情報を捨てる技術 ― データ検証から確率論まで
とんでもなくダメな情報を振り落とす3つの方法。
・無内容な話を見抜く
・定義が明確でない話を見抜く
・データで簡単に否定される話を捨てる
第3章 鈴木謙介 メディアリテラシーの政治的意味 ― 「偏った情報」とどう付き合うか?
インターネットの普及によって自分自身の偏りを自覚したうえで、他者の「偏った」意見にも目を配る必要性が高まっている。 -
メディアリテラシーを多面的に解いた内容は、すべてがすぐに納得できるものではないものの、現代人が考えなければならない内容ばかりである。時間をかけてゆっくりと考えながら読むのが良いと思う。
個人的には最終章が一番興味深く読めた。 -
データ不在の無根拠情報、ネットに広がるデマ…。メディア論・経済学・社会学の気鋭の論客が、情報を的確に仕分ける技術を伝授する。情報社会を生き延びるためのメディア・リテラシー論。【「TRC MARC」の商品解説】
関西外大図書館OPACのURLはこちら↓
https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB40162263 -
メディアは透明な道具ではない。
つまり常に歪みなく届けられるものではないということを知っておく。
メディアリテラシーを身に付け、内在的チェック(自己判断)と外在的チェック(外部の別の情報に当たる)だけでなく、時に判断保留をし、より確からしい情報が出てくるのを待つのも一つの手段である。
無内容な話さえ、常套句やテンプレートとちょっとした飾りでそれなりに仕上がってしまうのがメディア情報の怖いところ。
その場合、日常用語に落とし込むことで本当に言いたいことが見えてくる。
言葉の定義を明確にすること。
そしてその検証可能性も明らかにする。
著書では構造改革という言葉の定義が不明確であることを指摘していた。
ある疾病に対しある薬が効くかどうかの判断は投薬したデータだけでは不十分で投薬しなかった場合のデータも少なくとも必要である。
大切なのは正しい情報の見分け方だけでなく、偏った情報に対してカウンターとなる情報を影響力ある形で流通させるスキル。つまり現在は発信する力も求められるということ。
時折専門的な内容もあり難解な部分もあった。
本書を参考に情報を受け取るようにする。
-
-
○メディアリテラシーをテーマに、3人の著者がそれぞれの観点(「ウェブにおけるリテラシー」「データの読み方」「政治との関係」)から、解説を行っているもの。
○内容がそれぞれ独立しており、相関性は見られないが、「情報」に対してどのような考え・立場で望むかという視点の持ち方について、参考になった。
○個人的には、荻上チキさんの章が一番面白い。 -
情報の取捨選択を自分の軸を持ってしましょう、という話。
-
-
題名通り、ダメ情報の見分け方について書かれた本。
過去によくあったメディア・リテラシーの紹介ではなく、WebやTwitter、SNSなどの個人が簡単に情報発信でき、他人の発信した情報を簡単に拡散できるようになった時代に必要なリテラシーについて、流言リテラシーとして紹介する等、SNSを使っている身としては、非常にリアリティを感じて読むことができた。
WebやSNSを利用して情報収集する頻度が多い人はぜひ読んでみてください。 -
メディア・リテラシーとはなにか?
