活動家一丁あがり! 社会にモノ言うはじめの一歩 (NHK出版新書)

  • NHK出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784140883433

作品紹介・あらすじ

「より生きやすい『場』をつくる人」。貧困問題の現場で活動する湯浅誠は、今、真に必要な「活動家」をそう定義する。生きづらい社会を少しでも変えたいと思うとき、人は誰もが「活動家」たらざるを得ないのだ。特別講座「活動家一丁あがり!」の記録を通して、市民一人ひとりが、自らの問題意識の中から声を発信し、社会を動かしていく方法と勇気を与える。マンガ「活動家一丁あがり!」も収載。

感想・レビュー・書評

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  • この新書が出たのが、ちょうど震災直前だった。よって、まったく注目されないまま五ヶ月が過ぎている。ここには湯浅誠の『活動家論』が書かれている。

    それと同時に、NHKスペでも一度やったと思うが、もう三年目を迎えている湯浅たちが始めた「活動家一丁あがり!講座」の活動記録が残されている。

    会社人間に疑問を持った女の子、派遣切りされた青年、人工授精によって生まれた子供の声を伝えたいと明確な意思を持って講座に参加した女性、等々さまざまな『若者』が参加しているこの講座の内容よりも、彼らの『成長』がまぶしい。

    この本は注目されなかった。けれども、世の中は確実に「活動家」という意味の『転換』がなされているきがする。

    湯浅たちがこの講座を立ち上げた動機は、単純である。かって学生運動をしてきた年配の人たちは「今の若者はこんなにひどい目に遭っているのにデモのひとつも出来ない」と嘆く。しかし、若者たちはそのデモのやり方さえ知らないのである。だから、居酒屋で管を巻くこともできなくなった若者たちはネットにはけ口を求める、それさえも求められなくなったとき秋葉原事件が起きる。

    そもそも「活動家とは何か」「活動として何をしたいのか」「活動してどうだったか」。

    湯浅さんは「活動家」をこのように定義する。

    私は一言で言えば「場をつくる人」だと定義している。活動家といえば、デモ、ストライキ、集会、街宣……と、経験のない人は物騒に感じ、どうしても敬遠したくなる言葉を連想するだろうが、それらはすべて、場をつくり、場への参加を呼びかける行為にほかならない。その「場」とは、人々が受け容れられる場、立ち上がる力を身につける場、自由な意見交換が担保され、アイディアが湧き出す場だ。

    「活動家」という言葉を使いながら、そのイメージを変えようと思った。

    と、述べているように湯浅が「活動家」を名乗るのはかなり「自覚的」「戦略的」である。私は湯浅のこのような発想が大好きだ。

    この講座は、(当たり前だが)松下政経塾みたいな「活動家のエリートを育てる」塾ではない。みんなすこしづつ何かを掴み、卒業していく。

    かつて加藤周一は、日本社会の特徴を労働組合や政党など大きな社会批判組織は弱いが、一方では無数のコミュニティ組織があることの強みを指摘した。そして、それを活かす方法として「九条の会」を立ち上げた。

    日本には若者組等々の伝統もある。「活動家」はいつでも育つだろう。もうすこし「自覚的」になれば。

  • 精子を非配偶者から提供してもらうことで生まれた人の話を読んだ、多数決ではいけない理由、少数意見を聞く必要性、がここにあった。
    人工授精で生まれた人は、自然な受精で生まれた人に比べればすごく少ないが、これに関する法律をつくるときには、当たり前だが少数の当事者の意見が重要。
    その法律の賛否を問う時に多数決が行われたとして、そこには非当事者も参加する。
    非当事者が非当事者のまま当事者の意見を知らずに多数決に参加したら、少数の当事者の意見はとても大切なのに少数のために反映されない可能性がある。
    非当事者に対して、当事者が勉強会や意見表明をして理解を深めてもらった上で、多数決しなければいけない、そうしても非当事者の当事者感覚は薄いかもしれない。
    同じことが他のことについても言えるのだろう。
    難民認定してもらえない人が入管に入れられて酷く扱われた事件も、入管に現在入っている人の声はあまり伝わらず、それをいかがなものかと思うジャーナリストや、入管で亡くなった遺族を取材する事で、間接的にやっと伝わる。日本語で伝えられないのかもしれないし、異国で生きるのに精一杯で時間も無く、どこにどうアピールすればいいかもわからず、少数者がひどい扱いを受ける事実が埋もれてしまうのかもしれない。埋もれてしまえばその少数者に関わらない人には、見えない、見えないから思いも馳せない、どうにかしろよという世論が無いから政府は何も対応しない、そういうこと?
    誰もが何かについての当事者で、何かについての非当事者だ。
    ひきこもり問題の当事者、当事者家族は多いはずなのに、サイレントマジョリティーだ。
    何かを決める時、そのことに直接関わる人が誰なのか、決める人たちは当事者か非当事者か、非当事者はそのことについて理解を深めているのか、そういう点を考慮しておかないといけないな。