という問いに即答できる方にはぜひ読んでいただきたい1冊です。
面白い点は「メディア・リテラシー」について、3人の著者がそれぞれの主張を持ち、文章のスタイルも統一されていない点です。
現代文を学生時代にもっと真面目に取り組んでればなぁ… -
流言,内容のない言説,事実と価値判断の不可分性について。情報の海でどのように良く生きていくか,メディア・リテラシー入門。
誰しもありのままの事実を知るなんてできなくて,みんな不完全な情報,加工された情報をもとにして,思考し行動しなくてはいけない。完璧ではなくても,より確からしい情報を手に入れて正しい判断をするために,どのような心構えが要るのか,確認しておくのは大事。
流言の根底には,情報に対する需要と供給のミスマッチがある。真偽を問わなければ,情報を生み出すコストってべらぼうに低いので,供給不足のところにガセ情報が投入されてあっというまに広まってしまう。それも,単純でステレオタイプに沿ったストーリーだと効果的。
世の中は複雑だから,単純な話やいかにもな話は,まず疑ってかかるのがいいんだろう。それと,世の中のしくみ(社会・科学)にはある程度基礎知識があった方がいい。それをもとに,胡散臭い情報って結構遮断できると思う。
そういうことができない人たちが陰謀論にはまってしまうんだろな。学校で基礎知識を与えるのも確かに重要だけど,そういう危険な情報が世の中にはうようよしてるんだよってことをもっとあからさまに教えられるといいんだけど。もうやってるかな?メディアリテラシー教育。 -
ネット上に氾濫する情報について、三者三様の切口で、読み応えのある意見がまとめられている。
個人的には、荻上チキ氏の書いている内容がわかりやすく、まさに私が読みたかった内容のものだった。 -
コンパクトな新書には珍しく章末、巻末の参考図書・文献が充実。著者3名それぞれのお薦めが書かれています。さすが情報リテラシーの本。
-
インターネットでは大きな権力に騙されないといった気構えや能力だけではなく、隣の誰かに騙されないための気構えや能力も必要となる。ミクシィ破産説、志村けん死亡説。くだらない。
騙されないことよりも、被害を最小限にとどめること。 -
大量の情報に囲まれる現代にあって、適切な情報をいかにして入手していくのかが求められている。その方法は、以前からの新聞、テレビ、書物といったメディアに加え、ネット、さらにはソーシャルメディアといったものまで登場している。物事の概略だけを手早く入手することやその本質を深く理解することなど、その用途によって使うメディアも取捨選択される。たとえそうであったとしても、どのメディアを使うにしろ、その情報を見分けることができなくては結局は情報の波におしつぶされてしまう。今やクリックひとつであらゆる人に情報発信できる時代である。流れてくる情報を敏感にキャッチすると同時に、その情報が正しいものなのかと見分けるメディア・リテラシーの力が、これから先の情報化時代を生きていく上では必要不可欠なものになってきているのである。
-
メディアリテラシーを高めること・・・。
これはこれからの情報社会を生きていく上で必須だと思う。
ネット社会で情報が氾濫し、マスメディアからの情報が必ずしも正しくないことが分かると、果たしてどの情報を信じればいいのか?という問題にぶち当たる。
となると、結局は自分の知識や能力を向上させ、多面的にものごとを見る習慣をつけ、判断力を高めていくことが必要になる。
個人発信が簡単になった時代。
我々がデマを発信してしまう可能性も高い。
また、内容のない不要な情報に無駄な時間を費やしてしまうことも多々あるだろう。
こういった問題をどう考えていくのか、3名の識者がそれぞれの論点で語っている。
後半に進むごとに話は難しくなっていくが、気づきの多い内容である。 -
立ち読み:2010/12/16
[図書館]
読了:2011/6/24
p.66 「流言の語り手は、その情報をまだ持っていない人に比べて「自分はリテラシーが高い」と認識し、「まだ真実を知らされていない大衆を啓蒙しなくてはならない」という選民意識さえ抱いているケースが多くある。」
p.68 「流言のチェックをする際に注意しなくてはならないのは、
・有名性
・親密性
・複数性
・権威性
の4つ。」
p.91 「リテラシーの普及が進まないのは「リテラシーの重要性が分からない愚か者が多い」からではなく、みんなが賢いから、合理的理由(損得勘定)に基づいてその習得の努力を払わない。そのインセンティブがない、損だからだ。」
p.103 「「いつでもどこでも正しい」言説は無内容。
例:国民目線での問題解決を目指してほしいですね」
p.112 「定義が不明確な用語から出発した議論は容易に検証不可能な命題になる。
例:構造改革してもうまくいかなかったら、「改革が足りない」と言えばよい。」
p.118 「凶悪犯罪は総数でも人口比でも減っている。というデータを示すと「昔の凶悪犯罪は生活苦ゆえの仕方のない事件だが今は違う」という反論がよく返ってくるが、これすらデータを見れば間違いであることが分かる。昔の凶悪犯罪も、身勝手な理由から起きている。」
p.182 「2位ではだめか」関連の報道には本当にイライラしたので、
「「科学軽視の政権」対「反発する科学者」の対立の構図に落とし込んでしまうと、本来必要だった「予算の使われ方を市民に公開する」という事業仕分けの意義まで失われ、「専門家が必要だと言えば必要なのだ」という話にもなりかねない。」
とバッサリ斬ってくれたのは爽快。
著者プロフィール
荻上チキの作品