  • 309

  • 昔、学生運動の活動家に憧れた。社会に物言うことはタブーだと知った。就職のため、家族の安全のため、言い訳はあれこれあった。原子力発電所も危険だって思っていた。実際に東電と高圧送電線の建設反対について交渉したこともあった。嫌な思いもたくさんして、結局押し黙ることを選んだ。負けたんじゃなくて逃げていたんだと今回の東電の原発事故で思い知った。なんでもっと体を張ってやらなかったのかなと、後悔もした。もし、放射能が影響で家族や地域の大切な仲間にもしものことがあったらと思うと、いても立ってもいられない。そんな中で読んだ。「社会に対して、自分の意見をしっかり言って、自分がめざす世の中にして行こう」と今さらながら思う。その決意をすることが出来る本。

  • 資料ID:92111566
    請求記号:
    配置場所:新書コーナー

  • 229

  • 珍しく一気読みでなく読了。以前であれば、動く人には金子郁容「ボランティア」が必読でしたが、現代ならこういう意識が必要だと得心。私も、その一人になります。

  • 「この人の発言は、すごく力があり、心に響いてくる」と感じさせる人。
    そのひとりが、反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠さんです。

    湯浅さんたちが開催したアジア太平洋資料センター(PARC)の特別講座の記録をもとに、「活動家」についてまとめたのが本書「活動家一丁あがり 社会にモノ言うはじめの一歩」。

    「活動家」というと、ちょっと危険なイメージをもってしまいそうですが、湯浅さんによると、『より生きやすい「場」をつくる人=活動家』。

    今、目の前にある現状に対して、「なにか、おかしい」「もっと、こんなふうだったらいいのに」と感じ、行動を始めた人は、すでに「活動家」といえそうです。

    湯浅さんによると、

    『場をつくる人としての活動家は、言うべきことは言うが、ただ言っているだけではない。自分の言っていることにカタチ(場)を与える。活動家は不平家とも違うし、理論家とも違う。「言うこと」よりも、「つくること」のほうが難しいのを知っている。「言うこと」は一人でできても、「つくること」は一人ではできないことが多く、そうである以上、いろんな人との接点を見出しながら、ときには妥協しつつ合意形成しながらやるしかないからだ。』

    『活動家とは、「場」をつくることを通じて多くの人に気づきの機会を与え、変化のスピードに遅れすぎないよう社会を引っ張っていく存在である。だから活動家は、その活動が特定の誰かを対象にしていたものであったとしても、特定の誰かのためだけのものではない。社会全体のためのものであり、社会の持続可能性をつくるものだ』

    活動家のひとり、川添誠さん(反貧困たすけあいネットワーク代表)は、言う。
    『新しいことを始めるというのは一人の活動家の発案だとしても、それを実現するのは孤立した活動家ではない。活動家にとってまず必要なのは社会を変えたいという熱意だが、それだけでは足りない。仲間とつながることのできる活動家だけが、新しい社会運動をつくることができる。そして、活動家にとってもっとも必要なことは、一人では何もできないという自覚だ。仲間とつながりながら、どのような新しい状況に直面しても考えることをサボらないのが活動家だと私は思う』

    ただし、活動家は特別な人ではありません。

    派遣切りの経験から活動家となった人鈴木重光さんは、
    『まずは自分の身の回りのことや周囲の人たちに思いを馳せ、その(人たちの)ために何ができるのかを考える。そしてその一市民たちが、今の生活を少しでも良い方向に変えていこう、と声を上げて集まることが何よりも必要だと信じている』

    私なりに整理をすると、
    ① 社会・現状について「もっと、こうしたい」「こうありたい」という思いがあること
    ② 思いをもっているだけでなく、行動を起こしていること
    ③ 一人ではなく、同じ思いを抱く仲間とつながり、ともに行動していくこと

    こうしたことができるのが「活動家」であり、その活動は、周囲の人や社会のなかで影響力をもつのだと思います。

    思い、行動、人とつながる。
    考えてみれば、とてもシンプルなことです。

    でも、これをコツコツと積み重ねていくことに価値があると感じています。

  • いきなり「活動家」と聞くとなんだか怪しいイメージだが、湯浅氏は「活動家」=「生きやすい社会にして行くための場を作る人」と定義している。NPO、NGO、社会起業家も活動家であり、また誰しもが問題意識を持ち、「生きやすい社会を作ろう」という場を作ったり、そこに参加したり集まることで、まかれた種がしだいに大きくなれば、生きやすいのびのびとした社会を実現できるのではないか。活動は決して重苦しいものではないと湯浅氏は語っている。

  • 「生きる事が「活動」である人にとって、”場”を呼びかけ、つくり、人とつながり、社会にモノを言っていくための「活動」とはなんなのか。「居場所づくり」という活動は、それに対する一つの答えなのかもしれない。」(あとがきより)

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著者プロフィール

「反貧困ネットワーク」事務局長、「自立生活サポートセンター・もやい」事務局長。元内閣府参与。

「2012年 『危機の時代の市民活動』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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